十分間俳句

発見・感動・創造! 子どもたちの感性を培い日本語力を高める十分間俳句

同窓会給食&展覧会

2007-11-30 | ジュニア俳句


写真は、同窓会給食の後、六年生の合奏を披露しているものである。学校とい言うところは、毎日のように何らかの行事があるところだ。毎年、この時期に六年生と同窓生が一緒に給食を食べ、その後歌や演奏を披露するのが習慣となっている。
四月から彼らは卒業生と也、同窓会の一員となるわけだから、その成長ぶりを確かめておこうということだろうか。
展覧会も始まった。


(四年生の俳句コーナー)
一年生から六年生まで全学年の俳句も展示されている。
ノートで見ると「まだまだ」と思った句も色紙に書いて張り出されるとナカナカ立派な作品になってる。けっこういいのである。
ぜひ、地域の方や卒業生にも声をかけておいでになっていただきたい。土曜日も日曜日も10時から14時が開催時間である。


研究授業

2007-11-29 | ジュニア俳句



今日、5年生の研究授業であった。教材は「わらぐつの中の神様」
研究会の講師は、教育法則化運動で一世を風靡した向山洋一先生である。厳しいことで定評のある向山先生が評価するほどよい授業であった。
今年の研究授業の講師には、一流の人を呼ぶようにしてきた。
新進気鋭の筑波大附属小学校の青山由紀先生。国語教育界で有名な野口芳宏先生。、向山洋一先生。東京女子体育大学の田中先生など。
一流の人の話を聞く、一流の人に接するということが、子どもだけでなく、大人にも大切と思うからだ。
一流=有名ということではない。一流の人とは、プロとしての自覚と覚悟がある人だ。もちろん、そういう人は私たちのまわりに大勢いる。一流のおかあちゃんも大勢いるのだが、本人がそのことを自覚していないケースが多い。その点、有名な人は、否応なくそのことを自覚さらせらるので、明解な話をしてくれる。一流の人は一流の空気を持っており、それに触れると私たち自身大きな刺激を受ける。
そのことがとても大きい。
子ども達にも一流の人に多く触れ合わせたい。
六年生には、卒業授業として、毎年三人程度の方の話を聞かせることにしている。
今年は、元、外務省キャリア官僚の石橋太郎氏。(12月14日10時半から)、年が明けてから、漫画家ビッグコミックに「岳」を連載している石塚真一氏。オリエンタルランドの松本浩一氏。アイデアマラソンの樋口健夫氏の計四氏を予定ししている。
保護者の方も都合がつけば一緒に聞いてもらいたい。
また、12月16日(日)には、森下文化センターで映画「誰がために」の上映を行い、監督の日向寺太郎氏のお話をうかがうことになっている。(まだ、チケット 大人500円、子ども300円を購入していない方は、お早めに)

話は変わる。今日、午前中に朝日新聞の記者とカメラマンが取材に見えた。
本校の俳句教育についてである。12月1日(土)の夕刊に記事が載るらしい。展覧会の俳句の前で四年生をモデルに写真をばしゃばしゃ撮った。
誰が載るかはお楽しみだ。





展覧会間近

2007-11-28 | ジュニア俳句



これは、金曜日から始まる展覧会集会の様子である。各学年の児童が自分たちの作品について説明している。体育館が既に展覧会の用意に入っているため、今日の集会は校庭となった。
見どころは、たくさんあるが、
1、本校の図工教育では、1年生から絵の具を使わせ、混色の指導をしいる。そこから多様な色が紡ぎ出される。この色の使い方は、ぜひ見て貰いたいところである。
2、陶芸。これも本校の特色の一つである。各学年なかなかの作品群だ。
3、高学年は、個人ブースでの発表となる。一人一人を育てる観点から今年初めて取り入れた。
4、俳句。全学年で俳句が出品されている。5、6年生は俳画となっている。
5、幣のワールド。これも陶芸である。詳しくは実際を見て欲しい。
6、ウィークエンドスクールでの墨絵、げんきっずの作品。いろいろな分野から出品されている。
7、もちろん、家庭科や書写などの作品もある。
ぜひ、ご近所の方にも子どもを通して声をかけていただきたい。
多くの人に声をかけること自体が、地域と学校・保護者の連携に繋がり、子どもを守る地域の輪(和)を広げていくことになると思う。

さて、俳句だが、子どもの作品をこのブログに載せにくい状況が生まれている。
例えば、伊藤園の俳句コンクール。これへの応募も視野に入っているが、応募要項をよく見ると、学級新聞にも掲載した作品は、応募資格を失うとある。既発表扱いなのだ。つまりどんな媒体であれ、他の目に触れた物はダメだとなる。
すると、ブログに載せることなどとんでもない話ということになってしまう。
伊藤園はパスしてしまおうかとも思うのだが・・・・


C子さんのノートから

俳句の種
いちょうの木が黄色の葉になった木とまだ緑の葉の木がある

これは、発見である。これを俳句にする。(この句は、まだ未完成なので、ここに載せても大丈夫かと思う)

 いちょうの木位置がちがうと色ちがう

C子さんは、葉の色の違いを位置の違いではないかとかんがえているわけだ。表現の仕方をどうするか、これはこれからの問題だが、捉え方はとても面白いと思う。
ここですばらしいと思うのは、木によって色がちがうという発見。
そして、この発見をどうにか十七音の中に表現できないかとの苦闘。
これを励ましていきたい。



八名川俳句会とアイデアマラソン教育

2007-11-27 | ジュニア俳句
今日は、二つ大きな出来事があった。
その一つは、八名川俳句会の発足である。子どもたちが俳句を作るのなら、親も負けてはいられない。みんなで俳句を楽しみましょうという集いである。
参加者は、7名。約1時間持ち寄った句をもとに初めての句会。
大変楽しい1時間だった。

一番人気は、5票を集めた次の句。

 小春日にほんのつかの間猫になる

本当はずっと猫になっていたいが、忙しい。ずっと猫になっているというわけにはいかないが、ほんのちょっとだけ猫の気分を味わうというわけ。実に素敵な句だ。

 季語は冬あわてて指折る俳句会

最初の俳句会。熱が入っている。みんなの気分そのまま。

こんな句もあった。

 カーネーション理性忘れて狂い咲き


まだ11月だが、街はすでに気の早いクリスマスの飾り付けが

 急かされる街の装いクリスマス

次は1月の下旬に行う予定。

もう一つの大きな出来事は、日本基礎教育学会の月例会で「アイデアマラソン教育の可能性」という研究会が行われたということだ。
報告者は、アイデアマラソン研究所の樋口健夫氏と新島小学校の寺内崇氏。
樋口氏が理念や方法を述べ、寺内氏が実践を述べた。二人の熱意が会場に響いた。
小学校での実践が語られたのは、日本で最初である。
アイデアを出し続けるこの習慣を付けることは、日本の子ども達を変える。
これまでの日本の教育の中では「発想力を育てる」という発想がない。
必要だということは皆わかるが、どの様に日本の学校の中に取り入れていくのか。これが課題だ。
そして、十分間俳句もこのアイデアマラソンの一つということが出来る。




小川軽舟の「魅了する詩型」-現代俳句私論

2007-11-26 | ジュニア俳句
八名川のお母さん方は元気だ。
昨日の深川七校対抗バレーボール大会で優勝した。たいしたものだ。
その上、それを聞いたPTAの広報部が号外を出すという。今日の午前中、早速イラストレーターを駆使し、作業に入っている。
私は、こうした元気さというものが八名川小学校の明るさを支え、教育を支え、子どもを元気にしていると思う。
大人に元気がなかったら子どもが元気になるはずがない。
私も元気でいなくちゃと思う。
わが家の家系は一方に高血圧があり、もう片方には、糖尿病がある。典型的な生活習慣病家系だ。加えて私自身、甘い物は好きで目がないし、油っぽい物も好きな代わりに野菜や青み魚がきらいと来ている。救いようがない。
「生活習慣病」とはよく言ったものだ。
しかし、もう少し元気で働きたいと思うと、対策を立てなければならない。
そこで、ゆっくり噛んで食べることや油物を極力減らすことに加えて、多少でも早く家に帰るようにして、夕食後に20分ほど運動することにした。毎日やる気でいて、結果として週に3回できればまあまあと、あまり神経質にならずに続けられればよいと思っている。
先週は4回運動したのだから、よしとする。相当よしである。
脈拍が120~130位で今日は25分。約190キロカロリーの燃焼である。
あまり気張らないで断続的に続けようと思う。

さて、小川軽舟という若手俳人の「魅了する詩型-現代俳句私論」という本を連休中に読んだ。
自分が俳句のことを何も知らないと言うことを思い知らされたが、勉強になった。児童俳句についても示唆を得、考えるべき問題点も出てきた。
簡単に触れる。
1、俳句は書き手だけでなく読み手によって作られる文学である。ということである。子ども俳句についても、子どもの俳句のよさを選者が汲み取り、場合によっては、作者を超える解釈を加えることによって、俳句に命が吹き込まれるということだ。
責任は重大と思った。
2、俳句には、「一物じたて」と「取り合わせ」の二つの作り方があるが、「取り合わせ」の手法を子どもに教えて良いものか、またはいつの時期から教えるかという問題がある。「取り合わせ」を教えると、何となく、俳句らしいものができやすい。しかし、「十分間俳句」の目標の発見・感動・創造からすると、あまり簡単に俳句に収まって欲しくないと言う気持ちが強い。小川氏は、「取り合わせ」の句の重要性を説くのだが、そして、それはその通りと思うのだが、考える必要のある課題だ。
3、文語と口語の問題である。
氏は、俳句は韻文であり、口語では朗唱性が失われると主張する。
文語が千年の歴史を踏まえて、確立されているのに対して、口語は時代によってどんどん動くという。
しかし、子ども俳句は、口語に依らざるを得ない。短歌に於いて口語がその地位を獲得したように、俳句では口語が地位を確立すること無理なのか。そのことも考えてみるべき問題と感じた。




豊洲周辺リバークルーズ

2007-11-24 | ジュニア俳句
部屋の掃除を始めていたら、芝浦工大のS先生より電話。芝浦祭の一環での「豊洲周辺リバークルーズ」のお誘いだった。
慌てて、お餅を食べて、豊洲のキャンパスに出かける。このところの寒さがうそのように暖かい。小春日和。小六月とも言う。(前にも書いたな)
この催し、画期的なのは、豊洲の各町会が共催に名を連ねると同時に芝浦工大と東京海洋大学が加わっているということだ。
江東区は、つい先ほど、二つの大学と包括的な協力協定を結んでいる。教育分野にわたっても様々な連携が模索されることになろう。
リバークルーズは、おもしろかった。
工大の学生さんがガイドをしたのだが、これがとてもよい。よく勉強していることをうかがわせる。


 (豊洲水門)


(正面の大きいビルはIHIのビル)
  


(豊洲再開発高層マンションの工事が進んでいる)




(船の先に見えるのが臨時に敷設した船着場)

Eボートというゴムのボートにも乗った。これは、オールで漕ぐのだ。
水面が近い。同じ運河が違うように見える。
東京海洋大学の先生とも知り合えた。大学の側でも学生の教育と併せて、子ども達にアプローチしたいとの希望を持っていることがわかった。八名川小学校だけでなく、江東区の学校との橋渡しが出来ればうれしい。
さて、今日の体験を俳句に詠めるか。私にとっては、それが当面の課題である。



四年生のノートの紹介

2007-11-23 | ジュニア俳句
十分間でこれだけ書けるのだからすごいものだ。
Bさんのノートを紹介する。

11/21
俳句の種
・干し柿がいい色になった
・桜の葉が緑と黄色になっている
・ベランダのゆかがつめたい
・校庭の地面がつめたい
・校庭が黄色とオレンジのグラデーションできれい
・てつぼう、うんてい、のぼりぼうがつめたい
・たいいくかんでプラスをしているときさむかった
・たいいくかんはさむい
・桜の木がきれい

俳句
・干し柿が売れそうぐらいおいしそう
・桜の葉緑・黄色といいファッション
・ベランダの気温が下がりでられない
・校庭の地面ヒャッと砂遊び
・校庭が黄色とオレンジおしゃれだな
・のぼりぼううんていてつぼうつめたいな
・体育館ブルブルふるえ雪だるま
・体育館夏はあつくて冬さむい
・桜の木葉っぱがちらちらダイエット

大人だったら、十分間でこんな風fなかなかできない。
気付いたことを自由に書いている。
種から俳句にするときに言葉の工夫がある。

校庭の地面ヒヤッと砂遊び

この句などは、実感がなければ作れないよい句だと思う。

こうしたことを何年間か続ければ自由に言葉を操れるようになると期待するのは、あながち夢物語ではないと思うのだがどうだろう。



子ども俳句における類想・類句について

2007-11-22 | ジュニア俳句
俳句界においては、類想・類句は排除される。価値のない物とされる。手垢のついた表現も嫌われる。
当然の話である。作品としての価値はないからである。
しかし、児童俳句、十分間俳句においても同じに扱ってよいか。疑問が湧いた。
子どもの俳句を読んでいくと、同じような表現に出くわす。たとえば

 落葉のクッションとかじゅうたん

 木ははだかんぼう

 グラデーション

 虫の合唱・合奏・音楽会

これらを今までは否定的に見てきたが、それでよいかと思うようになった。
子どもの場合、違う見方も出来るからである。
それが、手垢のついた表現であって、あちらこちらに類想があるとしても、彼や彼女は、そうした表現を獲得し、使いこなせるようになったことは確かだからである。
子どもは発達途上の存在である。しかも、零から出発しているのである。
例えば、手垢のついた表現という物は、適切に事象を表しているが故に流布した表現である。それは、逆の見方をすれば日本語の財産という側面をもっており、それを使いこなせるのは、そこまで子どもの日本語力がついたとも見ることができると思うのだ。
目指している俳句教育が俳人を育てるための教育でないとすれば、教育としての評価基準を持たなければならないと思う。その中で、手垢のついた表現も類想・類句も肯定的な位置づけをしてよいのではないだろうか。


次は、類想・類句がない句だ。

寒くなる冬を全部ダストシュート   元

目指すのは、こちらだが・・・・





丸の内再開発

2007-11-21 | ジュニア俳句
サッカーオリンピック出場おめでとう。テレビを見ていて最後の十分は、手に汗握る展開だった。勝ちきる、守りきるというのは、難しい。

さて、なぜ「丸の内再開発」かということである。
大型のビル建設が進んでいる。この工事現場の囲いに子ども俳句を描かないかという提案をしよう。
こういう話である。
この事について、今日はある人と会合をもった。
彼の話によると、東京駅を中心としたこの開発のコンセプトは、間違いなく「和」であると。だったら可能性があるんじゃないか。
日本の中心部に子ども達の俳句が書かれればすばらしい。
今、この工事の担当者と会えるかもしれないというところまで進んでいる。

ところで、水野選手が八名川小学校を訪れたことが、ジャイアンツのホームページに紹介されている。野球教室のページだ。
以下がアドレスである。

http://www.giants.jp/G/school/school_20071113_0001.html


 くいしんぼうカーテンぷくっとふくらんだ   隼

風でカーテンがふくらんだのを見て、「おなかがふくらんだ」を連想したんだね。そこから「くいしんぼう」という言葉が出てきた。
こうして連想を広げていく。この句はそうしてできた句だ。




ANAの現役の操縦士さんが八名川小学校に!

2007-11-20 | ジュニア俳句
火曜日は、学習連絡会から始まる。
新卒のA先生は、教具を上手に使ってテンポよい授業に心がけていることを語った。高学年の先生は、算数嫌いの子どもをどのようにして算数好きにするか、その工夫について話した。
私も教員向けに出している「十分間俳句」の№24を配った。
今後の俳句の取り組みをまとめてみた。

 1、波郷記念館ジュニア俳句大会への応募
 2、八名川子ども句集 十二月末発行
 3、芭蕉記念館の正月展示への協力 新年の俳句
 4、伊藤園の俳句大会への応募
 5、八名川子ども句集

 そして、今は展覧会に向けて高学年は俳画、低学年は俳句にとりくんでいる。



三校時には、ANAの現役のジェット機の操縦士さんが、旅のおもしろさと飛行機の操縦士になった自分の体験を語ってくれる授業があった。(5、6年生)
午後は、二つの自主的な研究授業が行われた。
若い先生の成長には目をみはるものがある。
八名川小学校は小さな学校である。若い先生も一人前になり、大きな戦力になって貰う必要がある。実に頼もしい。
午後の授業を参観している間に、お客さんが見えた。
一人は、同窓会の幹事長のKさんである。今回の同窓会の反省の問題や百周年に向けての方針などについて色々お話をうかがった。
二つめの研究授業にちょっと顔をだした。何人もの先輩が、授業をチェックしている。これなら安心だ。私は、教育センターで行われている校長会に急いだ。