毎月恒例の学校交流会勉強句会は、12月1日です。
自分で俳句を作り、句会を行うと、子どもに指導するときにとても役立ちます。
作句や評価のポイントがつかめるからです。
ぜひご参加下さい。見学だけでも可です。
時 12月1日(木)午後6時半~8時半
場所 江東区立八名川小学校会議室
(都営地下鉄森下駅A1出口 2分)
参加者は2句 11月30日までに
に送って下さい。
毎月恒例の学校交流会勉強句会は、12月1日です。
自分で俳句を作り、句会を行うと、子どもに指導するときにとても役立ちます。
作句や評価のポイントがつかめるからです。
ぜひご参加下さい。見学だけでも可です。
時 12月1日(木)午後6時半~8時半
場所 江東区立八名川小学校会議室
(都営地下鉄森下駅A1出口 2分)
参加者は2句 11月30日までに
に送って下さい。
江東区立数矢小学校は、富岡八幡宮の北側に位置する。
「数矢」の名前は、三十三間堂の通し矢から来ていると言う。
毎月一回、五年生の指導に伺っている。
富岡八幡を通って、明日が、三の酉であることに気がついた。
違う題材を用意していたが、急遽、「酉の市」にテーマを切り替えることにした。
酉の市は、明日であるから、もちろんまだ始まっていない。それでも、準備はちゃくちゃくと進められている。
実際にその様子を自分の目で見ると、リアリティのある俳句ができる。
1時間(45分)では、行って帰って、句をつくり、句会まで行うには無理がある。
こどもたちは句会が楽しみなのだが、今日は富岡八幡まで吟行することにした。
忙しい学校生活の中でゆったりした時間が流れる。
担任の先生は、
「社会科見学や他の授業できても、こんなにゆったり雰囲気に浸れることはありませんね」
と言う。
俳句を作るという目でこの場にいる、それは余裕でもある。
途中、偶然Aさんに出会った。Aさんは、江東区のボランティアガイドをなさっている。
ちょうどいいとばかりに、酉の市の説明をしていただいた。
酉の市神社に向かう足早く
酉の市いちょうの中夢世界
コウテイダリアかれるころには酉の市
こま犬がじっと見守る酉の市
私も、一句
寿の屋号が下がる酉の市
数矢小は元気だ。
写真は,みんなが長縄に取り組んでいる様子。
掲示板には、俳句が秋の俳句がはってありました。
今日は、A先生とご一緒に区内の毛利小学校の一年生の授業に伺った。
一年生でも俳句が作れるのか?
ところが、これができるから不思議だ。
2月発行予定の「俳句の授業アイデア50」(仮題)の中に一年生の入学後一週間目で作らせる俳句の指導案が載っている。
まだ、公開前だが、この指導案を基本にして、俳句指導をした。
45分でどの子もいくつも俳句ができる。
この指導案は、八名川小学校のF先生が考案したものだ。
今日は二クラスの授業。
しかし、授業は生き物だし、創作の授業は子供任せの部分もある。
とても面白い傾向があったので、報告したい。
一つのクラスでは、
一年生になって、どんなことができるようになったのか。
それを挙げて、それに季語を付け加えて1句作ると言う方法でやった。
一ねんせいてつぼうできたふゆの空
一ねんせいはいくができたふゆの空
こんな感じになる。中には、さらにそれをかえていった子もいる。
二つ目のクラスでは、
★自分の大好きなことは何かな
★したいことは何かな
★できたことは何かな
黒板にそれをいろいろ書き出して、それから
あきの空という季節のことばをつけて、俳句にしてみよう。
あきの空どんぐりひろい一ねんせい
ふゆの空雪だるまつくる一ねんせい
はるの空にゅうがくしたよ一ねんせい
なつの空ぷーるがたのしみ一ねんせい
最初のクラスでは、ふゆの空が最後に付くので、子どもの意識では軽いのかもしれない。
逆に、二つ目のクラスでは、最初にあきの空がつくと、それにひきづられる傾向があるのかもしれないとも思える。しかし、幅がぐーんと広がったりする。
指導の一寸した違いが子どもの作る句をかえる。このあたりのこともとても興味深い。
写真の撮り方が下手なものだから、ちょっとくすんでしまったが、実物はもっときれい。
くすんだ原因は、ライトのあて方にある。
素人が上手に写真が撮れないのは、光の使い方がうまくないからだという話を聞いたことがある。ライティングだ。なるほどと思う。
普通にとれているように見える写真。しかし、その裏には、相当な技術が隠れている。中日の落合監督が、普通にできるようにしてきたという意味のことを言っていたが、普通にするというのは、どんなことでも難しい。人生もそうだし、俳句にしてもそうだ。
この「俳句十代」という雑誌、毎月一号出て、186号だ。(現在は187号まで出ている。)単純に12で割ってみても、すでに15年続いていることになる。子ども達の俳句をずっと、地道に出し続けている。
こういう地道な活動がすべての基にあるのだろう。
現在は、二ヶ月に1回の発行で、年会費9千円。希望すれば、発行人で俳人の川田由美子さんから丁寧なメッセージがかえってくる。
連絡先・申込先は、03-6913-5334 俳句十代 まで。
今日は、堀本裕樹さんと一緒に第二亀戸小学校の四年生の授業に行った。
隣の公園に出掛けて、俳句のタネ探しをした。
初冬。公園は、春には桜が満開だった。
今は、桜紅葉が真っ盛りである。
ある子が、「どうしてこんなふうにかわっちゃうんだろう」と言う。
子どもの生活のなかで、自然を見つめる機会は少ない。もちろん、何となく季節の変化を感じることはあるが、取り立ててどう変わったかを考える事はしない。
俳句を作る時は、その季節の変化に意識的に目を向けるときである。
落葉の黄色や赤の色合いに目を奪われ、葉っぱの先がギザ議さしていることにも気がつく。
枯葉の音にも気がつく。
俳句作りは、自然手触れる一時間なのだということを強く感じた。
これなら、俳句の出来をぬきにしても、有意義な時間ということができる。
この学年は、昨年から俳句指導をしてきた。
今日は非常に子ども達の成長を感じた。
すてきな句がたくさん生まれたことももちろんある。しかしそれ以上の事があった。
一つは、言葉の工夫、俳句への工夫である。
「落葉や枯葉はさびしいから、色をつけて派手にした方がいいと思って、「カーニバル」という言葉をつかってみました。」
という意見が出て来たのには、びっくりした。
また、友だちの句を的確に評価する読み方ができ、しっかり意見が言えるということにも感心しました。
先生方の指導が、言葉を使いこなせる子ども達を育てていると言うことなのだろうと嬉しくなった一日だった。
校長先生は、来年は、全校句会を行いたいと意欲一杯である。
こちらも負けないように、しっかりサポートしていきたい。
二亀小は俳句学校にグンと近づいていると力強く思った。
先日、有明小学校の6年生の俳句教室を行った。有明小学校は、今年の四月に開校した。江東区でもっとも新しい小学校である。
中学校と一緒の校舎だが、はじめて訪れて、いろいろぴ゛っくりした。
とてもすてきな俳句が数多く生まれたが、今回は,学校の紹介に徹することにしよう。
有明小学校、有明中学校の表示がある
校庭は,芝生。直線で100メートル取れる広い校庭
これが、校舎の外観。
玄関を入ると巨大な階段。そして、象やキリン、くじらの絵。
実物大だそうだ。
四階にあるランチルーム。天井は半分ガラスで、明るい。
屋上緑化 ビオトープもある。
広いプール 床が可動式になっている。
四階から二階の中庭を望む
二階にある遊具。子ども達の人気者だ。
この26日は、開校式典をひかえている。ビックリするような学校であった。
俳句は,一種のひらめきである。
感じたことを言葉にうつす。このことによって、俳句が生まれる。
しかし、考えてみれば、人間の生活の殆どはひらめきに近い。生活というと言い過ぎだが、
他人との会話を想定してみればよい。
何をしゃべるか次々と考えているわけではない。しゃべっているうちに言葉が何となく出てくるのだ。その時、頭の中がどうなっているのか。
政治家であれば,だから時々失言の様な形になるのだが、スーパーコンピュータの「京」とは違うやり方で、コントロールされているのだろう。どこがどうなっているのかわからないが、この能力は並外れていることは確かだ。
何年も会っていない人から突然電話があると、頭がくるくると動いて、その人の顔を思い出したり、まつわる情報がわーっという感じでしみ出てくる。
俳句のひらめきも例えば花を見つめているときに、ふっと言葉が湧いてくる。それは、深層心理、深層の言葉をコントロールする仕方のようなものだ。それは、俳句には限らない。作文の言葉もそうであるし、絵をかくときもそういう点もある。想像的な活動、創作的な活動には、深層の操作というものが不可欠なのだ。
しかし、日本の学校の教育で行われるのは、主に意識的な言語操作の訓練である。論理的な思考が大切にされる。もちろん、これが教育の柱であることに間違いはない。これは、いわば、「京」的コンピュータの世界でもある。が、同時に,ひらめき、深層に潜り込んで、それを意識的に操作できる能力が広がれば、人間の能力は、飛躍的に増大するのではないかと思う。
少し前、「神無月・神の留守」という季語をテーマにして俳句づくりを試みたことがあった。
つまり、「鬼の居ぬ間に洗濯」というわけだ。
そうしたら、ぎょっとするような俳句がたくさん出てきた。
子どもは,子どもなりに心の中にたくさんのストレスを抱えて生きているということを改めて知った。
あまり心の闇を表面に出させてはいけないなあとも思った。
神の留守学校休んで旅行する
神の留守宿題しないでゲームする
お昼寝をずっとしている神無月
かくしてるおかしを食べる神無月
神無月少しいたずらしようかな
神のるす勉強さぼってひるねする
神の留守仕返ししたい弟に
神の留守家でごろごろゲームする
宿題を神いなければさぼっちゃえ
こんな恐ろしい俳句もあってびっくり。
神のるす他人の部屋をぐちゃぢゃに
しかもこの俳句が人気がある。「どうして?」と聞いてみたら、
弟に留守の間に,自分の部屋をぐちゃぐちゃにされたから、今度は仕返ししてやりたいというお姉ちゃんの気持ちなんだそうだ。
しかし、実際はそう言うことをしないで我慢しているから「神のるす」ということなのだろう。
子ども達も,けっこう我慢をして生活しているのだ。
俳句のテーマの工夫のしかたによっては、夢も心の悪も見えてくるようだ。
第二亀戸小学校は、今年百周年を迎えた。
校長先生を先頭に、学校全体で、俳句に取り組み始めている。
校長室には、毎日子ども達が訪れて、覚えた俳句を校長先生に聞いてもらっている。
また、百周年には、二亀小のカルタをつくり、大好評であった。
教室の前には、俳句が掲示され、句会が行われている。
こうした中で、様々な俳句コンクールでも入賞する子どもが相次いでいる。
第六回学校俳句交流会は、5日(土)、江東区の八名川小学校を会場に行われました。
最初の報告者は、葛飾区の北川先生。
若いときからの実践を豊かに語っていただきました。
随所に,俳句指導の工夫が語られましたが、教師としての生き方にも感動させられました。
次に報告に立ったのは、豊島区の森田先生他三人の若手の先生方。
学校や置かれている立場で、実践上の問題もそれぞれ異なりりますが、「いつでもどこでも俳句」など、実践の智恵が具体的な場面を通して語られました。
レポートの残部が幾分ありますので、ご要望があれば、ご連絡下さい。お送りいたします。
最後は、恒例の句会。児童の句を題材にしているところが、特徴です。
現代俳句協会の田付賢一部長や貂の会の齋藤二郎先生のご指導を受けながら、俳句の見方について勉強しました。
今回も、優れた実践報告と、率直な話し合いが行われ、すがすがしい気分と意欲が満ちる会となりました。参加者の皆様、ありがとうございました。
次回は、2月4日(土)は、現代俳句協会会長のの宇多喜代子さんにお話を伺うことになっています。
なかなかない機会ですので、ぜひカレンダーに書き込んでおいて下さい。