霞が関に用事があって(じつは僕のシゴトは刑事なので…ごめんなさい嘘です!)、でも1時間も早かったのでコーヒーを飲もうと日比谷公園を歩いて有楽町方面へ。すると僕の目の前に…、「ゴジラ」氏が現れました!!
以前このあたりに来た時(数年前ですが)には捜しても見つからなかった「ゴジラ像」ですが、突然の邂逅です。 (どうも僕には“努力をやめるとある日偶然思いが叶うの法則”がつきまとっているように思います。)
『このゴジラが最後の一匹だとは思えない』、とあります。
ゴジラは「南海」で生まれました。
「南海」とはどこでしょう?
水爆実験が行われたビキニ環礁でしょうか。ビキニ環礁は「マーシャル諸島」に属しています。「マーシャル諸島」はかつて日本の植民地でした。第2次世界大戦時のことではなく、それよりも前、第1次世界大戦時(1914年~)からのことで、しかも列強国はそれを承認していたんですね。もともとはドイツの植民地でそれをヨーロッパの戦争に乗じて日本が奪ったカタチです。
‘水爆’は水素と水素の核融合による反応で、太陽が燃えているのはこの原理によります。
3、40年ほど前のSF小説などには、この「核融合エンジン」を動力とした宇宙船が未来のエンジンとしてよく出てきます。科学者はいまもこの「核融合」を未来のエネルギー元として研究していますが、まだ実用化できていません。
‘水爆’は60年も前に実現したというのに。
つまり核融合で、「いっぺんにエネルギーを解放する」ことはできても、それを連続的に、コントロールしつつ取り出すことができていないようです。 それでも、科学者達は、‘水爆’が出来た時点であと30年もあれば実現するだろう、という感覚でいたのではないでしょうか。 1930年代には絶対不可能と考えられていた原子爆弾(核分裂爆弾)、水素爆弾が短期間に(わずか十数年で!)実現してしまったものですから。
しかも‘水爆’は、(理論的にはですが)いくらでも巨大な威力を持つ爆弾となります。「核分裂」による原子爆弾の場合は、“臨界量”というものがあって、ある一定の大きさ以上の威力の爆弾はつくれません。しかし‘水爆’はそれをどんどん超えることができるのです。
「核融合」は核分裂のように放射性廃棄物を生みません。とはいっても、‘水爆’はご存知の通り「被爆者」をつくります。 どういうことかというと、「核融合」反応を行うためには巨大な熱量を必要とします。(太陽並みの温度の。) それで‘水爆’はその「巨大な熱量」を核分裂、つまり原子爆弾によってつくり出すのです。原爆を爆発させた上でその熱をつかって核融合を行う――ということです。
はじめ“スーパー”と呼ばれていたその超大型爆弾にずっと執念を燃やして関わっていたのが、ハンガリー生まれの物理学者エドワード・テラーである。ポーランド生まれの数学者スタニワフ・ウラムとともに‘水爆’の実現のために創案したアイデアは「テラーウラム配置」と呼ばれている。
20世紀前半、なぜかハンガリーとポーランドでは同時期に数多くの物理学者・数学者の天才がそろって生まれ出ている。(たとえばフォン・ノイマンもその一人である。) それについて、なぜだろう…という話になったときある物理学者(フスターマンス)はこう言ったという。「彼らは、火星人なんだよ。」
1952年、水爆実験後の廃棄物の中から今までに確認されたことのない「超ウラン元素」(ウランの原子番号は92だが、それよりも大きな原子番号をもつ元素をこう呼ぶ)が2種類見つかった。 そのうち、99番元素には「アインスタイニウム」、100番元素には「フェルミウム」と名前が付けられた。
こうした「超ウラン元素」は、宇宙の星々の“超新星爆発”によって生まれているが、寿命がとても短いので、今の地球上には存在していないものである。
『鉄腕アトム』は1951年に生まれました。アトムは原子力を動力とします。
この頃、日本でも「原子力の平和利用」ということがうたわれ、積極的に導入しようという空気があったようです。その空気を読んで、アトムが誕生したんですね。
“放射能”についての認識が、大衆にはまだあまりなかったようですね。 漫画『夕凪の街 桜の国』にもあるように、原爆による被爆者の人々はひっそりと黙って暮らしていたのです。(これじゃあいかん、原爆のことをしゃべろうじゃないか、と神奈川で大作『原爆の図』を描き始めたのが丸木位里・赤松俊子夫妻。1950年)
ところが1954年3月アメリカのビキニ環礁おける水爆実験による「第五福竜丸被爆事件」で風向きが変化します。 被爆? なんだ? 世間が“放射能”のむごさを認識しはじめたのです。同時にどんどん巨大化していく科学兵器に恐怖と不安をもちはじめます。
そうして映画『ゴジラ』が誕生したのです。1954年11月。
この『ゴジラ』は暗い映画です。おそろしく暗い。
モスラもまた「南海」で生まれました。
「南海」のやはり放射能に汚染された島です。(「インファント島」でしたね。) いずれにせよ「南海」は日本人にとって、なにか心の奥底と繋がりがあるようにも思えてきます。
しかし映画『モスラ』(1961年)では登場する人々がコミカルです。 日本人がどうしようもない暗さから脱皮した姿がモスラとなって現れたのかもしれません。
日比谷シャンテ前のこの「ゴジラ像」の側にはファーストキッチンがあり、この店がなかなか感じがよかったのですが、その店の中から見えるゴジラ像を一枚。
ゴジラはこの先、東京スカイツリーと相まみえることになるのでしょうか?
しかしリアルに考えるならば、ゴジラ体長50メートル、スカイツリーはその10倍以上あって、むしろゴジラはちっぽけな存在になってしまいます。
ゴジラの息子がスカイツリーに昇って降りれなくなって哭いている、親ゴジラはオロオロ…、それはかわいそうだ、さあ救出作戦だ、そしてたすかってああよかったね、というようなほのぼのストーリーはどうでしょう? 「南海」に帰ったゴジラから後でお礼の絵葉書が関係者に届く、というオチで。
以前このあたりに来た時(数年前ですが)には捜しても見つからなかった「ゴジラ像」ですが、突然の邂逅です。 (どうも僕には“努力をやめるとある日偶然思いが叶うの法則”がつきまとっているように思います。)
『このゴジラが最後の一匹だとは思えない』、とあります。
ゴジラは「南海」で生まれました。
「南海」とはどこでしょう?
水爆実験が行われたビキニ環礁でしょうか。ビキニ環礁は「マーシャル諸島」に属しています。「マーシャル諸島」はかつて日本の植民地でした。第2次世界大戦時のことではなく、それよりも前、第1次世界大戦時(1914年~)からのことで、しかも列強国はそれを承認していたんですね。もともとはドイツの植民地でそれをヨーロッパの戦争に乗じて日本が奪ったカタチです。
‘水爆’は水素と水素の核融合による反応で、太陽が燃えているのはこの原理によります。
3、40年ほど前のSF小説などには、この「核融合エンジン」を動力とした宇宙船が未来のエンジンとしてよく出てきます。科学者はいまもこの「核融合」を未来のエネルギー元として研究していますが、まだ実用化できていません。
‘水爆’は60年も前に実現したというのに。
つまり核融合で、「いっぺんにエネルギーを解放する」ことはできても、それを連続的に、コントロールしつつ取り出すことができていないようです。 それでも、科学者達は、‘水爆’が出来た時点であと30年もあれば実現するだろう、という感覚でいたのではないでしょうか。 1930年代には絶対不可能と考えられていた原子爆弾(核分裂爆弾)、水素爆弾が短期間に(わずか十数年で!)実現してしまったものですから。
しかも‘水爆’は、(理論的にはですが)いくらでも巨大な威力を持つ爆弾となります。「核分裂」による原子爆弾の場合は、“臨界量”というものがあって、ある一定の大きさ以上の威力の爆弾はつくれません。しかし‘水爆’はそれをどんどん超えることができるのです。
「核融合」は核分裂のように放射性廃棄物を生みません。とはいっても、‘水爆’はご存知の通り「被爆者」をつくります。 どういうことかというと、「核融合」反応を行うためには巨大な熱量を必要とします。(太陽並みの温度の。) それで‘水爆’はその「巨大な熱量」を核分裂、つまり原子爆弾によってつくり出すのです。原爆を爆発させた上でその熱をつかって核融合を行う――ということです。
はじめ“スーパー”と呼ばれていたその超大型爆弾にずっと執念を燃やして関わっていたのが、ハンガリー生まれの物理学者エドワード・テラーである。ポーランド生まれの数学者スタニワフ・ウラムとともに‘水爆’の実現のために創案したアイデアは「テラーウラム配置」と呼ばれている。
20世紀前半、なぜかハンガリーとポーランドでは同時期に数多くの物理学者・数学者の天才がそろって生まれ出ている。(たとえばフォン・ノイマンもその一人である。) それについて、なぜだろう…という話になったときある物理学者(フスターマンス)はこう言ったという。「彼らは、火星人なんだよ。」
1952年、水爆実験後の廃棄物の中から今までに確認されたことのない「超ウラン元素」(ウランの原子番号は92だが、それよりも大きな原子番号をもつ元素をこう呼ぶ)が2種類見つかった。 そのうち、99番元素には「アインスタイニウム」、100番元素には「フェルミウム」と名前が付けられた。
こうした「超ウラン元素」は、宇宙の星々の“超新星爆発”によって生まれているが、寿命がとても短いので、今の地球上には存在していないものである。
『鉄腕アトム』は1951年に生まれました。アトムは原子力を動力とします。
この頃、日本でも「原子力の平和利用」ということがうたわれ、積極的に導入しようという空気があったようです。その空気を読んで、アトムが誕生したんですね。
“放射能”についての認識が、大衆にはまだあまりなかったようですね。 漫画『夕凪の街 桜の国』にもあるように、原爆による被爆者の人々はひっそりと黙って暮らしていたのです。(これじゃあいかん、原爆のことをしゃべろうじゃないか、と神奈川で大作『原爆の図』を描き始めたのが丸木位里・赤松俊子夫妻。1950年)
ところが1954年3月アメリカのビキニ環礁おける水爆実験による「第五福竜丸被爆事件」で風向きが変化します。 被爆? なんだ? 世間が“放射能”のむごさを認識しはじめたのです。同時にどんどん巨大化していく科学兵器に恐怖と不安をもちはじめます。
そうして映画『ゴジラ』が誕生したのです。1954年11月。
この『ゴジラ』は暗い映画です。おそろしく暗い。
モスラもまた「南海」で生まれました。
「南海」のやはり放射能に汚染された島です。(「インファント島」でしたね。) いずれにせよ「南海」は日本人にとって、なにか心の奥底と繋がりがあるようにも思えてきます。
しかし映画『モスラ』(1961年)では登場する人々がコミカルです。 日本人がどうしようもない暗さから脱皮した姿がモスラとなって現れたのかもしれません。
日比谷シャンテ前のこの「ゴジラ像」の側にはファーストキッチンがあり、この店がなかなか感じがよかったのですが、その店の中から見えるゴジラ像を一枚。
ゴジラはこの先、東京スカイツリーと相まみえることになるのでしょうか?
しかしリアルに考えるならば、ゴジラ体長50メートル、スカイツリーはその10倍以上あって、むしろゴジラはちっぽけな存在になってしまいます。
ゴジラの息子がスカイツリーに昇って降りれなくなって哭いている、親ゴジラはオロオロ…、それはかわいそうだ、さあ救出作戦だ、そしてたすかってああよかったね、というようなほのぼのストーリーはどうでしょう? 「南海」に帰ったゴジラから後でお礼の絵葉書が関係者に届く、というオチで。
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