十分間俳句

発見・感動・創造! 子どもたちの感性を培い日本語力を高める十分間俳句

校庭の芝生化

2008-07-30 | 教育活動


校庭の芝生化の工事が終わってから約四ヶ月がたった。この間たくさんのことを学んだ。


結論的に言えば、「芝生化という選択は、間違っていなかった。子ども達にとって、絶対的にOKだ。」ということだ。


校庭で子ども達が寝転がって遊んだり、座って話し込んだり、思い切りダイビングするような姿は、ダストの校庭では見ることが出来ない。運動会の組体操も安心できる。


しかし、「成功」と言える状況を作り、継続させるためには、様々な研究や努力が欠かせないということも知った。


八名川小学校の芝生は、夏芝(ティフトンやバミュダグラスなど)と冬芝(ペレニアルライグラスなど)の混植によって成り立っている。


夏芝は、基調になる芝で、温度が25度以上になると旺盛に成長する。今がちょうどその時期だ。そして、冬になると休眠する。反対に、冬芝は、十月に種を蒔き、冬を過ぎて、6月くらいまで緑を保つが、この暑さの中では急速に衰退し枯れる芝(短年草)である。


この二つの性質の違う芝を芝刈りや肥料の程度、水のやり具合など、それに使用頻度などによる損傷を補修しながら、微妙にコントロールしつつ一年中緑の芝を保っていくというtのがウィンターオーバーシディングというやり方だ。


本校の芝はスポーツターフと呼ばれる丈夫なもので、サッカー場などのスポーツ競技での使用にも耐えられるものである。しかし、それでも芝生は、生き物であり、天候に成長は左右される。これを見極める目を持たなければならない。


今は、種苗会社や管理に当たっている造園会社の方々の献身的な努力によっているが、いずれは自前でこの判断が出来るような技術を蓄積していくことが必要と考えている。


写真で見ると素晴らしい芝生のように見えるが、実は心配がある。



この写真のような裸地が結構あるのだ。(7月18日撮影)


まだ、夏芝が生えそろっていない。夏休み中にこれがどうなるか。


不本意だが、現在校庭の使用には、一定の規制をかけて、この回復を第一に考えている。


毎日、毎日、様子を見て歩くが、一朝一夕では変わらないので、いらいらしてしていた。それでもこの間の高温で、ようやく少しずつ改善が見られるようになった。




これが、29日、つまり今日の写真である。毎日見ているとわからないが、十日間経つと明らかに変わってきている。白く見える部分にも、ランナーと呼ばれる茎がぐんぐん四方八方から伸びてきている。


ようやく少し安心である。この調子で、天候もこの暑さが続いてくれれば、うまくいく。


現在、毎週火曜日と土曜日。午前9時から芝刈りをしている。みどりのボランティアの方や地域の方が来て下さっている。しかし、夏休みは、出かけて都合が付かない方も多い。


当番に当たっていないときでも、またボランティアに登録しておられない方も、芝生の様子の見学かたがた、もし時間があればおいでいただけるとありがたい。


子供も芝生もみんなで育てていきたいと思う。


 芝生の俳句をいくつか



  しばふのね上を走るとしずみそう    夏鈴


 しばふはね緑一面カーペット      ひまわり


 しばの上ツバメの鳴き声通る風     祥広


 夏の芝いっぱいいっぱいころびたい   一成


 空高くしばふの上の天の川       勇太











倉橋羊村氏が子供俳句に言及

2008-07-27 | ジュニア俳句

現代俳句協会の副会長でもあり、俳句結社「波」の主宰である倉橋羊村氏が、ある雑誌で子どもの俳句について、次のように言及している。


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 「俳句ブームの続く今日、小・中学生の層が日本茶飲料メーカーなどの俳句募集に便乗して、一時的に百数十万句を投句する現象も、一概に嘆くことではあるまい。自由画と似た感覚で量産するのだ。五七五の古来の日本語のリズムになじむことは、よいことである。


 そのまま俳句を続けなくても、試験や就職を契機に中断することがあっても、”三つ子の魂百まで”の諺どおり、将来時間の余裕が取れる時に、また俳句に帰ってくるだろう。我々世代の俳句との出会いは、恐らくそこまで遡れない。むしろ、恵まれたスタートだ。こういう下地があってこそ望ましい展開が期待できよう。


 私どもの時代は、図画などでも、ひたすら教科書を真似て、まずそれに近づく技術を習得する指導方法だった。子供が俳句を詠んでも、大人の真似をするような詠み方だった。


 その点、今の自由画方式の俳句の学び方の方が期待できる。彼らが再び俳句に帰ってきてくれるならば、現代感覚を生かした俳句表現を、工夫できるのではなかろうか。五七五のリズムが基本にある限り、やはり個性重視の工夫の上に、詠み続けられてゆくのではあるまいか。その時代にも、個性を引き出してくれる指導者が現れて、現代感覚との接点を試みて暮れそうである。」


夏井いつき氏や坪内捻典氏、田付賢一氏など、児童俳句を指導してくださる俳人も多く現れているが、児童俳句を「俳句界の中に位置づける」論考は、ほとんど見かけない。


その中で、現代俳句界の大御所である倉橋羊村氏の児童俳句への言及は、大変ありがたいし、励みになる。


「十分間俳句」の普及が教育的な意義を持つだけでなく、俳句界に寄与できることを示していくれている。


また、「帰ってくる」だけでなく、「続ける」装置ができないかとも思案する。


そこへ、川田由美子さんの編集されている「俳句十代」が送られてきた。



関心のある方は、小山までご連絡下さい。


(一人毎月千円 俳句が掲載され、川田先生の評が受けられます。)


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こうした活動がじどう俳句とおとな俳句との隙間を埋めていくのだろう。


中学生句会ももちろんその一つである。


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にぎやかな八名川小学校

2008-07-25 | 教育活動

夏休みに入ったというのに、八名川小学校は、にぎわっている。


今日は、特別水泳。6年のAさんが、二十五メートル泳げた! 拍手!


低学年の参加者も多い。


早めに手を打ち、プールが好きになって泳げるようになるための取り組みだ。


前日まで岩井の臨海学校に付き添いで行っていた先生まで総出で教える。


もう10年近い取り組みになる。


校庭では、げんきっず主催の「地球防衛隊」エコリーダーの方々が毎月一度、


エコ関係のイベントを用意してくれる。


今日は、ソーラー 太陽の熱を使ってゆで卵を作る。私も食したが


「うまーい!」





月曜日は、お話隊がやってきます。



げんきっずでは、約百名の子ども達がお弁当を食べていた。


皆行儀がよい。


午後、猛烈な暑さの中、子ども達は砂場で山や谷を作り遊んでいた。


現在芝生が養生中なので、(朝のラジオ体操を除き)サッカーが出来ない。


出来なければ出来ないで新しいことをどんどん考えつく。これが子ども達のすごいところだ。




木の影で作品がよく見えませんが・・・・



夜、高橋-小名木川-で「川せがき」(灯籠ながし)が行われた。


芭蕉記念館での俳句の会の方々と一緒に見に行った。


川を流れる灯籠の見事さ。関東大震災や東京大空襲でなくなった方への慰霊という意味もあると言う。


深川仏教会主催の催しだが、皆に知らせれば良かったと思う。


そこで一句。


  百万の魂おくる川せがき  まさみ








伊藤園おーいお茶新俳句大賞

2008-07-24 | ジュニア俳句

7月吉日付けで伊藤園新俳句大賞事務局より入賞・入選のお知らせが届いた。


今年の応募句の総数は、なんと百六十三万五千四百六十句である。


八名川小学校の子ども達の作品三句が入選した。


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干し柿やみためしわしわ中愛じょう  一輝 (佳作特別賞)


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おち葉から風の電話でおくってる   侑希 (佳作)


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いもうとがおうちの車にまめかけた  のりやす(佳作)


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一輝君の作品は、おーいお茶のパッケージに掲載されるとのことである。


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コンクールに入選するか否かは、本校の「発見・感動・創造の俳句教育」の評価基準にはならない。


それでも、子どもの作品が入選するとうれしい。


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今日は、佐倉市よりハートランドの加藤先生がお出でになり、来月2日のジュニア俳句指導者講習会の対談の打ち合わせをした。


大勢の子ども達が参加しているのだから、大人相手の「対談」をしてもつまらない。


俳句の音読の重要性、俳句の種を考えるときの「題」の役割、それに「取り合わせの俳句の指導」の三点に焦点を絞り、授業形式で展開しようということにした。


大まかな計画をたてたところで、現代俳句協会の田付先生や金子先生と打ち合わせ、了承していただいた。


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第5回現代ジュニア俳句コンクール

2008-07-21 | ジュニア俳句

先日、現代俳句協会から「入選のお知らせ」が届いた。


応募9240句の中で、優良賞や佳作に入ったのだからたいしたものだ。


8月2日の「俳句指導者講座」(ジュニア俳句祭)の席上で表彰式が行われる。


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  青嵐ぼくの消しゴムよごれてる    優介


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 神様が大泣きしている五月雨    あゆみ


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 鉄棒をくるっとまわれば夏の空    涼


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 ざりがにはたまたまわらいあうんだよ  楓


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 カイコくんお昼寝してるのおきてるの  萌


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この現代俳句協会の指導者講座というのがユニークだ。普通は、大人だけが集まるのだが、この講座には、子ども達が大勢参加する。午前中は、ほとんど子ども向けの句会やイベントだ。


実際の子ども達の活動の様子を知るということが、大切だと言うことと、子どもを主人公にした催しにしたいという主催者の意図がある。


昨年から、(ジュニア俳句祭)と銘打たれたのは、そういう流れを明確にしたいということだろう。


もし、この催しが、指導者講座等という名前をとってしまって、子どもの俳句の祭典になれば素晴らしいと私などは思う。可能だろうか。


私も今夏のこの催しでハートランドの加藤先生と対談をすることになっている。


24日に打ち合わせをすることになっているのだが、はてはて、はてな・・・


「一学期」が終わる

2008-07-20 | 教育活動

現在は、二学期制だから夏休みになったからと言って「一学期が終わった」とは言えない。


が気分は、


「一区切り付いた」


である。


一年生が70人入学し、全校の人数が240名近くになった。


この事が一番の不安材料であったが、担任のがんばりもあり、児童数の増加がパワーアップに繋がった。30人近い図書ボランティアの方が毎週全学級で読み聞かせをしてくださっていることは、その典型的な一つである。


個々に問題がないわけではないが、教育活動はおおむね順調に推移したとみる。


若い担任の学級も合格点である。


毎日、夜8時9時まで教材研究や次の日の準備を行うのは、若さのなせる技であるが、意欲は高く評価する。


昨日の夕刊に「中三女子父を刺殺」という記事が社会面を8段抜きで埋めていた。


「礼儀正しくて明るい子」だそうだ。


恐ろしい話だ。つい先日は、バスジャックの少年。秋葉原の事件も記憶に遠くない。


「今の子どもは、教育はどうなっているんだ」


先日行われた森下児童館の連絡会でも、「直ぐ切れる子」の話や「保護者」の笑えない話


等が口々に語られた。


「世も末だ」


本当にそうだ。


しかし、本当にそうか。とも私は思う。


いつの時代も「末」でなかった時代はないのではないか。


キリストだって、「世も末」の時代に救世主として現れた。


世の中は右肩上がりで進歩するはずだとという高度経済成長的な希望的な見方が人間の頭の中を占めており(そして、この考え方こそが社会を進歩させる原動力なのだが・・・・)そうならない社会に失望をするという図である。


いつの時代にも問題はなくならない。


形を変えてくるだけなのではないか。


典型的な例は、長寿社会である。


昔は、「人生五十年」だった。


今は人生八十年である。長生きは、人間にとって根源的な夢である。


その「夢」がかなった。そうしたら、認知症の問題が出て来た。介護が大問題になった。


では、「人生五十年」の昔に戻った方がよいのか。


いつの時代にも問題があるのは当たり前なのだから、


「なげいてはならない」


そう、自分に言い聞かせなければならない。


嘆く代わりに必要なのは、問題を分析し、対応策を考えるということだ。


例えば、


家庭の中と外との区別がなくなった。


電車の中での化粧はその典型である。


子どもの一部には、兄弟や親に対する対し方と他人に対する対し方の違いが認識できないという形で表れている。(学校できれる子、乱暴する子)


一人の人間の中に善と悪が同居しており、場面や状況によって、誰にどちらが表れても不思議でない社会になっている。


その裏側には、家庭の孤立化と社会的な絆のほころびがある。


が、しかし、そのような分析を百万遍繰り返して述べても子どもはよくならない。


(悪さに対しては淡々と実務的に対応策を実施すればよい)


大人がそうであるように子どもも様々な可能性(善であれ悪であれ)を身のうちに秘めている。


「悪い!」と言うかわりに「よさ」を見つけ出し伸ばし、子ども自身の確信にし、繋げていくことが教育という仕事だ。


「悪さ」を嘆けば嘆くほど悪くなる。


どんなに小さくても良いからよさを見つけ、そこに確信を持ち、広げていくことが、


「崩壊した学級を蘇らせる魔法」


であったのだから、その教訓からすれば、


「悪さ」を「悪い」と言って、嘆き糾弾するのではなく、「悪さ」の中にもある「よさ」を見つけ、


広げることが社会を変えると確信する。



 八名川子ども句集第9集を発行した。


 子ども達には、一人一冊それに家庭数分をプラスして配布した。


プラス一部は、おじいちゃんやおばあちゃん用である。



 子ども句集を欲しい方は、ご連絡下さい。差し上げます。






八名川句会

2008-07-16 | 各地の取り組み

朝、臨海小学校の六年生二つの学級で俳句の指導をした。


六年生は、一学期に俳句と短歌を勉強している。



その中から 外にも出よ触るるばかりに春の月



        赤蜻蛉筑波に雲のなかりけり



の二つの句を抽出し、その作り方の違いに注目をさせ、今日は取り合わせの仕方を勉強すると前置きをして授業にかかった。



今後の検討課題は、取り合わせという感覚を子どもはなかなか持てないという点だ。取り合わせを指導しても、取り合わせと言える句が結果としてあまり出てこない。(気軽に俳句を作れるようにはなるのだが・・・・)


指導の仕方を工夫すれば克服できるのか、それとも無理なのか。もう少し追究してみたい。



夕方には八名川句会があった。今日は出席者が4名とすくなくさびしかった。


ぜひ、皆さんの参加をお待ちしています。


今日の句を紹介する。




熱帯夜私の味方アイスノン



夕立のあとにぽっかりお月さま



真夏日に約束百点あっぱれだ



ひとときに想いを馳せる墓参り



青い海手紙に乗せて届けたい



やまももの実をつつく君の瞳(め)は少年



道具箱両手に抱え夏休み



一心に女爪研ぐ炎暑かな



どうぞ皆さんも作ってみて下さい。今日の最高点句は、


   


  夕立のあとにぽっかりお月さま



でした。皆さんはどの句がお好みですか。



 次の八名川句会は、8月の下旬か9月の上旬の予定です。





中学生句会

2008-07-15 | ジュニア俳句

日曜日は、暑かった。


その暑い中、


隅田川で「暑さを感じながら句を作ろう」と無謀にも、隅田川河岸吟行。


暑くてペットボトル500ミリリットル二本を飲んでしまった。


今回の句会には、深川二中の生徒二人が新たに参加。


中学生諸君は、句づくりよりもおしゃべりにも夢中だったようで、出て来た句は、


吟行以外のものも多い。


出て来た句を紹介する。




水筒が汗をかいたら夏休み



日陰にてモノクロ世界にかげふたつ



見上げればくらくらへなへな暑い岸



水をまく私のかげに妹が



家の中母と弟まるで滝



炎天やH2Oアクエリアス



釣り人の竿の動かぬ炎暑かな



夏の朝手を取り散歩の父と母



予想外ステキな三人夏の空



暑い日や焼けたおでこに川の風



片かげり船が魅きゆく白き道



炎昼の日陰をさがす隅田川





八名川子ども句集第9集

2008-07-14 | ジュニア俳句

今日、ようやく八名川子ども句集第九集を製本屋さんに渡した。


17日にはできあがってくることになっている。


夏休み前にどうにか間に合った。


何度も校正した。が・・・間違えがないことを祈る。


18日に子ども達にわたす。児童数+家庭数で配布する。


一冊は、おじいちゃんやおばあちゃんに見せてもらいたいからだ。


田舎へのおみやげにしてほしい。


6月30日締め切りで現代俳句協会のジュニア俳句コンクール。


その後の俳句は、毎日新聞俳句大賞に応募する予定である。


白川さんから各小学校に送る深川発祥の俳句大会の要項やプリントをいただいた。


明日の交換で各学校に配布する。



午前中は、明日夜の芝生研究会の発表のための資料づくりをする。





子供会西部連合の野島さんが夏休みに行われるキャンプのことでお出でになる。


今年は、全部で70人も参加者があるそうだ。八名川小からも20名余。


午後には、日本子ども文化学会の飯口進会長が学校にお出でになった。


秋に行われる予定のゲストティーチャー(低学年 腹話術・折り紙)の打ち合わせである。


また、囲碁の指導で、螢の碁の方々がお出でになった。


低学年が中心だが、だんだん力を付けていってほしい。


自分たちで打てるようになれば、文化が一つ広がる。


7月27日に文化センターで子どもの囲碁の大会がある。



明日は、中国(広州)から70名ほどの小学生が学校訪問にくる。


大雑把な計画を教務主任と打ち合わせる。


楽しくなりそうである。





研究授業

2008-07-13 | ジュニア俳句




7月までに3回の研究授業が行われた。


もちろん、いずれも俳句指導をめぐっての研究授業である。


どの教員も、これまで俳句などと縁がなかった。


しかし、それぞれたいしたもので、それぞれ挑戦的な課題を掲げて取り組んだ。


最初の授業は、5月。3年生


甲虫の幼虫を教室に持ち込んで、これを観察しながら、俳句をつくるというものだ。


まさに、発見・創造の俳句教育にふさわしい。


6月は2年生。


まだ、俳句に慣れていない苦手な子どもがいるので、一人一人の句をみんなで考え合い、良いものに練り上げていこう。その中で俳句の作り方がわかり、みんなが自信をもってとりくめるとよいとの考えからだ。


推敲をするのはなかなか難しいことであるが、この経験は、今後に必ず生きてくると感じた授業だった。


7月は6年生。


6年生でどんな授業を行うかということは、小学校の俳句作りのゴールを定めると言うことでもある。


この授業は、日本語の技法を様々に教え、それを駆使して俳句の種から個性的な俳句を作ると言うことをねらったものだ。


子ども達は、倒置法や言葉の工夫など、授業で学んだことを早速使いながら俳句作りをした。


この授業では、もう一つ、日常的に行われている俳句の種作りとその発表会が俳句の質を高めているという点で、印象的であった。


これらの成果を基に、9月以降、授業研究が積み重ねられることになる。



学校の玄関に7月の俳句が張り出されています。お出での際は、ぜひご覧下さい。