写真は高田尚平著『高田流新戦略3手目3八金』(2002年発行)
今日のテーマと関係があるので、途中でこの「高田流3手目7八金」に触れることになります。
高田尚平さんは今期好調のようですね。7勝2敗で、現在勝率第4位。
【はじめに 女流プロ棋士と「角換わり」について】
今回のテーマは「女流棋士の角換わり」。
(なお、ここで言う「角換わり」とは、相居飛車の角交換将棋のことを指すもので、角交換振飛車は含まないものとします。)
本記事の内容を初めにまとめると、次の通り。
(1)女流棋士は「角換わり」の将棋が少ない。特に初手から7六歩8四歩2六歩の、「角換わり」の正式手順ともいえるオープニングで「角換わり」将棋になった実戦例はかなり少ない。
(2)その中でも「相腰掛銀」はさらに少ない。
(3)石橋幸緒、千葉涼子、早水千紗の三人は、それぞれ独自の「角換わり」への誘導手段を持っている。
(4)2004年以後、「後手一手損角換わり」が登場して、本田小百合がこれを得意として指すようになった。これで女流も、「角換わり」への対応を余儀なくされ、女流の「角換わり」将棋もやや増えてきた。
特に、『(3)石橋幸緒、千葉涼子、早水千紗の三人の持っていたそれぞれ独自の「角換わり」への誘導手段』について書くことが本記事のメインテーマとなります。宜しくお願いします。
一昨年、2011年の第1期リコー女流王座戦の五番勝負は清水市代と加藤桃子の間で行われました。結果は3―2で加藤桃子さんが見事に「女流王座」に輝いたのは、将棋ファンならご存知のことと思います。
この時の五番勝負の第4局は「角換わり」で、「相腰掛銀」になったのです。女流ではほんとうに少なかったのがこの戦型なのですが、それがここで現れました。
加藤桃子さんの棋風は、オールラウンダーで何でも指せるタイプ。今、まだ18歳ですが、将来の里見香奈さんとの激突が楽しみです。
さて、昨年、2012年の女流王座への挑戦者となったのは本田小百合さん。これがタイトル戦初登場でした。
結果は3-0で加藤桃子さんの防衛でしたが、このシリーズの第2、第3局が「角換わり相腰掛銀」になったのです。女流には珍しいこの戦型が2年連続でタイトル戦に出現したのでした。
しかし、です。
この「加藤-本田」の2つの「角換わり」の将棋、このどちらも「初手から7六歩、8四歩、2六歩」というオープニングではないのです。
加藤桃子-本田小百合 2012年 女王座2
第2局は、後手番本田小百合の「後手一手損角換わり」。これは2004年以後、将棋界全体でずっと流行っている戦型。
そして第3局ですが、本田の先番で次のようなオープニングで始まっています。
本田小百合-加藤桃子 2012年 女王座3
初手より、「2六歩、3四歩、2五歩、3三角、7六歩」。
こういうオープニングで「角換わり」となったのです。
この指し方は、千葉涼子女流が2000年年頃から得意としていた指し方で、それで僕はこれを“千葉流”と呼んでいます。
本来の「角換わり」は、「初手より7六歩、8四歩、2六歩」で始まるもの。これが“本流”のはずなのですが…。
今年度の「羽生善治-森内俊之」の名人戦、その第4局がこのように「角換わり」になりました。「初手より7六歩、8四歩、2六歩」で始まっています。ここから、3二金、7八金、8五歩、7七角、3四歩、8八銀、7七角成、同銀となって、これが“正式”の「角換わり」の手順。これなら、お互いに手得も手損もありません。
この将棋は「相腰掛銀」に進み、羽生さんが勝ちました。
「角換わり相腰掛銀」は木村・塚田・升田・大山・丸田の時代からタイトル戦にたびたび現れ、最近ではこの名人戦の他に、「渡辺明-丸山忠久」の竜王戦、「渡辺明-郷田真隆」の棋王戦の勝負でも登場しています。(「後手一手損角換わり」も含めると男子トッププロの場合、居飛車党同士の最近のタイトル戦では、その全体の三分の一くらいは「角換わり」の将棋となっています。)
女流棋士の場合はしかし、この“正式”手順を選んで「角換わり」にする人が本当に少ないのです。
そこで、「棋譜でーたべーす」にある将棋をざっとチェックしてみました。(正確さには欠けると思いますが、参考までに。)
ここで見つけた、女流棋士の公式戦での「7六歩、8四歩、2六歩」から「角換わり」になった将棋の対局数は次の通り。
1989年以前 8局 (相腰掛銀=0)
1990年代 4局 (同2)
2000~2003年 5局 (同0)
2004年以後 7局 (同1) (※その後調べ直して数字を少し変えています)
(2000年以後を2004年で区切ったのは、2004年に「一手損角換わり」が出現したから。この統計数にはもちろん「一手損角換わり」は含まれないが、なにか影響はあるかもと考えてそこで区切ってみた。ちなみに女流の「一手損角換わり」の棋譜は30局ほど確認できている。)
どうです! 少ないことがおわかりでしょう。
「棋譜でーたべーす」にある棋譜はあくまで「一部」ですし、僕の調べもそれほど正確ではないはずなので、信用度はあまりないにしても、それでもここには女流タイトル戦の棋譜はほぼすべて含まれていますし、およそ年間100局ほどの棋譜があるので、30年超の女流棋戦のその3000局ほどの中の、この数と思ってもらえれば、だいたいのその割合が計れます。女流の「角換わり」将棋は、100局に1局よりも割合が少ないようですね。
「女流棋士には振り飛車党が多いから」というのは理由になりません。90年代は特にそれが当てはまりません。女流トップには、むしろ「居飛車党」が多数派でそれが中心核でしたから。
90年代の初め、「女流3強」と呼ばれたのが林葉直子、中井広恵、清水市代ですが、この内中井、清水は純粋居飛車党で、そして林葉も1992年からは振り飛車党からオールラウンダーへと転身しています。その林葉が抜け、中井・清水の「女流ツートップ」になったのですが、そこに食いこんでタイトル戦に登場していたのが、斎田晴子、石橋幸緒、矢内理絵子、碓井(千葉)涼子です。この中で振り飛車党は「ミス四間飛車」斎田晴子だけです。他に実力派の棋士には、木村(竹部)さゆり、山田久美、高群佐知子がいて、彼女らも居飛車党。女流は、最近になって振り飛車党の里見香奈らが天下を取るまでは、たしかに「居飛車党の支配する世界」だったのです。
にもかかわらず、この「角換わり」の少なさ! これはどういうことでしょう?
その理由を考えるに、まずは“女流ツートップ”の清水市代と中井広恵があまり「角換わり」を指さないということがあります。
女流棋士の第一人者として長くその位置に座してきた清水市代さんの将棋の特徴をここで見てみましょう。
清水さんの棋風は、「居飛車党の本格派」などと勝手に位置付けてしまいがちですが、実はガンコなスペシャリストだったりします。
清水市代-矢内理絵子 1997年 レディースオープン1
先手番になったときの清水市代の初手はほとんど「2六歩」です。(最近は少し傾向が変わったようですが。) 初手「2六歩」、これは「相掛かりを指しましょう」という手で、後手が2手目「8四歩」なら、先手の希望通りに「相掛かり」になります。清水はこの「相掛かり」が大得意戦法で、これが主戦法なのです。
それで後手の2手目ですが、居飛車党ならだいたいは「8四歩」と応じて「相掛かり」を受ける。ですが、いつも「相掛かり」というのもつまらないですし、これは清水の得意戦法だから、それをはずして「3四歩」とすることもある。その時の清水の3手目は「7六歩」。つまり、「2六歩、3四歩、7六歩」。これはもう、「角換わり」にはなりませんね。(現在ならば「後手一手損角換わり」の可能性が残るわけですが。)
中井広恵-清水市代 1998年 女名人3
今度は後手番。 後手番での清水市代は、先手の初手7六歩には、「8四歩」と「3四歩」と2つを使い分けています。居飛車党ならば本来は「8四歩」と突くのが王道ですが、清水さんは「3四歩」とすることも多かった。2手目に「3四歩」と突くと、以下2六歩、8四歩から「横歩取り」の可能性が高くなるのだが、どうやら清水さんは「横歩取り」の後手番が好きだったようだ。しかし実際は90年代、清水の「横歩取り」後手番の棋譜は少ない。これは相手が「横歩取り」を避けていたからと思われる。清水自身はたぶん「横歩取り」をもっと指したかっただろう。
「7六歩、3四歩」となって、そこで「2六歩」なら、「横歩取り」模様になる。その展開が好みでないなら、3手目に「6六歩」と突く手がある。これで「矢倉」になる。
するとその場合、後手の清水は6二銀~6四歩~6三銀~5四銀~6二飛、という「右四間飛車」をめざす指し方になる。これも清水市代の得意型の一つ。
先手が早く「6六歩」としたので、その6筋を目標に攻めていくわけだ。
以上のように、清水市代は、ガンコとも思える「清水流」の型を持っており、そしてこの中には「角換わり」の入ってくる要素はほとんどないのである。
中井広恵さんは幅広い戦術を使い分けていました。「角換わり」を指すことも時にはありましたが、あまり積極的ではなく、その数は少ない。その中でも本格的な「相腰掛銀」の戦いを避けていた、そんなふしがあります。
というより、居飛車党は研究する範囲が広いので、「角換わり」の研究まで手がまわらなかったということかもしれません。中井広恵がタイトル戦で戦う相手、清水市代や矢内理絵子が「角換わり」を指さないのですから、深く研究しなければならない理由もないのです。
それと、タイプとして、ガンコに同じ型を指し続ける清水さんと対照的に、一局ごとに指し方や戦型を変えるのが中井広恵流のようです。気分を変えて指したい、そういうタイプのようです。
そして、矢内理絵子さんは「角換わり」を指さない。
清水市代-矢内理絵子 1997年 女王位2
彼女は、先手なら6六歩、後手ならば4四歩と、角道を早めに止めて、いわゆる「ナンチャッテ矢倉」から菊水矢倉で戦う独特の戦法を極め、これで1997年、最高に強かった時期の清水市代から「女流王位」のタイトルを奪うという大殊勲。 矢内さんは17歳の高校生でタイトルホルダーと成りました。
これが“矢内流の菊水矢倉戦術”。相手の飛車先を切らせるが、角交換はさせない。
なるほど、この闘い方ならば、清水市代の得意の「相掛かり」も、「横歩取らせ」も、どちらも相手にしないで戦えるわけです。自分のペースに清水を引き込むことができる。矢内さんはこれを先手でも後手でも使い、タイトルを獲ったのでした。
しかし、1年後、矢内に取られた「女流王位」を、清水市代は3-0のストレートスコアで奪回します。矢内理絵子の「菊水矢倉戦法」は、清水の得意型を拒否することに成功しましたが、逆に守る立場になった時に、相手からすれば“矢内にはアレしかない”と、それ一本に対策の的を絞られやすいという弱点がありました。そして矢内理絵子の「菊水矢倉戦法」は清水に破れました。
矢内さんが「横歩取り」を指し始めたのはその頃からです。
また同じく「角換わりを指さない」といえば、山田久美さん。彼女は、徹底的に「角換わり」を拒否していたようにも思えます。
さて、独特なオープニングからの「角換わり」を使用していたのが、石橋幸緒、碓井涼子(現千葉涼子)、早水千紗の三人です。この三人は、それぞれ、独自の「角換わり」戦略を持っています。
ということで、この三人のその指し方の特徴をそれぞれ眺め、それについて考えていくのが、今回の記事の目的です。
まず、石橋幸緒さんから。
初手より、「7六歩、8四歩に、7七角」
これが1996年より、石橋幸緒が用いていたオープニングである。
石橋幸緒-中井広恵 1997年
これを最初に指したのは石橋さんではなく、1992年には羽生善治が採用しているし、その羽生さんは、桜井昇さんと対戦した時にこの3手目7七角を指され、それでためしてみたくなったようだ。最初の棋譜は1990年の「中川大輔-畠山成幸戦」かもしれない。
しかしこの戦術は、全体としては指す人が少なく、一番多く指しているのが、たぶん、石橋幸緒さん。だからここではこの3手目7七角を、“石橋流”と呼ぼう。
さて、この3手目7七角にどういう意味があるのか。
それを理解するために、ここで高田尚平の「高田流3手目7八金」戦術をまずチェックしておこう。
初手より、「7六歩、8四歩、7八金」が高田流、「7六歩、8四歩、7七角」が石橋流である。
石橋流“3手目7七角”と、「高田流3手目7八金」とは、そのねらいが大体同じと考えてよい(と筆者は思っている)。
【高田流3手目7八金の実戦例】
高田尚平-藤原直哉 1991年
「角換わり」がポイントである。
「角換わり」の将棋を目指す場合、ふつうは、初手から「7六歩、8四歩、2六歩」とする。(このことは先ほども触れた。)
それを、高田尚平考案の“高田流7八金”は、3手目を2六歩と突かないで、「7八金」とする。
この、「2六歩を突かないで」というところに“高田流”の意味がある。
図から、8五歩、7七角、3四歩、8八銀(6八銀もある)と進んで、このまま7七角成から「角換わり」になったとき、“2六歩保留型”の「角換わり」になるのである。これが“高田流”の第1のねらい。
たとえば、こんな感じの攻め。2六歩と突いていない分、一手攻めが早い。そして後手からの2七角打ちの心配がないというメリットがある。(反面、先手からの2筋の攻めがないというデメリットもある。)
ここでは先手の攻めが成功している。
高田は△3六歩を同銀と取ったが、5四銀、3七歩成、4六飛のほうがわかりやすくよかったと著書に書いている。優勢を意識して、少しひるんだようだ。しかし悪くなったというわけではない。これでも先手が良い。
6三角と打って、高田尚平は手ごたえを感じた。
6五金、4一銀、8七歩、7四歩、4七歩成。
ああ、この5手で逆転した。先手の指し手の、何がいけなかったのか。
4一銀がいけなかった。この手だけでは攻めきれないから、やはり7四歩が必要になる。とすれば、4一銀と打たないで先に7四歩とすべきだった。7四歩と打つタイミングが遅れたために、7三歩成に手抜きして攻めてくる手段が藤原のほうに生じたのである。
この4七歩成が、高田の読みにない手だった。同飛に、5六金。
こうなってみると、7三歩成が、ずいぶん遅れている手だとわかる。7三歩成なら、4七金で先手は勝てない。
ここで、高田は3二銀成、同玉、5四角成、4三歩、7三歩成、4七金に、4四桂、2二玉、8二とと指した。これは後手玉が、3二飛、1三玉、2五桂からの詰めろになっている。しかし藤原に3七角成と桂馬を外されて、先手苦しい。
以下進んでこうなった。先手は後手の8七歩を馬で払ったし、まだ戦えるような気がするが、たぶんそれは気のせいなのだろう。筆者の棋力ではわからない。
この図から4二飛成、同銀、3二銀と、高田はさらに“詰めろ”で迫る。藤原はこれに3三銀打と応じて、高田尚平はそこで投了した。
“高田流3手目7八金”の採用された最も重要な対局は、次の1992年度の竜王戦の第7局だろう。
羽生善治-谷川浩司 1993年 竜王7
「竜王」と「棋聖」、「王将」を持ち、三冠だった谷川浩司に、二冠の羽生善治が挑戦した1992年度の竜王戦は最終局にもつれこんだ。その最終第7局は年明け1993年1月に行われた。ふつうは12月までに決着する七番勝負が翌年にまで繰り越されたのは、第2局が最終盤での千日手になって、再試合扱いになったからだった。このシリーズは「矢倉」での戦いが中心だったが、第5局と第7局とが「角換わり相腰掛銀」の戦型になった。
この第7局のオープニングが、「7六歩、8四歩、7八金」、すなわち“高田流3手目7八金”なのである。羽生善治が“高田流”を採用した。(第5局は、谷川先手で通常の7六歩8四歩2六歩の出だし。)
「角換わり」となり、「相腰掛銀」にすすむ。2七歩型を生かして、羽生はここで2六角と打った。
4三金右、4八飛、3五歩、同角、3四金、2六角、2四歩、4五歩、同歩、同銀。
戦いが始まった。内容的には、後手の谷川がうまくやったようだ。
ところが、図の5四桂が失着だったという。この手では4三角がよく、それで羽生は勝ちが見つけられない状況だった(ただし難解)。それが失着5四桂で、形勢が入れ替わった。
この3五桂で逆転。突然、羽生の勝ちになった。
3五同金、同歩としても、後手に勝ちはないのだという。
この将棋を勝って、羽生善治は「竜王位」を奪回、これで三冠王となりました。この時、谷川浩司と羽生善治のタイトル数の上下が逆転したのでした。時代はこの瞬間、新しく変わったのです。1993年1月6日のことでした。
羽生新名人が誕生するのは、この約1年半後です。
谷川浩司-森内俊之 1996年
谷川浩司の“3手目7八金”に、3四歩、4八銀、4四歩として、後手が角交換を拒んだ指し方をとった時は、この図のような展開が一例として考えられる。先手の右四間飛車戦法である。
矢倉模様での右四間は、一般には後手が使う場合が多い。それは現代矢倉は先手が「6六歩」とすることが多くなっているからである。この場合は後手が「4四歩」として、先手の角道が通っているので、先手右四間が有効と思える。後手番で用いるより一手早いし、その上に2六歩と突いていない分の一手も、他の手にまわしていっそう効率が良さそうだ。
谷川、4五歩から仕掛ける。
こうなって、先手はちょっと困っているようにも見える。4七飛、4六銀と進む。
だがこれが谷川の読み筋通りで、4六銀に、5六歩と突く。以下、4七銀成、5五歩、4四金。
そこで6六角。
これで先手良し、というのだからかっこいい。
3七成銀、5四歩、同金、1一角成、2九飛、3九香、4八歩、7一銀、9二飛、8三角。
なるほど、7一銀~8三角打があるのか。
この将棋は1996年のA級順位戦の対局でした。この対局にも勝って、この年度の順位戦の谷川浩司の星は、8勝1敗。名人挑戦者となりました。
そして1997年の名人戦は羽生善治と谷川浩司の対決となったのですが、結果は、4-2で谷川浩司が名人復位を果し、谷川はこれで永世名人十七世の資格を得ました。
そして、このシリーズの6局のうち、3つまでが“高田流3手目7八金”だったことを、ここに書いておきます。採用したのは谷川さんが2回、羽生さんが1回です。
高田尚平-佐藤康光 1996年
“高田流”戦略のねらいには、こういう振り飛車もある。これもまた、“2六歩と突いていない”ということを生かしていて、振り飛車がぴったり似合うことになるのだ。
この将棋は“3手目7八金”に対し、後手が4手目に3二金(相居飛車を想定してこう指す。角道を開ける手を保留したという意味がある。)とした時に、それを見て先手が飛車を振ってこうなった。今流行の、「6七歩型振り飛車」だが、近藤正和の「ゴキゲン中飛車」とは別の流れで、高田尚平さんがすでにこういう力戦振り飛車を指していたのである。プロ的に細かく見れば、先手7八金と後手3二金の交換がどうでるか、というのがポイントの序盤となるようだ。
こうなって、これは先手がはっきり作戦勝ちの序盤。後手はもうこれ以上、玉型の整備ができない。3三角としたいが、それはすでに先手の金銀が迫ってきているために危険なのだ。後手の佐藤康光としては、もう、相手がまずい攻めをしてくることに期待を賭けるしかない、それくらいに先手がうまくやった状況なのだ。
そして先手から仕掛けてこうなった。
ここで先手はどうするか。
高田は5三金と指したが、これは判断を誤ったようだ。以下、実戦は、5七桂成、4二金、同金、5六金、5八歩、6九飛、5六成桂、同銀、5七角成、6一飛成、4一金打…
この展開は形勢不明。結果は後手佐藤康光が勝利した。
高田尚平はこの図でどう指せばよかったのか。(1)6九飛がわかりやすい。6九飛、9九角成、6五飛、6一香、6四歩で先手良し。(2)5六飛、5七角成、5三金、5六馬、4二金、同飛、5六銀。こう指すところだったと高田は反省している。(以下、5七桂不成、3九金、6九飛には、5九歩がある。同飛成なら4八銀が先手で打てる。)
“高田流”のねらいはだいたいそんなところ。
【石橋流3手目7七角の実践例】
そして、ここからは“石橋流3手目7七角”を見ていきます。
この“石橋流3手目7七角”も、全対的な意味合いは“高田流”同じである。要するに、「2六歩の一手を保留する角換わり」を目指している。
(「7八金」と「7七角」で、何がどう変わるか、というところまでは、今回は追及して考えないことにする。)
それで、“3手目7七角”のあと、ここからどう展開していくかというと、4手目に後手が3四歩として、その後に7七角成と角交換してくれば「角換わり」将棋となる。その場合、先手は「2七歩型」のままで、それを生かした作戦が可能となるわけだ。
後手が(ときには先手が)角交換を拒否する場合もあり、“石橋流7七角”に対しては、むしろその場合の実戦例のほうが多い。
次の例は、その「角交換拒否型」である。
石橋幸緒-中井広恵 1997年 女名人プレーオフ
これは女流名人清水市代への挑戦権を決める大一番。
7六歩、8四歩に、7七角! これが“石橋流”だ。
3四歩、8八銀に――
後手中井広恵は4四歩。角道を止めた。
その場合に、先手の石橋幸緒がめざす形がこのような形。角を5九~2六と移動させて、次に4八飛~5六銀とする。
中井の△7五歩に、▲4五歩で闘いだ。しかしここはいったん7五同歩が正着だったらしく、やや後手の得する展開となったという。
石橋は5二角と打ち込み、中井は9四角と受けた。
ここから馬をつくっては、またお互いに角を交換し、また角を打って馬をつくる――といった長い中盤が展開された。
図の△3九角、これはもう100手目。ついに勝負を決する「終盤」に突入だが、なんとここからさらに“長い長い終盤”が続いていくのである。
図以下、5三馬、同金、2四飛、6六角成、2三飛成。
ド派手な展開だ。2三同金に、6二飛で王手馬取り。5二歩、6六飛成、8七歩、2四歩、同金、6一竜と進んだが、石橋のこの6一竜はチャンスを逃す失着だった。この手では2五歩、2三金、2四銀で先手優勢だった。
6一竜からは、6七歩、3一角、1二玉、6七竜となる。6七竜と引き戻されてしまい、6一竜の一手が無駄になった。中井に攻めのターンが来た。
ここではもう、両者持ち時間を使い切り、一分将棋である。
8九飛に、8八銀、7九銀、7八竜、8八銀成、同竜、同飛成、同玉、3二金、5三角成、8七歩。
中井は、先手の竜を消したあと、3二金と自陣に手を入れる。先手の5三角成に、中井はすぐにこの角を取らず、8七歩から再び攻めを開始する。
この瞬間、後手玉は「詰めろがかからない形」になっている。だから今、後手の攻めるチャンスなのだ。
8七同玉、7九銀、7八金打、6八銀成、同金、7九角、7八金、8九飛、8八銀、同角成、同金、9九飛成、9八飛、同竜、同金、7九飛、8八銀、7八銀、9七玉、8九飛成、9九飛。
9九飛は159手目。同竜、同金、5三歩と、ここで中井は5三の角(馬)を取った。
今度は先手の石橋が攻める番だ。6二飛。
これを中井は4一角と受ける。これは攻防手で、先手玉の詰み(9六香の一手詰)を見ている。
石橋は3二飛成と飛車を切り、3一銀。 詰めろ(2二金)だ。
9六香、同玉、9一飛。
中井は飛車による両取りを掛けた。9五歩なら、3一飛だが、石橋の応手は9五角。
これに対して3一飛は、7三角成で先手玉がかなり安全になってしまいまずいとみた中井広恵、9五同飛と飛角交換し、再度9一飛。この判断が的確だった。7三の桂馬が残っていることで、先手の玉はかなり狭くなっている。
以下、9四歩、3一飛、2八香、8一香、7五銀、5七角、8五歩、7五角成。
なるほど、中井の3二の角が遠くから利いている。これは石橋、まいったか。いや、まだまだ。
2二金、同玉、2四香、2三歩、同香成、同角。これで角の利きはそれた。(2三同玉だったら、2五飛~7五飛とするのだろう。) そこで、7五歩。
中井は7六金と、開いた空間に金を置いた。石橋、8六金。同金、同玉、6七銀打。
6二飛、3二飛、同飛成、同角、2三歩、同角、6二飛、3二香、4三角、7六金。
7六同角成、同銀成、同玉、4三角、6五銀、6七銀打、6六玉、6五桂、同飛成、同角、2四歩、5六銀成、6五玉、6六飛。
ずっと1分将棋の終盤の中、中井広恵の判断の正確さが光った。
投了図
まで217手で中井広恵の勝ち。
健闘したが、石橋の17歳女流名人戦登場はあと一歩で実現しなかった。
それから2年後、石橋幸緒は女流王将戦の挑戦権を得て、「女流王将」清水市代と五番勝負を闘うことになった。石橋のタイトル戦登場は1996年に続いてこれが2回目であるが、その時の相手も清水市代で、それは3-1で清水が防衛に成功している。(このときの将棋はこちらで紹介しました。)
その五番勝負の第2局で、先手番の石橋幸緒は、例の“3手目7七角”をまた、披露したのです。
石橋幸緒-清水市代 1999年 女流王将2
この将棋は、後手の清水市代が、△7七角成と角交換をしてきたので、「角換わり」となりました。
そして、清水の作戦は「右玉」。
石橋は、「2七歩型」であることを、意地でも生かそうと、持ち角を「2六角」と打って勝負に行きました。この角は逆に後手の目標にもなりそうで、その意味でも「決断の一手」です。
ちなみにこれは第2局ですが、第1局は清水が勝っています。
さあ、やはり清水は、2四歩~2三金と、先手の角をいじめにきました。
そして1一飛。次は1五香のわかりやすい狙いだ。
ここは▲2五歩として、これからの勝負だったようだ。
しかし石橋の指した手は、3四歩。同金なら、3五歩で金が取れる――しかし、清水女流王将はその先を読んでいた。
3四歩を清水は同金と応じ、3五歩に、4五桂。これで後手良しが清水の読み。
石橋の読みにこの4五桂はなかった。
3一香と打って、以下清水の勝ち。
図から、3四銀、3三香、同銀成と進んで後手が部分的に損をしているようでもあるが、後手は先手の3五の角をどかせて、逆にこのラインに角を打てばほぼ勝ちが確定する。以下、5八成桂、4二金、同金、同成銀、4四金、同角、同歩となって、結局後手の「3五角打」が実現した。
以上、“石橋流3手目7七角”の例を2つ。
これは後手が望めば「角換わり」になり、しかし、そうならない場合もあるということです。
石橋幸緒さんはこれを10局以上、使っています。
彼女以外でこれを使う人はあまりいませんが、まったくないわけでもなく、最近では「糸谷哲郎-稲葉陽」2013年の実戦例があります。
ところで、今お伝えした清水・石橋の1999年王将戦は、清水の2勝のあと、石橋さんが巻き返して3連勝、逆転奪取という結果となりました。
この五番勝負は、上で紹介した「角換わり」以外の4つの将棋がすべて「横歩取り」の戦型となりました。女流プロでは、この頃まではあまり「横歩取り」は多くなかったのですが、この清水・石橋の両者と、それから矢内理絵子さんが指し始め、だんだんと「横歩取り」が女流公式戦に増えていきました。中井広恵さんも、2000年からそこに加わっていきます。(「横歩取り中座流8五飛」が流行りはじめたのが1998年です。) それから、もとからよく「横歩取り」を指しているのが竹部さゆりさん。(相横歩が大好物)
さて、今日のテーマ「角換わり」からは外れますが、1999年女流王将戦の最終局をちょっと見ておきましょう。
【1999年女流王将戦最終第5局】
清水市代-石橋幸緒 1999年 女流王将5
後手石橋の「横歩取らせ3三角戦法」です。
先手の清水は、3六飛の位置のままで、7七桂~7五歩とひねり飛車模様にします。
清水さんは、この先、相手が横歩取りを誘ってきた時に、先手番ではたびたびこの戦術を使うようになります。つまりこれも清水市代の得意型の一つというわけで、それで僕はこの指し方を“清水流”と呼んでいます。清水さんはいったん気に入ると、何度もくり返し同じ型に誘導して戦うという特徴があります。
今、2五銀を3六に進めたところ。これは銀のタダ捨てではないか! これは清水の読みにまったくなく、意表を突かれた。
3六同飛、1五飛、2四銀、1八飛成、3三銀成、2七銀、4三成銀と進行。
4三成銀が、こんどは清水の勝負手。
これを石橋が同玉と取れば、6一角がある。しかしそれが後手の正解手だった。6一角と打っても、4二玉で、後手の勝ちだった。
しかし石橋の着手は4三同金。
以下、3二飛成、4二銀、4八金、3一歩、2二竜、3八銀成、5九銀…。
どうやら先手の方がよくなってきたようだ。
4四香、2五角、4八成銀、同銀、3四金打、3六角、3八竜。
先手の3六角は、次に6四桂のねらいをもっていた。それで石橋は3八竜(図)としたが、清水3七桂。
なんと、この3七桂が敗着になってしまうとは!
(ここ、正解は2七竜だったという。)
3七桂、3五金、6四桂、同歩、7二角成、4七香成。
一気に先手玉が寄ってしまった。一瞬の逆転で石橋の勝利。
こうして、3-2で石橋幸緒が女流王将に。初のタイトル獲得。 石橋さんは18歳でした。
それにしても、やっぱり将棋は中終盤だよなあ、とまた棋譜を並べて、今回も思うのであります。
次回は『女流プロの角換わりコンプレックス 2』という表題で、今日の続き、「角換わり」における千葉涼子さん、および早水千紗さんの使っている序盤の特殊作戦をお伝えします。
『女流プロの「角換わりコンプレックス」1』 石橋幸緒流の3手目7七角、高田流3手目7八金
『女流プロの「角換わりコンプレックス」2』 千葉涼子流角換わりオープニング(2六歩~2五歩)
『女流プロの「角換わりコンプレックス」3』 早水千紗流7七桂(3三桂)型角換わり
『女流プロの「角換わりコンプレックス」4』 後手一手損角換わりの登場と相腰掛銀
今日のテーマと関係があるので、途中でこの「高田流3手目7八金」に触れることになります。
高田尚平さんは今期好調のようですね。7勝2敗で、現在勝率第4位。
【はじめに 女流プロ棋士と「角換わり」について】
今回のテーマは「女流棋士の角換わり」。
(なお、ここで言う「角換わり」とは、相居飛車の角交換将棋のことを指すもので、角交換振飛車は含まないものとします。)
本記事の内容を初めにまとめると、次の通り。
(1)女流棋士は「角換わり」の将棋が少ない。特に初手から7六歩8四歩2六歩の、「角換わり」の正式手順ともいえるオープニングで「角換わり」将棋になった実戦例はかなり少ない。
(2)その中でも「相腰掛銀」はさらに少ない。
(3)石橋幸緒、千葉涼子、早水千紗の三人は、それぞれ独自の「角換わり」への誘導手段を持っている。
(4)2004年以後、「後手一手損角換わり」が登場して、本田小百合がこれを得意として指すようになった。これで女流も、「角換わり」への対応を余儀なくされ、女流の「角換わり」将棋もやや増えてきた。
特に、『(3)石橋幸緒、千葉涼子、早水千紗の三人の持っていたそれぞれ独自の「角換わり」への誘導手段』について書くことが本記事のメインテーマとなります。宜しくお願いします。
一昨年、2011年の第1期リコー女流王座戦の五番勝負は清水市代と加藤桃子の間で行われました。結果は3―2で加藤桃子さんが見事に「女流王座」に輝いたのは、将棋ファンならご存知のことと思います。
この時の五番勝負の第4局は「角換わり」で、「相腰掛銀」になったのです。女流ではほんとうに少なかったのがこの戦型なのですが、それがここで現れました。
加藤桃子さんの棋風は、オールラウンダーで何でも指せるタイプ。今、まだ18歳ですが、将来の里見香奈さんとの激突が楽しみです。
さて、昨年、2012年の女流王座への挑戦者となったのは本田小百合さん。これがタイトル戦初登場でした。
結果は3-0で加藤桃子さんの防衛でしたが、このシリーズの第2、第3局が「角換わり相腰掛銀」になったのです。女流には珍しいこの戦型が2年連続でタイトル戦に出現したのでした。
しかし、です。
この「加藤-本田」の2つの「角換わり」の将棋、このどちらも「初手から7六歩、8四歩、2六歩」というオープニングではないのです。
加藤桃子-本田小百合 2012年 女王座2
第2局は、後手番本田小百合の「後手一手損角換わり」。これは2004年以後、将棋界全体でずっと流行っている戦型。
そして第3局ですが、本田の先番で次のようなオープニングで始まっています。
本田小百合-加藤桃子 2012年 女王座3
初手より、「2六歩、3四歩、2五歩、3三角、7六歩」。
こういうオープニングで「角換わり」となったのです。
この指し方は、千葉涼子女流が2000年年頃から得意としていた指し方で、それで僕はこれを“千葉流”と呼んでいます。
本来の「角換わり」は、「初手より7六歩、8四歩、2六歩」で始まるもの。これが“本流”のはずなのですが…。
今年度の「羽生善治-森内俊之」の名人戦、その第4局がこのように「角換わり」になりました。「初手より7六歩、8四歩、2六歩」で始まっています。ここから、3二金、7八金、8五歩、7七角、3四歩、8八銀、7七角成、同銀となって、これが“正式”の「角換わり」の手順。これなら、お互いに手得も手損もありません。
この将棋は「相腰掛銀」に進み、羽生さんが勝ちました。
「角換わり相腰掛銀」は木村・塚田・升田・大山・丸田の時代からタイトル戦にたびたび現れ、最近ではこの名人戦の他に、「渡辺明-丸山忠久」の竜王戦、「渡辺明-郷田真隆」の棋王戦の勝負でも登場しています。(「後手一手損角換わり」も含めると男子トッププロの場合、居飛車党同士の最近のタイトル戦では、その全体の三分の一くらいは「角換わり」の将棋となっています。)
女流棋士の場合はしかし、この“正式”手順を選んで「角換わり」にする人が本当に少ないのです。
そこで、「棋譜でーたべーす」にある将棋をざっとチェックしてみました。(正確さには欠けると思いますが、参考までに。)
ここで見つけた、女流棋士の公式戦での「7六歩、8四歩、2六歩」から「角換わり」になった将棋の対局数は次の通り。
1989年以前 8局 (相腰掛銀=0)
1990年代 4局 (同2)
2000~2003年 5局 (同0)
2004年以後 7局 (同1) (※その後調べ直して数字を少し変えています)
(2000年以後を2004年で区切ったのは、2004年に「一手損角換わり」が出現したから。この統計数にはもちろん「一手損角換わり」は含まれないが、なにか影響はあるかもと考えてそこで区切ってみた。ちなみに女流の「一手損角換わり」の棋譜は30局ほど確認できている。)
どうです! 少ないことがおわかりでしょう。
「棋譜でーたべーす」にある棋譜はあくまで「一部」ですし、僕の調べもそれほど正確ではないはずなので、信用度はあまりないにしても、それでもここには女流タイトル戦の棋譜はほぼすべて含まれていますし、およそ年間100局ほどの棋譜があるので、30年超の女流棋戦のその3000局ほどの中の、この数と思ってもらえれば、だいたいのその割合が計れます。女流の「角換わり」将棋は、100局に1局よりも割合が少ないようですね。
「女流棋士には振り飛車党が多いから」というのは理由になりません。90年代は特にそれが当てはまりません。女流トップには、むしろ「居飛車党」が多数派でそれが中心核でしたから。
90年代の初め、「女流3強」と呼ばれたのが林葉直子、中井広恵、清水市代ですが、この内中井、清水は純粋居飛車党で、そして林葉も1992年からは振り飛車党からオールラウンダーへと転身しています。その林葉が抜け、中井・清水の「女流ツートップ」になったのですが、そこに食いこんでタイトル戦に登場していたのが、斎田晴子、石橋幸緒、矢内理絵子、碓井(千葉)涼子です。この中で振り飛車党は「ミス四間飛車」斎田晴子だけです。他に実力派の棋士には、木村(竹部)さゆり、山田久美、高群佐知子がいて、彼女らも居飛車党。女流は、最近になって振り飛車党の里見香奈らが天下を取るまでは、たしかに「居飛車党の支配する世界」だったのです。
にもかかわらず、この「角換わり」の少なさ! これはどういうことでしょう?
その理由を考えるに、まずは“女流ツートップ”の清水市代と中井広恵があまり「角換わり」を指さないということがあります。
女流棋士の第一人者として長くその位置に座してきた清水市代さんの将棋の特徴をここで見てみましょう。
清水さんの棋風は、「居飛車党の本格派」などと勝手に位置付けてしまいがちですが、実はガンコなスペシャリストだったりします。
清水市代-矢内理絵子 1997年 レディースオープン1
先手番になったときの清水市代の初手はほとんど「2六歩」です。(最近は少し傾向が変わったようですが。) 初手「2六歩」、これは「相掛かりを指しましょう」という手で、後手が2手目「8四歩」なら、先手の希望通りに「相掛かり」になります。清水はこの「相掛かり」が大得意戦法で、これが主戦法なのです。
それで後手の2手目ですが、居飛車党ならだいたいは「8四歩」と応じて「相掛かり」を受ける。ですが、いつも「相掛かり」というのもつまらないですし、これは清水の得意戦法だから、それをはずして「3四歩」とすることもある。その時の清水の3手目は「7六歩」。つまり、「2六歩、3四歩、7六歩」。これはもう、「角換わり」にはなりませんね。(現在ならば「後手一手損角換わり」の可能性が残るわけですが。)
中井広恵-清水市代 1998年 女名人3
今度は後手番。 後手番での清水市代は、先手の初手7六歩には、「8四歩」と「3四歩」と2つを使い分けています。居飛車党ならば本来は「8四歩」と突くのが王道ですが、清水さんは「3四歩」とすることも多かった。2手目に「3四歩」と突くと、以下2六歩、8四歩から「横歩取り」の可能性が高くなるのだが、どうやら清水さんは「横歩取り」の後手番が好きだったようだ。しかし実際は90年代、清水の「横歩取り」後手番の棋譜は少ない。これは相手が「横歩取り」を避けていたからと思われる。清水自身はたぶん「横歩取り」をもっと指したかっただろう。
「7六歩、3四歩」となって、そこで「2六歩」なら、「横歩取り」模様になる。その展開が好みでないなら、3手目に「6六歩」と突く手がある。これで「矢倉」になる。
するとその場合、後手の清水は6二銀~6四歩~6三銀~5四銀~6二飛、という「右四間飛車」をめざす指し方になる。これも清水市代の得意型の一つ。
先手が早く「6六歩」としたので、その6筋を目標に攻めていくわけだ。
以上のように、清水市代は、ガンコとも思える「清水流」の型を持っており、そしてこの中には「角換わり」の入ってくる要素はほとんどないのである。
中井広恵さんは幅広い戦術を使い分けていました。「角換わり」を指すことも時にはありましたが、あまり積極的ではなく、その数は少ない。その中でも本格的な「相腰掛銀」の戦いを避けていた、そんなふしがあります。
というより、居飛車党は研究する範囲が広いので、「角換わり」の研究まで手がまわらなかったということかもしれません。中井広恵がタイトル戦で戦う相手、清水市代や矢内理絵子が「角換わり」を指さないのですから、深く研究しなければならない理由もないのです。
それと、タイプとして、ガンコに同じ型を指し続ける清水さんと対照的に、一局ごとに指し方や戦型を変えるのが中井広恵流のようです。気分を変えて指したい、そういうタイプのようです。
そして、矢内理絵子さんは「角換わり」を指さない。
清水市代-矢内理絵子 1997年 女王位2
彼女は、先手なら6六歩、後手ならば4四歩と、角道を早めに止めて、いわゆる「ナンチャッテ矢倉」から菊水矢倉で戦う独特の戦法を極め、これで1997年、最高に強かった時期の清水市代から「女流王位」のタイトルを奪うという大殊勲。 矢内さんは17歳の高校生でタイトルホルダーと成りました。
これが“矢内流の菊水矢倉戦術”。相手の飛車先を切らせるが、角交換はさせない。
なるほど、この闘い方ならば、清水市代の得意の「相掛かり」も、「横歩取らせ」も、どちらも相手にしないで戦えるわけです。自分のペースに清水を引き込むことができる。矢内さんはこれを先手でも後手でも使い、タイトルを獲ったのでした。
しかし、1年後、矢内に取られた「女流王位」を、清水市代は3-0のストレートスコアで奪回します。矢内理絵子の「菊水矢倉戦法」は、清水の得意型を拒否することに成功しましたが、逆に守る立場になった時に、相手からすれば“矢内にはアレしかない”と、それ一本に対策の的を絞られやすいという弱点がありました。そして矢内理絵子の「菊水矢倉戦法」は清水に破れました。
矢内さんが「横歩取り」を指し始めたのはその頃からです。
また同じく「角換わりを指さない」といえば、山田久美さん。彼女は、徹底的に「角換わり」を拒否していたようにも思えます。
さて、独特なオープニングからの「角換わり」を使用していたのが、石橋幸緒、碓井涼子(現千葉涼子)、早水千紗の三人です。この三人は、それぞれ、独自の「角換わり」戦略を持っています。
ということで、この三人のその指し方の特徴をそれぞれ眺め、それについて考えていくのが、今回の記事の目的です。
まず、石橋幸緒さんから。
初手より、「7六歩、8四歩に、7七角」
これが1996年より、石橋幸緒が用いていたオープニングである。
石橋幸緒-中井広恵 1997年
これを最初に指したのは石橋さんではなく、1992年には羽生善治が採用しているし、その羽生さんは、桜井昇さんと対戦した時にこの3手目7七角を指され、それでためしてみたくなったようだ。最初の棋譜は1990年の「中川大輔-畠山成幸戦」かもしれない。
しかしこの戦術は、全体としては指す人が少なく、一番多く指しているのが、たぶん、石橋幸緒さん。だからここではこの3手目7七角を、“石橋流”と呼ぼう。
さて、この3手目7七角にどういう意味があるのか。
それを理解するために、ここで高田尚平の「高田流3手目7八金」戦術をまずチェックしておこう。
初手より、「7六歩、8四歩、7八金」が高田流、「7六歩、8四歩、7七角」が石橋流である。
石橋流“3手目7七角”と、「高田流3手目7八金」とは、そのねらいが大体同じと考えてよい(と筆者は思っている)。
【高田流3手目7八金の実戦例】
高田尚平-藤原直哉 1991年
「角換わり」がポイントである。
「角換わり」の将棋を目指す場合、ふつうは、初手から「7六歩、8四歩、2六歩」とする。(このことは先ほども触れた。)
それを、高田尚平考案の“高田流7八金”は、3手目を2六歩と突かないで、「7八金」とする。
この、「2六歩を突かないで」というところに“高田流”の意味がある。
図から、8五歩、7七角、3四歩、8八銀(6八銀もある)と進んで、このまま7七角成から「角換わり」になったとき、“2六歩保留型”の「角換わり」になるのである。これが“高田流”の第1のねらい。
たとえば、こんな感じの攻め。2六歩と突いていない分、一手攻めが早い。そして後手からの2七角打ちの心配がないというメリットがある。(反面、先手からの2筋の攻めがないというデメリットもある。)
ここでは先手の攻めが成功している。
高田は△3六歩を同銀と取ったが、5四銀、3七歩成、4六飛のほうがわかりやすくよかったと著書に書いている。優勢を意識して、少しひるんだようだ。しかし悪くなったというわけではない。これでも先手が良い。
6三角と打って、高田尚平は手ごたえを感じた。
6五金、4一銀、8七歩、7四歩、4七歩成。
ああ、この5手で逆転した。先手の指し手の、何がいけなかったのか。
4一銀がいけなかった。この手だけでは攻めきれないから、やはり7四歩が必要になる。とすれば、4一銀と打たないで先に7四歩とすべきだった。7四歩と打つタイミングが遅れたために、7三歩成に手抜きして攻めてくる手段が藤原のほうに生じたのである。
この4七歩成が、高田の読みにない手だった。同飛に、5六金。
こうなってみると、7三歩成が、ずいぶん遅れている手だとわかる。7三歩成なら、4七金で先手は勝てない。
ここで、高田は3二銀成、同玉、5四角成、4三歩、7三歩成、4七金に、4四桂、2二玉、8二とと指した。これは後手玉が、3二飛、1三玉、2五桂からの詰めろになっている。しかし藤原に3七角成と桂馬を外されて、先手苦しい。
以下進んでこうなった。先手は後手の8七歩を馬で払ったし、まだ戦えるような気がするが、たぶんそれは気のせいなのだろう。筆者の棋力ではわからない。
この図から4二飛成、同銀、3二銀と、高田はさらに“詰めろ”で迫る。藤原はこれに3三銀打と応じて、高田尚平はそこで投了した。
“高田流3手目7八金”の採用された最も重要な対局は、次の1992年度の竜王戦の第7局だろう。
羽生善治-谷川浩司 1993年 竜王7
「竜王」と「棋聖」、「王将」を持ち、三冠だった谷川浩司に、二冠の羽生善治が挑戦した1992年度の竜王戦は最終局にもつれこんだ。その最終第7局は年明け1993年1月に行われた。ふつうは12月までに決着する七番勝負が翌年にまで繰り越されたのは、第2局が最終盤での千日手になって、再試合扱いになったからだった。このシリーズは「矢倉」での戦いが中心だったが、第5局と第7局とが「角換わり相腰掛銀」の戦型になった。
この第7局のオープニングが、「7六歩、8四歩、7八金」、すなわち“高田流3手目7八金”なのである。羽生善治が“高田流”を採用した。(第5局は、谷川先手で通常の7六歩8四歩2六歩の出だし。)
「角換わり」となり、「相腰掛銀」にすすむ。2七歩型を生かして、羽生はここで2六角と打った。
4三金右、4八飛、3五歩、同角、3四金、2六角、2四歩、4五歩、同歩、同銀。
戦いが始まった。内容的には、後手の谷川がうまくやったようだ。
ところが、図の5四桂が失着だったという。この手では4三角がよく、それで羽生は勝ちが見つけられない状況だった(ただし難解)。それが失着5四桂で、形勢が入れ替わった。
この3五桂で逆転。突然、羽生の勝ちになった。
3五同金、同歩としても、後手に勝ちはないのだという。
この将棋を勝って、羽生善治は「竜王位」を奪回、これで三冠王となりました。この時、谷川浩司と羽生善治のタイトル数の上下が逆転したのでした。時代はこの瞬間、新しく変わったのです。1993年1月6日のことでした。
羽生新名人が誕生するのは、この約1年半後です。
谷川浩司-森内俊之 1996年
谷川浩司の“3手目7八金”に、3四歩、4八銀、4四歩として、後手が角交換を拒んだ指し方をとった時は、この図のような展開が一例として考えられる。先手の右四間飛車戦法である。
矢倉模様での右四間は、一般には後手が使う場合が多い。それは現代矢倉は先手が「6六歩」とすることが多くなっているからである。この場合は後手が「4四歩」として、先手の角道が通っているので、先手右四間が有効と思える。後手番で用いるより一手早いし、その上に2六歩と突いていない分の一手も、他の手にまわしていっそう効率が良さそうだ。
谷川、4五歩から仕掛ける。
こうなって、先手はちょっと困っているようにも見える。4七飛、4六銀と進む。
だがこれが谷川の読み筋通りで、4六銀に、5六歩と突く。以下、4七銀成、5五歩、4四金。
そこで6六角。
これで先手良し、というのだからかっこいい。
3七成銀、5四歩、同金、1一角成、2九飛、3九香、4八歩、7一銀、9二飛、8三角。
なるほど、7一銀~8三角打があるのか。
この将棋は1996年のA級順位戦の対局でした。この対局にも勝って、この年度の順位戦の谷川浩司の星は、8勝1敗。名人挑戦者となりました。
そして1997年の名人戦は羽生善治と谷川浩司の対決となったのですが、結果は、4-2で谷川浩司が名人復位を果し、谷川はこれで永世名人十七世の資格を得ました。
そして、このシリーズの6局のうち、3つまでが“高田流3手目7八金”だったことを、ここに書いておきます。採用したのは谷川さんが2回、羽生さんが1回です。
高田尚平-佐藤康光 1996年
“高田流”戦略のねらいには、こういう振り飛車もある。これもまた、“2六歩と突いていない”ということを生かしていて、振り飛車がぴったり似合うことになるのだ。
この将棋は“3手目7八金”に対し、後手が4手目に3二金(相居飛車を想定してこう指す。角道を開ける手を保留したという意味がある。)とした時に、それを見て先手が飛車を振ってこうなった。今流行の、「6七歩型振り飛車」だが、近藤正和の「ゴキゲン中飛車」とは別の流れで、高田尚平さんがすでにこういう力戦振り飛車を指していたのである。プロ的に細かく見れば、先手7八金と後手3二金の交換がどうでるか、というのがポイントの序盤となるようだ。
こうなって、これは先手がはっきり作戦勝ちの序盤。後手はもうこれ以上、玉型の整備ができない。3三角としたいが、それはすでに先手の金銀が迫ってきているために危険なのだ。後手の佐藤康光としては、もう、相手がまずい攻めをしてくることに期待を賭けるしかない、それくらいに先手がうまくやった状況なのだ。
そして先手から仕掛けてこうなった。
ここで先手はどうするか。
高田は5三金と指したが、これは判断を誤ったようだ。以下、実戦は、5七桂成、4二金、同金、5六金、5八歩、6九飛、5六成桂、同銀、5七角成、6一飛成、4一金打…
この展開は形勢不明。結果は後手佐藤康光が勝利した。
高田尚平はこの図でどう指せばよかったのか。(1)6九飛がわかりやすい。6九飛、9九角成、6五飛、6一香、6四歩で先手良し。(2)5六飛、5七角成、5三金、5六馬、4二金、同飛、5六銀。こう指すところだったと高田は反省している。(以下、5七桂不成、3九金、6九飛には、5九歩がある。同飛成なら4八銀が先手で打てる。)
“高田流”のねらいはだいたいそんなところ。
【石橋流3手目7七角の実践例】
そして、ここからは“石橋流3手目7七角”を見ていきます。
この“石橋流3手目7七角”も、全対的な意味合いは“高田流”同じである。要するに、「2六歩の一手を保留する角換わり」を目指している。
(「7八金」と「7七角」で、何がどう変わるか、というところまでは、今回は追及して考えないことにする。)
それで、“3手目7七角”のあと、ここからどう展開していくかというと、4手目に後手が3四歩として、その後に7七角成と角交換してくれば「角換わり」将棋となる。その場合、先手は「2七歩型」のままで、それを生かした作戦が可能となるわけだ。
後手が(ときには先手が)角交換を拒否する場合もあり、“石橋流7七角”に対しては、むしろその場合の実戦例のほうが多い。
次の例は、その「角交換拒否型」である。
石橋幸緒-中井広恵 1997年 女名人プレーオフ
これは女流名人清水市代への挑戦権を決める大一番。
7六歩、8四歩に、7七角! これが“石橋流”だ。
3四歩、8八銀に――
後手中井広恵は4四歩。角道を止めた。
その場合に、先手の石橋幸緒がめざす形がこのような形。角を5九~2六と移動させて、次に4八飛~5六銀とする。
中井の△7五歩に、▲4五歩で闘いだ。しかしここはいったん7五同歩が正着だったらしく、やや後手の得する展開となったという。
石橋は5二角と打ち込み、中井は9四角と受けた。
ここから馬をつくっては、またお互いに角を交換し、また角を打って馬をつくる――といった長い中盤が展開された。
図の△3九角、これはもう100手目。ついに勝負を決する「終盤」に突入だが、なんとここからさらに“長い長い終盤”が続いていくのである。
図以下、5三馬、同金、2四飛、6六角成、2三飛成。
ド派手な展開だ。2三同金に、6二飛で王手馬取り。5二歩、6六飛成、8七歩、2四歩、同金、6一竜と進んだが、石橋のこの6一竜はチャンスを逃す失着だった。この手では2五歩、2三金、2四銀で先手優勢だった。
6一竜からは、6七歩、3一角、1二玉、6七竜となる。6七竜と引き戻されてしまい、6一竜の一手が無駄になった。中井に攻めのターンが来た。
ここではもう、両者持ち時間を使い切り、一分将棋である。
8九飛に、8八銀、7九銀、7八竜、8八銀成、同竜、同飛成、同玉、3二金、5三角成、8七歩。
中井は、先手の竜を消したあと、3二金と自陣に手を入れる。先手の5三角成に、中井はすぐにこの角を取らず、8七歩から再び攻めを開始する。
この瞬間、後手玉は「詰めろがかからない形」になっている。だから今、後手の攻めるチャンスなのだ。
8七同玉、7九銀、7八金打、6八銀成、同金、7九角、7八金、8九飛、8八銀、同角成、同金、9九飛成、9八飛、同竜、同金、7九飛、8八銀、7八銀、9七玉、8九飛成、9九飛。
9九飛は159手目。同竜、同金、5三歩と、ここで中井は5三の角(馬)を取った。
今度は先手の石橋が攻める番だ。6二飛。
これを中井は4一角と受ける。これは攻防手で、先手玉の詰み(9六香の一手詰)を見ている。
石橋は3二飛成と飛車を切り、3一銀。 詰めろ(2二金)だ。
9六香、同玉、9一飛。
中井は飛車による両取りを掛けた。9五歩なら、3一飛だが、石橋の応手は9五角。
これに対して3一飛は、7三角成で先手玉がかなり安全になってしまいまずいとみた中井広恵、9五同飛と飛角交換し、再度9一飛。この判断が的確だった。7三の桂馬が残っていることで、先手の玉はかなり狭くなっている。
以下、9四歩、3一飛、2八香、8一香、7五銀、5七角、8五歩、7五角成。
なるほど、中井の3二の角が遠くから利いている。これは石橋、まいったか。いや、まだまだ。
2二金、同玉、2四香、2三歩、同香成、同角。これで角の利きはそれた。(2三同玉だったら、2五飛~7五飛とするのだろう。) そこで、7五歩。
中井は7六金と、開いた空間に金を置いた。石橋、8六金。同金、同玉、6七銀打。
6二飛、3二飛、同飛成、同角、2三歩、同角、6二飛、3二香、4三角、7六金。
7六同角成、同銀成、同玉、4三角、6五銀、6七銀打、6六玉、6五桂、同飛成、同角、2四歩、5六銀成、6五玉、6六飛。
ずっと1分将棋の終盤の中、中井広恵の判断の正確さが光った。
投了図
まで217手で中井広恵の勝ち。
健闘したが、石橋の17歳女流名人戦登場はあと一歩で実現しなかった。
それから2年後、石橋幸緒は女流王将戦の挑戦権を得て、「女流王将」清水市代と五番勝負を闘うことになった。石橋のタイトル戦登場は1996年に続いてこれが2回目であるが、その時の相手も清水市代で、それは3-1で清水が防衛に成功している。(このときの将棋はこちらで紹介しました。)
その五番勝負の第2局で、先手番の石橋幸緒は、例の“3手目7七角”をまた、披露したのです。
石橋幸緒-清水市代 1999年 女流王将2
この将棋は、後手の清水市代が、△7七角成と角交換をしてきたので、「角換わり」となりました。
そして、清水の作戦は「右玉」。
石橋は、「2七歩型」であることを、意地でも生かそうと、持ち角を「2六角」と打って勝負に行きました。この角は逆に後手の目標にもなりそうで、その意味でも「決断の一手」です。
ちなみにこれは第2局ですが、第1局は清水が勝っています。
さあ、やはり清水は、2四歩~2三金と、先手の角をいじめにきました。
そして1一飛。次は1五香のわかりやすい狙いだ。
ここは▲2五歩として、これからの勝負だったようだ。
しかし石橋の指した手は、3四歩。同金なら、3五歩で金が取れる――しかし、清水女流王将はその先を読んでいた。
3四歩を清水は同金と応じ、3五歩に、4五桂。これで後手良しが清水の読み。
石橋の読みにこの4五桂はなかった。
3一香と打って、以下清水の勝ち。
図から、3四銀、3三香、同銀成と進んで後手が部分的に損をしているようでもあるが、後手は先手の3五の角をどかせて、逆にこのラインに角を打てばほぼ勝ちが確定する。以下、5八成桂、4二金、同金、同成銀、4四金、同角、同歩となって、結局後手の「3五角打」が実現した。
以上、“石橋流3手目7七角”の例を2つ。
これは後手が望めば「角換わり」になり、しかし、そうならない場合もあるということです。
石橋幸緒さんはこれを10局以上、使っています。
彼女以外でこれを使う人はあまりいませんが、まったくないわけでもなく、最近では「糸谷哲郎-稲葉陽」2013年の実戦例があります。
ところで、今お伝えした清水・石橋の1999年王将戦は、清水の2勝のあと、石橋さんが巻き返して3連勝、逆転奪取という結果となりました。
この五番勝負は、上で紹介した「角換わり」以外の4つの将棋がすべて「横歩取り」の戦型となりました。女流プロでは、この頃まではあまり「横歩取り」は多くなかったのですが、この清水・石橋の両者と、それから矢内理絵子さんが指し始め、だんだんと「横歩取り」が女流公式戦に増えていきました。中井広恵さんも、2000年からそこに加わっていきます。(「横歩取り中座流8五飛」が流行りはじめたのが1998年です。) それから、もとからよく「横歩取り」を指しているのが竹部さゆりさん。(相横歩が大好物)
さて、今日のテーマ「角換わり」からは外れますが、1999年女流王将戦の最終局をちょっと見ておきましょう。
【1999年女流王将戦最終第5局】
清水市代-石橋幸緒 1999年 女流王将5
後手石橋の「横歩取らせ3三角戦法」です。
先手の清水は、3六飛の位置のままで、7七桂~7五歩とひねり飛車模様にします。
清水さんは、この先、相手が横歩取りを誘ってきた時に、先手番ではたびたびこの戦術を使うようになります。つまりこれも清水市代の得意型の一つというわけで、それで僕はこの指し方を“清水流”と呼んでいます。清水さんはいったん気に入ると、何度もくり返し同じ型に誘導して戦うという特徴があります。
今、2五銀を3六に進めたところ。これは銀のタダ捨てではないか! これは清水の読みにまったくなく、意表を突かれた。
3六同飛、1五飛、2四銀、1八飛成、3三銀成、2七銀、4三成銀と進行。
4三成銀が、こんどは清水の勝負手。
これを石橋が同玉と取れば、6一角がある。しかしそれが後手の正解手だった。6一角と打っても、4二玉で、後手の勝ちだった。
しかし石橋の着手は4三同金。
以下、3二飛成、4二銀、4八金、3一歩、2二竜、3八銀成、5九銀…。
どうやら先手の方がよくなってきたようだ。
4四香、2五角、4八成銀、同銀、3四金打、3六角、3八竜。
先手の3六角は、次に6四桂のねらいをもっていた。それで石橋は3八竜(図)としたが、清水3七桂。
なんと、この3七桂が敗着になってしまうとは!
(ここ、正解は2七竜だったという。)
3七桂、3五金、6四桂、同歩、7二角成、4七香成。
一気に先手玉が寄ってしまった。一瞬の逆転で石橋の勝利。
こうして、3-2で石橋幸緒が女流王将に。初のタイトル獲得。 石橋さんは18歳でした。
それにしても、やっぱり将棋は中終盤だよなあ、とまた棋譜を並べて、今回も思うのであります。
次回は『女流プロの角換わりコンプレックス 2』という表題で、今日の続き、「角換わり」における千葉涼子さん、および早水千紗さんの使っている序盤の特殊作戦をお伝えします。
『女流プロの「角換わりコンプレックス」1』 石橋幸緒流の3手目7七角、高田流3手目7八金
『女流プロの「角換わりコンプレックス」2』 千葉涼子流角換わりオープニング(2六歩~2五歩)
『女流プロの「角換わりコンプレックス」3』 早水千紗流7七桂(3三桂)型角換わり
『女流プロの「角換わりコンプレックス」4』 後手一手損角換わりの登場と相腰掛銀
この長い記事を読んでいただけているとは。