はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

矢倉vs雁木 2  昭和の雁木  松浦-真部戦

2014年08月02日 | しょうぎ
 これは1986年名将戦「松浦隆一-真部一男戦」の最終盤の局面。いま、先手の松浦さんが8九香と受けたところ。
 後手真部一男の手番ですが、どう指すのが正解でしょうか。
 後手玉には“詰み”はありません。なので先手玉に“詰めろ”をかければ良いのですが、その手段がむつかしい。
 6八竜が指したい手ですが、それだと後手玉に“詰み”が生じるのです。4五桂、同歩、2二角、4二玉、3一竜、5三玉、4四金、6三玉、5四金以下の詰み。
 4三玉とこの局面で逃げるのは、6一銀が“詰めろ”でやはり先手勝ち。
 さあ、どうする、真部?


 今日はこの「松浦隆一-真部一男戦」を鑑賞します。 後手の真部一男さんが「雁木」に囲った将棋です。


図1

▲7六歩 △8四歩 ▲6八銀 △3四歩 ▲7七銀 (図1)
△4二銀 ▲4八銀 △5四歩 ▲5六歩 △6二銀 ▲2六歩 △3二金 ▲7八金 △4一玉
▲6九玉 △7四歩 ▲5八金 △5三銀右

 この将棋は図のように「5手目7七銀」のオープニングで始まっています。
 今は「5手目6六歩」から矢倉に組むのが主流になりました。

 先手が「矢倉」を指したいときに、「5手目6六歩」から始めるのは、昭和の終わり頃から徐々に指されはじめ、 1995年以降は「5手目7七銀」よりも、「6六歩」が主流となりました。
 その意味でこの「5手目7七銀」は“昭和の手”ですね。
 これは塚田正夫さんが指し始めて戦後になって流行した駒組です。
 「相矢倉」自体が戦後になってから流行した戦型で、戦前には「矢倉」はほとんど指されていません。そのことは木村名人の棋譜を調べてもらえればはっきりわかります。戦前・戦中の昭和初期は、「相掛かり」が全盛の時代でした。
 江戸時代の末期に、相矢倉は少し流行りましたが、昭和(戦後)のように主流になるほどのものではありません。

塚田正夫-金子金五郎 1941年
 そんな時代の中、戦時中から塚田正夫は、先手番の時に、このように「5手目7七銀」から「相矢倉」に誘導していたのです。だからこれ、“塚田流”と呼ばれていたのです。
 「棋譜でーたべーす」を調べると、この「塚田-金子戦」の前に、「5手目7七銀」を使っている棋譜は、たった一局しかありません。1920年の「石原丈石-花田長太郎戦」です。つまり、それ以前――江戸時代・明治・大正――には、「5手目7七銀」のオープニングは一つの前例もない、ということになります。
 この「5手目7七銀」からの「相矢倉」を原動力として、1946年に創設された第1期A級順位戦を優勝し、名人にまで駆け上ったのが塚田正夫です。つまり、「相矢倉ブーム」の先頭を走っていたのが塚田さんなのです。そうしてみると、「升田幸三賞」を受賞するのにもっともふさわしい人は、塚田正夫さんなのかもしれないと僕は思うのです(笑)。

 
   「木村義雄-塚田正夫」1947年名人戦の本ブログの記事
     『端攻め時代の曙光2
     『端攻め時代の曙光』 
     『超急戦! 後手5五歩位取りvs先手横歩取り
     『新名人、その男の名は塚田正夫


図2
▲5七銀
 「後手5三銀右戦法」。
 これは次に5五歩からの歩交換をして局面をリードする作戦です。この作戦は90年代には“郷田流”、2000年代には“阿久津流”とも呼ばれましたが、どうやら80年代からあったようです。
 いつからこの「後手5三銀右戦法」が指され始めたのか、気になったので調べてみました。僕が調べた限りでは、次の将棋、1980年のNHK杯「米長邦雄-佐伯昌優戦」が最も古かったです。

米長邦雄-佐伯昌優 1980年
 とすると、これは佐伯さんの考えた新戦法でしょうか。この「後手5三銀右戦法」は1984年頃から徐々に指されるようになりました。後に現れた「中原流急戦矢倉」なども、この「後手5三銀右」からの発展形です。5二金と上がる前に5三銀右とするのがポイントで、後で5二飛と中飛車にする可能性を残している。
 佐伯昌優さんは神奈川県の藤沢に将棋道場を開かれていまして、佐伯さんの弟子には、中村修、北浜健介、斎田晴子、高橋和、中村真梨花がいます。


図3
▲5七銀 △4四歩 ▲7九角 △5二金 ▲6六歩 △4三銀 ▲6七金右 △8五歩
▲2五歩 △3三角
 そして、その「後手5三銀右」に対して、先手が「5七銀」と指した最初の棋譜が(筆者の調べた範囲では)この「松浦嶐一-真部一男戦」なのです。とすると、「5七銀」は、松浦隆一の新手かも、ということになる。

 松浦隆一、1951年生まれ、東京都出身、丸田祐三門下。2011年に引退。
 『将棋世界』に鈴木輝彦さんの対談の連載があったが、その時に登場した松浦さんは、“失踪”のエピソードを語っている。「林葉さんの事があるまでは、僕の失踪事件が有名だった」と。
 あるとき、将棋連盟に女の人から電話がかかってきて、うちの松浦が家に帰ってこないのだが、という。松浦さんは結婚したことを棋士仲間にも知らせていなかったらしく、「おい、松浦さん、結婚していたのか?」ということで二重の驚きで話題になったようだ。「失踪」は、結局、二日間家を空けて麻雀を打っていただけのことだった。それよりも、電話してきた結婚相手の女性が上海生まれの中国人ということが、また連盟のなかで話題になったのだった。

 さて、実戦の先手の「5七銀」。
 こう構えられると後手も5五歩からの歩交換はしにくいということで、後手は別の作戦をとることになる。6四銀や、4四銀という指し方もありますが、真部さんは4四歩からの「雁木囲い」の作戦を選択しました。



図4
▲6八角 △5一角 ▲7九玉 △9四歩 ▲9六歩 △6四歩
 先手の2五歩に、後手が3三角としたところ。
 でもこの3三角はじつは後手にとって危険な手で、6四歩が無難。(前回紹介した2013年「羽生-中村戦」では6四歩でした。) 3三角に、4八銀、5一角、2四歩、同歩、同角、となったときに、後手が角交換を避けたいなら、そこで3三桂か7三角だが、3三桂は4六角が飛車取りになってダメ。だから7三角ですが、そこで4六角、同角、2一飛成(参考図a)、
参考図a
 と、こういういう変化があって、これを覚悟しなければならない。以下、3一金なら、1一竜で、次に2三桂がある。
 真部さんがどういう読みだったかはわかりませんが、あるいは角交換をするならどうぞというつもりだったかもしれませんね。

 松浦さんは6八角でした。


図5
▲3六歩 △3一玉 ▲1六歩 △1四歩 ▲4八銀
 さて図5。 この局面は、前回紹介した「羽生善治-中村太地戦」と、9筋の端歩の突き合いを除けば、同じ局面になっています。
 羽生さんは後手の攻めを警戒して8八銀と指したのでした。

羽生善治-中村太地 2013年

 松浦さんの指し手は3六歩。
 真部さんは3一玉。
 「雁木」では、4一玉のまま戦うことも多いのですが、その場合は相手に飛車を持たれたときに5一の地点で受けなければならなくなる。だからできるなら、3一玉としておきたい。
 しかしここでは8四角~7三桂~6五桂という形を早くつくると、後手が指しやすくなるのでは、ということで最近この型での「雁木」が見直されている。(これについては前回記事参照のこと)


図6
△7三角 ▲3七桂 △2二玉 ▲2四歩 △同歩 ▲同角 △2三歩
▲5七角 △6二飛 ▲8八玉 △6五歩
 ここで先手松浦さんは4八銀として、角筋を通しました。「矢倉」で5七銀と上がると角が使いにくくなる。それが付け目で「5七銀」を見て後手は「雁木」を選択したのでした。松浦さんは手損を甘んじて角道を通すことを選んだのです。


図7
▲6五同歩 △同飛 ▲1五歩 △同歩 ▲1三歩
 後手の真部さんがここで仕掛けました。
 先手は2手損していて、右の銀が働いていない。しかし“玉の堅さ”ではやはり先手の「矢倉」のほうが勝っている。


図8
△5一角
 6五歩、同歩、同飛の瞬間、松浦さんは1五歩、同歩、1三歩と端攻めを敢行した。「雁木」の弱点は、端。
 真部さんはここで5一角と受けた。

 この手では1三同香と取る手もあるようです。その場合、松浦さんはどう攻める予定だったのでしょうね。1三同角成、同桂、1四歩でしょうか。ソフト「激指13」で調べるとその変化も「互角」になります。
 ただし、1三同角成、同桂に、6六香はダメです。
参考図b
 それは2五飛(参考図b)で、先手が悪い。角の睨みが利いていることを忘れてはいけません。2六歩と受けても、2四飛とされて、次に後手からの3五歩の桂頭攻めがある。
 (追記: 訂正します。ここ、気になってもう一度この参考図b以下を検討し直してみました。2五同桂、2八角成、1三桂成、同玉、1五香、1四歩、1一飛、2四玉、1四飛成、3三玉以下、これは後手も受けがたいへんそうです。この変化も「互角」ということに訂正させてください。なお、「激指13」の評価は3三玉のところ「-476 後手有利」と出ています。)


図9
▲2五飛 △同飛 ▲同桂 △2九飛 ▲6一飛 △7三桂 ▲6四歩 △6二歩
▲9一飛成 △2五飛成
 図9。 ここで松浦さんは2五飛と指しました。飛車の交換をして攻め合うということですが、他の手段はどうだったでしょうか。
 感覚的なものですが、ここは飛車交換しないで先手が優勢になる手段がありそうな気がします。「激指13」で調べてみても、どの変化も「互角」ばかりなので、はっきりとはわかりません。僕は3五歩がいいんじゃないかと思いました。3五同歩なら、4六角と出る。以下7三桂には、1五香(参考図c)。
参考図c
 これを同角なら、以下、7三角成、3六歩、2五桂、2六香、2七歩、同香成、同飛、4八角成、6六香、3五飛、6三香成、のような展開が予想される。


図10
▲9三角成 △6五桂 ▲6六銀 △6四銀
 こうなってみると、これは後手にとって“やりがいのある局面”になっていると感じます。
 ここで先手は9三角成としました。当然こう指したいところですが、「激指13」は別の手を第1候補手にしていまして、それが次の図の4六角。
参考図d
 図10の場面で後手が指したい手は、6五桂と、2八竜です。それをあらかじめ受ける意味で、9三角成があるわけですが、この4六角は後手の2八竜も消しています。(後手4五歩には3七角とする。)条件によっては2八香と打つ手もあります。
 この4六角がこの場合良い手かどうかはわかりませんが、9三角成と成れるところで4六角という手はなかなか浮かびません。


図11
▲6五銀 △同銀 ▲7七桂 △5八銀
 ここで松浦さんは6五銀、同銀、7七桂と指しました。6五銀、同銀とすることで、9三の馬筋を通して、後手の2八竜の銀香両取りを受ける意味があります。
 6五銀、同銀に、そこで5三香という手もあります。以下、4二角、5二香成、同銀となって金が取れますが、ここで相手に香車を渡すのは怖いかもしれません。後手からの7六銀、同金、7五香のような手段も生まれますから。


図12
▲5七馬 △6七銀成 ▲同金 △2四角
 7七桂に、真部さんは5八銀と銀を打ち込んできました。なるほど、6八金と引けば、7六銀だ。7六銀、5八金、7五桂という攻めになる。以下は、9四馬、2九竜、3九香、1九竜、8五桂、8六歩、同歩、2八竜が一例です。


図13
▲2四同馬 △同歩 ▲2三香
 松浦さんは5七馬から馬を引きつけ、真部さんは2四角で角交換を迫る。働いていなかった5一の角と、めちゃめちゃ働いている先手の馬の交換を迫る手だから、2四角は“筋のよい”、気持ちの良い手といえる。しかし、2四同馬、同歩、2三香からの先手の攻めも相当に厳しかった。

 後手の2四角で、他の手はないのだろうか。「激指」を使って考えてみた。
 2四角のかわりに、8六歩という手がある。以下、同歩、7六銀、同金、7五桂、7九桂、8七歩(同桂なら6七金)、9七玉、2四角。
参考図e
 こうなれば、これは後手が良いのではないかと思う。以下、3五歩、同角、4六歩、2八竜で、次に4八竜と銀を取った手が“詰めろ”になる。
   

図14
△2三同玉 ▲2一龍 △2二金打 ▲1一龍 △6六香 ▲5七金 △6八香成
▲6五桂 △同龍 ▲1四桂 △7九角 ▲9八玉 △7八成香
 さて、「松浦-真部戦」は、2四同馬、同歩、2三香。
 真部さんはこれを同玉。当然こう取るのがベストと読んでこう指したのだろうが、「2三同金」の変化もあるかもしれないので、これは最後に検討してみよう。
 また、2三同玉、2一竜に、「2二香合」や、「2二桂合」の変化はどうなるか。それも後で検討する。

 実戦は、2一竜の王手を2二金打と“先手”を取って受けた。“先手”を取ることもあるが、もしここに香車を使ってしまうと次の6六香は指せなくなる。この6六香からの攻めが、真部さんの予定の攻めの組み立てだったのだろう。
 しかし松浦さんの1四桂も好手で、これがあるからさっきの2二金打がどうだったかということになる。


図15
▲2二桂成 △3三玉 ▲3二成桂 △同銀 ▲8九香
 後手は7八成香とわかりやすく迫っている。
 先手は2二桂成から金を二枚取って、8九香と受けた。
 なお、図15からの手順で、先手の2二桂成に対して、後手が同金と取るのは、1四銀(同玉なら2六桂から詰み)、3三玉、8九香となりますが、これは筆者の検討の結果では、「先手勝ち」となりました。


図16(=出題図)
△7七成香 ▲4五桂
 さてさて、ここが“問題の局面”です。
 後手の真部さんは、きっとこの場面を想定していたのだろうと思います。そしてここで、勝ちがある、と。

 しかし、6五の竜が動くと後手玉が(▲4五桂から)詰んでしまうのでは困った。

 (A)それなら、逆に後手からここで△4五桂はどうだろう。これは先手玉への“詰めろ”ではないが、次に金を取る手があって、これで竜が自由に動けるようになる。
参考図f
 だが、それは3一竜で「先手勝ち」。 次に4二銀、同金、1一角、4三玉、4四角成、同玉、4二竜という詰みがあり、それを受ける手もない。

 (B)9五桂という手がある。これは面白そうだ。
参考図g
 これはなかなか素晴らしい手で、先手玉への“詰めろ”になっている。その手順は、8七桂成、同玉、9五桂、である。もう一度9五に桂馬を打つ。9八玉と逃げれば8六桂、同香、8八角成まで。9五同歩なら、8六歩で、以下、同玉に6八角成からの詰みとなる。
 問題は、最初の9五桂に、同歩と応じられた場合で、以下、9六桂、9七銀、8九成香で次の図。
参考図h
 この8九成香を同玉は、7七桂、9八玉、6八竜まで。
 “これで後手勝ち”であれば、素晴らしい。
 ところが残念、そこで4五桂と打って、先手が勝ちになるようだ。同歩なら、2二角、4二玉、3一竜、5三玉、8九玉。4五同竜なら、8九玉で、先手玉に詰みはなく、後手の攻めは続かない。


図17
△4五同龍 ▲2二銀 △4三玉 ▲6四銀 △3五歩 ▲4一龍
 真部さんは、7七香成と指した。次に6八竜からの“詰めろ”だが、ここではおそらく、自らの“負け”を悟っての指し手でしょう。
 先手松浦隆一、4五桂。やはりここでもこの手が決め手になる。これは同歩と取ると2二角~7七角成。なので後手は4五同竜しかないが、すると先手玉は安全になり、あとは後手玉に“詰めろ”をかけていけばよい。

 つまり、図16(出題図)では、もう後手の真部一男に勝ちはなかったのでした。

投了図
まで107手で先手松浦隆一の勝ち




【終盤、後手に勝ちはなかったのか】
 最後に、検討しておきます。
 図13での2四角(角交換を後手から迫った手)以下、後手に勝ちがあったのかどうかについて。

再掲 図14
 図13から、2四同馬、同歩、2三香として、この図14。
 ここで「2三同金」と取ってみる。
 この手は、3一角、3三玉、6四角成となって、この6四角成が良さそうな手なので、それで真部さんはこの手を深くは考えなかったのかもしれません。しかし、以下、5一香、6五桂、2九竜、5九銀打(参考図i)と進んで、どうでしょうか。
参考図i
 これは後手が指せそうな気がするのですが、でも、後手の次の手がむつかしい。「形勢不明」としておきます。



参考図j
 次に、図14から、2三同玉、2一竜に、(ア)2二香合はどうでしょうか。
 2二香合、6五桂、4九角、7八銀、6四桂。
参考図k
 これも「形勢不明」。つまり、先手後手どちらもやれる、これからの勝負ということです。
 途中、6五桂を同竜と取るのもありますが、これは1四銀、同玉、2六桂、2三玉、3五桂、3三玉、4三桂成、同玉、4一銀、というような手段が先手から生じます。これも「互角」です。


参考図l
 さらに(イ)2二桂合を調べます。
 実はこの変化が(後手にとって)最も有力だと判明しました。
 2二桂合、6五桂、同竜、6六銀、同竜、同金、6八銀。
参考図m
 これで「後手良し」。 7八飛という受けがありますが、それには、6五桂、同金、6七金と迫って良し。
 「激指13」の評価値は、「-1208 後手優勢」
 このときに、後手は香車を持っているほうが攻めに厚みが出るようです。だから2二は「桂合」がよい。
 なお、6六銀の受けで、かわりに6六桂なら、6四桂と打って、先手先手で攻めていけます。
 (ただし、やはり6五同竜に、1四銀、同玉、2六桂以下の攻めはある。その場合の「激指」の評価値は「-586 後手有利」)


 以上のことから、図14以下、はっきりした後手の勝ちはなかったものの、後手にとっての有力な変化はあった、というのが結論です。全体的には、後手有望のながれです。 15図になると、「先手勝ち」です。



 「雁木」の将棋、調べてみると面白いですね。
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