十分間俳句

発見・感動・創造! 子どもたちの感性を培い日本語力を高める十分間俳句

八名川句会

2009-01-30 | ジュニア俳句

八名川句会 2月2日(月)午後4時から行います。


二句持ち寄り。


見学だけも可。


どなたでもおいで下さい。


俳句を種にしながらおしゃべりするのが楽しい。ですのでうまい必要はありません。


昨日は、区議会文教委員会・教育委員会の学校訪問があった。教育長、学校教育部長以下教育委員会事務局の幹部も総出で、八名川小においでになった。総勢31名。


懇談会では、文教委員・教育委員の諸先生から


・様々な取り組みが行われている


・教員が意欲的である。それに若い教師がよく育ってきている


・基礎的な授業がきちんと行われている


・子ども達が明るく元気、それによく躾けられている


・地域との連携の積み重ねがある


等々過分のお褒めの言葉をいただいた。


俳句についても非常によい取り組みだと評価していただいたことはうれしい。


八名川小学校が元気なのは、保護者や地域がよい点を見つけ、ほめて応援してくれてきたからである。


人間も組織も完全はない。誰でも、よい点と問題点を持つ。


問題点を指摘すれば、幾らでも出てくる。八名川小学校の保護者と地域は、よい点はほめ、問題点は、我慢強く解決まで待ってくれている。


これは、子育ての原則と同じだ。


八名川小学校はそうやって保護者と地域に育てられている。


夜は、白河地区青少年対策委員会の新年懇親会に出席する。


ここに来ると地域の中心的な方々とお会いすることができる。


貴重な情報を幾つもいただいた。


今日は、午前中は、お相撲体験の授業。実によかった。


相撲関係の仕事をされている保護者の方の骨折りで実現した企画である。


詳しくは→ 相撲教室 をクリックして下さい。


夜、東京海洋大学の先生にお会いする。ここでも貴重な情報があり、海を学ぶ授業が実現できるかもしれない。


さて、俳句。六年生の句に次のようなものがあった。


 冬寒し当たり前のことだけど


冬寒いのは当たり前だが、子どもが「当たり前のことだけど」と書くのは当たり前でない。


つまり、「冬寒い」と言っている自分を客観的に見ているもう一人の自分がいるのだ。


すごいことだと思う。


 


六年生の句 続き

2009-01-27 | ジュニア俳句

夜、港区の高輪台小学校での研究会に参加した。

主題は、「児童虐待」である。議論の中心は、この問題に学校がどの様に関わるかという点であった。

少なくとも、現時点で社会や行政が(学校を含めて)家庭で起こる問題について有効な手段を持っていない事だけは確かだ。どの様なシステムを作れば、解決できるのか。簡単ではない。

しかし、はっきりしていることは、「虐待」や「いじめ」が閉じられた空間の中でおこることだけは確かだ。

この問題の討議はこのブログの仕事ではないので、この辺でやめにして、俳句。

六年生の句で面白かったのは、次の句。

 

 大寒や鼻歌聞こえる湯船から

 

どんなに寒くても、お風呂の中は暖かい。つい鼻歌がでてしまう。その鼻歌を聴いている作者は、どこにいるのだろうかと想像する。


深川芭蕉まつり

2009-01-26 | ジュニア俳句

芭蕉が奥の細道に 深川から旅立って、今年が三百二十年である。


それを記念して、八名川六か町で「深川芭蕉まつり」を行う計画が進行中である。


この事は、以前にも報告した。


今度の金曜日、三十日には、森下文化センターで発会式が行われる。


百人に近い方々が出席するとのことである。


お祭りであるからにぎにぎしいのがいい。


深川芭蕉まつり小学生俳句大会も行われる。3月の末日頃が締め切りである。


学校が忙しい時期だから、どのくらいの応募数があるかわからないが、深川発祥俳句大会、波郷記念館ジュニア俳句大会に続き、三つめの小学生俳句大会である。


大きな大会に育っていけばよいと願う。


選者は、芭蕉記念館でずっと子ども達に俳句を教えて下さってきた俳人の下山宏子氏、


現代俳句協会ジュニア研修部長の田付賢一氏、それに俳句十代編集長の川田由美子氏に現在折衝中とのことである。


ジュニアの俳句に関わってきて、ジュニアの句の特徴をよく知っている人が選者の俳句大会はあまり例がない。その意味でも、この俳句大会は、画期的であると思う。


 


六年生の句を一つ紹介する。


スカートかズボンか迷う寒い朝


なるほど!と思う


 


「取り合わせ」の句は抽象画

2009-01-25 | ジュニア俳句

天気予報に反して?暖かい一日になった。日差しが春のようだ。


「春隣」(はるとなり)という季語がある。


「まさにそんな感じの日だな」


と思って思い返した。


「春隣」というのは、冬の季語だ。


春のように暖かいではなく、冬の寒さの中に春を感じるとという意味だろう。


日本の季節感の微妙な部分を表すのがこの季語であるとも思う。


すると、今日のような日のことを何と表すのだろう。


常盤一丁目の餅つき大会にたまたま出くわして、お餅をごちそうになった。


たちまちおなかがいっぱいになった。


格別のうまさだ。つきたての餅というのはこれほど美味なものか。


いつも学校を支えてくれる町会の方々と一緒に、子ども達の顔も見て、その心地よさがプラスされているのかもしれない。


こんなにおいしいものを食べさせてもらうと町のためにもう一肌脱がなければという気になってくる。


 


さて、今日の主題だが・・・


俳句の作り方の一つの手法に「取り合わせ」がある。


全く観点の異なる二つの事象を併せることによって、豊かな世界を表現しようとする俳句の作り方である。


子ども達にこの方法で俳句を指導すると、俳句っぽい「俳句」ができる。


飛び込みの授業では、この手法を私も多用する。この方法だと、数十分で、気の利いた俳句を多数産み出すことができるからだ。


私が気に入っている俳句には、例えば


僕の鉛筆とがってる+新学期


それで   新学期僕の鉛筆とがってる   となる。


全く異なる二つのものを併せて、新しい観点を作るのは、発想の基本的な方法の一つだ。


かつて大宅壮一と言う人がいたが、彼は、しょっちゅうこうしたことを考えていた。


例えば、 「駅弁」+「大学」という全く異なるジャンルの事を併せて、「駅弁大学」という言葉を作りだした。


しかし、この方法を子どもに指導すると、しゃれた句が生まれたりするが、本人は果たして意図的にそのことがわかって取り組んでいるとかと言うと、多くの場合そうではない。


偶然の産物なのである。


高学年の子ども達にこうした方法を指導することを否定するものではないし、俳句大会に出す俳句を作らせるときにこうした方法を教えることもあるが、「発見・感動・創造の俳句教育」の基本的な方法ではないような気がしてならない。


なぜだろう。


思い当たったのは、「取り合わせ」の手法というものは、抽象画のようなもので、それがわかるというのは、一定の発達段階に至ってからなのではないか。


知り合いの中学校の美術の教師が「中学生にならないと印象派の絵画(視点の異なるものをひ一つのキャンバスの中に表現する)はわからない。」と話していたことを思い出す。


 


 


 


 


 


俳句教育

2009-01-22 | ジュニア俳句

バラク・オバマの演説を読んだ。もちろん、日本語訳の方だが、日本の政治家の演説とは、まるで違う。大統領就任演説という特殊性もあると思う。哲学的な要素が強い。


28日に、区議会文教委員会と教育委員会が合同で八名川小学校を訪れる。


その際の学校説明をするプレゼンテーションの原案を作っているが、八名川小学校の実践について、区議会と教育委員会の幹部に直接話ができるチャンスがあるというのは、実に嬉しい話だ。


芭蕉記念館と波郷記念館のある江東区において、俳句教育をさかんにする意義については、特に強調したい。


俳句教育は、子どもの発想力や言語力を高める習慣を身につけさせる。しかも、自然に親しみ、伝統に心を馳せる。


西の松山、東の江東という風にならないものか。


20世紀が経済の時代だとすれば、21世紀は、文化の時代だ。


日本の生き残る道は、それ以外にない。


区がいち早く文化に目を向けた政策を目玉にして欲しいと願う。


その時に、区の歴史的な財産である俳句を横に置いておく手はない。


文化は、その担い手を育てることと一体だ。


学校教育における「俳句教育」は、必ず江東区という地域の目玉になり得ると思う。


 


五年生の俳句


おもちやくプクッとふとってまたやせる


たわいもないことで、こう言われると当たり前のことだが、この当たり前のことをきちっと見ていて、表現できる。コロンブスの卵のようなものだ。


この観察眼こそ、子ども達に育てたいものだ。


 


五年生のお正月の俳句

2009-01-19 | ジュニア俳句

五年生のお正月の俳句を紹介しよう。


どういうわけかおみくじの句がいくつもあった。


 


おみくじをひかない今年は運悪い? 


 


おみくじでおれは何吉末吉だ


 


おみくじを引いたら小吉ほっとした 


 


丑年の句や初詣っぽい句も。




今年はね丑年だからぼくの年 



 


今年はねぼくは丑年年男


 


七福神元旦の日にまわったよ 


 


 成田山おまえりするのに三十分 


 



中華街おしくらまんじゅう人いっぱい 


これも初詣のうちかな。


 


まわってる人を見たよ七福神 


発想が逆になっているのがおもしろい。


 


年賀状の句も。





年賀状ポストあけるとどっさりだ 



年賀状いっぱい来ると宝くじ


並んでる牛がいっぱい年賀状 


 


 



 


川のことをなぜカワというか

2009-01-18 | ジュニア俳句

「川のことをなぜカワというか」


そんなことは、考えたこともなかった。


言われてみて、初めて「ふーん」と思った。


川と風。漢字で書くと別々だが、 一方は、「かは」であり、もう一方は「かぜ」である。


つまり、「か+は」であり、「か+ぜ」なのだ。


「か」の原型は、「く」であり、漢字で書くと「来」なのだと言う。


「川」も「風」も向こうから来る。


「は」というのは、水がピチャピチャ跳ねる音であり、「ぜ」というのは、草木がざわざわと揺れる音なのだと言う。


すると、むこうからやってきて水がピチャピチャ跳ねるのは、「川」であり、向こうからやってきて草木がざわざわするのは、「風」だと言う。


「木」の原型も「来」であり、この場合は「生えて来る」と言う意味になる。


「草」も「来+さ(騒ぐ)」ということで、毛も同じであると言う。


子も「やってくるもの」と言う意味らしい。実に日本語は面白い。


以上、「川はなぜカワというのか」渡部正理著 新人物往来社 による。


 


 


六年生のお正月の句。続きの続き&お知らせ

2009-01-15 | ジュニア俳句

今日は寒い一日だった。今日は、五時半頃には仕事が終わったので、早めに学校を出た。


早く学校を出ると、「何かやり残した仕事があるんじゃないか」と気になってしまう。貧乏性なのだ。しかし、早く帰れば、家で一仕事または一勉強できるのだから、できるだけ早めに切り上げて、帰宅することも考えていこう。何しろ、人生の残り時間も少なくなってきているのだから。急がなくては・・・・・


帰りに図書館による。何冊かの本とCDを借りる。


さて、六年生の句。取り上げなかった句からいくつか。


ほりごたつ肩まで入ってお昼寝じゃ


田舎の掘りごたつに入った。その広さが心地よい。肩まで潜り込んで、良い気分。


門松のとがったところに年の神


なかなかの句。年末にテレビでもこの事をやっていたらしいが、そこに関心がいくことがすごい。何処に年神がいるか、門松を見つめている。


鏡もちみかんが残るお正月


これもよくお正月の風景を捉えている。季重ねは、特にこの句では、問題にしなくてよいと思う。鏡もちのみかん(だいだい)が残るのか、鏡もちとみかんが残るのか、両方ともありそうだ。


今の時代たこ揚げかるたはもうでない


時代は変わっている。たこ揚げやかるたはイメージの中だけにある。お正月と言えば、たこ揚げ、はねつき、かるたというような既成概念を崩している。


トラックで門松いっぱいはこばれる


この句もよい。リアルな発見がある。門松は、飾られるためにトラックで運ばれてくるのだ。このリアルな光景に気がついたことに感心する。こういう発見をたくさんして欲しい。


お正月七日で完食栗きんとん


大切に食べたあの栗きんとんも七日目でついになくなってしまった。この栗きんとんは、お正月はみんなでよく食べたという象徴かもしれないし、お正月が完全に終わった象徴かもしれない。


 


今度の日曜日18日 午後1時半から八名川小学校で中学生句会があります。


16日付日経新聞夕刊に八名川小学校のことが学校選択制に関して、取り上げられます。どの様な記事になるかは読んで見ないとわかりませんが・・・・


八名川句会は、日程変更です。一週間延ばして、


2月2日(月)4時からです。 よろしくお願いします。


 


 


 


 


 


一月の中学生句会は、18日。午後1時半からです。


 


六年生のお正月の俳句 続き

2009-01-14 | ジュニア俳句

冬らしい寒さが続いている。肩をすくめないで居るとその寒さが心地よい。


二月の初めにある縄跳び大会を目指して、練習が始まっている。


今日は、体育朝会で各学年で練習。



一年生でも結構上手に跳ぶ。


来週から2週間、休み時間は八名川公園を使って練習を予定している。


寒い中、大変申し訳ないが、保護者の皆さんに見守りのボランティアをお願いしている。


さて、六年生のお正月の句の続き。


最初はお年玉に関する句。


お正月と言えば絶対お年玉


お年玉ちりも積もれば山になる


お年玉何に使うか考える


不景気だポチ袋の中好景気


お年玉もらう気にならんなぜだろう


 


最初の句。


「絶対」と眼目。この言葉でこの句は成立している。


二句目。


「ちりも積もれば・・・」の慣用句を自分のものにしている。または、ここで使うことを通して自分のものにした。


三句目。


欲しいものがいろいろあるのかな。


四句目。


不景気なのでお年玉も半減するのではないかと心配していたところ、予想よりも多くもらえた。


最後の句。


これまでは、お年玉をもらうとただ嬉しかった。しかし、自分がもらった分、親がよそにお年玉をあげていることがわかり、複雑な気持ち。成長したなあ。


 


 


 


 


常盤二丁目新年会

2009-01-12 | ジュニア俳句

先週の金曜日に、PTAの新年会、続いて常盤二丁目の新年会に出席した。


常盤二丁目の新年会に出させていただいたのは、今年が三年目である。最初は、八名川小学校90周年祝う会会長の故関本さんからのお誘いだった。


町会の役員さん、婦人部の方々が中心の会。Y婦人部長による和歌の朗詠など、文化が息づく楽しい一時だった。


八名川地区は、各町会がしっかりと根をはり、住民の生活をサポートしている。地域の絆がある。この事が、保護者のつながりを作り、地域での安心・安全を作りだしている。学校は、その上に乗っかっているというわけだ。


この会で、11月27日に「発見・感動・創造の俳句教育」の研究発表会を行うこと、脳学者の茂木健一郎さんの講演会が実現することなどを話をした。


すると、この話が機縁になって、何人かの俳句愛好者との縁ができた。


もしかすると、11月27日の研究発表会は、ジュニア俳句にとっての出発点になるだけでなく、八名川地域の俳句文化の出発点になるかもしれない。


六年生が、十分間俳句で「お正月」の句をよんだ。年末にも「お正月」を題材にしてよんだが、リアリティが違う。


簡易句会をやったら、一番人気があったのは、


 鏡もちどこにも鏡がないじゃない


という句であった。


たった十分間で、全員が句をよむ。十分間の積み重ねを感じてうれしくなる。


 甘酒の句が二つ。


 甘酒をいっぱい飲み干し夢の中


 甘酒を一口飲んで「きらいです」


 初詣の句が三つ。


 初詣神社が近くて便利だな


 初詣父と二人でねがいごと


 初詣今年のお守り縁結び