十分間俳句

発見・感動・創造! 子どもたちの感性を培い日本語力を高める十分間俳句

ありがとうございました。

2010-03-31 | ジュニア俳句

「現代俳句」のページをめくっていたら、



こんな記事に出会った。
なんだ、俺が書いていたんじゃないか。
すっかり忘れていた。


ところで、私は、今日2010年3月31日付をもって、江東区立八名川小学校長を退職しました。
教員生活最後の6年間でしたが、こんな素晴らしい学校に勤務し、素晴らしい地域の方々、素晴らしい保護者の皆様、そして素晴らしい教職員と共に仕事が出来たこと、本当に幸せだったと感じています。
今日はこんなすてきなお花やプレゼントをたくさんいただきました。




これまで支えてくださった方々に心から御礼を申し上げます。


ありがとうございました!

さて、明日からですが、江東区教育委員会学校支援課に勤務し、江東区内学校の俳句教育の推進等に当たる予定でおります。
また、現代俳句協会ジュニア研修部の方々と手を組んで、児童俳句の普及活動を行っていきます。

私は、八名川小学校とその地域が大好きなので、今度は、皆様と同じ立場で、八名川地域のまち作りや学校支援活動にも取り組んでいきたいと願っています。

よろしくお願い申し上げます。


「現代俳句」にも

2010-03-30 | ジュニア俳句

現代俳句協会の現代俳句4月号が今日届いた。
その巻頭にグラビアで、学校俳句指導者交流会の様子が紹介されていた。



この試みが、担当者だけでなく、注目されていることがよくわかる。


今後の展開が楽しみである。


4月22日  「勉強句会」


6月5日  第二回学校俳句指導者交流会


NHKの取材

2010-03-29 | ジュニア俳句

昨日の夜、ディレクターさんから電話があった。
まず、twitterを使って、俳句を作っているところを写させて欲しい。
「えっ、僕がやるんですか!」
学校で集まってやるんだとばかり思っていた。
そうしたら、どうもそうではない。
僕の役割は、俳句を趣味にしている街のおじさんなのだ。
街のおじさんが仲間とtwitter俳句で繋がっている。そんな設定だ。
まあよい。
「何処か、俳句を作れそうなに行って下さい。」
「車もありますから・・・・」
常盤の桜並木がいいんじゃないかな。
そう思って歩き出す。
途中で考えが変わって、
「隅田川テラスもいいな」
雨がぽつぽつ振ってくる。
結局隅田川テラス。
ディレクターさんが
「ここで一句ひねって下さい」
そう言うことなら、事前に作っておけば良かった。
ひどく後悔したが、こうなってら無い頭をひねるしかない。
まさにihoneの出番なのだが・・・・
向こう岸に一本だけ桜が咲いているのが見える。


桜咲く手には届かぬところにて


こう詠んで、手書き入力でtwitterに書き込む。
「向こうから歩いてきて下さい」
指示に従って歩く。途中で川に目をやったりする。
それにしても寒い。
その撮影に一時間ほど。
今度は、みんなを呼び出す。
場所は八名川公園。
みんなが来ると、何だかほっとしてとても楽しくなってきた。
携帯電話在り、パソコンありでみんなで作って次々にtwitterに入れていく。
忙しい樋口さんも来る。この人こそtwitter俳句の仕掛け人である。

寒い寒い三時間であったが、twitter仲間が初めて一堂に会した。
NHKさんのお陰である。
学校に戻って、珈琲を飲み、暖をとる。
twitter俳句のおもしろさが体感できた三時間でもあった。

放映は、4月2日(金) 午後6時からの首都圏ネットワーク

この特集は、3分程度で6時半過ぎ頃だという。
何となく楽しみだ。


twitter俳句

2010-03-28 | ジュニア俳句

twitter俳句を続けて、112日目になった。
子どもの指導はしても、自分自身、毎日十分間俳句を続けてきたとはいいがたい。
言語道断だ!
アイデアマラソンの樋口さんに、そう叱責されて、何回か取り組んだが、挫折し続けてきた。
それが、今回のtwitter俳句では、ともかく百日は続いた。
その理由を考えてみる。
一つは、作った俳句が即座に公開されるということだ。そのことによって、仲間の励ましや後押しを即座に受けることができる。
その状況を、また自分自身で確認することが出来ることが、意欲に繋がっていく。
これは、twitterの持っている特徴だろう。
加えて言えば、フォローしてくれる人が増加していることも「怖さ」と同時に励みにもなる。
俳句を作るには、「俳句あたま」になる必要がある。
日によって、いくつでも生まれるときもあるし、全然そうならない日もある。
「多作多捨」
と言うが、twitterは、俳句道場であり、稽古場だと言うことが出来る。
ここで出来るのは、ある意味では、まだ磨かれていない原石かもしれない。まだまだ未完成の俳句の種なのだ。と言うことは、更なる可能性があると言うことでもある。


もう一つ、つい最近気がついたことがある。
三月に入って、実は話題のihoneを購入した。
手にとってちょっと遊んだことはあるが、本格的にさわったのは、購入してからだ。
そして、この小さい機械は、どこにでも持ち出せる本格的なコンピュータであることに気がついた。
電話やメールだけならば、特化された携帯電話の方がずっと使いやすい。
しかし、ihoneにとって、電話機能などは、コンピュータのおまけについているの過ぎない。そんな感じがした。
「電話なんてかけられればそれでいいでしょ」
と言う程度の位置づけなのだ。
今までも小さなコンピュータはあった。ノートパソコンや最近のミニノートなどである。
しかし、それらにしてもテーブルの上に置いて使うしかなかった。
ihoneは、立ったまま、歩きながら、公園のベンチで・・・・・どこでも使える。

これを俳句帳やメモ帳の代わりに使えないか。そう考えた。
しかも、即座に世界に繋がる俳句帳だ。
その時、twitterである。140文字。俳句とメモを書いて送るには手頃で最適だ。
その量が、ihoneの画面にぴったりである。

フランスの印象派の出現を支えたものは、チューブ入りの絵の具の開発だと聞いたことがある。
ihoneは、吟行し即座に句を交換し会える絶好のツールである。
これがtwitter俳句の本質ではないかと思うようになった。

一つだけ障害がある。それは、入力がまだまだストレスだということだ。
タッチ入力がストレス無くできること、または、タッチペンによる手書き文字の認識がスムースにいくことが鍵だ。


もしかすると、数年後には、吟行には誰も彼もスマートフォンを持っているという日がくるのかもしれない。


俳人よ街に出よう、野に出よう 


ihoneを持ってtwitter俳句をしよう


こんな感じで・・・・


角川「俳句」四月号 俳壇ニュース

2010-03-27 | ジュニア俳句

角川の雑誌「俳句」四月号の俳壇ニュースに 先日行われた 第一回学校俳句指導者交流会の記事が載った。小さいけれど、大きな一歩だ。



 


第二回の俳句指導者交流会は、6月5日(土) 午後1時から 


場所は、前回同様 江東区芭蕉記念館です。


なお、勉強句会4月22日(木)午後6時半から行います。


場所は、江東区立八名川小学校(都営地下鉄・森下駅下車3分)です。


 


すごいニュース

2010-03-25 | ジュニア俳句

ほんとにすごいのか?
こんなことをすごいなんて言っているのがおかしいよ!
馬鹿じゃないの。

「何がいったい起こったんだい?」
「NHKから電話があったんだ」
「なんの?」
「いやね、あのツイッター俳句のことなんだ」
「それで・・」
「取材させて欲しいっていうんだ」
「成見さんの紹介なの?」
「全然関係ないらしい。」
「ふーん」
「このブログを見たらしいんだよ」
「twitter特集をするんだけど、使っているのは若い人ばっかりなんだって」
「年配者もこうやってツイッターを楽しんでいる。その例に使いたいらしいんだ。」
「それは、失礼しちゃうね。」
「俳句の年配者の趣味っていう固定概念があるんじゃないの」
「そんなこと言ったら、取材拒否だね」
「23以上は年増という世界らしいんだ。ツイッターは」
「まあ、でもこれはアイデアの勝利でもあるよ。」
「ツイッター俳句という考えはやっぱり秀逸だよ」
「考え出した樋口さんはやっぱりただものではないな。」
「でも、どんな風になるか楽しみだ」

「それで、いつ出るんだい?」
「放映されるのは、4月2日だって」
「時間は?」
「午後6時かららしいよ」
「なんて言う番組だい?」
「聞いたんだけど、わすれちゃった」
「仕方ないな。番組表をみてやるよ」

 
4月2日 午後6時からのNHKの番組です。


 


 


卒業式

2010-03-24 | ジュニア俳句

今日、卒業式が終わった。
今年の卒業生は、私が八名川小学校に赴任したときに1年生に入学した子ども達だ。
6年間を友に過ごしたことになる。
素晴らしい、誇るべき卒業生だった。
子どもも素晴らしかったが、その素晴らしさを作ったのは担任の教員の力量だ。
今年ほど、担任の力の大きさを感じたことはない。


最期の十分間俳句の時間に「俳句」の感想を子ども達に書かせた。
それを少しずつ紹介したい。

--------------------------------------------------------------------------------
6年間俳句をやってきて、3年生のころから俳句の見方が変わりました。
たとえば、桜が満開だなぁと思ったら、どんな季語をつけるといいかなぁなどと思い始めました。
4、5、6年もそのことを頭に入れてやってきました。なので、中学でもその事を頭に入れていきたいです。

お気に入りの俳句  

干し柿や見た目しわしわ中愛情


---------------------------------------------------------------------------------
明日は、修了式がある。早めに帰宅したのだが、何だか今日は疲れた。
風呂に入って、早めに寝るようにしよう。


 


明日は卒業式

2010-03-23 | ジュニア俳句

いよいよ明日は卒業式である。
生憎、天候が悪いらしい。雨である。
こういう時、人間は知恵がある。
晴れの時は、良いお日柄であるが、雨が降ってもちっとも困らない。
「涙雨」
これは、日本人の智恵だろうか、それとも万国共通なのだろうか。

卒業式の式辞。
案は温めてあり、三連休に文章に書き下ろした。
今日、それを読んで、何となくしっくりしないところがあり、書き直した。
ついさっき、ようやく書き終えた。
印刷し、USBに保存し、メールで学校に送っておいた。
三重にセーフティロックをかけてもまだ安心ならない。

これまで、文は頭の中にたたき込んで、ソラで話をした。
11年間そうやってきたが、今回は読むバージョンも用意した。
念には念をいれておく。


さて、昨日の続きだが、6年生の句、、いくつか卒業に関した句を紹介する。


別れゆく卒業したら会えぬ友


春兆す最後の校歌ぼんやりと


感謝の会終わって咲くかすみれ草


中学の制服合わせ卒業す


卒業式一、二、三と数え出す


卒業式姿勢正しく中学生


 


 


後、二日で卒業式

2010-03-22 | ジュニア俳句

卒業式があと二日後に迫っている。
6年生は、毎週金曜日、地道に俳句を作り続けてきた。
一番実直に「十分間俳句」の原則に忠実だったと言ってよい。
今日、学校に行く機会があったので、6年生の句を読んで見た。
入学式で小さい1年生の手をひいたことから始まり、日光移動教室、夏休み、運動会などの句が並んでいる。
今年に入ってからは、節分や卒業を題材にした句も多い。新記録を樹立した縄跳び大会ももちろん題材の一つだ。
それらは、担任の先生と彼等の一年間を如実に表している。
学級の一年間の成長の記録と言ってもよい。
短い言葉だからこそ、感動が一緒に伝わってくる。

八名川小学校の卒業式は、6年生が一人一人「演説」をすることになっている。
小学校生活を総括する言葉を述べて卒業するのだ。
一人一人がそれぞれ成長したことを示し、子ども自身が自分の成長を感じ取れるようにするためだ。
もちろん、出席している方々にその姿を見ていただくためでもある。
児童数が少ない来年までは、この方式が可能であるが、児童数が増えてくると続けるのは難しい。
何処かで打ち止めになるにしても、一人一人の成長に焦点を当てるという考え方は継続させたい。


今年卒業する6年生は、一年に入ったときから俳句と一緒に歩んできた。
この思い出が、彼等の一生の財産になればよいと期待している。


 




 


石田郷子さん

2010-03-20 | ジュニア俳句

石田郷子さんは、「椋」という俳誌の主宰である。
丁度一年前、昨年の三月に八名川小学校においでいただき、子ども達の俳句の指導をしていただいた。
とてもやさしくて、穏やかで
「名前がわからない植物の芽のことを『ものの芽』と言うのよ」
子ども達は、校庭に出て春を感じながら句を作った。
まず歩いて、実物にあって、自然に触れて季語を探す。
こんな話をして下さったことを覚えている。
すべてのものを自然体で受け止める安らぎのようなものを石田さんから感じた。


例の「俳句アルファ」。
八名川小学校の「発見・感動・創造の俳句教育」をとりあげてくれた石寒太さんが編集長の雑誌。
この雑誌の中にグラビアの「石田郷子さん特集」を見つけた。

石田郷子さんの住まわれているのは、「山雀亭」と名付けられた古民家風の家だと言う。ご主人の禅さんが一人で半年かけて改装した家なのだそうだ。薪ストーブがある囲炉裏がすてきだ。
場所は、JR東青梅からさらに車で30分かかる飯能市下名栗なのだそうだ。
そこから本校まで来て下さったのかと思うと申し訳なかったような気がする。
石田さんは、里山の自然の中で暮らし、自然を友としている。
そして、俳句を作る人とも作らない人とも仲間を自然体で受け入れ、生活を楽しむ。
俳句がその共同体を繋いでいる様子が感じられる。

俳句は、個人が作るというよりも、ある意味人を繋ぐものなんだろうなあと思う。
そう考えると、八名川句会の皆の温かい笑いは、俳句の持つ本質的な一面を表していると思えるし、子ども達の学級の俳句会も同じ役割を担うと考えてもよいのではないか。


→ → 十分間俳句とは?