十分間俳句

発見・感動・創造! 子どもたちの感性を培い日本語力を高める十分間俳句

「当たり前じゃつまらない」→だから・・・・・

2009-08-09 | ジュニア俳句

前から、書いておこうと思ったことがある。


金子兜太さんの話から触発された「俳句指導法」のことだ。


つまりどういうことかというと、次のようなことである。


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兜太さんの話の端に

「当たり前じゃつまらない」

という言葉があった。

当たり前じゃ「詩」にならないのだ。

どうすれば詩になるか。

考え所だと思った。

切れ字の扱い、取り合わせとはそのことなのだ。


(取り合わせ、切れ字 これを小学校で何処まで教えられるか。これは考え所だ。


しかし、切れ字がわかれば詩になる。小学校では、取り合わせは主ではないと考えるが、


挑戦することは、必要だ。そこでこんな挑戦の仕方はどうかということなのだが・・・・)

改めて子どもの俳句を見てみる。


例えば、夏休みをテーマにした俳句


夏休み自由研究できるかな


子どもの俳句はこれで構わないと言えば構わないが、だんだん欲が湧く。

「自由研究できるかな」

これは、一応子どもの心の声だ。

「上五を変えてみよう」

もう一つ捻ると俳句らしくなるのではないかと考えた。


できた作品は、


 日焼け顔自由研究できるかな


これは、ずっといい。

夏休み、真っ黒になって遊びほうけていたら、二学期も近くなった。

さて、自由研究の宿題が残っているのを思い出したぞ。

あと夏休みもわずか。本当にこの宿題終わらせることができるか。

こんな気分が詰まっている。

そんな解釈もできそうだ。


これを定番とすると、十分間俳句のやり方が変わってくる。

これまでは、

?俳句の種を探す
?俳句を作る

だったのが、

?俳句の種を探す
?俳句を作る
?捻る(推敲)

となる。


と言っても、これで丸々うまく行くということでもない。

が、慣れてくればある程度句が変わるのではないかという期待もある。


 終業式終わり気分は夏休み  


 この句がこう変わった。


 風がふき心の気分は夏休み


どうだろう。できはともかく、まるで異なる変身している。


この変身を楽しむことが出来れば面白いと思うのだ。


 

コメント (3)
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