十分間俳句

発見・感動・創造! 子どもたちの感性を培い日本語力を高める十分間俳句

書かせるだけでは意味がないか?

2019-05-30 | ジュニア俳句
コメントに、ただ書かせるだけでは意味がないのではないか?という疑問をいただきました。
もっともなご質問と思います。
私自身もそう思った時期がありました。
おそらく、コメントを書かれた方は俳句に勤しみ、俳句の奥の深さや難しさを実感されているからでしょう。作品を生み出す苦しさや困難さを知れば知るほど、俳句は簡単ではないことを思い知らされます。
正にただ書けばいいなんてものではないと私も思います。
私自身は子どもの俳句の添削もアドバイスもしますが、子どもの俳句にはやりすぎないことが大切だと思っています。
さて、本題ですが、書かせて、評価したりお互いの俳句を読み合うだけで子どもの俳句は長足に進歩します。
ある学級で、どんどん作らせる方針でやったところ二年間で学級のすべての児童が各種の俳句コンクールのどれかに入選したそうです。
ここで大切なのは、楽しく継続して作り、良い作品を褒めたり、評価する中で子どもは学ぶということです。
担任の教師が直接評価せずとも、コンクールの入選が子どもに評価基準を示し、良い循環ができたということでしょう。

二つ目は、こどもの俳句を何のためにするかという問題です。
言うまでもなく俳人を育てるためではありません。もちろんその中から将来の俳人が育てば言うことはありませんが。
子ども自身が自分を表現する方法を身につけることが一番の目的と思います。児童文学は大人が書いた子どものための文学で子ども自身の文学ではありません。子どもたちが小説を書くのは無理です。しかし、五七五の俳句ならどの子も学力に縛られることなく自分の気持ちを表現できます。
それがコンクールに入賞できなくてもです。
例えば
母さんと横浜行った夏休み
という句があります。他人が見ればただの報告句でしかありません。しかし、本人にとって、これは夏休みの一番重大な出来事だのです。
お母さんは横浜で再婚相手に会い、子どもに紹介したという出来事が裏にありました。
そんなことは他人には伝わりません。
しかし、俳句でまず大切なことは自分に伝わるということです。
この句は彼女の人生の中で忘れられない句になるに違いありません。
俳句に取り組む中で、身の回りのことや自然についてよく見るようになることもあるでしょう。
言葉の工夫も覚えるでしょう。
子どもにとって俳句はある意味最良の教材になり得るというのが私の考えです。