十分間俳句

発見・感動・創造! 子どもたちの感性を培い日本語力を高める十分間俳句

暑い!暑い!

2010-08-31 | ジュニア俳句
今日も暑い。これだけ暑さが続くとこたえる。
おとといだっか、寝る前に体重を測って、朝起きてもう一度測ったら、1.4キログラム減っていた。
それだけ汗をかいたということだ。
この状況がここしばらく続きそうだ。
しかし、一ヶ月後には確実に秋になる。
そう思うから耐えられる。
そこで、チリの事故を考える。
地下も炎暑だ。湿度も高い。その状況の中で四ヶ月耐えなければならない。
何処にもでられない。
本当に無事に救出して欲しいと思う。

日曜日は、よさこいまつりで八名川チームを応援に行った。その前の日は、芝刈りでちらっと学校に行った。一週間前は、PTAのラストサマーフェスティバルに行って、子ども達の作ったカレーをごちそうになった。
子ども達や保護者の方々と話していると実に楽しい。
時間がたつのを忘れる。
机の前に座って、何か考え事をするようりも僕はそっちの方がずっと好きなようだ。
しかし、考えねばならないことも山のようにあるし・・・・・・・

明日も暑いようだ。ふー



鹿浜第一小学校

2010-08-30 | ジュニア俳句
暑さは一向に収まらない。
東京の熱帯夜は、今年今日で47回目、1994年に並んで観測史上の最多タイ記録という。暑いと思うのは、当たり前だ。

鹿浜第一小学校は、足立区の鹿浜にある。
私は、新卒の時、そのそばの江北小学校にいたから、懐かしい。
当時は、交通が不便だった。
西新井の駅からバスに乗り、一番近い停留所から歩いて10分以上かかった。
舎人ライナーかできて、飛躍的に便利になった。電車から見る足立区は、三十年前とは様変わりだ。
しかし、学校の感じは変わらない。
鹿浜第一小学校には、昔ながらの趣がある。
「これぞ、日本の学校」という雰囲気だ。
六年生の研究授業で俳句を取り上げるというので、私が呼ばれた。

冷房をがんがんにつけてもまだ暑い教室で六年生の授業が始まった。
しかし、すぐにその暑さを忘れた。
その六年生が余りにも素晴らしかったからだ。
出された俳句の質が高いだけでなく、一人一人の児童の発言の水準の高さに驚いた。
36人の子ども達全員が堂々と、自分の選んだ句について次々とその理由を述べていく。
中には、
「私はこの句を選びましたが、この句は、季語が二つ入っているので、こんな風に換えてみました。」
と自ら添削した句を披露した。
何よりも、子ども達が友達の発言をよく聞いていたこと、素直に自分の気持ちを披露していたことが印象的だった。
話を聞いているうちに分かったことは、担任の努力や学年の互いに支え合う態勢の強力さだ。
子どもに対する句の指導、子ども達の考えを緻密に把握し、徹底的にしっかり授業を組み立てた。しっかりした準備が授業の成功をもたらすと感じた。
これは、研究授業の時だけではなく、普段からの姿のようだ。
まだ若い担任のS先生は、子ども達一人一人にしっかり配慮している。本当にやさしい。子ども達がその先生を信頼しついてきている。
また、校長先生が、そうした若い先生の意欲を徹底的に支えている。
一人一人の先生を生かしている。
研究会が終わってから、「反省会」に招かれた。
若い先生が多いが、明るく活気がある。

まさに発展途上の鹿浜第一小学校。
私自身が、暑さを一時忘れ、意欲をもらった一日だった。

完本 文語文  そして八名川大句会

2010-08-28 | ジュニア俳句
図書館で、山本夏彦の「完本文語文」という本を見つけて借りた。
言語の棚にあったので、言葉の本かと思ったのだ。
確かにこれは言葉の本に7は違いなく、日本の文語文が廃れた経過、そしてその意味がよくわかる。
しかし、これは大きく言えば、山本夏彦のエッセイ集なのだから、この棚にあってよいのかという疑問が湧く。
だいたい、図書館は、内容で図書を分類せずに題名だけに頼る傾向が強い。(江東区の図書館だけかも知れないが・・・・・)
恐らく、図書館に入る時点で業者委託されており、中身を知らない人間が分けているのではないかと思われる。
下請けや民間委託で安上がりにした分、こんなところにひずみが出ているという一例ではないか。
さておき、中身はおもしろいの一言に尽きる。

強く印象に残ったことは、次の二つだ。
一つは、文語は、戦後になって滅びたわけではない。明治以来崩れ続けてきた。そして死滅したということ。
もう一つは、夏彦が、正岡子規の罪を言う。おもしろいのでここに書き写しておく。

子規は、新聞「日本」紙上に「歌よみに与ふる書」を書いた。貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ書に有之候(これありそうろう)ということを、手をかえ品をかえ立て続けに十回も書いた。子規は東京大学に学んだ当代切っての歌人であり俳人であり論客である。旧派の和歌、俳諧の宗匠で子規に立ち向かう者は一人もなかった。以来、歌壇は子規とその一党の天下となった。
子規は、歌を芸術に高めたかったのである。歌をよむ老若は芸術なんか志していない。あれは、風流韻事である。教養であり文化だった。子規以来この教養はすたった。

さて、その教養・たしなみを復活させようというのが、十月三日に予定されいる八名川大句会である。
うまいとか下手とかは関係がない。たしなみとしてちょっとやってみる遊びとして楽しむ。そうして、文化として俳句が八名川の土地に根付いていく。之がねらいだ。
ぜひ、多くの人に声をかけてもらいたい。





NHK俳句

2010-08-27 | ジュニア俳句
初めて、「NHK俳句」という雑誌を詳しく読んだ。
一つは、名句に触れることができる。
すでになじんでいる有名な句もあるし、初めて目にする俳句もある。
巻頭は、現代俳句協会会長の宇田喜代子選の名句だ。

省略とは点と線との吾亦紅  山田みづえ

鰯雲しづかに塔の動く日よ  中尾寿美子

我命つづく限りの夜長かな  高浜虚子

雑誌のいたるところに、こうした名句がちりばめられている。
心にしみいってくる。

妻がゐて子がゐて孤独いわし雲   安住敦

空をゆく一かたまりの花吹雪  高野素十

新涼や豆腐驚く唐辛子   前田普羅

そよりともせいで秋立つことかいの  上島鬼貫

しかし、それ以上に、この雑誌の最大の特徴は、「添削」にある。
この「添削」が実に巧みだ。これが、俳人の実力というものだと思った。

  泣声を背に職場へと花茨

→泣く吾子の母を呼ぶなり花茨

作者はどうしても見た状況を伝えたいと思うものですが、そうすると俳句が報告や説明になってしまいます。この句の場合は「職場へと」がやや報告です。そこで、添削例では泣いている子どもに焦点を絞ってみました。とある。
「なるほど」

柩車に降り込むほどの桜かな

→今生の桜吹雪の棺かな

作句意図に添って、「桜吹雪」をさらに強く使ってみました。添削例では、動詞を使わないことで句が鮮明になったと思います。

通信教育の俳句教室でも、中核は添削である。
添削という方法は、句を上達させる一つの重要な方法である。
この方法は、俳句教育の中にどう取り入れるのか。または、あまりなじまないのか。
これも、検討する一つの問題だと思った。






東雲小学校訪問

2010-08-26 | ジュニア俳句
暑い日が続く。
夕方になるとさすがに少し温度は下がるようだが、昼間はやりきれない。
東雲小を訪れた。
東雲小では、6年生が中心になって俳句に取り組んでいる。
6月には、私も授業し、斉藤二郎先生(貂の会)にも授業していただいた。
その後も独自に取り組んでいる。
特に若い女性の担任の先生の学級では、うまく学級づくりと連携させた句風を重ねており、感動した。
例えば、作った俳句を学級便りに乗せる。
いろいろな先生に選んでもらい、褒める児童の数を増やしている。
授業参観で、保護者に選んでもらったところ、偶然そのお子さんの句をとった。
(作者の名を伏せるので)クラス中「さすが親子!」と大いに湧いたという。
俳句を作り、みんなで楽しむ。互いの句を選びあって楽しむ。
句から見えたその子らしさをみんなで認めていく。
俳句を上手に生かした学級づくりが進んでいる。

とてもすてきだ。俳句が上手になることもすてきだが、、俳句が文化となって学級を支えていることは更にすてきだ。


安田安正「昭和の名句集を読む」を読む

2010-08-25 | ジュニア俳句
先日、表題のことには触れた。
全員ではないが、所々気になる俳人を読む。
例えば、河原枇杷男

身の中のまつ暗がりの蛍狩り

この句に聞き覚えがある。

或る闇はの形をして哭けり


「現代人の不幸は、真の夜闇を持たぬところにあるのかも知れない・・・・・真の夜闇をもたぬものに、真の昼の意味を解くことはできないであろう」(自作ノート)
と河原枇杷男は言うのだそうだ。

更に言う。
「俳人とは文字通り人の謂であり、俳句形式を選ぶことは、それ自体すでに世界に対する一箇の決断を意味する。 /思えば、俳句という、この一滴の毒にも似る形式に心を遊ばせるとは、これほど酷薄な風景もあるまい。マグダラのマリアや常不軽菩薩の話ではないが、つねに身心のうえに降る石を予感しえぬ俳人など、私は信じない。」

激越である。

関悦史によれば、河原の「鳥宙論」は、現代俳句の古典であると言う。

いったい俳句とは何か?
俳句とは、自身が俳句とは何かと問いながら歩いている何かである。常に己。「われわれはどこから来たか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか」。この永遠の問いを見失ったときに世界は内側から腐りはじめるのではないか。
一方、もう一つのコスモス
(宇宙)を夢見ること、森羅万象のなかに実は言葉が、存在の言葉が書き込まれている。それを解読するのが俳句。
空海の『声字実相義』には「五大みな響きあり」とある。宇宙は言葉の交響曲なんですね。それに魂の内なる目を凝らし、耳を傾けろ、違った世界が見えるぞ
。これはアニミズムの一番出来上がった哲学ではないか。

本格かどうかというのは量ではない。
句会で高い点を取る句がい い句なのでもない。下村槐太は句会やって弟子が良い点取るとあとでこっそり呼び出して注意したそうです。句会で高点句になったということは短時間で選べる 句だということで、そんなのは大した句じゃないぞと。永田耕衣も「句会というのは実力が同じでないと効果がない」といって句会しませんでしたね。
俳句形式は余計なことしないんです。先生もたまには濁世に出てきて下さいよなんて言われたりもしますが。》

以上は、二年前に河原枇杷男が、
「国際俳句フェスティバル」

で賞を取られたときのスピーチだそうだ。その一部を抜粋した。―俳句空間―豈weeklyより。

他の人も載せようと思ったが、もうやめる。
つまり、俳句はちゃんとやれば「詩」だということで、人生そのものだということだ。

お稽古俳句もあるが、凄まじいものは、凄まじいのだ。





二亀小訪問

2010-08-24 | ジュニア俳句
ちっとも暑さが収まらない。
「暑い!」
しかし、区役所から二亀小に行くには、良い道がある。
横十間川親水公園を通り、大島・亀戸緑道公園を通ると、大部分緑の下を気持ちよく行くことができるのだ。亀戸の緑道公園は、おそらく旧都電の線路跡ではないだろうか。
歩いたり、自転車に乗ったりして江東区内をこうした道が縦横に通ることになると、江東区の暮らし良さは一層高まるような気がしてならない。

二亀小は、いい実践を積み重ねている学校だ。
意欲的だ。
5年生の林間学校を日光から新潟に変えた。
それによって、子ども達は原木きり体験や川遊び・カヌー体験など様々な体験ができるようになったと校長先生にお聞きした。
水泳指導もそうだ。
水泳に関して、専門的な高い指導力を持っている指導者を確保して、泳力を上げようと努力されている。社会の様々な資源を活用しながら、学校の教育力を徹底的に高めようとする取り組みに感心させられた。
俳句への取り組みもそうした新しい試みの一環なのだ。
来年の百周年、そして人権尊重教育の一環として俳句に取り組みたいというお話をいただいた。

6月に実施した現代俳句協会ジュニア研修部の俳句教室が大変好評だった。
その後、子ども達が「おもしろいかった」と自分からどんどん俳句を作って持ってくるのだという。
教室には、その句がはってあった。
また、いろいろな標語に取り組んでいるその作品も見せていただいた。
いろいろな形で「言葉」に取り組む。このことが大切なのだと感じた。
実際の授業は、9月に行うことになる。
意欲的な学校の意欲的な姿に接するとこちらも元気になる。


すぐに俳句が面白くなる方法

2010-08-23 | ジュニア俳句

「いちじはん」の我らが主宰の北大路翼さんの待望の講座が始まります。
と、今日は宣伝です。

これだと顔が分かりませんので、



これが本物。ちょっとばんからだけど優しく男前です。昨日のいちじはんの句会での一コマ。

全体の風景は次のような感じです。



この日は若手が浴衣で参加。こんな挨拶句も出されました。

恋化粧似合ひはじめるかりんの実

次回の「いちじはん」は、9月12日 
場所は深川七中を予定しています。中学生・高校生諸君の参加を特にお待ちしています。

西村睦子「『正月』のない歳時記」

2010-08-22 | ジュニア俳句
八名川小学校を会場にした句会いちじはんの会合を終わって、家に帰ると、ポストに「小包」が入っていた。
アマゾンの古本で買った西村睦子著「『正月』のない歳時記-虚子が作った近代季語の枠組み」が届いたのだ。


「正月」のない歳時記―虚子が作った近代季語の枠組み
西村 睦子
本阿弥書店

これは、虚子が作った昭和9年の「新歳時記」を検証した研究書である。
ここに採用されいる季語をそれ以前、江戸期、明治・大正期と比較したのである。
本の圧倒的な部分を占める季語の分析を飛ばして、結論部分だけを読む。
極めて衝撃的な分析が書かれている。
小気味いいが、ショックでもある。
小見出しを見ただけでも少し分かるだろう。

虚子編「新歳時記」のしたたかな戦略
俳句の大衆化路線と新題開拓と経営基盤の強化
虚子編という枷
俳句の基本「有季定型」とは

子どもの俳句でも、最後に必要になるのは歳時記だ。
子ども歳時記なり学校歳時記なりを作る。
その時に、現代の季感に合ったものを作る。
このことによって、21世紀俳句への道を作る。
ここまで行けば、実におもしろい仕事になるだろう。

余談だが、中に「著者謹呈」の札がはさまっていた。
著者から送られた誰かが古本屋に売ったのだ。
この本の内容を快く思わない人かも知れないと思った。
それなら、小さなドラマがここに隠されている。
故人の家族という場合も多い。蔵書は宝の山から使いようのないゴミの山に変わるからだ。
だが、せめて「謹呈」の札は外して売ってほしいものだ。




昭和の名句集を読む   安田安正著

2010-08-21 | ジュニア俳句
俳句は、難しい。
そして、あまりにも、俳句の事を知らない。
そこで、図書館で、「昭和の名句集を読む」安田安正著を借りてきて、パラパラと読み始めた。
昭和の代表的に俳人の句集を取り上げ、その変遷を述べているので、概観するには便利と思ったからだ。
取り上げている俳人は、久保田万太郎から摂津幸彦まで六十余名にのぼる。
読みながら、「やっぱり難しい」とひどく感じた。
久保田万太郎にしても、
「神田川祭の中をながれけり」
これは、わかる。情景が目に浮かぶ。
しかし、
「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」
好きな句だ。いいなぁと思う。
しかし、よく考えてみると難しい句ではないか。
何で湯豆腐なんだと言われても説明しようがない。
これは、感覚というものだからだ。
 
それが、最後の摂津幸彦になるとまるでお手上げだ。
「乳の木にある精神を傷めけり」
「エジプトの夢見ていつも山茶花散る」
 
「なんじゃい」という感じだ。これが現代俳句だと言われてもわからない。
「感覚」だとすると、ぼくは自分の年齢を嘆くしかない。
しかし、彼は人気があるという。
「四十九歳の早逝まで戦後生まれ俳人の信望を集め、その中心として活躍した。」
とある。
この摂津幸彦の前に橋石が紹介されている。
 
「するすると除夜になりたる雁もどき」
「まどろみのひまも仮面や花の冷え」
「階段が無くて海鼠の日暮かな」
 
摂津よりもいくらかわかるような気もする。
この人の句が来年から使う教科書にとり上げられている。
「顔じゅうを蒲公英にして笑うなり」
確かにこの句は分かる気がする。
しかし、なぜ 小学校の教科書で前衛的な俳句作者をとり上げているのか、わからない。
選んだ方の感性なのだろうか。

もう少しこの本に付き合ってみよう。