twitter俳句を続けて、112日目になった。
子どもの指導はしても、自分自身、毎日十分間俳句を続けてきたとはいいがたい。
言語道断だ!
アイデアマラソンの樋口さんに、そう叱責されて、何回か取り組んだが、挫折し続けてきた。
それが、今回のtwitter俳句では、ともかく百日は続いた。
その理由を考えてみる。
一つは、作った俳句が即座に公開されるということだ。そのことによって、仲間の励ましや後押しを即座に受けることができる。
その状況を、また自分自身で確認することが出来ることが、意欲に繋がっていく。
これは、twitterの持っている特徴だろう。
加えて言えば、フォローしてくれる人が増加していることも「怖さ」と同時に励みにもなる。
俳句を作るには、「俳句あたま」になる必要がある。
日によって、いくつでも生まれるときもあるし、全然そうならない日もある。
「多作多捨」
と言うが、twitterは、俳句道場であり、稽古場だと言うことが出来る。
ここで出来るのは、ある意味では、まだ磨かれていない原石かもしれない。まだまだ未完成の俳句の種なのだ。と言うことは、更なる可能性があると言うことでもある。
もう一つ、つい最近気がついたことがある。
三月に入って、実は話題のihoneを購入した。
手にとってちょっと遊んだことはあるが、本格的にさわったのは、購入してからだ。
そして、この小さい機械は、どこにでも持ち出せる本格的なコンピュータであることに気がついた。
電話やメールだけならば、特化された携帯電話の方がずっと使いやすい。
しかし、ihoneにとって、電話機能などは、コンピュータのおまけについているの過ぎない。そんな感じがした。
「電話なんてかけられればそれでいいでしょ」
と言う程度の位置づけなのだ。
今までも小さなコンピュータはあった。ノートパソコンや最近のミニノートなどである。
しかし、それらにしてもテーブルの上に置いて使うしかなかった。
ihoneは、立ったまま、歩きながら、公園のベンチで・・・・・どこでも使える。
これを俳句帳やメモ帳の代わりに使えないか。そう考えた。
しかも、即座に世界に繋がる俳句帳だ。
その時、twitterである。140文字。俳句とメモを書いて送るには手頃で最適だ。
その量が、ihoneの画面にぴったりである。
フランスの印象派の出現を支えたものは、チューブ入りの絵の具の開発だと聞いたことがある。
ihoneは、吟行し即座に句を交換し会える絶好のツールである。
これがtwitter俳句の本質ではないかと思うようになった。
一つだけ障害がある。それは、入力がまだまだストレスだということだ。
タッチ入力がストレス無くできること、または、タッチペンによる手書き文字の認識がスムースにいくことが鍵だ。
もしかすると、数年後には、吟行には誰も彼もスマートフォンを持っているという日がくるのかもしれない。
俳人よ街に出よう、野に出よう
ihoneを持ってtwitter俳句をしよう
こんな感じで・・・・