日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

コトラーと資本主義

2015-12-08 20:26:44 | ビジネス

仕事の合間合間に、ちょこちょこと読んでいたために、随分時間がかかってしまった本がある。
コトラーの「資本主義に希望があるー私たちが直視すべき14の課題」だ。

今年の初め話題になったのは、トマ・ピケティの「21世紀の資本」だった。
そして、秋にはマーケティングの父とも称されるコトラーが、「資本主義」についての本を出している。
1年で「資本主義」または「資本論」というテーマが、話題になるということ自体珍しいと思うのだが、それだけ「資本主義」あるいは「資本論」が、社会から注目されている、ということなのだろう。

実は、トマ・ピケティの「21世紀の資本」は、読んではいない。
コトラーも、「トマ・ピケティの『21世紀の資本』そのものを、読破したビジネスマンは少ないのでは?という指摘をしている。
コトラーが注目している点は、ピケティが指摘していた「格差を生み出す原因」という点だった。
もちろんコトラーが指摘している内容は、世界経済ではなく米国の経済についてである。
しかし「米国のコト」として読むのではなく、「日本の現状は?日本であればどのような状況になるのか?」という視点で、読み進めると実に「米国を成長目標にしてきた日本の未来像」が、今の米国の姿なのでは?という気がしてくるのである。
特に「子供の格差(=子供の貧困)」という点では、現在既に米国のような状況になりつつあるのでは?という、気がしたのだった。

事実、日本でも「子供の貧困」が問題となりつつある。
先日毎日新聞などに掲載された、日本財団が発表したデータだ。
毎日新聞:子供の貧困問題:放置すれば経済的損失2.9兆円 日本財団

実際、OECDの中で日本の公的教育支出というのは、最下位という不名誉な実態がある。
時事通信:日本、6年連続で最下位=教育への公的支出割合 OECD

このような現実が起きる背景の一つには、企業そのものがマルクスの「資本論」の中で述べている「労働に対する対価」という考え方が、変わってきているのではないだろうか?という気がしたからである。
マルクスの「資本論」では、「生活ができる+将来の優秀な労働力を育てる(=子供への教育投資)+労働者の自主的な能力向上を支える」ことを含め「労働に対する対価」と、考えている。
しかし今の日本ではこの「生活ができる+将来の優秀な労働力を育てる(=子供への教育投資)」ということよりも、企業の短期的利益を優先する、という考えに陥っているのではないだろうか。

このようなコトが続くと、「資本主義」そのものが崩れていってしまうのだが、それを下支えしているのが、(大)企業からの献金によって(大)企業よりの政策を打ち出している政府にある(もちろん、すべてではないが)のではないか、という指摘をコトラーは重ねてしている。

上述した通り、コトラーの指摘はあくまでも「米国経済」という視点での内容になっているのだが、「子供の貧困」のように、今の日本が抱えている問題そのものにも共通する部分が数多くある。
「一億総活躍社会」という、「全体主義」を思い起させるようなスローガンをいう前に、考え無くてはならない問題が山積しているのでは?それは、政治家や官僚だけではなく、日々の暮らしにかかわるすべての人の問題をコトラーは指摘していると思う。

ちなみに・・・コトラーはこの本で「マーケティングは、資本主義の根底となす概念の一つ」だとも書いている。
「マーケティング」は、お金を儲ける技術やアイディアを提供することではなく、資本主義の中で社会を幸福にするために何をすべきか?ということを創りだすモノではないか?と、改めて私は思い考えている。