ぜひ活用して下さい。
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第二亀戸小学校の三年生二クラスで授業した。今月はデスクワークが多い。約一週間ぶりの授業だ。
二亀小学校の子ども達はかわいい。
にこにこして迎えてくれた。
二亀小は人権尊重教育に取り組んでいる。来年は、百周年を迎える学校だ。人尊とからめて、俳句に取り組めないか。そんな思いもあって、友達や家族というテーマをどのように俳句の中に組み込めるか考えて、友達と遊んだことをテーマにしてみた。
誰でもできる方法ということで、「変身俳句」
秋の日に●●●●●●●遊んだよ
この「●●●●●●●」部分に、どんなことをしたのかを書き入れる。
例えば、
秋の日に水でっぽうで遊んだよ
となる。次のこの、「遊んだよ」の部分、季語の「秋の日に」を入れかえてみる。
すると、
秋高し水でっほうで大当たり
となる。この「大当たり」が子どもの気持ちをとてもよく表していてよい。
そんな風に、以下の句を見ると、子どもなりの工夫がいろいろ見えて楽しい。
最後に一人だけ感想を言ってもらった。すると、
「本当にあったことを五・七・五に書くというのは、とてもおもしろかった。家でもやってみたい。」
子ども達の表情もとてもよかった。やはり、学校現場はよい。
秋の日にあらしをおこすカッチーナ
秋高し水でっぽうで大当たり
秋の雨ぽつぽつふってあそべない
秋の日に池におちてびしょぬれだ
秋の日にドッチボールでぜんめつだ
秋の空ゆうやけ雲を見つめ合う
秋高し公園でいっぱい木のぼりを
秋の朝走って走ってあせを出す
秋のひるバットをふったらホームラン
秋の日にwiiフィットでけんこうだ
秋の日にマリオうちゅうにレッツゴー
リフティングぽんぽんけったら秋の空
秋の雨じゅくにいくのはかんべんだ
秋の空前回りしてさかさまだ
台風で習字セットぬれました
かくれんぼ青空見てたらみつかった
週刊俳句の9月19日号に、河野紗希さんが、「俳句文学館」に掲載された岡田日郎氏の一文を取り上げている。
私もこの岡田氏の文章は読んでいた。
夏の教職員向けの俳句指導者講座に関するもので、
俳句の基本は、五七五音の定型、季題(季語)が入る。そして大切なのが、文語体であること。ことに俳人協会はこれらを強調し尊重してきた。
無季や自由律のものもあり、小中学校の教科書にも載せられている。しかし、これらは「俳句に似たもの」とし、「俳句」と区別する必要がある。小中学生の作った俳句もこれに類する。「俳句」と「俳句に似たもの」とを合わせて「俳句」というのが世の中一般の通念である。
これは、氏自身が語ったものではなく、聞き書きの要約である。
これをどう評価するか。確かに、河野氏の言うように、ぎょっとするような大きな問題だ。
こうしたことにすぐに反応する反射神経のよさが、問題を明確にし、新たな理論的な発展を呼ぶ。
私は、
「俳人協会も苦労しているな」
という受け止めであった。
子どもの俳句を俳人協会流の「俳句」で捉えれば、「それは俳句ではない」となるしかないからだ。
しかし、それでは学校での俳句指導、特に実作指導などできない。
そこで、岡田氏の言である。
「世間では、いろいろあって俳句と言っているのだから、子どもの俳句も一応「俳句」ということにしようよ。」
と更に強硬な原理主義者との融和を図ったと見えなくもないし、俳人協会として「俳句ではない」子どもの俳句に取り組む苦しい理由付けをしたようにも見える。
しかし、河野さんの文章を読むと、この理由付けはいかにも・・・・・とも思える。
皆さんにもぜひ読んで考えていただきたいと思う。出来ればご意見もお寄せいただきたい。
アドレスは、以下である。
http://weekly-haiku.blogspot.com/2010/09/10_5953.html