はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

ある日曜日の朝のこと

2008年04月28日 | はなし
 何回かに分けて、「彼女」に起こったことを話そうと思う。 「彼女」とは、僕の母のことだ。


 僕が15歳か、15歳になる少し前のことだったと思う。
 その日、日曜日の朝、父と母は喧嘩した。この夫婦は1年のうち、1、2回喧嘩をする。たいていは、父の中に溜まっていた小さな不満が、母の言葉をキッカケにして、爆発する。(母への暴力はないが、モノを投げたり壊すのはある。) 怒りを爆発させた後、父は布団の中にカメのように退却する。(2、3日で通常に戻る。)
 「あーあ…」
 よりによって日曜日に喧嘩しなくても…、と、その日僕はがっかりした。土曜日の午後と、日曜日の午前中というのは自分の自由に過ごせる素晴らしい時間なのに、父と母が喧嘩するとその素晴らしきハッピータイムが台無しになってしまう。うちの場合、父と母の寝室が「居間」でもあったので、TVもそこに置いてあるし、そこに機嫌をそこねた父がカメ状態になっている…そんなところでくつろげるわけもない。

 僕は自分の部屋に引っ込み、「あーあ」と思いながら、マンガを読む。

 母は外に出て、草むしりを始めた。父と母の世代の人間は、1日中身体を動かしている。子どもの時から、それが当たり前になっていて、動かすのをやめると調子がわるくなるのではないかと思う。喧嘩をしていなければ父も日曜大工とかに精を出していたはずだ。
 母はすすり泣きをしているようだ。

 2時間が経った。午前11時。そろそろお腹がすいた。
 「あれ…?」 母がまだすすり泣いている。なんかへんだなあ…。そんなにずっと泣くものだろうか? いや、あれはすすり泣いているのとは違うのか?

 昼御飯になった。もう、母は泣いてはいなかった。


 だが、その日から時々、母は家事の作業中に、そういう声を発するようになった。「ヘッ」というような小さな声を出して、息を切るのだ。僕はそれが、気になっていた。あの日より前は、そんなクセはなかったが。


 ずっとずっとずーっと後になって振り返ってみれば、それが母の病気の、僕が気づいた最初の兆候だった。だけれど、それは、後から振り返ってやっとわかることで、他になんの問題も(その時点では)なかったのだ。
 やがて歩けなくなって、しゃべれなくなって、食べることが難しくなるなんて、そんなことになるなんて、その現実は、少年の僕の想像を、はるかに超えていたのだ。
 まったく、世の中は、凄すぎる。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 足尾の山々 | トップ | わたらせの詩 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
違う意味で凄い (無気力ちゃん)
2008-05-13 06:02:17
お母さんは、とっても自分の家族が大事だったのでしょうね。私は彼女のように、強くないし、やさしくもないので家事はもちろん何もできなくなってしまいます。
返信する
はじめまして (han)
2008-05-13 21:37:19
コメントありがとうございます。この記事にコメントをいただけるとは思いませんでした。これは色々と(わざとですが)ぼやかして書いていますので。

わからないこと多いんですよ。というか、わからないことのほうが多いです。
この時期に彼女の内面がどうであったか。知りたいと、今では思いますが、それは無理というもの。
ただ、まだ書いていませんが、この病気、「痛み」は(おそらくですが)ないんですよ。自覚もまだなかった可能性が高いです。
返信する

コメントを投稿

はなし」カテゴリの最新記事