ハートランドの加藤先生から2月の「日本語であそぼ」が届きました。ご活用下さい。
詳しくは、
HP http://www.catv296.ne.jp/~heartland1024/
ブログ http://ameblo.jp/haiku575/
こちらをご覧下さい。
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1月28日の授業参観の授業の記録です。
授業もそうだが、土田先生の作詞が素晴らしい。
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2011.0128(金)四校時 俳句指導の流れ(最後の授業参観でした)これまでの、交流会だよりに代わり、交流会事務局のY先生のご尽力で、交流会通信が発行されました。
この交流会通信NO.1は、1月の勉強会の内容や 俳句の添削指導の提案など、多彩な内容となっています。
ご希望の方にはメール、または交換などで差し上げますので、ご連絡下さい。
アイデアマラソンの樋口健夫さんと久しぶりに会った。
港区白金の彼の事務所を訪ねた。
本当の所を言えば、樋口さんと会うのは、25日の予定だった。
神保町の小学館の地下にある洋食や「七條」で昼飯を一緒に食べる約束をしていたのだ。
ところが・・・・・
私は、25日、数矢小学校で授業をしていた。
そこに電話が掛かってきた。樋口さんだった。
「今授業中、あとで電話します」
と電話を切ってしまった。
「明日だろう、気が早い。確認の電話だな」
とすっかり思った。
あとでかけ直すと、「どうしたんだ」という。
自分の頭の中では、25日水曜日 だった。
彼からは、「では、25日に」というメールがあり、私は、オッケーの返事をしたのだ。
待ちぼうけを食わせてしまった。
そして、きのう。そこでもまた、一波乱あったのだがそれは抜きにして、
「面白い自転車に乗せるよ」
と乗せてもらったのが写真の自転車。
公道を一回り。まわりの人がみな振り返る。
ちょっといい気分だね。
この写真も通りかかった若い女性に撮ってもらったものだ。
樋口さんは、十分間俳句の産みの親の一人だ。アイデアマラソンの考え方が、入っているからだ。
樋口さん、最近は幼稚園にまで手を伸ばしているらしい。それに東芝の採用予定者の教育の講師を務めて、天下の東芝でもアイデアマラソンが広がっている。
冬晴れのよい天気だった。
数矢小学校の授業。
3クラス、約百人の子ども達と一緒に富岡八幡宮吟行にいざ出発。
「八幡宮」
この印象で作ってみよう。
これが最初の課題だ。
「八幡宮を上五に置いて詠むんだよ」
「季語は入れなくてもいい」
この「ても」と言うところが微妙だが・・・・・
子ども達は一生懸命作っている。中には5句も6句もできている子もいる。
今までなかなかできなかったA君も1句できた。
担任の先生が「やっぱり実物を見ると違いますね」と。
約五分。
このあと、今度は
「大鳥居」
「見てご覧、今度はあの大鳥居だ」
同じように「大鳥居」を上五において句づくりをする。
その後、自分で見つけたもので句を作る。
約十分。
あとでの子どもの感想。
「決まっていた方が作りやすい」
自分で発見することの意味をもっと強調して位置づけてよい。
自分の力で題材を見つけることの意味だな。
休み時間が長縄チャレンジタイムになっているということで、間に合うように学校に戻る。
次の時間から各学級に分かれて、一時間ずつ授業。
俳句は、五・七・五、それに季語。
を確認。どんな季語があるか、冬の季語を出させる。
すると、お正月の季語もたくさん出てくる。神社だから、初詣などは組み合わせやすい。
「俳句には季節が五つあります。春、夏、秋、冬、それに新年」と角川の歳時記を見せる。
子どもは、こうしたことはしっかり覚えるものだ。
季語を入れて、俳句を変身させる。 八幡宮や大鳥居を季語に変えるのも多い。
元々は吟行句だが、ここで俳句の雰囲気が変わる。
黒板に句を書かせて、簡易的な句会をする。
簡単な評をして、授業を終える。
佐々木貴子さんが、ブログを開設されました。
「航海日誌」←クリックして下さい
俳句に関すること、また雑感等のブログです。
先日の「十分間俳句」の記事に関連して゜「俳句観」について、・・・・とても率直で考えさせられる内容です。皆さんはどう思われますか。
それから、佐々木さんは、数字には色が付いていると言うのです。これもまたおもしろいなあと思います。
今週は、3つの学校で授業することになっている。
初っぱなは、明日の火曜日。数矢小学校の5年生である。その後は、扇橋小、四大小と続く。
数矢小学校の五年生は、4月から毎月1回ずつの授業を積み重ねてきた。
明日の授業は、富岡八幡宮の吟行を予定している。
吟行し、教室に戻ってから句を作る。時間が許せば句会まで到達したい。
吟行の時間は、30分程度である。
1、八幡宮を上五において一句作る 季語が入らなくてもよい。
八幡宮の第一印象を句につくるということだ。八幡宮を上五におくことによって、イメージが出やすくなる。
2、大鳥居、力士の碑などを上五においてつくる。
5分と時間を区切ってつくる。つまり、できる子は、ここまでで3句つくることになる。
3、次の10分間で、気がついたことを何でもよいから、ノートに書く。
砂利の音、参道、おみくじ、やしろ、屋根に鳩、石がつめたい、空青い、霜柱、静か、お参りする人がいる、御神輿は休んでいる、銅像、深川飯・・・・・・
4、今見つけた言葉を使って一句作る 5分
これで、吟行はおわり。
次は、教室に戻ってから、更に句を作る。
1、それぞれの気がついた事柄をあげて板書する。その時に、八幡宮の歴史など、こちらからも情報提供し、それらの言葉が使えること、また、思い出して新たな気付きを引き出すようにする。
2、もう一句チャレンジ。
3、季語を入れる。その際に、八幡宮を季語に変えることも可である。
10から15程度の季語を提示する。 季語が入っている場合には、季語の比較検討をする。
4、語順が替えられないか検討する。八幡宮を下五に持ってくるなど。
八幡宮を上五匂い田場合は、下五は、動詞や形容動詞になる場合が多いが、下五を名詞にした方が句として安定する。
ここまでで25分。
5、一番気に入った句を板書する。約10分。
6、簡易句会10分
こう考えると時間としては少し苦しいかな。その場合は、最初の部分を省き、3の部分から授業にはいることにしょう。すると、最後の句会に15分はとれそうだ。
木曜日の扇橋小の授業は、3年生と5年生が対象である。初めての授業なので、どこから入るか、これから考えよう。
「いちじはん」の句会があった。
この句会は、中学1年生から私の年齢まで、参加者の年齢が実に幅広い。
主宰は、北大路翼さん。
きのうは、富岡八幡宮での吟行だった。
日陰に入るとさすがに寒いが、風がなく、冬晴れの爽やかな一日。
骨董が骨董を売る初商い
骨董市悴んでいる招き猫
もっとも、吟行といっても自分で作ってきた句もだしてよいことになっているが・・・・・
この日、一番うれしかったことは、中学1年生のSさんの俳句がとても上達していると感じたことだ。情景をただ写した小学生の時の句と違う。
これは、精神的に成長したからだろうか。ちょっとしたフィクションもはいる。
作品として作ろうという意図がある。
子どもの句がどのようにして成長していくのか。興味のある課題だ。
寝正月39度の一人部屋
遅刻した稽古始の笛の音
これからが楽しみである。
1月の句会「いちじはん」は、富岡八幡宮の吟行です。
1時半に門前仲町の富岡八幡の鳥居前にお集まり下さい。
句会の会場は、数矢小学校です。
どなたでも参加できます。 ぜひどうぞ。
ご無沙汰しています。数日娑婆から離れていました。
この間、2つの大人の句会をしました。
1つは、八名川句会。参加者は十数名ですが、地域のおじいちゃん、おばあちゃん、そして八名川小学校の保護者、元保護者が中心です。
新年の初句会ということで、本格的にお茶が振る舞われ、和気藹々の二時間です。
もう一つは、気功の先生方を中心とした気功を学ぶ人たちの俳句会。
ここでは、俳句を作るのは初めてという人がほとんどです。
果たして自分もできるかしら、ちっょとおっかなびっくりという方もいるし、作ってみたらいくらでもできそうという方もいらっしゃる。
八名川句会。もちろん、点盛りもしますが、それよりも面白いのは、それぞれの句を語る場面。お正月に温泉に行ったらああだった、こうだったとか・・・・
句会を通して、お互いの生活や考え方がわかり、昔の生活や各地方の風習を学んだりするのです。
つまり、俳句はコミュニケーションツールになっているのです。
これが、文学としての俳句、作品としての俳句ということになると、作品を語ることは基本的にはするものではありません。語らないということが本筋になります。作品で分かればよいし、ああだった、こうだったというのは余計なことになるわけです。
気功の方々の俳句は、「頭の気功としての俳句」という位置づけです。頭を働かせ、リラックスさせて楽しむ。ここでも、文学作品を作ろうと言うことは当面ありません。
ひるがえって、子どもの俳句を考えてみます。子どもの俳句はどっちだろう。
子どもの俳句は教育という側面があります。それは、句をシェープアップして高める過程で日本語力を育てることで、ある意味で文学をめざすということになります。
それ以上にこんなこともあるのではないかと思うのです。
これまで、俳句を何のために作ってきたかと言うと、コンクールに応募するために作るということが多かったのではないでしょうか。そこでは、コンクールに引っかからないような句は意味ないという価値観が支配します。振り返って考えてみると、私にもその傾向性は色濃くあります。
ところが、土田先生の実践をみると、その重点は、コミュニケーションです。その中から、子ども達の心情を高めていくというやり方です。これが、学級づくりに繋がります。
コミュニケーションツールとしての俳句、生活を楽しみ豊かにするための俳句という側面に子ども俳句の観点からもっと重点をおいていいのかもしれないと思ったのは、2つの句会が実に楽しいかったからです。
コンクール参加型でない俳句、生活を共有して楽しむ、そしてその中で力を付けることを基本として考えたとすると、例えば、句会の方法にしても、作った本人にもっと語らせることを重視したかたちになるだろうとも思いました。この問題は引き続き考えていきたいと思います。
皆様方の意見も伺いたいところです。