浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2022-04-22 00:40:34 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
~ 恩師の「講演集」より ~


          講演集、 一

      「得難く尊い夫婦の縁」

人の命は、明日の命の保証をいただいている者は誰もありません。
私も今日ここに寄せてもらいましても、
明日そこらで車にはねられてしまったら、
この世から消えなくてはいけない存在です。
これは皆さんも同じことです。

あなたは何歳まで生きさせてあげましょうという
保証は誰もいただいておりません。
ですから悔いのない一瞬一瞬を努力することが大事ですね。
私は十年前に四十半ばで家内を亡くしまして、その後、
幸か不孝か忙しい独身生活で、

俗の一般の生活から離れて、清らかにいっさい正しく生きております。
家内が亡くなりました時、私自身ほんとうにできが悪かったのです。
家内に対してもいろいろ迷惑をかけましたし、大事にすることもなく、
口を開けば喧嘩ばかりしておりました。

そのような家内でも亡くなった時は、
実に自分の身体を半分ちぎって持って行かれたような感じがして、
もう何をする気もありませんでした。
喧嘩して常に争っているような夫婦であっても、先立たれてしまったら、
身体が半分ちぎれてしまったような侘しさというのでしょうか、
これはもう体験した者でないと分からないですね。

私は「さつき」の鉢を庭にたくさん置いていますが、
そのさつきが咲けば家内にきれいだなあと言って欲しかったのです。
それは死んでしまった後に分かったことです。
死んでしまってからは、一体何の為にさつきの手入れをしているのか、
見てもらう人もいないのに、
ぜ自分はさつきに水をやらなければいけないのかと思いながら、
水やりをしたことがあります。

夫婦の縁といいますのは、
私達が生まれる前の天上界で
「どうぞ魂の修行に出たら夫婦となって共に修行をいたしましょう」と
ご縁をいただいているのであって、
この世ではまるで別々の環境や習慣の中で生活をしていても、
約束の時が来たら、めぐり合うようになっています。
ある場合は恋愛の形で、ある人の場合は仲人さんを通して知り合い、
結婚します。

その時には既にその子供となる者がちゃんと約束されています。
親子、夫婦、その子供という約束ごとは、
この世に出る前に既に決められておりますのに、
生まれ出たらその約束を全部忘れてしまって、
「本当にうちの主人といったら・・・」とか、
「うちの家内は全く・・・」と文句を言って、
夫婦としての尊いご縁をいただきながら不足を言って、
何とも思わずおろそかにしています。

考えてみますと、
僅か五万分の一の宝くじがなかなか私達の手には入って来ないです。
宝くじを買って「私当たりました」という人を余り聞きません。
あの確率たるや五万分の一になっていないのですね。
では夫婦のご縁はどうでしょうか。

この地球上に四十五億人からの人口があるそうです。
その中の半分は女性、半分は男性の方ですが、
世の中がこんなになって、
早い方は中学校で赤ちゃんを生んだという世の中です。
また男の方が男のお嫁さんを持ってみたり、
女の方が女のご主人を持ってみたり、世の中はまさに末法です。
何をするか分からないこの時代ですね。

こういう見方からすると、
夫婦のご縁というのは実に四十数億分の一の確率で、
この地球上に生まれた男と女が夫婦のご縁をいただくのです。
いかに得難いご縁かということですね。

この得難いご縁をいただきながら、
私達はお互いを粗末にして文句の言い合いをして、
幸せを失っていきます。
この世に自分の魂を磨く為に生まれ、それは幸せにつながるのですが、
この世での修行が終わりますと、つまり死んだ時に、
私達はこの世界はほんとうの研修会場であったということを悟って、
元のふるさとに帰ってこそ、成仏ができるのです。


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