十分間俳句

発見・感動・創造! 子どもたちの感性を培い日本語力を高める十分間俳句

文化の秋

2010-09-28 | ジュニア俳句
いよいよ秋らしくなってきた。
文化の秋らしく、最近様々なところに出かけている。
先日は、前橋まで行った。
メゾソプラノ歌手の山本掌さんの歌を聴くためだ。
山本さんには、6月の深川芭蕉まつりに来て、歌っていただいた。
そのお礼という意味もある。
会場は、前橋文学館。ホールでの芭蕉の歌は圧巻だった。
芭蕉まつりでは野外で歌わせてしまい、後悔した。
彼女は、今「おくのほそ道」全曲に取り組んでいる。
また、ぜひ深川で歌ってもらいたいと思う。
その前橋文学館の館報№31に
第25回文学館講座「俳句を遊ぼ。作って書いて夏休み」
俳句ってナニ? 作ってみよう

俳人の 水野真由美さんが行った講座の記録が載っている。
館報の記録らしく、全文テープ起こしをして掲載されている。
全部起こされてしまうというのは、おっかないことではあるが、実に参考になる。

俳句とは何か

三つのパーツからできている十七音のかたまりが俳句
(季節の言葉を入れる俳句もあるし、入れない俳句もある)

「俳句を遊ぼ。」というのは、言葉を遊ぶっていうことだと思うし、それは人間を面白がるということだし、とにかく面白がる。

五・七・五のリズム

五と七・五か五・七と五か、そういう組み合わせで、短いけれど何かを伝えることのできる形になっています。

言葉の贈り物

心のなかで思っていることって、一瞬一瞬変わったりするんだよね。
・・・・・・その一瞬一瞬に何を思っているかっていうのは、こう流れていっちゃうんですよ。
書くことでその流れを、感じているいろんなことをピッて書き留める。言い留めてあげる。・・・・・そうすると、書かなければ見えなかった自分の内側の心、気持ちが
見えるようになります。そういうふうにして、言葉っていうのは自分の中にある何かを外に出すものなのね

書き留めることによって、発見が発見と自己認識できる。このことの大切さがそれこそ、「ピッと」表現されていて、さすがだなあ。と思う。

よく見る

・・・・あと、花なら花だけが一人で咲いているんじゃないんです。木は木だけで立っているんじゃなくて風が当たるし、水がなければ育たないし、お日様も当たる。そうすると木とほかのものにはどんな関係があるのだろう。それもまたよく見ることで俳句の世界になります。

これを少し続けていくいくと、配合に繋がるのだと思う。こういう言い方もあるんだなと感心した。


この後もこの文章は続き、廣瀬川沿いの吟行に臨むことになる。
吟行しながら、水野さんは、言葉を子ども達に教えていく。
吟行でこの営みは重要なのだ。

榎の木 夏榎 夏木 夏の木 夏木立
桑の実 ドドメ

第二亀戸小学校で授業

2010-09-24 | ジュニア俳句

第二亀戸小学校の三年生二クラスで授業した。今月はデスクワークが多い。約一週間ぶりの授業だ。
二亀小学校の子ども達はかわいい。
にこにこして迎えてくれた。

二亀小は人権尊重教育に取り組んでいる。来年は、百周年を迎える学校だ。人尊とからめて、俳句に取り組めないか。そんな思いもあって、友達や家族というテーマをどのように俳句の中に組み込めるか考えて、友達と遊んだことをテーマにしてみた。

誰でもできる方法ということで、「変身俳句」

 秋の日に●●●●●●●遊んだよ

 この「●●●●●●●」部分に、どんなことをしたのかを書き入れる。

 例えば、

 秋の日に水でっぽうで遊んだよ

 となる。次のこの、「遊んだよ」の部分、季語の「秋の日に」を入れかえてみる。
すると、
 秋高し水でっほうで大当たり

となる。この「大当たり」が子どもの気持ちをとてもよく表していてよい。
そんな風に、以下の句を見ると、子どもなりの工夫がいろいろ見えて楽しい。
最後に一人だけ感想を言ってもらった。すると、
「本当にあったことを五・七・五に書くというのは、とてもおもしろかった。家でもやってみたい。」
子ども達の表情もとてもよかった。やはり、学校現場はよい。


秋の日にあらしをおこすカッチーナ

秋高し水でっぽうで大当たり

秋の雨ぽつぽつふってあそべない

秋の日に池におちてびしょぬれだ

秋の日にドッチボールでぜんめつだ

秋の空ゆうやけ雲を見つめ合う

秋高し公園でいっぱい木のぼりを

秋の朝走って走ってあせを出す

秋のひるバットをふったらホームラン

秋の日にwiiフィットでけんこうだ

秋の日にマリオうちゅうにレッツゴー

リフティングぽんぽんけったら秋の空

秋の雨じゅくにいくのはかんべんだ

秋の空前回りしてさかさまだ

台風で習字セットぬれました

かくれんぼ青空見てたらみつかった


「俳句に似たもの」について

2010-09-22 | ジュニア俳句

週刊俳句の9月19日号に、河野紗希さんが、「俳句文学館」に掲載された岡田日郎氏の一文を取り上げている。
私もこの岡田氏の文章は読んでいた。
夏の教職員向けの俳句指導者講座に関するもので、

俳句の基本は、五七五音の定型、季題(季語)が入る。そして大切なのが、文語体であること。ことに俳人協会はこれらを強調し尊重してきた。

無季や自由律のものもあり、小中学校の教科書にも載せられている。しかし、これらは「俳句に似たもの」とし、「俳句」と区別する必要がある。小中学生の作った俳句もこれに類する。「俳句」と「俳句に似たもの」とを合わせて「俳句」というのが世の中一般の通念である。

これは、氏自身が語ったものではなく、聞き書きの要約である。
これをどう評価するか。確かに、河野氏の言うように、ぎょっとするような大きな問題だ。
こうしたことにすぐに反応する反射神経のよさが、問題を明確にし、新たな理論的な発展を呼ぶ。

私は、
「俳人協会も苦労しているな」
という受け止めであった。
子どもの俳句を俳人協会流の「俳句」で捉えれば、「それは俳句ではない」となるしかないからだ。
しかし、それでは学校での俳句指導、特に実作指導などできない。
そこで、岡田氏の言である。
「世間では、いろいろあって俳句と言っているのだから、子どもの俳句も一応「俳句」ということにしようよ。」
と更に強硬な原理主義者との融和を図ったと見えなくもないし、俳人協会として「俳句ではない」子どもの俳句に取り組む苦しい理由付けをしたようにも見える。
しかし、河野さんの文章を読むと、この理由付けはいかにも・・・・・とも思える。

皆さんにもぜひ読んで考えていただきたいと思う。出来ればご意見もお寄せいただきたい。
アドレスは、以下である。

http://weekly-haiku.blogspot.com/2010/09/10_5953.html





深川発祥小学生俳句大会

2010-09-21 | ジュニア俳句
先日、深川発祥俳句大会に集まった俳句を見せていただいた。
全体で約4500句だそうだ。

テーマは、「音」 夏で音というと、

花火、蝉の声、波の音、スイカ割り、風鈴、盆踊り、お祭りの太鼓

こんなところにほとんどの句が集中しているという印象を受けた。
もちろん、この題材を使っても非常に素敵な句ができるのだが、これらのみんなが考えそうな題材を外した方が、むしろ賞に入る可能性が高いだろうなあと思った。

こういうことは、集まってくる俳句を概観してみてみないとわからないことだとも思った。

表彰式は、10月3日の芭蕉稲荷祭の会場において行われる。

夏ばて

2010-09-19 | ジュニア俳句
だいぶ涼しくなってきたが、今頃になって、どうも夏ばてだ。
ブログも夏ばて、更新もちょっと間が空いてきた。
今年の夏は確かに疲れた。
万歩計のデータもかなり低い水準だ。この一年あまり、最悪でも、90日で100万歩以上
歩いてきた。平均して1万1千歩以上だ。
ところが、この夏はとてもそうはいかない。平均して一万歩にも達しない。

今日は、前橋に行ってきた。
深川芭蕉まつりで「芭蕉の歌」を歌ったくれたメゾソプラノ歌手で俳人の山本掌さんが前橋音楽祭で歌うというので、聴きに行ってきたのだ。
前橋は初めて。広瀬川の流れがなかなかだ。江東区と同じ水の町という感じがした。
前橋は、詩人の萩原朔太郎の生地だ。朔太郎の記念館があり、そこが山本さんの「芭蕉座」の会場となっていた。
やはり、歌曲というのは、野外ではなく、ホールの緊張感の中で聴くものだと思った。
前に一度お会いしたことのある映画監督の飯塚さんにもお会いできた。
山本さんは、今、語りも含めて、「奥の細道」に挑戦されていると言う。
これはなかなか期待がてきる。
いずれ、深川にもう一度来てもらいたいと思った。








八名川句会

2010-09-17 | ジュニア俳句
先日、八名川句会があった。
時代劇作家の牧秀彦さんや前PTA会長の津野利行さんも参加され、益々楽しい句会になった。中村さんが、笹の葉にアレンジした鬼灯(中に羊羹がはいっている)やお漬け物など・・・・句会だかお茶会だかわからないくらいすてきな雰囲気になっている。
この夏の猛暑が話題になり、昔の隅田川の花火は、両国橋と新大橋の間でやっていたから、目の前だったという話、疎開の時の話など様々な話が飛び出し、
「ここには、句会を超えた何かがある」
と感じる会であった。

さて、この八名川句会の大イベントとして、来月三日に

八名川大句会

を催す。
俳句をする人もしない人も、この日ばかりは一日俳人になって、俳句を楽しみましょう。
なんせ、芭蕉の町ですから・・・・
良い句を作るとか欲を出さずに、俳句で楽しむ。
これを目標とする会である。

さて、さて、どうなるものか。



句会 いちじはん

2010-09-13 | ジュニア俳句
昨日、深川七中を会場に句会 いちじはん の定例会が行われた。
この会の特徴は、吟行で作るということだ。
昨日の場合だと、猿江公園を30分ほど吟行する。
始まった頃は、2句だったが、今は4句。
みんながんがん出来るようになってきている。
作り続けるというのは、大変なものだ。

高点句は、次のような句であった。

 無視するな無視などできぬキリギリス

 新涼や俳句を捨てて恋しよう

 未来とは銀杏並木の一直線

 とんぼの目少年の宇宙写し見る

 たわわなる銀杏昭和の顔をして

等であった。いい句だと思う。私も取った。
この句を見ながら考えた。
気になったことがある。

 「恋」、「未来」、「宇宙」、「昭和の顔」

景の大きな、しかし茫洋とした捉えがたい言葉が句の核にになっていることだ。
俳句コンクールでもそうした傾向があるように思う。
そりゃあ、そうだろう。
大賞には、やはりスケールの大きな句が欲しい。
これをどう考えたらよいか。

 

雑感

2010-09-10 | 雑感
私の今の勤務先は、教育委員会だが、不思議なことにここで仕事をしているとと教育の動きがまるでわからない。台風の目の中にいるようなものだ。
役所というのは、縦割りの社会で自分の仕事以外なかなか見づらい構造になっている。よほど努力しないと全体の情報を見ることが出来ない。
もちろん、役所のシステムの問題だけではなく、自分の関心が変わってしまっていることもある。

昨日、三砂中を訪れた。
校長の中村先生や後援会の小宮さんと親しく話をした。
公立の中学校も頑張っている。お話の中から、意欲的な活動が浮かび上がってくる。
しかし、公立中学校が私立と闘うのは容易ではない。
かなりの数の生徒が中学の学校選択の段階で私立に流れていると聞いた。

俳句塾の事が頭に浮かんだ。これは、国語のスペシャリスト養成講座だ。
同じように、英語のスペシャリストや科学のスペシャリスト養成講座を設けたらどうか。
一校の力だけでなく、行政の力を活用すれば、かなり出来るのではないだろうか。

そういえば、現代俳句協会の田付さんから俳人の櫂未知子さんの十月から始まる中・高生対象の俳句塾の案内があった。
第一、第三の土曜日の午後、参加費無料 事務手続き料2千円だけ
という、願ったり敵ったりの講座だ。どこかのテレビ局系列の主催らしい。
もし、希望者がいれば、連絡して下さい。詳しいことを連絡します。