浜田屋遼太

世の中のために何の役にも立たないブログ  お暇なお方は是非どうぞ(^^♪

遠ざかる青春

2023-07-05 | 定年波止場
誰にでも青春があった。

青春が無かった人はいない。

と、ここまで書いてハッとなった。

何のためらいもなく過去形で書いている。

人は人生のどのあたりから青春を過去形で語るようになるのだろうか。

人生は大きく分けて、赤ん坊時代、幼年時代、少年(少女)時代、青春時代、中年時代、老年時代に分けられる。

最近はこのあと認知時代というものを加える人もいる。

本文を読んでおられるお方は、ほぼ自分と同年代だという前提で話を進めます。

いま、自分の青春時代をどう思いますか。

「確かにあったよな、オレにも青春時代が」

リタイアした人たちと一緒に飲みながら出る話題と言えば、年金、病院、持病、持病を共有する人たちと共通の薬の話、老人施設、お墓の話、遺言の話になっていく。

自分の葬式はこうしたい、ああしたい、いや自然の成り行きに任せた方がいい。

などと、ここで議論が白熱し、とても青春時代の話が出てくる雰囲気ではない。

仲間内で酒を酌み交わすとき、お墓の話ばかりしないで、たまには青春時代の話を取り入れてみてはどうでしょうか。

と思って、そういう場で隙をうかがっては話を持ち出そうとするのだがその都度「今はそれどころじゃない」。

ということになって、その都度一同は葬式の話に戻っていく。

青春を熱く語る老人は、もはやどこにもいないのだ。

もしかしたら、今が自分の青春を再検討するラストチャンスかもしれない。

などと思ったりするのでした。




コメント
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