坂田三吉は文字が書けなかったし、読めなかった。こどものとき、勉強がいやで、学校へ行くことを拒んだ。
その坂田三吉が60歳のとき突然「字を習いたい」と言い出した。それで、坂田の代わりに将棋の免状の代筆を行っていた書道家の中村眉山が教えた。が、三つの字をおぼえて、投げ出した。三つの字とは、三吉の「三」と「吉」、それから「馬」である。
坂田三吉は「馬」がとびきり好きだった。子どものときは竹馬に乗るのがとくいであったし、大人になってからは浪曲などで馬の出る物語を好んで何度もなんども聞いていた。
坂田が大阪で「名人」を勝手に名乗ったために、将棋を指せなくなった(対局相手がいない)のは1925年、坂田三吉55歳の時。そこから、木村義雄(後に14世名人になる)との有名な対局「南禅寺の決戦」で復帰するまで11年、その間の坂田三吉は、ほとんど毎日、朝からずっとレコード(蓄音機)で浪曲や講談を聞いて過ごしていたという。
浪曲『曲垣平九郎』(まがきへいくろう)が好きだったという。この中に坂田の大好きな「馬」が登場するのだ。
それで僕は浪曲好きの父に『曲垣平九郎』を聞かせてくれと頼んだことがある。増水した大井川を馬に乗って渡るという話だった。なかなか面白い。ところが、曲垣平九郎が川に馬とともに飛び込んだところではなしが終わっている。これから面白くなりそうなのに…。「ええっ、おわり? オチはないの?」と思ったので、それを父に言うと、浪曲とは、だいたいそんなものという答えである。「オチ」があるのが、落語なのだと。
好きなものは、とことん好きになる(いやなことはぜったいやらない)…それが坂田三吉の生き方らしい。
坂田の書き残した「馬」の字は、まるで生きているようで、かわいらしい。いまにもブルンと鼻を鳴らしながら駆け出していきそうな、そんな「馬」だ。
◇王位戦
深浦康市 3-1 羽生善治
深浦、あと1勝で王位防衛。
◇王座戦 挑戦者決定戦
木村一基 ○-● 谷川浩司
木村一基八段、挑戦者に。(王座は羽生善治)
◇竜王戦 挑戦者決定トーナメント進行中
まず、木村一基が、決勝三番勝負に名乗り。
そして明日13日は、羽生善治・深浦康市がここでも激突。
(個人的には、ここは羽生さんに勝ってもらって、竜王戦の渡辺明・羽生善治の対決が見たいところ。)
その坂田三吉が60歳のとき突然「字を習いたい」と言い出した。それで、坂田の代わりに将棋の免状の代筆を行っていた書道家の中村眉山が教えた。が、三つの字をおぼえて、投げ出した。三つの字とは、三吉の「三」と「吉」、それから「馬」である。
坂田三吉は「馬」がとびきり好きだった。子どものときは竹馬に乗るのがとくいであったし、大人になってからは浪曲などで馬の出る物語を好んで何度もなんども聞いていた。
坂田が大阪で「名人」を勝手に名乗ったために、将棋を指せなくなった(対局相手がいない)のは1925年、坂田三吉55歳の時。そこから、木村義雄(後に14世名人になる)との有名な対局「南禅寺の決戦」で復帰するまで11年、その間の坂田三吉は、ほとんど毎日、朝からずっとレコード(蓄音機)で浪曲や講談を聞いて過ごしていたという。
浪曲『曲垣平九郎』(まがきへいくろう)が好きだったという。この中に坂田の大好きな「馬」が登場するのだ。
それで僕は浪曲好きの父に『曲垣平九郎』を聞かせてくれと頼んだことがある。増水した大井川を馬に乗って渡るという話だった。なかなか面白い。ところが、曲垣平九郎が川に馬とともに飛び込んだところではなしが終わっている。これから面白くなりそうなのに…。「ええっ、おわり? オチはないの?」と思ったので、それを父に言うと、浪曲とは、だいたいそんなものという答えである。「オチ」があるのが、落語なのだと。
好きなものは、とことん好きになる(いやなことはぜったいやらない)…それが坂田三吉の生き方らしい。
坂田の書き残した「馬」の字は、まるで生きているようで、かわいらしい。いまにもブルンと鼻を鳴らしながら駆け出していきそうな、そんな「馬」だ。
◇王位戦
深浦康市 3-1 羽生善治
深浦、あと1勝で王位防衛。
◇王座戦 挑戦者決定戦
木村一基 ○-● 谷川浩司
木村一基八段、挑戦者に。(王座は羽生善治)
◇竜王戦 挑戦者決定トーナメント進行中
まず、木村一基が、決勝三番勝負に名乗り。
そして明日13日は、羽生善治・深浦康市がここでも激突。
(個人的には、ここは羽生さんに勝ってもらって、竜王戦の渡辺明・羽生善治の対決が見たいところ。)
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