十分間俳句

発見・感動・創造! 子どもたちの感性を培い日本語力を高める十分間俳句

俳句は言葉の変化球

2012-06-27 | ジュニア俳句

先日の続きである。

子どもたちは、

◎近寄ってみる(目で、鼻で、口で、手で、見る方向・・・・)

◎離れてみる

◎思いだしてみる 

◎たとえてみる

大雑把に言えば、以上の視点で観察し、ノートに書く。

句を書いたり、思いついたことをいろいろ書いたりする。

例えば、◎思い出してみる のところで きゅうりを見て 冷やし中華を思いだした子どもが居た。

こんな感じで俳句の種を探し、俳句をつくり、教室に戻る。

これからが第二段階である。

これだけでは、まだ作品としては弱い。

単なる観察や報告になってしまう。

これを俳句の苗と捉えて、立派に成長するためには、肥料を揚げなければいけない。

それが言葉の表現だ。

(もっとも、言葉だけを工夫すればよいかというと、実際はもっと奥深いからこれだけではないが・・・)

「俳句は「ひねる」というんだ。」

「野球でひねるとどうなるかな?」

「カーブ」

「フォーク」

そうだね。つまり「変化球だ」

この俳句はまだストレートだな。

表現を工夫して変化球にしてみよう。

 

ある授業では、一つの句を板書し、その中の

「少し」という言葉をとりあげて、

「他のいい方はないかな」

「ちょっと」

「ちょっぴり」

「ほんのり」

「この一つの言葉にしても色々名表現があるね」

「自分の俳句の表現を変化球にして表してみよう。」

花に虫が集まっていることを

ある子は、虫のレストラン と表現し、ある子は 大衆食堂 と言ったりした。

これらは、まだまだ初歩的であるが、ここで言いたいことは、

外に出て作る段階と教室に戻ってから推敲する段階があるということだ。

先生方の方が更に上手な工夫をされていると思う。

それらもぜひ日本学校俳句研究会にお寄せいただきたい。

そして、俳句の指導法を積み上げてみんなの財産にしていきましょう。

 

  日本学校俳句研究会のホームページ←クリックしてください。

 

 

 

 

 


写生俳句の指導法について その一

2012-06-25 | ジュニア俳句

担任をもっている時は、ゆっくりと時間をかけて指導することができるが、出張俳句教室の時は、2単位時間で俳句を作り、句会まで進むということになる。
短い時間で効率的な指導を心がけないと、成果が見えないということになる。
指導時間がとれれば、「楽しいな」俳句も何度もつくり、その上で先に進んでよいのだが、そこまでの余裕がない。
ではどうするか。

写生俳句の場合は、ほとんど「季語」を詠む事になるので、俳句が五・七・五であり、季語を入れることを確認してから、

1、「チューリップ赤くさいててきれいだな」
を示して、「きれいだな」→感想を言わない。
「きれいだな」「かわいいな」「うつくしい」などの言葉を使わないで、その気持ちを伝えるのが俳句というようなことを確認する。

2、ズームにして近寄ってみてみよう
近寄るといろいろなことがわかる。
「赤だけど少しむらさきチューリップ」を示す。赤でもいろいろあるんだね。
においをかいだり、さわってみたりしよう。

3,次に遠くから見てみよう。するとチューリップだけでなくほかのものも見えるね。
「玄関の真っ正面にチューリップ」
「1年生といっしょにゆれてるチューリップ」

4、今のチューリップについてだけでなく、前に見たチューリップのことを思い出してみよう

5、チューリップを見て思いついた言葉  ~のようだ どんな風に 何に見えるか

6、その他 チューリップを別の場所にもっていく
       自分の心をチューリップに例えるとどんなチューリップになる

学級の状況によって、その幾つかを示してから テーマになってる植物や動物などを見に行く。最初は、この時、あれもこれもとしないほうがよい。集中させることによって、同じものをみても見方が違うことを教えることができる。(最初からばらばらにしてしまうと、中には一時間ぶらぶらしただけの子どもが出てくる危険性がある。慣れてきたら、何を題材にしたらよいかを考えさせる)
低学年の時には、観察カードを用意した方がよいときもある。

ここまでが前段階の指導である。この次の指導についてはまたの機会に述べる。

 


観察カード

2012-06-19 | ジュニア俳句

今日は、第二亀戸小学校のの4年生での授業であった。
第二亀戸小学校では、3年生、4年生を春夏秋冬と年間4回指導することになっている。
しかも、この学年は、昨年からの引き続きである。
今年は、5月のはじめに授業し、今日が二回目である。
校庭で栽培している、ナスやトマト、キュウリ、トウモロコシなどの野菜を中心にして俳句づくりを行った。
いつもの授業から、導入部をはしょり、幾つかのポイントを話しただけで、校庭に出て、実物を観察して俳句づくり。
実物を自分の目で見てその気付きを俳句にする。このことが大切だ。
と同時に、見る際の視点をはっきり認識させておくことが必要だ。
これまでは、生活科で使ってる観察カードの視点を転用していた。
つまり、
目、耳、鼻、口、手 つまり五感を働かせようというわけだ。
この観点にもう少し加えてよいと思った。
ぜひ、検討していただきたい。

加えて、

● 見る方向 上から見ると、下から見ると、横から見ると など
● 比喩 ○○のように見える ○○みたい
● どこにあるか どのように  
● まわりに何があるか 上には、左右には、下には 向こうには 反対側には 近くには

 ある学校で指導したときに、

 あじさいとゆりの間に出入り口  

という句が出てきた。
テーマにあるものだけでなく,視野を広げ゛てみると視点の違う俳句ができるし、視点を変えるということが学べると思うのである。
また、こうした観点があれば、取り合わせに移行する場合の中間形になり得ると思う。
いかがだろうか。
もし、これがいいとすれば、もっと違う観点が考えられてもよいという方はいらっしゃらないであろうか。

●思いついたこと
●好き、嫌い、他の人との関係
 →赤いバラお姉ちゃんのお気に入り
等々
いろいろなバージョンが考えられそうである。

 


第四大島小学校での授業の記録

2012-06-16 | ジュニア俳句

先日、江東区の第四大島小学校の2年生での授業の際、島根県隠岐の島の永海校長先生が参観して下さった。
しかも、その時の授業経過をわざわざまとめてくださり、送って下さった。
自分の授業をこんな風にまとめてなかったので、大変ありがたい。
俳句に初めて出会った子どもたちとの授業であった。
直前に実施された運動会を題材に取り上げている。
永海先生から隠岐の島の子どもたちの作品をいただいた。
あるコンクールへの応募作品なので、ここで紹介できないがとても素敵な俳句が並んでいる。
隠岐の島の子どもたちと一緒に俳句の勉強をして見たい者である。
永海先生、ありがとうございました。


同調バイアスをはねのける力としての俳句教育

2012-06-15 | ジュニア俳句

「俳句は、人と違う方がよい」
このことが、俳句を教育に取り入れる意義の一つだと強く感じた。
「流行に敏感」
世の中に同調しながら、その先頭にいるのが一番いいという価値観だ。
一時流行した
「空気が読めない」
も集団の空気に同調する方がいいという価値観だ。
強烈な同調バイアスが日本社会には存在する。
最近「できる人は空気を作る」という本が最近売れているらしいが、この強力な同調バイアスの中で、自己を確立できるかということは、一つの課題だ。

俳句においては、「人と違う方がいい」のである。
違いを強調し、その違いを競うのが俳句だ。
作品を作るときにも、句会においても、異なった視点を持てるかが勝負なのだ。
一つの真理を追究する教科の指導では、そういうわけにいかない。多くの場合は,一つの答えに収斂されていく。
それが、俳句では全く逆なのだ。
このことの重要性、教育的な意味は、もっと強調してもよいかもしれない。



学校俳句は「句会」が命

2012-06-14 | ジュニア俳句

11日からの三日間は扇橋小学校の三つの学年での授業を行った。そのうち、六年生の授業は、俳人の高橋博夫さんに中心になって進めていただたいた。
その中で、高橋さんが強調されたことの一つは、感動を大切にするということだ。
俳句も詩であり、詩を作る原動力は、心の動きだということである。
生活の中での、自然と触れあったときの感動を捉え、言葉にしていく,こうした心性を子どもたちが獲得していく。これが俳句の力だと思う。よく言われた言葉によれば、「体験の言語化」ともいうことができるだろう。

もう一つ強く感じたことは、俳句における「句会」の大切さということだ。授業を終えて、校長先生を交えて懇談した。その時に「茶道」と「俳句」の相似性について話が及んだ。
結論から言えば「一期一会」ということだ。二度とはあり得ない場を共有する喜びのようなものである。
俳句をなんのために作るのか。これについては、いろいろに考える人がいる。ある人は名句をものにし、名前を後世まで残したいという人もいるだろう。つまり、句作りそのものが目的であって、句会もそのための手段だという考え方だ。近代個人主義の考え方に基づけば、そう考えるのが普通であるとも言えよう。
そういう考え方の人からすると、子どもの俳句でも世間に通用する「名句」が生まれるかどうかが、一番の判断基準になる。もちろん、教室を超えて通用するすてきな句が生まれば、それにこした事はないし、別に矛盾する問題でもない。
しかし、学校俳句という場面を考えたとき、私は「場」というものつまり「句会」という場を豊かに共有することを第一に目指したい。

扇橋小学校の授業の中で次の句が出てきた。昨日の感動を俳句に詠むという種類の授業である。

 梅雨の日にアスパラガスを買いました

散文調であるが、とても自然でよい句だと思った。句会では、この句に10票入った。はじめてするような子どもの句会では、この種日常の地味な場面の句に票が集中することはあまりない。
裏には,ドラマがあった。
今日、家庭科で調理実習があるのだそうだ。その調理実習の準備のために買い物に行った。そこで何を買おうか悩んだ末に買ったのがブロッコリーだったというわけだ。ブロッコリーを手にとって悩んでいる子どもの姿が目の前に立ち上ってくる。
大人の句会では、あまり自句自解をしない。提出された作品は既に作者の手を離れた文学作品だからだ。
しかし、学級の句会では、自句自解をさせた方がよいと思う。そのことによって、一層場を共有することができるからだ。(と同時に自由な解釈の意味を教えることが必要だが・・・)
心が繋がり共有することができる喜び。これが句会にある。それは、俳句の授業や国語教育を超えたところにあるような気がする。もちろん、句会は、俳句の質を高めたり、言葉を学ぶ絶好の機会なっていることは自明だが、句会は、そうした事を超えて、生活し、共に生きる喜びを共有するにもなっているのだ。句会は学校俳句の命ではないかと思う。




扇橋小学校での授業

2012-06-12 | ジュニア俳句

江東区立扇橋小学校も俳句に取り組んでいる学校の一つである。校長室の前には、大きく6月の俳句が掲げられ、教室の前にも俳句の作品が並んでいる。この掲示板は、毎月の俳句が重ねて貼られるようになっている。
この扇橋小学校での授業。三日間で、三つの学年を担当する。六年生については、俳人の高橋博夫さんにお願いし、私達も学ばせて頂くことにした。

この間考えたことは、「なぜ俳句を教えるか」という原点に戻るとどうなるかということである。勿論、ステキな俳句作品ができることも大切だが、どういう力を子どもたちに付けたいのか、そのことを考え見た。
第一は、発見力を付けるということだ。
自然の事物を見て、新たな発見がある。気がつく。このことが大切だと思う。
「きれい」というくことも気がつくことだが、もっと詳しく見てみようよということだ。
その時には、対象そのもの自体ということもあるが、まわりとの関係で、つまり空間的な広がりの中で考えることもある。さらに時間的な経過の中で考える、こうして考える経験をおこなわさせることだ。
対象は自然の事物だけではない。扇橋では、「昨日の生活」をテーマにした。日曜日、一番印象的だったことは何かを題材にした。これも発見力に関わる。何気なく過ぎていく日常から感動を引き出す。こういう習慣を付けることが人生を豊かにする。俳句を作る事によって、日々の感動を自覚できる習慣を培おう(ちょっと大げさかな。しかしそうなのだ)ということだ。

 すると出てくる。

一輪車ずっと乗ってた日曜日

新品の消しゴム買った日曜日

弟のわがままきいた日曜日

サンダルで自転車こいだ日曜日

手こぎボートまっても来ない日曜日

日曜日仙台堀川探検隊

おでかけは秋葉原に行く日曜日

もちろん、まだこれらは俳句の種で、季語がない。季語の指導は別途だ。
こうしていろいろなケースをあげていく。面白かったこと,楽しかったこと、悲しかったことなど心が動かされたことを題材にする。
同じ出来事を取り上げても視点を深めることができるかどうかという問題がある。
さらに、視点の変換ということも一つあるだろう。他者の視点になることによって視野を広げることができる。

次はたとえば言葉だ。言葉の吟味をする習慣をつけること、 ・・・・・こうして、一回一回の授業で何教えるのかを明確にしていくことが大切だと思った。
これまでの授業を振り返りながら、何を身につけるのか、ここを明確にして、一種のマニュアル化をする必要があると感じている。

 

 


越中島小学校で授業

2012-06-05 | ジュニア俳句

越中島小学校は、俳句の学校である。
昨年度は、現代俳句協会の俳句コンクールや季語祭の俳句コンクールで学校賞を獲得ししている。

 


その背景には、国語教育に取り組み、読書や朗読などの地道な活動がある。
この日は、4年生の3クラスで授業した。
昨年は、学年で全体会を行い、その後各学級毎の句会を標準としたが、今年からは、各学級で二時間枠の授業を行う事としたため、1時間目から6時間目まで6時間の授業となった。
指導時間が2時間増えるので確かに疲れるが、子どもと身近に接することができ、手応えもしっかり感じることができるのでよい。
越中島小学校には、自然園があり、花もあり蝶々も来る。夏の芝もきれいだ。



この日はどんどん題材をかえて俳句をつくるという試みをした。
既に「きれいだな」「たのしいな」などの言葉は使わないということは、ほぼわかっているので、「俳句は連想ゲーム」としてどんなものを思い浮かべるか。あるクラスではこのことを重視し、トレーニングをしてから校庭に出て句作りをした。また、違うクラスでは、夏の季語の学習をしてから俳句づくりに進んだ。
それぞれにステキな創造力豊かな句ができた。


いろいろなところに応募をするので、ここに発表できないのが残念だが・・・・手応えを感じた6時間だった。