はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

女流プロの「角換わりコンプレックス」 2

2013年09月02日 | しょうぎ
 「七度目の正直」というのは、7回目のタイトル戦で、千葉涼子さんがタイトル「女流王将」を獲得したということで。
 2003年までは碓井涼子(うすいりょうこ)でしたが、タイトル獲得は2005年なのでこの時は千葉涼子でした。



 前回記事の続きです。

 今日は千葉涼子さんの、僕が勝手に“千葉流”と呼んでいる作戦について調べます。千葉涼子さんがこれを始めたのは1997年頃かと思われますが、その頃は碓井涼子さんだったので本当ならば“碓井流”と呼びたいのですが、それだと混乱しそうなので“千葉流”とします。


 先手番で、「初手から、2六歩、3四歩、2五歩、3三角、7六歩」が“千葉流”です。
 千葉涼子さんはこれを、居飛車党の相手に対して用いています。


碓井涼子-石橋幸緒 2000年
 初手2六歩に8四歩なら「相掛かり」にすすみます。本来居飛車党同士ならばこうなるところですが、何度も同じ相手と毎回「相掛かり」だとくたびれてくる、ということもあるかと思います。まあ、何らかの理由で「2六歩に、3四歩」と後手が応じることもある。この3四歩は、後手が振り飛車も指すなら普通の手なのですが、純粋居飛車党ならば「横歩取り」を視野に入れた手と思われます。
 そこで3手目に「2五歩」が“千葉流”。後手は3三角ですが、そこで5手目7六歩。


 こうして「角換わり」になる。これが“千葉流”の角換わり誘導戦術です。意味としては、後手の「横歩取り」の選択肢をつぶしています。
 一般にこのオープニングが用いられていないのは、この3手目2五歩を早く決めてしまうと、「角換わり」になったとき、先手が損だと考えられているからです。1980年代から、「角換わり」でも「2六歩止め」の腰掛銀の有効性が実証されてきました。3七桂~2五桂と、桂馬を跳んで攻める筋があるからです。ということで、「2五歩を早く突くのは損だ」となるのです。実際に一般的な「角換わり」のオープニング「7六歩、8四歩、2六歩、8五歩、7七角、3四歩、8八銀、7七角成」となれば、先手だけ「2六歩止め」の型となり、これが先手番の権利だったのです。
 それが“千葉流”のこのオープニングだとその先手の権利を放棄することになる。
 では、なぜ、千葉さんはこれを用いているのでしょうか。
 単純に、「相掛かり」と「角換わり」が好きだ、ということが第一の理由ではないかと思います。「相掛かり」をやりたいから初手2六歩、それを後手が「相掛かりはちょっと…」ということで3四歩なら、それじゃあ「角換わりで」と千葉涼子さんは2五歩。
 結果的に後手には「横歩取り」の選択肢はなくなるし、「矢倉」にもしにくい。


 「角換わりで2五歩を決めると損」というのは、「相腰掛銀」での戦いの場合。
 千葉さんはいつも「棒銀」で行くのでそれは“関係ない”。 「2五歩」を突くのは「棒銀」ならあたりまえ。これで損することなどまるでないのでした。

 さてこれは「碓井涼子-石橋幸緒戦」。1五歩から、碓井さんが仕掛けました。


 後手の2七角に、先手は1五飛。1二飛成は2二金とされて損だという判断だろう。
 この後碓井は、9五歩と、今度は逆の端から攻める。


 2一の桂馬を取って、8四桂。


 碓井が攻めてはいるが、形勢はさてどうだろう。
 ここで石橋、6七歩成から反撃。


 この棋譜は解説が手に入っていないので、よく判らないのだけど、石橋の図の6六歩は敗着ではないだろうか。
 ここ、5五歩とか、6三金なら、後手が駒得だし、先手が大変だったと思うのだが。
 6六歩以下は、5四香、同馬、6六竜、6四香、6二成桂、同玉、6三歩。


 6三歩で寄っていた。5二玉なら、5六香がある。
 石橋は6三同馬としたが、碓井は、7四銀、7二銀、同角成、同玉、8三銀、6二玉、6三銀成、同玉、7四角ときれいに決めた。

 この対局は、鹿島杯女流トーナメントの準決勝。これで碓井涼子は決勝に進みました。
 2000年秋のこの時、碓井涼子は20歳。すでに、タイトル挑戦は4度経験していましたが、タイトル獲得はなし。すべて清水市代に跳ね返されてきました。
 そしてここでの決勝進出。千葉はこれに勝てば公式棋戦初優勝となる。鹿島杯は持ち時間10分であとは一手30秒の早指し戦。決勝は三番勝負。
 決勝の相手は中井広恵。



碓井涼子-中井広恵 2000年 鹿島杯1
 後手番の中井広恵が「四間飛車」を指している。居飛車党なのに…?
 局後の中井の発言「振り飛車を指したのは何年ぶりかなあ。憶えてないけど、うまく指せた。」
 この将棋、実は“千葉流”のオープニングなのである。「2六歩、3四歩、2五歩、3三角、7六歩、4二銀、7八金」となって、そこで「4四歩」から中井は飛車を振ったのだ。つまり中井広恵は、碓井の「角換わり」の申し込みを断って、「四間飛車」にしたのである。こういうところを見ても、どこか中井広恵は「角換わり」を微妙に避けているような感じがある。
 中井広恵と清水市代とは1990年代「相掛かり」で何度も何度も戦った。しかしどうも2000年のこの頃から中井は「相掛かり」に飽きてきたようである。だから後手番では2手目に「3四歩」と指すようになった。これは「横歩取り8五飛」を指したいということである。「横歩取り8五飛」は中座真が最初に指したが、中井広恵と中座真とは北海道稚内の同郷で同学年というつながりがある。
 それでこの対局、先手碓井の初手「2六歩」に、中井は2手目に「3四歩」とした。
こうなるとやはり「2五歩」以下の“千葉流”となる。相居飛車党同士、ふつうなら「角換わり」になるところ、それを中井が飛車を振ったということだ。
 結果は中井広恵の快勝。
 そして第2局は「矢倉」の闘いになり、これは碓井が勝利した。これで1-1。

碓井涼子-中井広恵 2000年 鹿島杯3
 鹿島杯第3局。先手番は碓井涼子となった。こうなると、やはり第1局と同じで“千葉流”のオープニングになる。今度は中井広恵はどうするのか、「角換わり」を受けるのか。
 「2六歩、3四歩、2五歩、3三角、7六歩、4二銀、3三角成、同銀」
 「角換わり」となった。
 しかしその後がまたスペシャルな展開だった。碓井の「8八銀」に、中井は「6五角」と打ったのだ。「筋違い角」である。しかも中井広恵はその後飛車を振った
 この作戦を純粋居飛車党である中井広恵が採用したというところがこの対局の“スペシャル”なところである。
 こうしてみると、“千葉流”のこのオープニングは、中井広恵にとって、どこかイラッとさせるものがあるのかもしれない。そっちがそうくるのなら、こっちはこうよ的なものを感じる。


 こういう展開になった。これは…、まるで林葉直子の指すような振り飛車ではないか。(『林葉の振飛車part1』)
 少女時代、ライバルでありながらも、2つ違いの年齢差も関係なく中井と林葉とは仲良しだった。初めに会った時から気持ちが通じるものがあったらしい。
 「碓井-中井戦」は、7筋をどちらが制すかという戦いになった。
 ここで碓井涼子は9七角と打った。「7五」を何としても、ということだ。
 それではと、中井広恵は9四歩から、9五歩としてその角のまるい頭をねらってきた。碓井は6五歩。
 3二の角が攻撃によく利いている。攻めの力はだから振り飛車が優位だが、中井の3三の銀はもう働く可能性がないが、碓井は金銀4枚が左辺にいる。中井の攻め足が鈍れば、碓井が優位に立つ。
 

 ぎゅうぎゅうと押し合いをしているような7筋である。
 7六歩と打って、中井の攻めを止めた。次に碓井の8五歩が入れば、形勢は一気に碓井優勢に傾く。
 そこで中井は「6六歩、同金、8六香、同角、9六成香、5九角、7七歩、同角、7六桂、同金寄、同角、同金、8七金、6九玉、7七金、同金、8五桂」と攻めていく。
 迫力のある攻めだが、持ち駒を蓄えた先手の碓井は、そこで9四桂、7一玉、8二金から反撃。
 碓井涼子が勝って、女流公式戦初優勝を決めた。この将棋が、“千葉流オープニング”だったことを記憶に留めていただきたい。

 そして翌年もまた、この二人は鹿島杯決勝三番勝負を闘うことになるのである。やはり“千葉流”は出現した。2局現れ、どちらも先手碓井涼子の「棒銀」になっている。



碓井涼子-清水市代 2002年
 碓井涼子は何度もタイトル戦に挑戦したが、勝てなかった。うんざりするほど、清水市代に負かされた。
 碓井が先手番では初手2六歩と突く。後手清水は8四歩。
 清水の先手番のときも清水は初手2六歩と突く。後手碓井は8四歩。
 これでいつも「相掛かり」か、あるいは碓井先番のときは得意の「ひねり飛車」になった。しかし清水にはことごとく跳ね返された。碓井の対清水戦の勝率はたぶん2割台だろう。これでは勝てない。
 2002年11月のこの将棋は、女流名人への挑戦権を決めるA級リーグの一局。この年度は清水市代、碓井涼子、石橋幸緒の3者での挑戦権争いとなった。
 この将棋が、また、“千葉流オープニング”の将棋なのだ。清水が2手目に3四歩を突いたのである。
 そうして「角換わり」となり、碓井は「棒銀」。後手清水は「早繰り銀」で応じた。
 結局碓井は棒銀ではあっても3六歩~3五歩と攻めたので、「早繰り銀vs早繰り銀」でみられる形となった。図の後手の5五銀で一般的には後手指しやすいのではと90年代には言われていた。その後この「早繰り銀vs早繰り銀」の将棋はあまり見られなくなっていて、本当のところははっきりしない。
 2四で銀交換のあと、後手は4四銀、そこで3七角、7三角、同角成、同桂、7五歩。


 6四角、4六角、5五銀、3七角、8六歩、同銀、3六歩、1五角、2四銀。


 これを2四同角と碓井涼子は取った。同歩、同飛となった時、後手には歩がない。だから飛成を受けるには1二角くらいか。…そこまでは素人にも読める。それでどちらが良いのか、それが判らない。


 7四歩、4四銀、7三歩成、同角、4六銀。
 7四歩~7三歩成で碓井は桂馬を取り、これで角と銀桂との二枚換えだ。
 (あとで、清水の4四銀が良くなかったとされた。6五桂と指すところだったと。)


 駒得なので、4六銀としっかり受ける。あせって攻める必要はない。
 清水の方は、相手の碓井を焦らせるような攻めを見せなければいけない。3三金、2六飛、3五銀、同銀、1九角成と強引に行く。
 千葉は3四歩。清水、2五歩、同歩に、2二香。


 3三歩成、同桂、7四桂。ここから飛車を取りあって――。


 次に6三銀成、同玉、6一飛成がねらい。これはもう、先手勝ち。

投了図


 清水に勝って、碓井、名人挑戦者に。 “千葉流”大成功の一局。

 しかし、名人戦は2―3で惜しくも勝てず。
 時の女流名人は中井広恵でしたが、碓井先手番の第1局、第3局は、やはり“千葉流”となりました。



 “千葉流”で角交換になった時、千葉(碓井)涼子さんの作戦は「棒銀」でしたが、時に「右玉」で闘うこともありました。

 後手が「角換わり」を嫌がることもあります。はっきり「角換わり」を避けていたのは山田久美さんです。山田さんは4四歩と突きます。
 前回紹介した“石橋流”(3手目7七角からの「角換わり」ねらい)に対して「4四歩」は無理のない手で、実戦もそのケースの方が多かったのですが、この“千葉流”に対しての“4四歩”はちょっと危険な意味を含んでいます。先手の「2五歩」と飛車先の歩が伸びているので、自然な駒組みが難しくなるのです。だから「4四歩」からのこの場合の「矢倉」は、「ウソ矢倉」「ナンチャッテ矢倉」「無理矢理矢倉」などと呼ばれています。(もっとちゃんとした名前を付けてあげて~。)
 ここに“千葉流”の目立たない優秀性があります。つまり「2六歩、3四歩、2五歩」と進んだ時点で、すでに後手の選択肢は、居飛車党なら、もう「角換わり」か「ウソ矢倉」しかないことになり、したがってだいたいは「角換わり」を選ぶのです。
 (ただし、この作戦は「振り飛車」を得意としている相手にはまったく効果がありません。)

千葉涼子-山田久美 2005年
 “千葉流オープニング”で、後手が「4四歩」から「矢倉」になった時に、千葉涼子さんが採っていた作戦がこの図のような形。
 原始中飛車系の先手の攻め。先手と後手と、角の働きに違いが出ます。後手は角を3三~4二と2手かけて移動させているのに、まだ働かない。逆に先手は、角を一度も動かしていないのに、しっかり働いている。「ウソ矢倉」を選ぶと、たとえばこのような苦労を強いられることになる。


 千葉涼子の勝ち。



碓井涼子-矢内理絵子 1997年
 矢内理絵子さんも基本「4四歩」と角道を止めていた。特に1997年のこの頃というのは矢内さんが“矢内流菊水矢倉”で清水市代からタイトルを奪取した時期なので、矢内さんとしては「4四歩」は当然の一手。


 このように先手に素早く引き角にされ「2四歩」とねらわれると、先手の飛車先交換は先手の権利となる。(それを防ごうとがんばると別の不都合が生じてしまう。)
 しかしそれを上手く利用してやろうというのが“矢内流”。図のように、3三桂と跳ねる。次に後手は4三金右とする。2筋は2三歩とフタをしておき、玉を2一に住まわせる、これが「菊水矢倉」(別名「しゃがみ矢倉」)である。場合によっては2三銀からの「銀冠」をねらうこともある。


 この将棋は“矢内流”の勝ち。


 こんなふうに、その人その人の個性が見えてくると面白いですね。同じ居飛車党といっても、「矢倉」「角換わり」「相掛かり」「横歩取り」とあって、人それぞれに好き嫌い、得意不得意がある。
 そこの組み合わせで、「勝負」の色ができあがる。


碓井涼子-矢内理絵子 2002年
 2二飛。 めったに飛車を振らない矢内理絵子(最近は振る)が、飛車を振った。
 この頃は矢内さんはあまり「菊水矢倉」を使わなくなったころ。基本、千葉さんが“千葉流オープニング”を使っていたのは、相手が居飛車党の時。振り飛車党相手には意味がないし、振り飛車党に対して早く「2五歩」を決めると、後手は「向かい飛車」に振りやすくなる。玉を囲った後、矢内は3二金として、次に△2四歩から逆襲する。
これで後手が良しというわけではないが、先手が早く「2五歩」を突いたので、後手が逆襲の準備をまったくの無駄なく組み立てられ、その上に、2四歩から仕掛ければ、先手の2六歩、2五歩の2手分を無駄手にすることにもなるというわけ。
 まあ、しかし、千葉のほうからすれば、不慣れな居飛車党の矢内理絵子に飛車を振らせたということで、作戦成功ともいえるのだ。


 結果は千葉(碓井)の勝ち。

 千葉涼子、矢内理絵子、石橋幸緒の3人は、何度もタイトル戦に出ている3人だが、みな、1980年生まれである。
 羽生、森内のちょうど10コ下ということになる。



森内俊之-羽生善治 2013年 名人4
 その森内俊之名人と羽生善治三冠との間で闘われた今年の名人戦、その第4局で“千葉流”が出現している。
 森内名人の初手2六歩に、後手の羽生挑戦者が3四歩と応じたのだが、そこで森内は「2五歩」。こうなると後手には「角換わり」か「ウソ矢倉」か、あるいは「振り飛車」の3択となる。居飛車党なら「角換わり」を選ぶ。それで後手の不都合なことは何もない。というより、先手の「2五歩型」は、「角換わり相腰掛銀」ならデメリットにもなりえる。後手にとってそう進むなら不満はないところ。
 すると森内は、「相腰掛銀」ではなく千葉涼子のように「棒銀」にするのだろうか。
 いや、そうではなかった。森内名人は9手目に「6六歩」と突いた。なんと先手から「角換わり」を拒否したのである。
 これはどうやら、“千葉流”とはまったく異なる思想のようだ。
 この名人戦での9手目の「6六歩」、もしやこれは森内新手だろうかと思ったが、そうではなかった。数は少ないが、いくらか同じ局面はある。しかしこの地味な局面に、将棋の新しい可能性を見出していたとは、さすが名人、という感じである。


 局面はこのようになった。先手と後手とは陣形がそっくりである。
 違いはどこか? 先手は飛車先の歩を伸ばしており、後手は8三歩型だ。違いはそこだけ。
 今、先手が7八金としたところなので後手より1手多く指している。しかしこのこの局面は、先手と後手とで「2手」の差ができている。つまり後手の羽生はどこかで「1手」分をロスしていることになる。それはいったいどこでいつロスしたのだろう?
 実は、角の動きである。先手の角は、7九角と引いて、そこから3五で歩交換して、4六角に収まった7九→3五→4六。 後手の角はどうか、3三→4二→7五→6四と動いている。つまりここで森内と羽生の角の動きが「1手差」ができているのだ。
 これが森内の作戦だったのだ。作戦成功!
 さあ、しかしその「差」をどう優勢に結びつけられるか、そこが「名人」の腕のみせどころである。それはしかし、楽しい時間でもあっただろう。

 一方、挑戦者の羽生は―――。 
 この図より5手目前の36手目が羽生の手番で封じ手だったが、1時間以上考えて封じ手の定刻になってもまだ羽生は考え続けた。あまりにその時間が長いので、これは異常事態を感じさせた。
 要するに羽生は、ここですでに抜き差しならぬほどにまずい局面になっていると悟ったのだ。羽生は結局2時間30分考えて、36手目を封じた。
 恐ろしいことにすでに勝負ポイントは過ぎており、羽生の長考はそのことを再確認する時間となった。


 飛車先の歩が伸びていないは羽生は、今さら8四歩としてもダメだとみたか、中央での決戦を選んだ。お互いが飛車を中央に振るような決戦になれば、8筋の歩が伸びていないことはあまり関係がなくなる。
 ということで、図のように中央での戦いが始まった。
 この図の「2四歩」は、検討していた控室では全く予想のしていない手だった。
 2四歩を同銀と取らせ(2四同歩は2五歩の継ぎ歩がイヤ)、6五歩、3九角、5八飛とすすむ。羽生の注文通り、中央での戦いになっている。
 しかしその前に、「2四歩、同銀」としておいたことが、終盤で利いてくる。2四銀の形にしておけば、後でそれによって後手玉が「詰み」になるケースがあり、そこに持ち込めば確実に「1手」違う。こうすることで、先手と後手の序盤の飛車先の歩の「1手差」を、森内名人は結局は終盤にまでキープできたのである。


 終盤。今羽生が5五金と打ったところ。
 森内は決めに出る。3二角成、同金、4一銀、3一金、3二金、1二玉、3一金、7二飛に、3二角。
 そこで羽生、投了。

 はらはらするような熱戦を期待して見てしまうので、この森内の内容と結果(森内は勝ってこれで3-1となった)は将棋ファンとしてはむしろ盛り上がりに欠けたが、後でこの将棋を見ると、森内俊之の傑作ともいえる将棋と思う。あまりに完璧な勝ち方だった。



 個人的に印象に強く残った将棋が次の将棋。
 今年の春5月22日の女流王位戦第3局。(これは上の名人戦第4局の対局日の二日目に重なる日の対局だった。)

里見香奈-甲斐智美 2013年 女王位3
 この将棋がまた、“千葉流オープニング”で始まっている。
 まず、振り飛車党である里見香奈の初手2六歩に驚く。後手の甲斐智美の3四歩は、振り飛車党の甲斐さんだから当然で、2五歩、3三角、7六歩とすすむ。
 いったい、何を考えて里見はこのオープニングを選んだのか。これは“千葉流”ではあるが、相手は振り飛車党なので意味づけはまったく違う。単純に、「今日は居飛車で」ということかもしれない。そしてそれなら、「ゴキゲン中飛車封じ」にしてやろうと。そう、たぶん、それが里見の意図だ。(過去記事『“ゴキゲン封じ”と新ゴキゲン』)
 初手より、2六歩、3四歩、2五歩、3三角、7六歩、2二銀、7八金、3二金、4八銀、5二金。
 里見香奈の意図は、前日に指されている名人戦の“森内流”をまねたものではなさそうだ。(森内名人は「6六歩」と突いた。)
 甲斐智美は5二金。どうやら振り飛車にはしないようだ。もともと昔は居飛車党だった甲斐である。


 ここで里見、5六歩と突く。
 この将棋はもう「相居飛車」になることは決定的であり、角を交換すれば「角換わり」になる。そして「角換わり将棋に5筋は突くな」と古くから今日まで言われてきて、いちおうそれが正しいものとして扱われている。だが、そうだろうか。5筋を突いたからといって、そんなに単純に形勢が決まるものではないし、本当のところ、そんな格言など弱い素人に大雑把に理解させるための方便である。
 おそらく、里見は何かテーマを持ってこの形を研究しているに違いない。
 僕が想像するに、たぶん里見のめざす一つの形は、5五歩と位を取って右銀を中央にくり出す、戦前に流行った昔なつかしい戦型なのではないかと思う。彼女はきっとそれを研究しているのだ。
 甲斐智美は、対して5四歩と応じた。たぶん、5筋の位を取られることを察知して、それが嫌だったのだろう。
 それにしても、この娘たちのなんとコクのある応酬か。


 角を交換して、そして里見は矢倉系の「中飛車」に。
 甲斐は図のように、5六歩。 これは、里見が同飛と取れば、△2八角や△3八角が打てるということ。
 ここで里見は1時間以上の長考をして、6六銀と引いた。
 甲斐は2七角と打ち込む。以下、3六角、同角成、同歩、2七角、5四角。 


 ▲5四角とこうなれば先手優勢と読んでいたのが里見、打たれてから、これは苦しい、2七角は失敗だったと悟ったのが甲斐。
 ここで勝負が決した。 このままでは2八飛から角が死ぬ。だから後手は3五歩。
 以下、4八金、3六角成、同角、同歩、5六飛、8六歩、同銀、2八角、3六飛。


 次に▲3四歩がある。それで先手が優勢という。
 それなら後手の手番なので、逆に3四歩として我慢するのがふつうと思うのだが、プロ的にはそれでは勝てないらしい。(よくわからん。)
 ということで、甲斐は1九角成、3四歩、同歩、同飛、2九馬と勝負する。
 しかし、2四歩からの先手の攻めが厳しく、先手里見香奈の勝ち。


 これで里見さんは2勝目となり、女流王位防衛まであと1勝となりましたが、次の第4局、第5局の熱戦2局を制した甲斐さんの逆転奪取、前年に失った「女流王位」のタイトルを奪回しました。
 女流の将棋も、凄い。


 僕は、そのうちに「5筋をお互いに突きあう角換わり」も流行る時期が来るのではないかと思っています。そういう意味で、この将棋にちょっと、心ときめくのです。



藤森哲也-永瀬拓矢 2012年 新人王2
 さて、“千葉流”は、居飛車党相手の特殊戦術と言えますが、同じ手順で「ゴキゲン中飛車」封じにもなっている。だから振り飛車党でも、「ゴキゲン中飛車」だけを指したいという人を相手にするときには、これも有効な指し方。
 ということで、昨年の新人王戦決勝三番勝負「藤森哲哉-永瀬拓矢戦」でも、このオープニングが現れた。これはその第2局。
 初手より、2六歩、3四歩、2五歩、3三角、7六歩、2二飛、3三角成、同桂。
 この型はこの「藤森-永瀬戦」が最初ではないが、実戦例はまだ少ない。
 「3三桂」と跳んだ形が、得なのか損なのか、まだ誰にもわかっていないだろう。
 僕個人は、振り飛車を指した時に、3三桂の形は指したくないなあという漠然とした感覚はある。
 なお、図で6五角(ダイレクト向かい飛車で出てくる筋)は、この場合ははっきり後手良しになって成立しない。6五角には、4五桂がある。4三角成はたいしたことがないが、5七桂不成はきびしい。

 永瀬拓矢が新人王になった。



本田小百合-里見香奈 2010年
 これはネットの早指し将棋の大和証券杯女流最強戦の一戦。
 先手の本田小百合さんが、里見香奈の「ゴキゲン中飛車」を封じるために、2六歩~2五歩のオープニングを採用。
 この7手目6八玉が、本格的な「ゴキゲン封じ」です。6八玉と上がる意味は、先手が角を手離した時の後手からの5五角のラインの角打ちに7七桂とできる(4八銀型だと、角成が防げない)ということかと思いますが、詳しいことは知りません。
 ただ、言えることは、6八玉には、後手は8四歩から居飛車で行くのが有力ということ。だからこの作戦は、居飛車を指しそうにない人を相手に指すのが有効。
 里見さんは5四歩からそれでも中飛車を目指します。どうなるのでしょうか。
 5四歩、3三角成、同銀、5三角。


 里見さんの5四歩は次に5二飛と振るための準備で、これを突かないで5二飛には、6五角と先手に打たれてしまいます。
 本田さんは角を交換して5三角ですが、里見さんは4四角と応じます。9九角成を許すわけにはいかないので、同角成、同歩。以下、7八玉、3二金、5八金、5二飛、、6六歩、6二玉…、お互いに陣形の整備に入ります。


 で、こんな感じに。いったいこれのどこが「ゴキゲン封じ」なのか?
 これは「4四歩」を強要している、という意味だと思います。これによって、後手には4四銀と出る手がなくなっていますし、4三の空間が開いているということで、角打ちのスキも多くなって振り飛車が動きにくくなっている。
 しかしまあ、将棋というのは、こういう地味な違いに注目して工夫を重ねていくゲームなんですなあ…。
 この将棋は、里見さんが勝ちました。



 なんだか最後は「角換わり」のからテーマから逸れてきた感じですが、今日紹介した将棋はすべて「2六歩、3四歩、2五歩、3三角、7六歩」で始まっている将棋です。
 しかしそれが、先手と後手の人の「棋風」の組み合わせによって意味合いが変わってくるんですね。


 今日もまた、最初の予定よりずっと量が多くなってしまい、もう一人、早水千紗さんの角換わり戦術を書くつもりでいたのに、その余裕がなくなりました。ということで、それは次回に。



   『女流プロの「角換わりコンプレックス」1』 石橋幸緒流の3手目7七角、高田流3手目7八金
   『女流プロの「角換わりコンプレックス」2』 千葉涼子流角換わりオープニング(2六歩~2五歩)
   『女流プロの「角換わりコンプレックス」3』 早水千紗流7七桂(3三桂)型角換わり
   『女流プロの「角換わりコンプレックス」4』 後手一手損角換わりの登場と相腰掛銀
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