日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「買い物の楽しさ」って、何だろう?

2023-02-06 19:35:18 | マーケティング

昨年、手術を受けた父の経過検診の付き添いのために、帰省をしている。
病院への付き添いだけではなく、買い物などの付き添いもある。
今日は、何年ぶりだろうか?というくらい出かけなかった、地元の百貨店へ出かけた。
平日の昼間とはいえ、買い物客がいない店内は寂しさを感じる。
それよりももっとひどい状況なのは、商店街だろう。
全国の商店街の中で、シャッターが閉まったままの店舗が連なるような「シャッター商店街」という言葉は、すっかり定着している感がある。

このような「シャッター商店街」の誕生の背景に言われる事の一つが、郊外型大型ショッピングセンターだ。
巨大な駐車場を持ち、生鮮食料品はもちろん、ちょっとしたブランド品からファストファッションまで買うことができる。
それだけではなく、フードコートやゲームコーナーなどがあり、「1日中楽しめる場所=郊外型大型ショッピングセンター」という、認識が一般的になって、随分時間が経った。

そのような状況にあって、今、、出かけた百貨店で感じたことは「買い物の楽しさって、何だろう?」ということだったのだ。
バブル経済が崩壊してから30年余り。
日本経済は復調の兆しが全く見えない、という状況にあるのは、ご存じの通りだ。
そのような状況に追い打ちをかけたのが「コロナ禍」かもしれないが、それよりも前から日本の平均給与そのものが伸び悩んでいる。
違う言い方をするなら、「この30年間、多くの現役世代の日本人は買い物を楽しむ」という余裕が、持てなかったのでは?という気がしたのだ。

「買い物の楽しさ」と、「日本の経済の伸び悩み」の関連性ははっきりとあるわけではない。
ただ、経済的余裕がない状況では、「生活を楽しむ」ということそのものが制約されてしまう。
経済的余裕がないまま時間が過ぎ、「生活を楽しむ事を忘れてしまった」というのが、日本人なのではないだろうか?ということなのだ。
「シャッター商店街」と「生活を楽しむ」という関連性もあるわけではない。
それでも「商店街をそぞろ歩く」という気持ちが起きない、という商店街がシャッター商店街となっているのでは?ということを言いたいのだ。
特に、新規参入そのものが難しいのだろうか?店は閉めても異業種の若者に貸し出す、という感覚が感じられないような気がするのだ。
これはあくまでも私の主観的な感覚であり、実家がある米子の商店街についての事なので、違う地域の商店街の問題点と、言い切る事はできない。
ただ「楽しさの提供」という点において、「買い物」という点ばかりを見ているために、「何故人は買い物にやってくるのか?」という要素の中にある「楽しむ」ということを忘れているような気がしている、ということなのだ。
逆に言うと、「郊外型大型ショッピングセンター」は、「買い物」以外の要素「楽しさ」を提供しているのでは?ということだ。

「その場所に出かけると、何かあるのではないか?」という、ワクワク感・ドキドキ感それが、「買い物の楽しさ」の一つ要素だとすれば、その「楽しさとは何か?」ということを、シャッター商店街の店主さんたちには考え、「開かれた商店街」を目指すことで、これまでとは違う「商店街」が生まれるのでは?という、感覚を持ちながら帰ってきた。




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