はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

女流プロの「角換わりコンプレックス」 4

2013年09月08日 | しょうぎ
 一昨日9月6日に行われた女流王座挑戦者決定戦「本田小百合-里見香奈戦」は、攻め合いを本田小百合が制して9割方勝っていたところを、大逆転負け。
 その結果、里見香奈さんの女流王座戦挑戦が決まりました。(上の写真は1年前の記事)

 それにしてもいつも思うのですが、将棋の番勝負の激闘のあと、すぐにインタビューするという将棋界の慣習は改善してほしいものです。せめて15分くらいの休憩を入れて、対局者の服装の乱れや気持ちの興奮を収めるための時間を取って、それから感想戦なり取材なりする、そういう配慮をしてほしいと僕は思うのですが。こんなときに敗者にすぐ喋らせるって、それはきつすぎるし、言葉も出てこないのが普通と思う。勝者だって興奮状態だし、敗者の前ではすぐには喋りにくいだろう。いつかは誰かが気づいて改善されるものとおもっていましたが、いまだに変わっていないですね。


女流は「角換わり」の変化球が好き

 女流プロの「角換わり」の将棋について書いています。このシリーズでこれまで見てきたように、女流プロは本格的な「角換わり」を指す人がいません。(引退されている関根紀代子さんが好きだったようですが。) そして、変化球のような変則オープニングで「角換わり」の将棋を指していたのが、石橋幸緒、千葉涼子、早水千紗。
 これから紹介する2つの将棋も、やはり“変化球”。

 まず、清水市代の変化球。

竹部さゆり-清水市代 2002年
 竹部さゆりさんは変わった将棋を指す。不利とわかっていても、それでも激しい変化を選ぶところがあり、そうしないと自分の呼吸が止まってしまうかのように。
 だから僕はこの棋譜を並べた時、後手が竹部さゆりと最後まで勘違いしていた。実際は逆で、清水市代が後手。
 3三銀と上がらず、先手の▲2四歩を清水は誘っている。「いらっしゃい」と。
 竹部は行った。
 2四歩、同歩、同飛、1三角。 この1三角が清水のねらいだが、そんなことはもちろん竹部はわかっている。
 竹部、3四飛。これは3二金取りになっている。
 清水、3三歩。そこで竹部は2四角。


 この2四角があるから、竹部は清水の誘いに乗ったのだ。これで先手良しと。
 後手は3四歩と飛車を取りたいが、それはできない。
 2四同角、同飛、3五角。 


 5七角成に、1七角。


 1七角が竹部の工夫。5二玉と受ければ、5五飛だ。5二金でも、5五飛だろう。
 ただし、図では6八金でも先手十分なところだそうだ。
 6七馬、5三角成、2三歩、5二歩、4一玉、5五飛、4二金5一歩成、同金、7一馬。


 9二飛、5四歩、5二歩、8五飛、8三歩、6四歩、6一金、同馬、同銀、8三飛成、7二銀、9二竜、同香、7一飛、3二玉、7二飛成、5七飛。
 竹部が激しく攻め立てたが、攻めすぎたようでもある。竹部の6四歩で、7九金と8九の桂馬を守っておけば、後手には指す手がなかっただろう。


 図から、5八銀、5四飛成、6三歩成、8九馬、5三歩、9九馬、6八銀、6七歩…
 これは清水にもチャンスが出てきたか――?


 竹部さゆりの勝ち。

 この将棋、出だしは「7六歩、8四歩、2六歩」。これは「角換わり」のふつうの出だしだが、これに後手の清水が3三銀を保留するという“変化球”の指し方。こういうところを見ても、女流プロが「角換わり」を真正面から受けることを、どこか嫌っている感じがちらりとみえるのである。清水さんのようなトップの勝負師としては、それは認めないだろうが。


 次は、矢内理絵子の“変化球”。

竹部さゆり-矢内理絵子 2002年
 これは「なるほどこういう指し方があったか」と僕が感心させられた矢内理絵子流の「角換わり」。
  7六歩、8四歩、2六歩のふつうの「角換わり」の出だしから、8五歩、7七角を決めて、6二銀。
 こう指すと、後手は、先手に2四歩から飛車先の歩を切らせることになる。それははっきり損だと思われるが…。


 先手に飛車先の歩を切らせ、矢内は5四歩~5三銀型をつくる。そしてここで3四歩。
 先手の竹部さゆりはここで2二角成と角交換。もともと「角換わりを指しましょう」という出だしだったし、「角換わり将棋に5筋をつくな」で、後手が5筋を突いているのだから角交換は道理が通っている。
 しかし――、冷静に考えてみると、先手はいったん7七角と上がった上で2二角成と角交換している。これは先手が「2手損」(つまり後手の「2手得」)になっている。
 すると、先手は飛車先の歩を切って持ち歩とした利があり、後手には「2手得」という利がある。だとすれば、この後手の闘い方も立派な主張のある一つの指し方ではないだろうか。


 後手矢内は「手得」の利を生かして5五歩と位を取った。そうなると、先手竹部は、3六歩~3七桂では右の銀が使いにくくなってしまうと考え、3六銀と出た。こういう銀の使い方を「鎖鎌(くさりがま)銀」という。
 何かで読みましたが、竹部さんと矢内さんとはプライベートでとても仲が良いらしいです。


 矢内、7五歩。
 これは4七角打ちと、3三桂の銀取りとで手にしようとしている。
 3七桂、3三桂、3四銀とすすむ。


 この3四銀が良い手だったのである。この手で先手の竹部がこの将棋をリードしていくことになる。
 3四同金、5三角、2一玉、6四角成、5二飛、9一馬、5九角、3九香、4八銀、5八金。


 矢内は、5九角~4八銀で手を作ろうとするが、竹部が的確に対応する。
 図以下、3九銀不成、2七飛、2八銀成、1七飛、2五桂、5九金、1七桂成、6一角。


 角を取って、6一角が痛烈。
 後手には飛車もあるし、ここからも油断はできないが、このリードを保って竹部さゆりが勝利。


 この矢内理絵子さんの指し方は、どうやら富沢幹雄さん――ゴキゲン中飛車のオープニングの創始者でもある――の将棋が原型にあると思われます。
 ただし、富沢さんのその将棋の棋譜は、「竹部-矢内戦」のようにすんなりと「角換わり」になったものがなく、それとは別の意図だったように思います。
 ですから、矢内さんの「2筋の歩交換は許す代わりに手得する」というのは矢内オリジナルかもしれません。

 その富沢さんの将棋を一局見てみましょう。1979年の「青野照市-富沢幹雄戦」です。


 戦前はこういう指し方もありました。富沢さんはその流れを一人研究してきたんですね。


 9五角がなるほどの手。王手することで、後手からの角交換をなくし、相手の角を目標として2四歩と打つ。
 4二玉、2四歩、2六歩、同飛、4四角、2八飛、2二銀。


 富沢は一歩を犠牲にして2二銀で2筋を収めた。これで利を得た先手はもうゆっくり駒組を進めればよい。
 後手は逆に攻めの形をつくらないと負けになるから、6四銀と出て、7五歩。


 こういう形になって、先手の青野が3五歩と反撃する。後手は攻めなければいけないので3三桂と跳んで、それを弱点と見ての、先手の3五歩だ。
 富沢は、8六歩、同歩、8七歩、同銀と叩いて、5六銀。
 青野はどう指したか。5七歩、4五銀、3四歩と指した。
 以下、9九角成、3三歩成、同馬、7七角。


 馬を自陣に引きつけて、後手もやれそうにも思える。
 しかしこれで先手がやれると青野は見ているのだろう。
 後手は5五歩と角と馬の交換を避けたが、そこで先手は3七桂。
 3六銀、2六飛、3四飛、4六桂、3五飛、3四歩、4四馬。


 ここで青野、2四歩と成り捨て、同銀に、3六飛と決めに行く。同飛に、4五銀。
 以下、3五飛、4四銀、同歩、3三歩成。


 なるほど、3三同金や同玉なら、3六歩で、同飛なら2五角がある。
 そこで富沢は3三同飛だが、3四歩、5三飛、2五桂以下、先手が鮮やかに寄せきった。
 青野勝ち。

 富沢幹雄さんのこの作戦は、「相掛かり」の一種と見たほうが感覚的に近いようです。



 3つ目の“変化球”、竹部さゆりさんの作戦は「銀冠」作戦。

木村さゆり-本田小百合 1998年
 “さゆり対決”だ。生まれた年も同じでこの時は19歳同士。竹部さんはまだ未婚の時で、「木村さゆり」。
 どちらも「さゆり」であって、さおりではない。“木村さおり(沙織)”はバレーボールの選手。
 この将棋は、初手2六歩からの“千葉流”(と筆者が呼んでいる指し方)で始まった。
 この図ではもう、後手からの8六歩の飛車先歩交換は防げなくなっている。うっかりではなく、もちろんこれが木村さゆりの予定の作戦なのだろう。4八銀としないで、先に3三角成なら8六歩交換はなかった。
 この図から、3三角成、同銀、8八銀、8六歩、同歩、同飛と進んだが、そこで7五角は、7六飛が、角と金との両取りで、逆に先手がハマってしまっている。この場合は、先手の4八銀が飛車の横利きを止めている。


 こういう作戦。


 8七歩と合わせて、「銀冠」に。これで本田の8六歩は、一手無駄手になった。
 しかし「銀冠」に組めばいつだって得かといえば、時と場合により、使い方による。上部には強いが、7七の地点は弱点となる。


 4五歩から先手が仕掛けた。本田が4六角と打って、先手が2六角(桂馬を守るため)と打つ展開に。
 図の、後手の6六歩が大きな一手になった。これは取れない。


 6六歩を拠点に、がしがしと攻められた。
 ここで木村も攻めたが、6七同金と清算する手はなかったか。


 ああ、これはいけない。本田の勝ち。
 木村さゆりさんは「銀冠」を生かすためにも、左に玉を逃げることはできなかっただろうか。


 このように、女流は「角換わり」では、“変化球”ばかりを好む傾向がある。結局は、勉強不足で自信がない、というのが本音なのかもしれない。



 だから、この方は無関係ですって。




中井広恵の角換わり

 女流の「角換わり」に戻りまして、ここで中井広恵さんのこと。
 中井広恵さんが、2000年鹿島杯トーナメントの決勝で千葉涼子さんと当たり、その三番勝負で千葉さんが例の“千葉流”(初手から2六歩~2五歩)で「角換わり」を誘った時、振り飛車で闘ったことはすでに前々回記事で書きました。
 
 それまでの中井広恵は、「相掛かり」をよく指していますが、2000年以降は「相掛かり」をほとんど指していません。先手では7六歩からの「矢倉」、後手番では3四歩と突いて「横歩取り」に誘うのが中井さんの2000年以後の指し方です。
 しかしそうすると、“千葉流”の初手2六歩に、3四歩で、以下、2五歩、3三角、7六歩で、「角換わり」を避けにくい形になるんですね。ということで、2000年以後、中井広恵は“千葉流”からの「角換わり」を避けて通れなくなった。
 2001年から、中井さんは千葉さんとの対戦では、千葉涼子の「棒銀」を正面から受け止める指し方になりました。たぶんこの時に「角換わり」を指すための準備をしたのでしょう。

 千葉さんはこの“千葉流オープニング”を居飛車党相手に先手番の時には使い続け、それで清水市代にも勝利して2002年度の女流名人戦五番勝負の挑戦者となりました。ついに「中井広恵vs碓井涼子」の組み合わせの初のタイトル戦が実現しました。碓井涼子のそれまでのタイトル戦の相手はすべて清水市代でしたが、まるで歯が立たず0-3か1-3で敗れています。
 碓井涼子は中井との名人戦の始まる前、「これまでのタイトル戦の相手はすべて清水さんでしたので新鮮な気持ちで臨めます。」と抱負を述べました。それを伝え聞いた中井広恵のコメントは「碓井さんは、私が相手なのでやりやすい、といったそうですね」というものでした。女同士らしい皮肉の利いたやりとりです。(女流棋士のコメントはなかなか気の利いたものが多いです。)

 2003年1月、その女流名人戦五番勝負が始まって、碓井先手では例の“千葉流”から「角換わり」、中井先手の時には「矢倉」の戦型となり、2-2のスコアで、勝負の行方は最終局までもつれ込んだ。
 『将棋世界』のその時の第3局の観戦記を読むと、対局前、先に席に着いた碓井涼子がアメを取り出して口に入れ、その時に中井広恵が入室してきて、そのまま碓井はアメを口にふくんだままで駒を並べ始めたと書いてある。

 第5局のその将棋は中井が先手。
 中井の初手7六歩。碓井の2手目8四歩。ここで中井は3手目、2六歩と指した。
中井広恵-碓井涼子 2003年 女名人5
 これまでの中井ならば3手目を6八銀で「矢倉」にしたところ。それを、2六歩。これは「角換わりで決着をつけましょう」という意思表示。中井のほうから「角換わり」を望むとはめずらしい。

 こうしてみると、この頃には、中井広恵はもう千葉涼子との「角換わり」を楽しむようになっていたと思われます。千葉涼子との闘いの中で「角換わり」に自信をもってきたのでしょう。


 後手の碓井涼子、得意の「棒銀」です。
 図は中盤の勝負どころ。ここで手番は碓井ですが、碓井は4六桂、同銀、7七馬、同飛、8五飛の攻めを敢行します。
 しかしここで碓井の読みに無い手を、中井は指しました。


 8六銀。こんな手があったかと、碓井は驚いた。
 これを取ると8七香で、これは後手がいけない。今さら引いてもおれず、とすると飛車を横に使って勝負だが…
 碓井、6五飛。中井は6七香。そこで4五飛から勝負する。しかしこの6五飛と6七香との交換は、中井が得をした可能性が高い。あとでこの香車が寄せに利いてくるのだ。
 残り時間は中井が1分、碓井は40分を残していた。
 4五飛、同銀、同香、5八玉、4九香成、3三桂成、同桂、4四桂、4七銀。


 碓井も勝負手を放つ。4七銀。
 これを先手は取るべきか、取らざるべきか。悩むところだ。
 中井は5八玉と逃げた。正解だった。4七同玉は4八金以下危険なところがあった。5八玉と中井は逃げ、碓井は8八金と挟撃の体制をつくる。次に先手玉は5八金の一手詰めだが――。

 中井は読み切っていた。5二桂成、4三玉、4一飛、4二歩、同成桂、5四玉、6五角以下、碓井の玉を詰め上げた。
 5二桂成を同玉ならどうなるのか。
 その場合も、詰みがある。6三香成、同玉、6七飛、6四歩、同飛、同玉、4六角、5五桂、6二飛以下。
 1分将棋でこの終盤を乗り切る中井の凄さ。

 中井広恵、3―2で女流名人位、防衛。



女流の後手一手損角換わり

 続いては、「後手一手損角換わり」の将棋。 これも「角換わり」の“変化球”ですね。


 2003年6月10日の順位戦(C1)「神崎健二-淡路仁茂戦」以来、一般プロでは「後手一手損角換わり」がずっと普通に指されるようになっています。
 女流にもその波がやってきて、次に示す2004年の「中井広恵-石橋幸緒戦」が最初だと思います。
 これは女流王将戦五番勝負の第4局で、ここまでは女流王将の中井広恵が2勝、石橋幸緒1勝。

中井広恵-石橋幸緒 2004年
 石橋の「後手一手損角換わり」に、中井は「腰掛銀」を選びました。そうすると「相腰掛銀」となります。「後手一手損角換わり」のメリットの一つとして、飛車先保留にできるということがあります。するとそれを生かすためには、後手も「相腰掛銀」は望むところなのです。後手は8五桂とする攻め味があります。(これまでの「ノーマル角換わり」には後手番にはこの権利がなかったのです。)
 しかし中井広恵の「角換わり相腰掛銀」は、おそらくは1993年「関根紀代子-中井広恵戦」以来11年ぶりのこと。(女流全体としても僕の調べでは1995年「石橋幸緒-林まゆみ戦」以来のこととなる。この2局以外に2004年のこの対局まで女流プロ公式戦で「相腰掛銀」の将棋は見当たらない。)
 この図は、今先手の中井広恵が4六角と打ったところ。これは升田幸三が1949年に開発した手法で、3五歩、同歩、同角、3四歩、4六角のあと、3六金と出てゆく。
升田幸三-丸田祐三 1949年


 「中井-石橋戦」は図のような中盤に。
 後手石橋が6五銀と出て、同銀と取らせて4七角と打った。
 これがなかなかの勝負手で、ここでは形勢不明とされていたが、中井の6四歩に、7三金が甘かった。
 6四歩には、これを放置して、9八歩、同香、9七歩、同香とし、3六角成、6三歩成、同飛、6四銀がよかった。これは次に9七桂成~9三飛がある。(しかし、ふつうは金逃げるよね。)
 実戦は6四歩、7三金、8三と、同金、6三歩成、同飛、6四香と進んだ。


 これで先手には確実に飛車が入る。それが大きく、先手有利に。
 3六角成、6三香成、4六馬、2四歩以下、中井広恵の勝ち。

 そして3-1で中井が女流王将を防衛しました。


 「後手一手損角換わり」は、女流棋士では、本田小百合、鈴木環那、早水千紗がいまではわりとよく用いています。(角換わりを指さなかった矢内理絵子さんも「後手一手損」を何度か指している。)
 「後手一手損角換わり」は、「角換わり」に向き合うことをどこか避けていた感じのある女流プロに、変化を与えました。居飛車党の彼女らに、無理矢理に「角換わり」と向き合わざるを得ない状況を突きつけることとなったのです。この戦法は、まどろっこしい序盤の手続きを省略して、いきなり角交換してくるものですから、相手も避けようがないのです。この戦法の最も画期的なところは、実はこの点にあるのではと思います。
 「横歩取り」の後手番戦術の充実と、「後手一手損角換わり」の出現、この2つがあることで、昔は先手の権利だった相居飛車での“戦型選び”が、現代では、先手の希望どうりにはならず、むしろ後手の主張が通る時代になってきたのでした。
 こうなればもうなんとなくごまかして「角換わり」をやりすごしていくわけにもいきません。女流も、居飛車党であるなら、「角換わり」が好きでない人も、これを本格的に指す覚悟が必要となりました。(昔は「相振り飛車」をなんとなく回避していた振り飛車党の棋士が、今ではそれを避けがたくなってきたように。)

 

里見香奈-本田小百合 2012年
 昨年の女流王座戦の挑戦者決定戦。この大一番が、「後手一手損角換わり」となりました。
 先手番は里見香奈さんですが、なぜか里見の初手は「2六歩」。
 振り飛車党の里見さんですが、どういう考えで「2六歩」だったのでしょうかね。興味のあるところです。しかしこういうところを本人に聞いても、勝負師というのは、本音では半分しか言いませんからねえ。想像するしかありません。(それが楽しいのですが。)


 里見香奈、「早繰り銀」を選ぶ。「後手一手損角換わり」に対しては、先手はその「一手得」を生かすための指し方として、これが最も理に適っていると思われており、一般(男子)プロでは相当数の実戦例がある。
 対して、本田は「4二飛型」を選ぶ。 以下、後手は右玉に。


 ここで里見は8六歩と突く。これは大胆な手だった。というのは、これを突くと後手から8一飛とまわって8五歩とする手が有効になってくるからだ。「里見ブランド」の価値があるから「大胆な手」という言い方で控室の面々は誉めてはいるが、実際は悪手になる可能性の高い手で、このあたりにもしかすると里見香奈の居飛車の経験不足が出たかもしれない。この「8六歩」が敗因の可能性が高い。


 さて、開戦した。
 本田が5四角と打ったところ。これは里見のねらう4五飛の防ぎが第一の意味。これを防いでおいて、次に後手からは3六歩がある。
 6七金右、3六歩、5六銀、同銀、同金、3七歩成、5五歩、4三角、4五飛、8一飛。
 4三角~8一飛が検討陣にも絶賛された指し方。


 もうこれで後手が勝ちなのではないか、とプロレベルではそうなるらしい。それくらい、8五歩からの攻めは厳しい。


 しかし、終盤力では女流ナンバー1の里見香奈。里見なら、終盤で何が起こるか判らない、そう思わせる魅力がある。
 4五角に、5四歩。これを受け切れば後手本田の勝利だが。
 5五金、同銀、7三銀、4六銀引成、6二銀成、同玉、4六歩、4八飛、6八歩。


 手番は後手の本田。本田小百合はここでどう指したか。


 4四銀と指した。
 里見は5三銀と打った。同銀、7三金、5一玉、5三桂成。
 これは後手が怖そうなところだが、しっかり読めば、後手玉の詰みはないとわかるので、あとは先手玉をどう寄せるかを考えればよい。
 6八竜、7八銀、7九銀、9五歩、8五歩以下里見はなおも粘ったが、本田が寄せ切った。

 こうして、昨年の女流王座戦の挑戦者は本田小百合さんに決まりました。



 そして先日行われた、今年の女流王座戦の挑戦者決定戦も「本田-里見」という昨年と同じ組み合わせの対戦となりましたが、上にも書いた通り、里見香奈の大逆転勝利で、里見が今期の挑戦者に。
 女流王座戦五番勝負は、10月26日から。
 このブログの少し前の記事の中で、「加藤桃子と里見香奈の将来の激突が楽しみ」と書いたのですが、その第1ラウンドが早くも実現しましたね! これは注目の対決です。




 ところで、「後手一手損角換わり」は2003年に淡路仁茂さんが指して以後、そこから流行しましたが、それまでも何人もの人が指していまして、その名前を挙げると、関根茂、川上猛、藤井猛(以上、平成)、小堀清一、花村元司、升田幸三(以上、昭和)、坂田三吉、岡村豊太郎、寺田浅次郎、溝口文治(以上、大正)。 (ただし振り飛車のケースは含まない)
佐原長次郎-溝口文治 1915年
 そのうち、残っている棋譜でいちばん古いと思われるのがこれで、1915年(大正4年)のもの。坂田三吉(1917年)よりこっちが先。


「ほな、僕の升田幸三賞受賞になにか文句でも?」
 


女流棋士の相腰掛銀について

 だいたい、女流は「棒銀」と「右玉」の割合が多いです。「角換わり」自体が少ないですが。

 「後手一手損角換わり」の出現で、女流の「角換わり相腰掛銀」の将棋も増えていきました。最も多くこれを指しているのは中井広恵さん。といっても、彼女が後手番でこれを積極的に指しているわけではありません。中井広恵が先手番の時に、後手番になった人が「後手一手損角換わり」を仕掛けてくるのです。以下にその対局を列挙してみました。もちろんすべて中井広恵が先手番で、左から順に、中井さんの勝敗、対局日、後手番の対局者、です。

  ○ 2004年6月10日 石橋幸緒
  ○ 2007年2月28日 竹部さゆり
  ● 2007年6月27日 本田小百合
  ○ 2008年1月20日 早水千紗
  ○ 2010年3月21日 矢内理絵子
  ○ 2011年9月7日 貞升南

 この6局です。後手番の相手が見事にばらけていますね。

 元々、女流で「角換わり相腰掛銀」を指したがっていたと思われるのは石橋幸緒さんくらいで、あとの人は正直、避けていたと思います。
 ところがこの「後手一手損」がその状況を変えたんですね。
 「後手一手損角換わり」を後手にされた場合、先手の有力手段は「早繰り銀」か「棒銀」と言われています。先手が「腰掛銀」をすると、後手も「腰掛銀」を選んで「相腰掛銀」となる。後手にとって、“8筋不突き”を生かす指し方として「相腰掛銀」が最も有効とみられている。
 なので、先手の中井広恵が「腰掛銀」を選択した場合、後手も「相腰掛銀」にするのが一応セオリー上正しいことになるのです。
 ということで、このように急に女流プロにそれまではめったに見ない「相腰掛銀」が見られるようになってきた。これも、先手の中井広恵が「腰掛銀」を選んでいるためで、つまりは2004年以降、中井はむしろ「相腰掛銀」の闘いを歓迎しているということです。結果も良いですしね。

 ちなみに、この中井さんの対局以外で「後手一手損」からの角交換で、「相腰掛銀」になった女流の将棋は、僕の調べた範囲では、次の一局のみ。(女流の「後手一手損角換わり」の棋譜サンプル全体は約30局ほどある。)

  2012年11月3日 女流王座第2局 ○加藤桃子-本田小百合  → この1局だけ


 「後手一手損」以外の、この他の女流の公式戦の「角換わり相腰掛銀」の棋譜サンプルを全て並べておくと、次の通り。

 [ノーマルオープニング(7六歩、8四歩、2六歩)から] → 3局
  1993年10月13日  関根紀代子-中井広恵○
  1995年8月17日 ○石橋幸緒-林まゆみ
  2011年12月6日  加藤桃子-清水市代○ (女流王座戦4)
 [千葉流オープニング(2六歩~2五歩)から]      → 3局
  2006年2月15日 ○鈴木環那-竹部さゆり
  2012年11月10日  本田小百合-加藤桃子○ (女流王座戦3) 
  2013年7月3日 ○本田小百合-伊奈川愛菓
 [その他のオープニング(高田流、石橋流、先手一手損など)] → 5局
  2000年6月12日  石橋幸緒-清水市代○ (女流王位戦3)
  2000年7月14日 ○石橋幸緒-中倉宏美
  2002年9月30日  石橋幸緒-清水市代○ (女流王位戦1)
  2003年8月21日  石橋幸緒-竹部さゆり○
  2008年2月13日 ○鈴木環那-中井広恵
  (参考: 新人王戦 2007年11月28日 早水千紗-渡辺大夢○)


 これが、僕の集めた女流棋士の「角換わり相腰掛銀」の棋譜のすべてです。(基本、「棋譜でーたべーす」を参考にしています。 よって、これが全てではないはずです。)
 全部で18局しかサンプルがない。(女流棋士の39年分の棋譜蓄積からのこの数です。)
 異常といえるほど数が少ないが、それも、やっぱり女流は“直球”の「角換わり」が少なく、“変化球”がお好きらしい。
 それでも、90年代までは2局しか残っていない「角換わり腰掛銀」の棋譜が、2000年以後はこれだけの数にまで増えてきた、ともいえるということです。



 以上で、『女流プロの「角換わりコンプレックス」』記事を終わりにします。


   『女流プロの「角換わりコンプレックス」1』 石橋幸緒流の3手目7七角、高田流3手目7八金
   『女流プロの「角換わりコンプレックス」2』 千葉涼子流角換わりオープニング(2六歩~2五歩)
   『女流プロの「角換わりコンプレックス」3』 早水千紗流7七桂(3三桂)型角換わり
   『女流プロの「角換わりコンプレックス」4』 後手一手損角換わりの登場と相腰掛銀
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