浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2022-04-16 12:24:44 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「講演集」より ~


             講演集、 一

    「真の愛とは―――その愛の実践」

キリストは「汝の隣人を愛せよ」と言われました。
最も近い隣人である夫婦親子を大事にしなさいということですね。
では「愛」とは何でしょうか。
ある迷っている霊が出てきた時、
「愛の本質が分かっていますか」と尋ねると、
その霊は「男に裏切られて・・・」とかおしゃいます。

それは愛ではありません。
男女の愛は、愛でもその下に欲がついている「愛欲」といいます。
あの愛欲なるが故に、愛する方がもし心変わりされた時、
たちまちその愛は憎しみとなり、怒りとなり、怨みと変貌します。
しかし、本当の愛は怨みも憎しみもありません。

「愛」とはただ、させていただくのみ、他を生かす無償の行為です。
究極の愛とは自らを犠牲にして他を生かす行為ですね。
これが本当の愛です。
その極端な例があのキリスト最後の姿です。
生身に釘を打ち込み、自分を突き殺している人達にさえ、
なお「この人達の罪を許して下さい」と言っているのですが、
これは別に聖書を読んで知ったのではありません。

しかし、私達が正しい生活のうちに瞑想、或いは禅定を通して、
そういうことがはっきり分かってきます。
この話を大阪で話しさせていただいておりますと、突然、
何人もの方が大きな声をあげて泣き出され、
日本の言葉とは違う言葉とは言葉で泣き叫びながら出て来られました。

「あなた達は今私が話をさせてもらったことを、
あのゴルゴダの地において見ました。
イエスはまさにそのようにおしゃって亡くなられました」
と言って泣いておられました。
心の奥底で知っているのですが、
これは普通のこの世的な常識では考えられない心の世界です。

これが本当の愛です。
その愛をまず自分の家族の中に現わして下さい。
妻は夫に、夫は妻に、子は親に、
親は子に対してその愛を実践するのです。
その時必ず調和の光に満たされます。

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「御垂訓」

2022-04-16 02:48:32 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「講演集」より ~


           講演集、 一

     「何ものをも求めない無償の行為」

先の続き・・・

では、一体どのようにすればいいかと言いますと、
「全くの無償の行為」つまり何ものをも求めず
「ただ、させていただく」のです。
させていただくのみの善なる行為であることです。
人に喜んでほしい、お礼を言ってほしい、更には、
お礼をいただきたいという思いを
少しでも持ちますと、あとで自分を苦しめなくてはなりません。

神は私達の僕として大いなる愛を与え給います。
私達は神の僕として生まれさせてもらったのならば、
人々の僕として生き、ただ、
させていただくのみの行為をすれば、裏切られようが、
そのまま走り去って行こうが、
腹は立たないのですね。

その時善い行いをして、天の蔵に宝物を積むことができます。
腹を立てたら赤字一杯ですよ。
寒い雨の中を大奮闘したから宝を積んだだろうと思っても、
三日も四日も腹を立てていたら、
前の分の宝も全部出してしまって大損害です。

天の蔵には無償の愛、
ただ、させていただくその行為だけが宝となって積まれます。
何ら求める心なしに善い行いをすることです。
自然はすべて自分自身が「在る」ことによって他を生かします。
野菜もお米も在ることによって私達を養ってくれます。

私達が自然界の中のいろんな栄養分を吸収する為に、
実ってくれるのですね。
人に親切にするのは、川に泳ぐ魚に餌を与える如く、
何の求める心を持たず、
ただ与えさせいただくことです。


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