はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

春の気配~祖母の四十九日

2006年02月01日 | はなし
   [いつも魔女がドアを開ける 2の4]

 祖母の葬式の後は福岡の海岸の近くにあるアパートでひたすら横になっていた。そのアパートはシロアリがいて壁に穴をあけている。それが広がっていくのを見たくないのでダンボールで覆っていたが、ときどき「さーッ」と音がして中で壁の砂が落ちていた。
 その半年前に読んだ宮本輝『春の夢』を思い出した。この本のなかには主人公がうっかり釘で打ちつけてしまったトカゲがでてくる。主人公の彼女はだんだん離れていくのだが、最後にはもどってくる。「おれはどうなるんだろう…」
 もはや本を読む体力もない。どの本を読んでも苦痛だった。TVもおなじ。
 考える時間だけはある。考えることは「しんどいなあ。いつになったらましになるのか。」そのくりかえし。100回「しんどい」をくりかえしても時間はわずかしか過ぎていない。そのうち「しんどい」より「死にたい」のほうがからだにいい(?)と気づいた。「死にたい」とは思わなかったが「死にてエ」が口癖になった。
 1月と2月が過ぎ3月になった。
 ある日、なんとなく「ラク」な日があった。まだ寒いのだけど、あったかい感じがする。「こんなラクな感じはこの1年一度もなかったなあ」と思った。
 よく考えるとその日は祖母の「四十九日」なのだった。祖母が死んでその日からかぞえて7×7=49日目。家族が「喪に服す」期間のオワリ。
 ばあちゃんの優しい声をおもいだした。ゆっくりといのちが立ち上がるような予感を感じた。「春はくる」とそのとき確信した。いまは沈んでもいつか春は来る、と。
 それから1週間、身体がつらいのはかわらないがなんとなく穏やかな気持ちでいられた。春分の日に雪女とデートをした。こんな優しい気持ちで彼女といっしょに時間をすごすのはそれがはじめてかもしれない。「これならすべてはうまくゆく」そんな気がした。それで僕は彼女に「なにか僕に望みはないか」と聞いた。すると彼女は「別れてほしい」と言った。
 それが彼女の望みか。せっかくやさしくなれたのにな…。
 だけれども大丈夫、僕の胸のなかには「春の予感」がたしかにあった。僕は彼女と繋いでいる手をはなした。あれはばあちゃんがくれた「勇気」だったとおもう。
 それを僕が受け入れたあとの彼女のこころははっきりと軽やかになっているのがわかった。なんだかなあ…。(春になって雪女と別れる…なんだかつくったような話だな。)
 僕は暗闇のより深いところへの旅をはじめた。落ちていった、というのが正しい。実質は横になって「死にてエ」と呟いていただけだから。
                      [つづく]

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