一年生から六年生まで10名ほど。
大きな可能性を感じました。

今日は、深川小学校の4年生の授業だった。
二つのクラスがあるが、両方ともとても素敵なクラスで、子どもたちが素直で前向き、やる気がある。話を聞く姿勢がきちんとしている。こういうクラスは、とても授業がやりやすし、こちらも張り切ってしまう。
深川小学校でびっくりしたのは、どの子もとても元気に挨拶をしてくれることだ。
子どもの挨拶を受けると不思議なもので一気にその学校に対する親近感が増してしまう。
自分が歓迎されているという感じがするからなのだろう。
とにかく、とても気持ちがいい。
それから、これはだいたいどの学校にいってもそうなのだが、校長先生と副校長先生が、とても気持ちよく「待ったました」とばかりに迎えてくれる。忙しいのに、ありがたいと思う。
中には、そうでない学校もたまに在る。そうるなと、「二度と来るものか」という気分になる。人間なんて単純なものだ。
しかし、振り返ればこれは自分のことでもある。他山の石とすべし。
さて、初めて俳句指導をする学級だ。
定番の導入をする。
①俳句について知っていることは?
すると、
・五七五
・季語
この二つはだいたい出てくる。しかし、
「季語って具体的にどんな言葉ですか」
と聞くと、「うーん」と考え込んでしまう子も多い。
それでも出てくる季語をきっかけにして、春の季語を学習する。
春の季語のプリントで知っている言葉、知らない言葉に印をつけさせて、知らない言葉については説明する。
この時に、「植物の名前」は説明しにくい。写真がありば一発なのに。
そこで、考えた。今は掌サイズのプロジェクターとか、プロジェクター付きデジカメがあるという。これを使えないか。
調べてみることにしよう。
下の写真は、季語の勉強の様子だ。
②次は俳句づくりだ。
お題は「春の朝」。
つまり、今日の朝にしたことを書けばそのまま「俳句」になるという仕組みだ。
「俳句って簡単じゃん」
中には、そのままで十分通用する俳句もできるが、俳句に対する抵抗感を払拭するのが大きな狙いだ。
こつがわかれば、5句も6句もすぐできる。
一番多く俳句を作った子どもは、30分あまり20句ほどもつくった。
今度は、それを「春の夜」に転換したバージョンに挑戦する。
ここで、子どもたちは自分の生活をもう一度見直すことになる。
カレーライス残りを食べた春の朝
ふろ入り曲聞きながら春の夜
こんなことであっても、その子にとっては当たり前のことが一つの情景になって浮かび上がってくるから不思議だ。
③しゃぼん玉
それだけではおもしろくないので、このところ定番になったしゃぼん玉での俳句づくり。
まずは、観点について、勉強する。
「どんなところに目をつけてみたらいいかな」
大きさ、数、色、影、かたち、高さ(どこまで飛ぶか)、飛ぶ様子・・・・
しゃぼん玉は吹いているだけで楽しい。
しゃぼん玉幼い時にかえすもの
まさにこんな感じなのだろう。
校庭の歌壇には、菜の花が咲き梅も満開だ。
短い時間だが、楽しんで教室に帰ると、何も言わないのに、みんな俳句をどんどん書き始めている。
体験と言うことがいかに大きいかということだ。
④句会
それが終わったら、今度は句会である。自分で一番いいのを選ばせる。そして、それを見てあげて、時々は「こっちの方がいい」とアドバイスをする。そして黒板に書かせて句会。この時に清書用紙を用意した方がよいかもしれない。
折角作ったのだから、それを掲示物として活用できるからだ。半裁の画用紙でよい。名前などは、句会の終わった後で書かせればよい。
句会は、点盛りだけでなく、その後いろいろな子に選ばせることが大事だと思う。そして、教師は別に選ぶ事だ。どんな句を選ぶかでその後の展開がきまってくる。ここは難しいところだ。
⑤講評
いろんな子をいろんな角度から褒める。そして、俳句の詠み方や読み方について指導するのがこの場だが、またの機会にゆずる。
先日、日本学校俳句研究会の幹事でもある足立区のT先生から、卒業を前にした句会の話を聞いた。
子どもたちが、俳句を通していかに成長したか、手に取るように感じられた。
そこで、思い出したことがある。
もう2年前になるが、6年生の俳句教室である学校に出掛けたときのことだ。
教室に入ると何となく、空気がよどんでいる。
先生はとても元気なのだが、子どもたちにはその元気さが感じられない。
授業を始めると、その事はさらに明瞭になった。
「卒業を前にしたいことないの?」
と聞いても
「そんなものないよ」
「なんにもねえよ」
「ねむっていたい」
そんな言葉が聞こえてくるばかり。
一人一人に春の季語を言わせてみても、声は小さくて聞き取れないし、答えたくない風情の子や質問を無視しているような子もいる。
「それだったら、『したいこと一つもなしに卒業す』と作ればいいんだ。俳句は何だってできるから便利なんだぞ」
と話したりする。
パワーの無い学級ではこちらがエネルギーを燃焼させないとバランスが保てない。
「参ったなあ」と思いながらも授業を進めた。
一応全員の句をそろえることができた。
句会になった。
黒板に30の句が並ぶ。
すると、
「全員の心一つに卒業歌」
「大空に未来を描き卒業す」
というような前向きの句がけっこうある。
これを見て少し安心した。
さて、点盛りである。
「したいことゲームだけです卒業す」
「らくがきで教室よごし卒業す」
というような句もある。
何だか挑戦的である。
今日は子どもたちに顔を伏せさせて、点盛りをした。
すると、びっくりしたのは、後ろ向きの句には入った点はわずかで、前向きの句に票が多く入ったことだ。
確か、一番点を得たのは、
足跡に思い出残し卒業す
だったように思う。
卒業歌の句もかなり点がはいった。
表面は、荒れてやる気が無いように見えるクラスでも大多数の子どもたちはしっかり自分を持っていることがわかり、安心した。
それは、担任の先生が元気だからだったような気がする。
先生の元気さは子どもたちの心に届いているということだ。
やんちゃでエネルギーがあるが、そのエネルギーが負の方向に働いている子どもたちが表層に出ていても、内部にはしっかりした子どもたちがいるのだ。句会で「しっかりした卒業式をしたい」という子どもたちの世論が明確になった。句会はその事を全員で確認する場になったのだ。
後で話をすると、担任の先生もとても安心したとのことだった。
この間、幾つかの学校で「しゃぼん玉」俳句に取り組んでいる。
取り組んでいるというほどではないが、とてもよい題材だ。
初めて俳句教室をした学校でもすてきな句がたくさんできた。
子どもの俳句教室をするときは「題材」の設定が大きくものを言う。
一つは、実際に体験して俳句づくりをするのと頭の中だけで考えて俳句づくりをするのでは、大きな違いがあるということだ。
二つ目は、簡単に体験できるかどうかという問題がある。
この点、しゃぼん玉は、石けん水とストローがあればできる。
実際は、一緒に指導してくださっているAさんが準備して下さったのだが・・・・
しゃぼん玉のでき方や動きはけっこう複雑であきない。
実際にやってみると、指導しているはずの私にしても、夢中になってしまって、俳句なんかどうでもよくなってしまうほどおもしろい。
用意 ストロー 半分に切ったものを人数分
石けん水を入れたカップ 4~5人に一つ
これは、俳句指導の定番になりそうな予感がある。
ぜひ、取り上げてやってみて下さい。