浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「講演集」より。

2014-06-15 02:42:11 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   ~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~


           講演集 一

 

     「組織には業がつきまとう」


今ここに寄せてもらいます道中の新幹線で、
隣り合せた男の方から、ある宗教に入って苦しんでおられる話を
聞かせてもらいました。
その方は戦地で1・5メートルの所に爆弾が落ちて意識不明になり、
耳の鼓膜に両方とも穴があき、目は片方が眼底出血して、以来ずっと
困っておられるそうです。

たまたま娘さんの家に行きました時に、見えなかった目が突然に見え、
耳もよく聞こえるようになったそうで、
そういうことがあって自分のほうから娘さんのご主人の信仰される宗教へ
入信を申し出たと話しておられました。
初めのうちはよかったのですが、
折伏とか題目とか選挙の時とか組織の活動というものがあって、
どんな組織でもそうですが、ことに宗教においては、
組織がなかったら広がらないのですね。
組織を作れば組織そのものに業がついて回ります。

組織ができれば信者さんを増やさなくてはいけない、
これも業の一つです。
組織を運営する為にはお金が必要になってきます。
そのお金を集めるというのも業です。
次に拝む対象を作り、お社とか御本尊とかを拝まされます。
そして信仰をやめようとしてその組織から出ようとすると、
やめたら罰が当たるという脅迫の業が出て来ます。
この宗教のもつ業の為に苦しんでおられるのです。
こちらから勧めるのではなくて、この方の教えはすばらしい、
お話が楽しい、
だから私達からその方をお呼びしてお話を聞きたい、
皆さんのほうから心について学びたいと言って来させていただく
―――これならば無理がないのです。


           ~ 感謝・合掌 ~










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「講演集」より。

2014-06-14 00:33:23 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~


         講演集 一


    「苦しい人生を送る人が多い」


人間は誰でも幸せになりたい、
心の中に安らぎをいただきたいと思っております。
ところが幸せになりたいと思いながら
苦しんでおられるお方が多いですね。
ではなぜ辛い悲しい苦しい人生を送っているのか、
本来は幸せに生きなくてはいけないのですが、
ほんとうの生き方が分からないから、
それで苦しんでおられるのです。


        ~ 感謝・合掌 ~





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「講演集」より。

2014-06-13 00:14:29 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     ~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~


              講演集 一


      「幸せを売るのが商売のコツ」


商売も同様、自分が儲けようとばかり集中して思ってはいけません。
相手に儲けてもらおう、相手に良かれと思うとよく儲かります。
おもしろいもので、例えばこれを一個売れば十万円儲かると思うと、
その儲かるという思いに捉われた場合、いくら値打ちのあるものでも
なかなか売れない。しかし儲けを度外視してその相手の方の
為に心から勧めた場合、これによって相手の方に喜びを与えるという
行き方をすると、案外すっと売れるものです。

同じ十万円の儲けでも、こちらが儲けようと思うと、
相手に警戒心が出るし、相手の幸せの為にという心をもって勧めると、
素直に受け入れてもらえます。幸せを売らせていただく、
幸せを買っていただくという心掛けで勧めると自信が持てます。
これが商売のコツですね。
形だけではだめで、心の底からの愛の売買です。
私が商売をしていました時は、自分から値をつけたことは一度もなかったのです。

私は毛布の製造販売業をしていましたが、お得意さんに毛布を持って行って、
これなら幾らぐらいで買ってもらえますか、と言って向こうに値を決めてもらうのです。
千円のものを仮に向こうが八百円と言えば、それは少ししんどいですなあ、
経費がこれだけかかっていますし、私の生活費をこれだけ下さいと言って示しますし、
千円のものを向こうが千円ぐらいと言われれば、それで結構ですと言って、
決して無理な値をつけないようにして、
自分が儲けるよりも相手に儲けてもらうようにしました。
私は恵まれていまして、二十年来東京の大商社と取引がありましたが、
そこは現金で下さるのです。

そこの仕入部長さんに初めて会った時、私の感謝の気持ちとして、
全仕入れ金額の二パーセントを還元させていただきますと約束しました。
仮に年に一億あればその人の小遣いとして二百万円入ることになりますね。
盆と正月にずっと送っていました。
そこは現金でくれるというので、他所の大きいメーカーからも売り込みに行くのですが、
その部長さんはずっと私のほうと取引して、
更に注文をふやしてくれました。
お陰で大変儲けさせてもらいました。
ただの一度も不渡手形を手にすることもなく、
私は三十年近くこの商売をさせてもらってその間一回もその経験がありません。

自分だけが儲けようと思ったら儲けることはできないのですね。
これは商売だけでなく、全てにおいて同じことです。
相手の為に良かれと思ってすることが、自分の為に返って来るのです。
ぜひ皆さんもうまく活用して下さい。
正しい法、正法は商法に通じます。また対人関係にも、
社会の中すべてに通じます。みな心から始まっていますから、
同じことです。

自分本位の自分さえ良かったという商売をする人は一時は栄えても、
やがて駄目になります。運だけではなく、
心掛けによって守られたり被害を受けたりいたします。
商売をされる方は、一つの商品を通して相手に良かれと思い、
それが喜びであるという気持ちになって商売して下さい。
販売元になる方から、縁ある末端の方に至るまで、
皆が幸せであるようにと思い合って商売をする商法を
学んでほしいと思います。


           ~ 感謝・合掌 ~




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「講演集」より。

2014-06-12 00:55:11 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      ~ 恩師の御著書「講演集」より ~


              講演集 一


       「心不在なれば目にして見えず」


目にして見えず、耳にして聞こえずということばがあります。
見事な満開のさつきの中にいても、別のことに心が集中していたら、
花さえも見えないのです。

もう何年か前、今持っている軽四輪のトラックを購入した時のことです。
ちょうどさつきの花が満開の時期で、私は花が好きですから、
部屋にも玄関にもいっぱいさつきの鉢を置いていました。
そこへ車のセールスマンが来てくれて、
書類に書き込んでいるのですけど、
こちらは側にある花に服がさわって、やれ花が傷まないか、
枝が折れないかと、はらはらしているのに、
本人はそれどころではないのですね。
やっと書類が出来あがって印鑑を押したら、ほっとしたのでしょう。
周りの花にやっと初めて気が付いたのです。
「わあー、きれいな花がいっぱいですな」それで私が
「花が見えなかったのですか」と言ったのですが、
「まったく見えませんでした」という返事でした。

心が或る一つの所に集中していたら、花の中にいても花さえも見えない。
それが売買契約の印を押したとたんに満開の花が見えたのです。
これと似たようなことは、私達の日常生活の中で常に起こっております。
交通事故を起こした方は殆どぶつかった時、
どのようになっていたか分からなといいます。
というのは、心がそこにないのですね。
だらら前に止まっている車が見えないで当たってしまうのです。
信号もそうです。
考え事をしながら走っていますと信号も気がつかない。
信号で前に出たり、対向車とぶつかったりします。
満開の花の中に坐っていて花さえも見えない。
ましてや信号見えなくて当たります。極端になったら、
広い道の真中で正面衝突しているのがありますものね。

これは心が不在だからです。ですから、いかに心が大切なものか、
いつも胸の中にどかっと心を据えておかなくてはいけません。
よく朝の出がけに夫婦喧嘩をして腹を立てながら車を走らせて
ドーンとぶつかったりします。
心が夫婦喧嘩の中に行っているからです。
朝の出がけには、どうか気持ちよく送り出してあげて下さい。
皆さんも経験されるでしょうが、道を通っていて例えば荷物を
早く届けなくては、と思って焦っている時などは、
前の景色がよく見えませんね。
その用事を済ませてやれやれと思うと、心にゆとりが出て、
ああきれいな花が咲いているなあと気付きます。
常に心にゆとりのある日々の生活が大切です。


           ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2014-06-11 00:31:30 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       ~ 恩師の御著書「講演集」より ~


              講演集 一


        「すべてが実相を表す」


今私達は天の国に住んでおり、住まわせてもらっております。
真に私達の心が安らいで調和されました時、
世のすべてが実相を表してきます。
ありのままの姿で、ものすごくきれいです。
いつ通る道も、そういう心境になりました時は、
草木が輝いてきて、道も家もこれはどうしたことかと
思う程きれいに見えます。

毎日通っている道がこんなにきれいだったかと思うように、
光明に満たされております。
そういうすばらしい姿の中に生きさせてもらっていながら、
私達はその美しさを見ることができないでいます。
なぜかと申しますと、心が曇っているから見えないのです。
私は真に調和された心境になりました時は、その方、その方に応じた
光が出ているのが見えます。
心安らかな方は淡い黄金の光、心いまわしい方は灰色の光、
怒っている人は赤い光が出ていますが、
それらの実相を見ることができます。


         ~ 感謝・合掌 ~








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「講演集」より。

2014-06-10 00:54:43 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      ~ 恩師の御著書「講演集」より ~


              講演集 一


   「今を救われなくてはいけない」


生きている時に幸せだったら、死んだ時に必ず成仏できます。
幸せな人生を送らなかたら、死んでも苦しみの時間が続くのです。
今を救われなくてはなりません。今を救われたら、
死んだ後も救われるのです。これは、
この世とあの世は生き通しの心の世界だからです。
まず今を救われることです。

聖書の中にイエス様は我を通さない者は天国に行けないと
言っておられますけれど、あれはイエスを通してとは違うのです。
私たちの内なる良心、つまり、「神我なる己」を通してしか、
天の国に入ることはできないということです。
エゴの心、自我の心、偽りの己の心を通しては絶対に天国には
入れないのです。
そして信仰は何も要りません。
既成の信仰は何もなくても、天の国の帰れます。


      ~ 感謝・合掌 ~





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「講演集」より。

2014-06-09 01:43:56 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        ~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~


                   講演集 一


            「ご先祖様に語りかける言葉」


ご先祖供養は、まず自分自身が救われて、自分の幸せな姿を見てもらうこと、
幸せな姿をご先祖様にお供えするのです。
「ほんとうに幸せに暮らさせてもらっています。
お金はたくさんはありませんけど、貧乏はしておりません。
身体もお陰様で健康でございます。
いつも感謝に満たされております」というようにご先祖様の前で
言ってごらんなさい。
ああ安心だと喜んで下さいます。
その上で、ご先祖様にお話しさせてもらうのですね。
「もし、このご仏壇の中に、またお墓の中に思いを残しておられ、
まだ、暗い悲しい苦しい世界におられるご先祖様がおられましたら、
私の話をお聞きになって下さい。

お陰様で私はこんなに幸せです。
しかし暗い世界になぜおられるのでしょう。
あの世においても、この世においてと同様、暗い世界におられるには、
結果となる原因が必ずあるということです。
原因を作ったら必ず結果が現れるのがこの世の定めです。
ですから、もし暗い世界におられましたら、その原因があった筈でございます。
その原因はこの世に生活された時に、真に神の子としての道を果たされなかったからです。
心の底から人々に慈悲や愛をお与えになりましたか。
また人にご奉仕なさいましたか。
また自分にとって都合が悪い時、人を恨んだり、腹を立てたり、
愚痴を言ったり、要らない取越し苦労をしたり、よけいな心配やら、
不安、恐怖、貪欲に悩むなどなさいましたでしょう。

それらは皆、暗い世界の原因になっております。
しかし本当の神仏は、私達に対して、『いとしいわが子よ、いとしい
わが子よ、そなた達は幸せに生きよ、自分自身を苦しめことなかれ、
己を大切にして、己を大切にするが如く他を大切にせよ。
汝の苦しみはわが苦しみなり、汝らの喜びはわが喜びなり、
自らの心に目覚めよ、自らの心の曇りを晴らして私の胸の中に
入りなさい、私の意識の中に帰りなさい』と仰せられます。
自分の心を苦しめることはほんとうの神様の御心に背くことです。
神様の御心に背いては何者も救われることはできません。
この過ちに気付けば、今、心を素直にして、この地球上の生活を振り返り、
自分でつくってしまった心の過ちをほんとうの神様にお詫びしてください。

この時皆様の心は必ず安らいで参ります。
そして、あの光の世界に昇ることができます。
また、この地上界への一切の思いを捨てて下さい。
思いを残すと、その思いの場所に自らが縛られます。
どうぞ自分の人生を振り返り、反省し、自分でつくった過ちを神仏に
お詫びしてみて下さい」と、お伝えするのですね。
ついでに、もう一つご先祖様に気付いていただくことは
「私のように幸せでございましたか」と尋ねてみますと、
成仏しておられないご先祖様は
「しまった、私は幸せではなかった」と気付いて下さいます。
幸せでないから、成仏できないのです。


              ~ 感謝・合掌 ~





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「講演集」より。

2014-06-08 02:50:03 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     ~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~


            講演集 一


      「仏壇には感謝の心を供える」


先の続き・・・

近くの人で息子さんが半身不随なのですが、
その大きな邸宅に招かれて座敷に通されますと、
隣の仏間でその家の
おばあちゃんがお祈りをしておられるのですね。
このおばあちゃんは健康だけど足が痛いのです。
「ご先祖様、私は足が痛くて難儀しております。
どうか私の足の痛いのを治して下さいな。
息子はこんな不自由な身体ですのでどうぞ守って下さい。
孫の誰々は何々ですからどうか守って下さい」と言って、
何と一時間も頼んでおられます。
もう八十歳近いおばあちゃんですから、
そんな風に拝んではいけませんよと言ったのですが、

ここのご先祖様はさぞや苦しくて悲しまれることでしょう。
宗教の中には「ご先祖様は子孫のことを思っているのだから、
精一杯無理を言えばいい」と教えているのがあります。
しかしご先祖様に対しては絶対に頼みごとを言ってはいけません。
貧乏でお金が無いから、サラ金で借りたなどと言ってごらんなさい。
親はどうしたらいいかと悲しみます。
姿があればまだ何とかしてやることもできますが、死んでしまったら、
もうどうしてやることもできませんね。
仏様の前でお願いごとをしたら絶対に駄目です。
不孝です。
親不孝であり、先祖不孝です。


       ~ 感謝・合掌 ~





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「講演集」より。

2014-06-07 00:52:02 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   ~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~


            講演集 一


     「仏壇には感謝の心を供える」


先の続き・・・

先祖供養について、供養の最終目的というのは、
亡くなられたご先祖様が極楽に救われて下さることです。
仏壇の中にいてもらうのが最終目的とは違います。
或る宗教ではお位牌を作って、これが何とご先祖様の止まり木だと
言っていますが、こんな位牌に止まらされたらかないません。
小鳥みたいなものです。
では極楽に成仏していただく為にはまず喜んでいただかなくてはいけません。
安心していただかなくてはいけません。
例えば親の立場として、孫を授かれば祖父母の立場になりますが、
もし子供が苦しい思い、悲しい思いをしておれば、親としては
ほんとうに辛いです。

代われるものなら代わってやりたい、何とか幸せになってほしいと
思うのは親心ですね。
おじいちゃん、おばあちゃんもそれ以上の思いです。
またひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんは余計にいとおしいのです。
私達に対してね。
仏壇の亡き人の前で、日頃よく過ちを犯している方があります。
腰が痛いので治して下さいとか、夫婦仲が悪いから仲良くなるように
して下さい、また主人の根性が悪いから直してください。
と言って拝んでいる場合があります。
お嫁さんがお仏壇の前で主人の悪口を言ってはいけません。
そこのご先祖様が怒られます。

何を言っているのか、家に嫁に来て、うちのかわいい孫に対して何と
いうことを言うのか、というわけで、お嫁さんはもう失格ですよ。
私達子供らが、亡くなったお父さんお母さんに、私達はおかげで
こんなに幸せに暮らしております、夫婦は仲良くしております。
或いは、子供はこんなに健やかですと言って、
娘や息子が挨拶してくれたら、ほんとうに嬉しいです。
ああ有難いなあ、もう何も思い残すことはないと喜びます。
反対に、私達辛くてたまりません、何とかして欲しいと子供達が
言って来たとしたら、難儀だなあと思いますね。


         ~ 感謝・合掌 ~





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「講演集」より。

2014-06-06 01:58:39 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    ~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~


             講演集 一


     「仏壇には感謝の心を供える」


お仏壇についても同じことが言えますね。
仏様にお供えしたあとお下がりをいただきますが、
ご先祖様の好物であっても、
それが自分の嫌いなものであれば、
お供えはしないです。
自分の好きな物を買ってきて供えています。
ほんとうのお供えというのは、
たとえ自分の嫌いなものでも、
ご先祖様の好まれた物を差し上げることでしょう。
もしご先祖様がほんとうに召し上がったらかなわなし、
また文句を言うかもしれませんね。
供えるというのは、
ご先祖様への自分の感謝の心を供えるのです。
「ご先祖様、今日もこうしてご飯を炊かせていただきました。
これもご先祖様のおかげです」
といってお供えするその心ですね。
またお茶を沸かした時に、
日に一度お供えして感謝するのです。


         ~ 感謝・合掌 ~





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「講演集」より。

2014-06-05 03:05:32 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   ~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~


               講演集 一


       「真の神様はお金を必要とされない」


よく神様にお金をあげなさいという宗教がありますが、
あれは皆おかしい。ほんとうの神様から見るとおかしいことです。
今この世にある殆どの宗教は、お金をあげることになっています。
あなたの罪を私がお金で買ってあげましょうと言って
神様が取ってくださるならたくさんお金を上げたらよろしいが、
神様にお供えしたお金は、皆人間が使い、
そして組織が使っております。
マンモス宗教の偉い人は、栄耀栄華を極め、走り回っております。
いい証拠として、
私は神様と名のる者を人間の身体の中に入れることができますし
悪霊も自由に入れられます。

或る時、
神と名乗る方を現実の肉体を持つ方の中に入っていただいたことがあります。
その神は、僅かの賽銭で多くの願いごとが聞き入れられるか、
とおっしゃいます。
しかしほんとうの神様ならば人間の肉体の中には入られません。
人間の中に入る神様は、偽者の神様です。
この辺りにも、いわゆる「拝み屋さん」というのがありますか?
神様が体内に入って来ると称して拝む人ですが、これは百パーセント
偽者と思って間違いありません。
それでは何が入って来るのかと言いますと、全部成仏していない霊が
入るのです。
悪い霊です。

そして何々の命(みこと)とか、何々の大神とか名乗ります。
この場合も悟っていない神だったので、
私の前でボロを出してしまいました。
「人の世界も神の世界も同じで、もっと賽銭を上げよ」と言うので、
「いやいやあなたは間違っている」と言っても聞き入れない。
物質としてただ現れているものを、どうして神が求められますか。
こんなお金などは必要とされない筈です。
お金はただ一時現れては消えていく姿です。
私達のこの肉体でさえオギャーと生まれて五十年、百年のうちには
消えていくのです。
そして又新しい命が生まれては、又消えていき、新陳代謝を繰り返し
ています。

私達自身が大いなる神のご神体の細胞の新陳代謝を起こしているわけです。
古いのは滅んで新しいのが生まれて来る。
神様の身体の中で新陳代謝を起こしているのが、私達の身体なのです。
自分は死んだ後に、子や孫が生き代わっていくのが定めです。
絶対に死なないという人はありません。
お金を必要とする神様は偽物者と思ってください。
お宮にしろお寺にしろ、又さまざまの宗教にしても、
お金を上げなさいと言って献金とか玉串料とか
お賽銭とかいうことがあります。
しかし、それは神の名を使ったごまかしのようなものです。
本当の神様はお金をお使いになりません。
必要とされないのです。
お札はお足といいますが、流通しているお札の期間というのは、
ほんとうに短いのですよ。
全部現れては消えているのです。
お日様は一銭の請求もされないし、
また神様も一銭の請求もされません。
結局神や仏に上げたお金を使っている人間が問題です。


               ~ 感謝・合掌 ~





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「講演集」より。

2014-06-04 01:46:37 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     ~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~


               講演集 一


  「自分を犠牲にして愛を与え、差別せず報酬を求めない太陽」


私のとても好きな言葉は「太陽の心」です。
太陽は太陽そのものが燃えさかって、自らの身を燃焼させ犠牲にして、
その結果として現れた熱と光、つまり慈悲と愛ですね。
この慈悲と愛を他へ与え給うのです。
自分を犠牲にしてその結果として生まれたエネルギーを
他へ与え給うのです。
宗教の宗とは宇宙を示すと書きます。
宇宙を示す教えがほんとうの宗教であり、
しかも最も近い宇宙は太陽です。そして太陽系です。
その最も身近な太陽系が、
生きざまを自分の姿をもって教えて下さるのです。
それは自分を燃え上がらせ、自分を犠牲にして他に慈悲、
愛を与えなさいという姿として太陽の中に表わされています。

どんなものにも差別をしない太陽は、病人も、健康な者も、
身分の高い方も、天皇、大臣、名もない者も、
皆平等に光を与えて下さいます。
私達もすべての人と平等におつき合いせねばなりません。
あの人は都合が悪いから嫌いだというのは、
すでに差別をしているのですね。
私の悪口を言ったからもう相手にしないというのも、これも差別です。
人種差別も、人の好き嫌いも、みな差別です。
いっさい差別してはならないのが神の教えです。
罰を当てない太陽の姿は、神の心を表しております。
神はいっさい罰を当てません。
外に出て太陽に向かって「バカヤロー」と言ってごらんなさい。
太陽がお前には光をやらないぞとは言われません。
燦々と与えて下さいます。

感謝する者にも、しない者にも、同じように熱と光を注がれます。
天に唾すれば自分に返りますが、これは引力の法則で、お日様は
唾をかけようとは思われないのであって、
自然の法則で唾が自分にかかっただけのことです。
私達も、もし過ちを犯せば自分に返ってきます。
天に唾するのと同じです。
私達も自分にとって都合が悪いからといって報復手段を取ったり、
言葉でもって悪口を言われたから言い返してやったというようなことをしたら、
太陽の心に背いています。
何を言われようと、「ただ、させていただく」その行為こそ神の行為です。
いくら慈悲を与えても洞窟の奥底へ逃げる人があります。
これは自ら逃げるのあって、太陽が与えておられないのとは違いますね。
逃げるから、光を避けるから届かないだけです。
ほんとうに大いなる神の光から遠ざかって人生を生きている人もありますね。
そのように太陽は自らを犠牲にして他を生かし給う姿、
万象一切のものについて差別をされない、罰を当てない、
報酬をお求めにならない。神様もそれと同じです。
ただ与え給うのみでいっさいお求めになりません。


               ~ 感謝・合掌 ~





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「講演集」より。

2014-06-03 01:22:59 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    ~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~


              講演集 一


        「太陽・大自然への感謝」


太陽の熱、光について考えてみますと、
今よりも更に何十度か太陽の熱が高かったり光が強かったり、
光が少なかったり、温度が低かったりしたら、
私たちは生きていけないのです。
ちょうど二十度、三十度の、
私達が生きさせていただくのにぴったりの温度を与えられています。
もう五十度も低かったら、
人間は寒くてとても生きられませんし、逆に五十度高かったら
熱くて人間の丸焼ができます。

このこと一つ見ましても、何と有難いことだなあと思いますね。
しかも一銭のお金も出さずに毎日毎日熱と光を与えて下さって、
こんなに有難いことはありません。

お日様からいただいている熱と光を換算すると、
一秒間に地球がいただいているエネルギーは
石炭二百万トンを燃焼するだけのカロリーに相当します。
一日分の熱量代を支払おうとしたら、地球は破産してしまいます。
しかも報酬は求められません。

また目に見ることはできませんが、この空気中には、
私達が生存させていただくだけの酸素がちゃんと与えられております。
酸素が欠乏したら忽ち困ります。
それを十分にいただきながら感謝することさえ知らなかったですね。
生まれて以来今日までに、
ああ空気って有難いなあと感謝された方がありますか。
これは案外少ないですね。

ほんとうに感謝の対象は無限にあります。
酸素をいただき有難いことです。
この自然から与えられる自然の大慈悲、
大愛の中に生存させてもらっているのに感謝を知らない、
にも拘わらず感謝しないからあなたには空気をやらないとは
自然はおしゃいません。


             ~ 感謝・合掌 ~





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「講演集」より。

2014-06-02 02:49:18 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    ~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~


            講演集 一


       「心を変えた私の体験」


以前の私は口を聞けば相手を傷つけ、
「何を言うか、この馬鹿たれ」と言うような私でした。
それを、口を聞けば人様に喜んでもらえる言葉、
希望や安らぎを与える言葉、
それ以外は使わないようにしようと決めて、
少しずつ実践させてもらいましたら、
以前とは全く違う嬉しい顔の自分になりました。

以前の私を知る人は「よくもこうも変わったなあ」と言われます。
誤まった生活をしていますと、目が曇ります。
自分では見えないけれども、以前の険しい目付きではなく、
優しい目付きに変わってきました。
自分の思い、心を変えるからこうなるのです。
健康にもなれます。
私の顔を見て下さい。
いつお会いしても、何回お会いしても常時笑っていますので、
「先生には苦しみはないのですか」と人に聞かれたりします。
この世に生きさせてもらって苦しみがないことはありません。
けれども、この苦しみに対して見方、
思い方を変えてしまうのです。


           ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2014-06-01 01:31:44 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

             ~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~


                       講演集 一


               「思い変えの方法「結構の源やん」


人生は思い変えの訓練が大事です。
その訓練の最も良い方法で皆さんに分かり易く一番参考になるのが「結構の源やん」の話です。
現在の東大阪市に、名前は「源やん」渾名は「結構」という方がおられたそうです。
明治の初期だそうです。
この方はどんなことが起きても絶対に不満不足を言われなかった。
何が起きても「ああ、結構やないか、結構やないか」とおしゃったのです。
だから、「結構屋さん」とか「結構の源やん」という呼名がついたのです。で、ある年、
毎日毎日雨が降り続いたそうです。
一ヶ月からも降ったそうです。

その時代、「土方殺すに刃物は要らぬ。雨の三日も降ればよい」といって、
三日間、仕事ができなければもう日雇いの人は食べていけないような状態だったのです。
その時は一か月から雨が降り続いたということです。
源やんの友達の人たちが、「さすがにあの結構の源やんもこれだけ雨が降ったら、
もう結構とはよう言わんやろなあ。
一回何て言うか聞きに行こうか」と言って、源やんの家に行ったそうです。
「ごめん、源やんおるか!」と言うと、
「ハーイ」と言って出てこ来られたそうです。
「かなわんなあ、こんだけ降ったら」と言いますと、その源やんが
「ああ結構やないか」とおっしゃったそうです。
「結構、結構やないか」というのは、「有難いやないか」ということです。
「これだけ雨が降るのに何が結構や」と友達が聞きますと、
「お前らよう考えてみい。
これだけ毎日毎日降る雨を、もし神さんが天でこう受けてくれはって、 
そして一杯たまった三十日分の雨をバーッと一遍にぶっちゃけてくれはったら、 
家も畑も田圃もみな流れてしまう。
こんなに毎日しとしとと分けてよう降らしてくれはったもんや」と言って
喜ばれたそうです。

もう食うていけないような状態の中にあっても、毎日降る雨を一度に溜めて降らしたら、
えらいことになるのに、うまいこと分けて降らしてくれるとは、神さんって有難いなあ
というように思い方を変えてしまうのですね。
世間の人は皆「かんわんなあ、かなわんなあ」と言っているのに、
そのお方はさすがに「何と結構やなァ」と言われたといいます。
やがて、その方は東大阪一番の結構な人になられたそうです。
ものすごい結構な、まあ大金持ちですね、大分限者になられたそうです。
大阪では有名な話です。

「喜べば喜びごとが喜んで喜び集めて喜びにくる」

私達はまず喜ばなくてはいけません。
そうしますと喜びごとが喜んでくれるのです。
同じことが言えます。
不足、愚痴、そういう思いを想念し、行為しておりますと、不足や愚痴がよけい不足や
愚痴を言って、不足や愚痴を集めて来ます。
幸せになる筈がありません。
すべてを喜びに変える方法は、この「源やん」の思い方をうまく利用することですね。
そうしますと、どんなものでも喜びに変えられます。
見方、思い方をちょっと変えてみますと、感謝することは一杯あるのです。


               ~ 感謝・合掌 ~





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