浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2018-07-06 02:28:26 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


       講演 一
「実践のなかにこそ生命が宿ることを知れ」
先の続き・・・
霊を慰める「慰霊」、魂を鎮める「鎮魂」また
「浄霊」などがありますが、
「救霊」つまり魂を救い上げるという言葉はあまり
聞きません。
どの宗教でもあまり説いておられませんが、
この魂を救いあげてしまうのがほんとうの供養の目的です。
それが分からなかったから、やれ拝みなさい、供えなさい、
祀りなさい、と教えられるままにしてきたのです。
ある所に寄せていただきますと、
大きなお仏壇の前に枠取りがしてあって、
湯呑みが四十個も供えてあるのです。
その中にお茶をいっぱい入れて毎日供えているそうです。
また、あるお宅へ行きますと、
大きな丼鉢に何杯もお茶を供えてあるのです。

丼鉢にです。
「これは何をしているのですか」と聞きますと、
「ご先祖様にお茶を飲んでもらっています」とのこと。
なるほど大きな丼鉢、或いは四十個の湯呑みをずっと
並べまして、お茶をなみなみと注(つ)いで
供えているのですけれども、
私たちのご先祖様はそんなに少なくはないのです。
というのは、私には私のお父さん、
そしてお母さんがいてくれました。
そのお父さんお母さんには、
またそれぞれのお父さんお母さんがおられるはずですね。
そのお父さんお母さんにも、
またそれぞれのお父さんお母さんがおられます。
そのようにして三代、四代、五代、六代、と
三十一代も溯りますと、十億からのご先祖様になるのです。
わずか三十一代前で十憶を超えるのです。

今、自分が在らせていただくということは、
わずか三十一代前で十憶を超える
ご先祖様のご縁を頂いているのですから、
遠く溯ればもう何十億になるか数えきれないほどの
ご先祖様になって、
いくら大きな丼鉢をもってきましても、とても足りません。
また、どれだけ大きな丼鉢に御飯を盛ってお供えしても、
膨大な数のご先祖様には一粒ずつさえも当たらないのです。
そして肝心なことは、
そんなお茶や御飯を供えることによって成仏は
できないということです。


       ~ 感謝・合掌 ~

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