昨日ふれた『うつ病の妻と共に』という本についてもう少し書きます。
こういうタイトルを聞くと、だいたい内容が想像できてしまう気がして読む気になれないという人も多いでしょう。想像通り、この本の内容は、著者(御木達哉氏)が、突然うつ病になった妻との生活について綴ったものです。その苦労が描かれています。
ですから内容も暗くなりがちですが、ところが僕の場合、この本を読んだ後の読後感がすごく爽やかだったのです。「ある老夫婦のオモシロ日記」のような印象です。ええ、ホント。
妻の美紗子さんは、52歳で突然、「うつ病」になった。もともと社交的で活発な女性で、運動神経も良い。ただ、家事全般が苦手なところがあり、それが夫御木達哉氏の不満でもあった。ところがその美紗子さんが発病して「うつ病」になったので、この夫婦の生活はガラッと変わる。夫の達哉さんが家事を行うようになった。食事も達哉さんがつくる。美紗子さんの症状は、全身倦怠感、意欲減退、睡眠障害、それに食欲不振だ。今日はどのくらい食べただろうか、今日は眠ってくれるだろうか、妻の一挙手一投足が気にかかる。その内、夫の達哉さんが不眠ぎみになって体重も減ってきた…。
達哉さんが恐れているのは、「うつの発作」だ。昨日の記事で紹介したような「うつの発作」が爆発するのではと、どきどきしながら毎日を送っている。
休日の過ごし方も重大テーマだ。ずっと家の中にいると重苦しくてやりきれない。かといって妻にとって好きでないことをさせて、例の「うつ爆弾」が発火してはたまらない。美紗子さんは、少年野球を観るのが好きらしいとわかり、日曜日には、夫婦であちこちの野球グラウンドを見学に行く。
そうした生活を送るうち、達哉さんは、美紗子さんの小さな変化も見逃さないようになる。なにがきっかけで「うつ爆弾」が爆発するのかわからない。精神科医に聞いてもそれは(一般的なことしか)わからない。しっかり観察するしかないのだ。
ある時、美紗子さんが小さく「鼻歌」を歌った。その時達哉さんは
〔私の胸は喜びのあまり破裂しそうになった〕
そうである。あんまりそれが嬉しいので、だれかに話したいと思い、嫁いでいて子どももいる娘にそれを話すと、娘は「でもまだ本調子じゃない」と冷静に言う。達哉さんにすれば、(そんなことはわかっているさ、でも「よかったね」のひと言がほしい)のである。
僕はこの夫達哉さんのこういう一喜一憂を、「かわいいなあ」と僕は思うのです。
そして妻美紗子さんのキャラも、またこれがおもしろい。
御木達哉さんは、子どものとき、孤児になった。縁があって、育ててくれた人が「雄大な気宇」の持ち主であった。その人が達哉さんに「きみが勉強したいのなら、いくらでも勉強させてあげよう」と言ってくれた。それに甘えるように達哉さんは、大学の法学部を卒業して大学院にまで行った後に、今度はなんと、ドイツ文学の道へ進みたくなった。それをその「育ての父」に申し出ると彼はいやな顔ひとつせず「好きなだけ勉強したらいい」と許してくれた。それで達哉さん、スイスへ行きチューリヒ大学文学科に入る。そこで順調に学び、達哉さんは博士号をとるまで続ける予定でいたが、ある日「育ての父」から手紙が来て、そこには「今度は医学をやったらどうか」と書いてあった。達也さんは、彼のことを深く尊敬し感謝していたので、その言葉に素直に従うことにした。日本へ帰り、大学の医学部に入り、そうして医者(内科医)になるのである。
これほどの人だから、この御木達哉という人は相当能力の高い人だといえる。その人が、妻の「うつ爆弾」にびくびくしながら、家事をしている。次の日曜日はなにをして過ごすかを思案している…。
人間ってかわいいなあ、と(僕は)思うのですよ。ええ。
この妻の美紗子さんは、その、達哉さんを育ててくれた人の娘なのである。孤児である達哉さんをひきとって、このように存分に学ばせたことからわかるように、経済的に裕福な家庭だった。
僕がおもしろいなあ、と思ったのは、そんな裕福な家庭に育った美紗子さんが、すごく吝嗇家、すなわち、「どケチ」なことである。(どうやら環境に左右されない「個性」というものが、人間の中にはあるらしい。)
美紗子さんはうつ病になって、食欲がない。それで、おいしい鮨屋があるからと高級鮨店に連れて行ってもまったく食べない。ところが、安い庶民的な鮨屋だとけっこう食べるという。さらに可笑しいのは、これが、「スーパーの半額鮨」だと喜んでぺろりと一パックを食べるというのである。「食欲」と値段の「安さ」が連動しているのだ。
達哉さんは医師としてずっと働いてきた。経済的な余裕はある。節約せねばならぬ理由などなにもないのに…。
「どうして美紗子はこうも吝嗇(ケチ)なのだろう? 謎だ。」
達哉さんは、不思議に思う。それについてよく考えたことがなかったが、彼女がうつ病になったことで、あらためて考える機会ができたのだ。そしてこの妻の「30年来の謎」が、おぼろげながらも解けてきた。おそらく、「彼女にとって、ケチは趣味なのだ」、と。
若いときには二人でフランス料理もよく行った。ところがそれについて「あのころは、あなたの見栄に付き合っていたの」と妻は言う。ほんとうは嫌だったのだと。
美紗子さんが発病して夫婦で精神科へ行ったとき、美紗子さんの手が達哉さんの眼鏡にのびてきて、その眼鏡をむしりとり、手の中でグシャッとまるめた。なぜそんなことをするのかと夫が聞くと、妻「いちど、こうしてみたかったんだ。」 その眼鏡は女店員の巧妙な話術にのせられて買ってしまった20万円の眼鏡なのだった。
美紗子さんは、うつ病なのだけど、もともとスポーツが得意で、ゴルフも上手い。それで夫婦でゴルフに行ってみる。ところが、夫の達哉さんが下手で、どうにもならない。60近くのトシで体力もない。美紗子さんの足手まといになってしまう。あまりの下手さに、ついに美紗子さんが音をあげた。
「もう、あなたとはゴルフしたくない」
それでゴルフに行くのはやめになった。「それに私、ゴルフは好きじゃなかったのよ。父がやれというからやっていただけなの」 得意だから好きとは限らない、人間の内面はかように微妙である。
そして、病人のほうが、体力があってスポーツがうまい、というのも可笑しい。ゴルフが好きではないというのも、お金がかかるからなのかもしれない。
このように、もしも美紗子さんがうつ病になることなく元気なままでいたら、決してうまれなかったであろうおもしろエピソードがこの本の中には沢山あるのです。
しかし、私が胸を躍らせるような日もある。健康管理センターが休みのある日、美紗子が、ビデオテープが必要か、と尋ねてきた。近所の家電ショップでテープの特売をやっているので、必要なら買ってくる、と言うのである。この四年というもの彼女が一人で買い物に行ったことは只のいちどもなかったので、私は少なからず驚くと同時に、大声を上げて誰かと喜びを分かち合いたい気分であった。
こんな小さなことで、こんなに喜べる… この夫婦、もしかして、すごく、しあわせなのでは?
こういうタイトルを聞くと、だいたい内容が想像できてしまう気がして読む気になれないという人も多いでしょう。想像通り、この本の内容は、著者(御木達哉氏)が、突然うつ病になった妻との生活について綴ったものです。その苦労が描かれています。
ですから内容も暗くなりがちですが、ところが僕の場合、この本を読んだ後の読後感がすごく爽やかだったのです。「ある老夫婦のオモシロ日記」のような印象です。ええ、ホント。
妻の美紗子さんは、52歳で突然、「うつ病」になった。もともと社交的で活発な女性で、運動神経も良い。ただ、家事全般が苦手なところがあり、それが夫御木達哉氏の不満でもあった。ところがその美紗子さんが発病して「うつ病」になったので、この夫婦の生活はガラッと変わる。夫の達哉さんが家事を行うようになった。食事も達哉さんがつくる。美紗子さんの症状は、全身倦怠感、意欲減退、睡眠障害、それに食欲不振だ。今日はどのくらい食べただろうか、今日は眠ってくれるだろうか、妻の一挙手一投足が気にかかる。その内、夫の達哉さんが不眠ぎみになって体重も減ってきた…。
達哉さんが恐れているのは、「うつの発作」だ。昨日の記事で紹介したような「うつの発作」が爆発するのではと、どきどきしながら毎日を送っている。
休日の過ごし方も重大テーマだ。ずっと家の中にいると重苦しくてやりきれない。かといって妻にとって好きでないことをさせて、例の「うつ爆弾」が発火してはたまらない。美紗子さんは、少年野球を観るのが好きらしいとわかり、日曜日には、夫婦であちこちの野球グラウンドを見学に行く。
そうした生活を送るうち、達哉さんは、美紗子さんの小さな変化も見逃さないようになる。なにがきっかけで「うつ爆弾」が爆発するのかわからない。精神科医に聞いてもそれは(一般的なことしか)わからない。しっかり観察するしかないのだ。
ある時、美紗子さんが小さく「鼻歌」を歌った。その時達哉さんは
〔私の胸は喜びのあまり破裂しそうになった〕
そうである。あんまりそれが嬉しいので、だれかに話したいと思い、嫁いでいて子どももいる娘にそれを話すと、娘は「でもまだ本調子じゃない」と冷静に言う。達哉さんにすれば、(そんなことはわかっているさ、でも「よかったね」のひと言がほしい)のである。
僕はこの夫達哉さんのこういう一喜一憂を、「かわいいなあ」と僕は思うのです。
そして妻美紗子さんのキャラも、またこれがおもしろい。
御木達哉さんは、子どものとき、孤児になった。縁があって、育ててくれた人が「雄大な気宇」の持ち主であった。その人が達哉さんに「きみが勉強したいのなら、いくらでも勉強させてあげよう」と言ってくれた。それに甘えるように達哉さんは、大学の法学部を卒業して大学院にまで行った後に、今度はなんと、ドイツ文学の道へ進みたくなった。それをその「育ての父」に申し出ると彼はいやな顔ひとつせず「好きなだけ勉強したらいい」と許してくれた。それで達哉さん、スイスへ行きチューリヒ大学文学科に入る。そこで順調に学び、達哉さんは博士号をとるまで続ける予定でいたが、ある日「育ての父」から手紙が来て、そこには「今度は医学をやったらどうか」と書いてあった。達也さんは、彼のことを深く尊敬し感謝していたので、その言葉に素直に従うことにした。日本へ帰り、大学の医学部に入り、そうして医者(内科医)になるのである。
これほどの人だから、この御木達哉という人は相当能力の高い人だといえる。その人が、妻の「うつ爆弾」にびくびくしながら、家事をしている。次の日曜日はなにをして過ごすかを思案している…。
人間ってかわいいなあ、と(僕は)思うのですよ。ええ。
この妻の美紗子さんは、その、達哉さんを育ててくれた人の娘なのである。孤児である達哉さんをひきとって、このように存分に学ばせたことからわかるように、経済的に裕福な家庭だった。
僕がおもしろいなあ、と思ったのは、そんな裕福な家庭に育った美紗子さんが、すごく吝嗇家、すなわち、「どケチ」なことである。(どうやら環境に左右されない「個性」というものが、人間の中にはあるらしい。)
美紗子さんはうつ病になって、食欲がない。それで、おいしい鮨屋があるからと高級鮨店に連れて行ってもまったく食べない。ところが、安い庶民的な鮨屋だとけっこう食べるという。さらに可笑しいのは、これが、「スーパーの半額鮨」だと喜んでぺろりと一パックを食べるというのである。「食欲」と値段の「安さ」が連動しているのだ。
達哉さんは医師としてずっと働いてきた。経済的な余裕はある。節約せねばならぬ理由などなにもないのに…。
「どうして美紗子はこうも吝嗇(ケチ)なのだろう? 謎だ。」
達哉さんは、不思議に思う。それについてよく考えたことがなかったが、彼女がうつ病になったことで、あらためて考える機会ができたのだ。そしてこの妻の「30年来の謎」が、おぼろげながらも解けてきた。おそらく、「彼女にとって、ケチは趣味なのだ」、と。
若いときには二人でフランス料理もよく行った。ところがそれについて「あのころは、あなたの見栄に付き合っていたの」と妻は言う。ほんとうは嫌だったのだと。
美紗子さんが発病して夫婦で精神科へ行ったとき、美紗子さんの手が達哉さんの眼鏡にのびてきて、その眼鏡をむしりとり、手の中でグシャッとまるめた。なぜそんなことをするのかと夫が聞くと、妻「いちど、こうしてみたかったんだ。」 その眼鏡は女店員の巧妙な話術にのせられて買ってしまった20万円の眼鏡なのだった。
美紗子さんは、うつ病なのだけど、もともとスポーツが得意で、ゴルフも上手い。それで夫婦でゴルフに行ってみる。ところが、夫の達哉さんが下手で、どうにもならない。60近くのトシで体力もない。美紗子さんの足手まといになってしまう。あまりの下手さに、ついに美紗子さんが音をあげた。
「もう、あなたとはゴルフしたくない」
それでゴルフに行くのはやめになった。「それに私、ゴルフは好きじゃなかったのよ。父がやれというからやっていただけなの」 得意だから好きとは限らない、人間の内面はかように微妙である。
そして、病人のほうが、体力があってスポーツがうまい、というのも可笑しい。ゴルフが好きではないというのも、お金がかかるからなのかもしれない。
このように、もしも美紗子さんがうつ病になることなく元気なままでいたら、決してうまれなかったであろうおもしろエピソードがこの本の中には沢山あるのです。
しかし、私が胸を躍らせるような日もある。健康管理センターが休みのある日、美紗子が、ビデオテープが必要か、と尋ねてきた。近所の家電ショップでテープの特売をやっているので、必要なら買ってくる、と言うのである。この四年というもの彼女が一人で買い物に行ったことは只のいちどもなかったので、私は少なからず驚くと同時に、大声を上げて誰かと喜びを分かち合いたい気分であった。
こんな小さなことで、こんなに喜べる… この夫婦、もしかして、すごく、しあわせなのでは?
自分が今気持ちがネガティブなのでー。
すごい本でした。
くどい言い回しが(敢えてそのまま本にしたんでしょう)余計に心情を表しているように思います。
「夫婦ってこう言うもんだ」と突きつけられたような、愛情を超えた夫婦愛(?)と言うか。
何故快方に向かったのかわからないですが、“心の風邪”は治癒までに時間も必要なんでしょうか。
たぶんこのレベルになると、「治す」なんて力むとその分だけ苦労が増幅するんです。まあ、想像ですが。
この筆者の、誠実さがいいとおもうんです。