~ 恩師の「講演集」より ~
講演集、 一
「善行のあと心を苦しめる―――例Ⅱ」
先日、岐阜へ招かれた後、
夜七時頃から愛知県の犬山で三時間お話をさせていただき、
そのあと身体の不調和な方に一人ずつ光を入れて、
心を直してくださいと治療をしていただいたのです。
すると一人の方が急に身体が揺れて唸り出されたので、
あなたはあとにしましょうということで、
他の皆さんの治療を先に済ませたのです。
もう夜中の一時でしたが、順番が回ってきて、
その方にどうか光をお与えくださいと
お祈りをしていました。
するとその方に霊が憑依してきたのです。
髪の長い四十歳前後の女の方で、
汚い鼻汁を流してひどく泣いています。
その泣き声の気持ち悪さは、この世のものではない。
ヒーヒーという凄い声で、
私のほうにすがり寄って来られるのです。
「どうしてあなたは成仏できないのですか。
なぜ迷っておられるのですか」と尋ねますと、
ぼちぼちと生きていた時のことを話し出されました。
その方は生前カトリック系のキリスト教を信仰され、
教えの通りに人様に心から尽くし、
また人様を心から愛して、
教会には必ずお参りをして一度も欠かしたことがなく、
何一つ間違いのない生活をしてきたそうです。
それなのになぜ迷っているのか、自分でも分からないと
言われるのです。
自分は完全に生きたと思っておられるのですね。
この方は最初私に対して「欲しいんでしょう?」
と面白いことをおっしゃるんです。
お金が欲しいんでしょうと言っているのですね。
「私は何も求めません。
求めるものは何もありません。
ただあなたが救われてくれたら、それでいいのです。
いっさい求める心はありません」
と言いますと、「嘘をおっしゃい。
あなたは求めている」と、また言われます。
「あなたは神の光を求めているのでしょう」と言って
いるのですね。
それで、「私は求めません。
しかし、神の光はすでにいただいております。
あなたは目覚めなさい」と言いましても、よく勉強しているので、
なかなか分かってくれなくて、私の言うことを聞いてくれません。
「私は尽くして尽くして、その愛の故に身を滅ぼした」
と言いますから、「ではあなたはなぜ苦しむのですか。
私の心には何の迷いも苦しみもありません。
あなたはそれほど信仰厚くして、
なぜ迷い苦しむのですか」と言いますと、
私に対して「お前にこのような生き方ができるか、
愛の為に自分を犠牲にすることができるものか」と言うのです。
「恐れ入ります。
私にもかつてこのようなことがありました。
まだ六、七歳の幼児が小児癌にかかって、
その母なる方からどうか助けて欲しい、この子は
医者から見放され、
命はもういくばくもありません、と頼られ、
私はどうすることもできず、その晩神様に祈りました。
私には癌の子供さんを救う力はありません。
しかし私の過去五十年を振り返りますと、
もう十二分に生きさせてもらいました。
喜びも十二分にいただきました。
それに引き比べてあの六歳の子が、
今まさに息を引き取ろうとしています。
もし許されることでしたら、私の命を今召して下さい、
私にこれから先、何年許される命か知りませんが、
その私の命をあの子に譲って下さい。
どうぞ今私の命と引き換えにあの子を救って下さい。
その時、私も今この世を去らねばいけませんから、
感慨無量になって泣いて泣いて祈り続けました。
するとその子の癌が消えました。
瀬戸内海の家島の子供です」