十分間俳句

発見・感動・創造! 子どもたちの感性を培い日本語力を高める十分間俳句

取り合わせの俳句に挑戦

2009-10-29 | ジュニア俳句

5年生が取り合わせの俳句に挑戦している。
何回も言っているように、取り合わせの俳句は難しい。
子どもが取り合わせの微妙な感覚を理解することが困難だからだ。
取り合わせは、「抽象画」と同じだ。
しかし、取り合わせの俳句を作ると俳句っぽくなる。
コンテストなどで入選する句に取り合わせが多いのはそのせいであると私は思う


 今回は、実験である。
何回か取り合わせを体験して、意識的に指導すれば、取り合わせの句に慣れ、感覚を掴むことが出来るのか否か。
もし、感覚を掴むことが可能であれば、積極的に取り入れてもよい。


もう一つ、今回の目的は、「季語」を理解することにある。
秋の季語を挙げなさい。そう言えば、子ども達は、それなりに秋の季語を挙げることが出来る。
これは、二、三年生でも、五、六年生でも基本的に同じである。もちろん語彙が豊富な分だけ高学年の方が多く挙げるだろう。
では、その量的な問題だけで良いのか。
俳句にとって季語が重要なのは、季語が歴史を積み重ねた言葉であり、同じような言葉でもその季感には、微妙な違いがある。そうした違いを意識的に掴ませることが、高学年では必要と考えた。


例えば、 秋の空 秋高し 天高し 秋天 は同じ秋の空を表しているが微妙に感じが違う。
花にも表情がある こすもすと彼岸花では感じが異なる。
この違いすべてをわかることは到底無理なことだが、「違う」という認識を持つことは出来ると思う。


もっと簡単な例を言えば、 秋晴 と 秋雨 


秋晴は明るい気分であるのに対して、秋雨は何となくさびしい。こうした観点を以て季語をみるだけで俳句は変わると思う。
取り合わせの句をつくる過程で、この季語の雰囲気を味わわせることが出来ると考えるのである。


骨折したA君が、こんな句を作った。


 秋晴や松葉杖とはおさらばだ


うまい!


B君はこんな句を作った


 秋晴や逆転満塁ホームラン


これもいい。B君はホームランを打った方のチームの側にいるのだろう。


もし、打たれた方だったら、

 秋雨や逆転満塁ホームラン


となっていたかもしれない。

自分の気分に最もあった季語を選ぶことが出来ると、日本語の感覚が一段とアップしたと言えるだろう。


東雲小学校で十分間俳句の実践

2009-10-27 | ジュニア俳句


東雲小学校のT先生の学級の学級だよりをいただいた。
「十分間俳句」に取り組んだ様子を記したカラーの学級だよりである。
いつもはモノクロだが、この時ばかりはカラーにしてくれたらしい。
実は、T先生は、昨年まで、新島に勤務していた。
すでに一昨年になるが、アイデアマラソンの樋口さんと一緒に新島を訪れたことがある。
その時に、十分間俳句の授業も行った。
T先生は、その時の様子をよく覚えていてくれて、その通りに実践したくれたのだ。
うれしいとしか言いようがない。
そんな縁で、11月には東雲小学校の三年生三クラスに俳句の授業をしに行くことになった。
丁度、東雲小学校の学校公開中に当たるようなので、余り恥ずかしい授業もできないなあ。
明日水曜日は、本校、つまり八名川小学校の5年生で授業する。
やはり、自分で授業しないと考え方の良し悪しがわからない。
うまくいっても行かなくても、一歩前進できるのである。


 


研究発表会の案内など

2009-10-23 | ジュニア俳句


考えてみれば、研究発表会まであと1ヶ月しかない。この案内が出来たのは、二週間ほど前である。


都内の各学校には発送した。


折角「茂木健一郎さんが来るのだし、もっと宣伝した方がよい」


と色々な方に言われている。確かにそうである。このブログに載せることも忘れていた。


これから研究発表まで毎日載せることにしよう。(オットトト、それは極端でしょう)

では、適当時々に載せることにしよう。


皆さん、ぜひ11月27日は、八名川小学校においで下さい。

問い合わせ先は、03-3631-2260 です。


 



10月3日に本校の若手のM教諭が体育の研究授業を行った。
その時の写真を数枚並べる。


   


   


   


   


      


これらの写真を見て、改めて この授業者であるM先生のすばらしさがわかった。
常に子どもに寄り添う姿勢がすべての写真から読み取れる。
この姿勢こそ教師の原点であり、理想だからだ。


兜太さんのDVD・句会「いちじはん」

2009-10-22 | ジュニア俳句

 



日向寺監督が制作している金子兜太さんのDVDがいよいよ完成するらしい。
このDVDの中には、ほんのわずかだが、八名川小学校の6年生も登場している。
この7月に兜太さんに授業をしていただいた。その時の映像である。
このチラシの映像では読みにくいかもしれないが、内容を知りたい方は小山まで連絡下さい。
それにしても兜太さんはいい面構えをしている。


この一週間は疲れた。
日曜日の学校公開から始まって、今日まで。
ようやくここまでたどり着いたという感じだ。
土曜日に清里まで出かけたこと。
月曜日、火曜日、水曜日と連続して夜の会合が入っていたこと。
そのせいで寝る時刻がうしろにずれたことが原因。
まあ、年とってがんばりが効かなくなったということか。


昨日は、八名川ファミリーの勉強会だった。
江戸時代から現代に至までの八名川地区の地図を広げて、勉強した。
深川・八名川の歴史についてだ。
江戸時代は、小名木川がほぼ海岸線だった。それがどんどん南下する。
海辺橋。これは、たしか清澄庭園の南側の橋だ。
更に南。すると臨海小学校。江戸時代に埋め立てが進み、門前仲町の南側まで埋め立てられたことを示している。
州崎。越中島・・・・・・
しばらく歴史を勉強することになった。
次回は深川神明宮の歴史を学ぼうと言うことになった。

そうそう、今度の日曜日は 句会 「いちじはん」である。


今回は、深川七中に集合して 猿江恩賜公園で吟行となる。




           25日1時半集合 集合場所 深川七中


 


 


 


清里

2009-10-18 | ジュニア俳句

土曜日に清里に行ってきた。
人に誘われて、譚詩舎という文学サロンに行った。
「宮沢賢治、中原中也、立原道造」という三人の詩人をとりあげた集いだった。
吉田文憲、野村喜和夫という今をときめく(と言われている)二人の詩人の対談が中心だった。
話はおもしろかった。
賢治は歩き回り、中也は立ち止まっている。とか、爆発と収斂だとか、様々な比較が出され、詩が朗読された。
6年の教科書に採り上げられている 賢治の「やまなし」の話題も出た。
「賢治の作品には母親が出てこない」
と文憲さんが言われて、そう言われてみればそうかなどと考えた。

清里は寒かった。その寒い分だけ紅葉が美しかった。赤や黄色が鮮やかなのである。
かつて清里と言えば、軽井沢に次ぐ観光地で、若者で溢れかえっていたという記憶がある。
今はまるで違う。駅前のホテルが潰れて公園になっていた。
夕方6時も過ぎると数件ある土産物屋も店を閉じ、あいている店もない。
清里のシンボルである清泉寮は、観光シーズンの土曜日にもかかわらず
「今日泊まれます」
とある。
これが今の日本なのかもしれないと思った。

帰りの電車は、私より年輩の俳人と一緒だった。
「寒雷」という加藤楸邨の結社のベテランの方だ。
今は詩の方に力を入れているというお話だった。
句集を送ってくださるというので、楽しみである。

俳句以外の世界を覗いてみるのもおもしろいものだ。


 



 


2月6日に第一回学校俳句指導者交流会

2009-10-15 | ジュニア俳句

月曜日に部長の田付賢一さんをはじめ、現代俳句協会ジュニア研修部で中心的に活動されている方々が八名川小においでになった。
午前中の出張俳句教室の帰りにわざわざ寄ってくださった。
議題は、教員の俳句指導者をどう育て、どう連携を図ってていくかであった。

田付さんの話によると、先日の現代俳句協会の幹事会で、教員の組織化を図っていくと言う方針が確認されたということだ。実によろこばしいことだ。
具体的にどうしていくかについて話しあった。

結論は、「ともかくやろう」ということだ。
日程の調整もした。

結果、来年の2月6日(土)の午後。場所は芭蕉記念館

ここまで確定した。

現代俳句協会の機関誌「現代俳句」に案内を掲載すること。
案内のチラシを作成し、出張俳句教室などに出かけた学校に配布して参加を呼びかけること。
芭蕉記念館を早速押さえること。


等が決まった。各地の俳句大会で審査などの中心になっているのは教員が多い。にもかかわらず、教員同士の連携はないに等しい。
従って、子どもの俳句の指導をしている教員がいるにもかかわらず、それぞれが独立して指導している現状がある。この状況を克服することによって、子どもの俳句指導は、劇的に進歩するに違いない。

今度の第一回学校俳句指導者交流会は、その大きな一歩だ。

鳩山政権ではないが、最初からうまく進むとは限らない。最初は小さな集まりかもしれない。それにもかかわらず、動き出せば、それがまた新たな動きを産んでいくに違いないと思うのだ。


 


幼稚園の運動会・龍生展、吹奏楽の集い

2009-10-12 | ジュニア俳句

10月の第2週の土、日は保育園・幼稚園の運動会が集中している。
それぞれに特色があり、興味深い。
つきかげ幼稚園、親愛保育園、神明幼稚園の三つにおじゃました。
              写真は、神明幼稚園の運動会


爽やかな秋晴であるが、インフルエンザの流行で実施が危ぶまれる場面もあったらしい。
それぞれ実施できてよかった。


午後、上野に行く。
前任校でお世話になったいけばなの先生から「いけばな龍生展」の招待券をいただいたからである。
三浦春祥先生と仰有るが、6年生に生け花の授業をして戴いたり、土曜日に親子生け花教室を開いて戴いたりした。その時はよく知らなかったが、龍生派の「四天王」の一人でたいそう偉い先生であることを後で知った。
時間が早かったので、歩いて行ってみることにした。
途中、震災記念堂や鳥越神社などを見る。
鳥越神社は車からはよく見たが、境内に入ったのは初めてである。
歩きながら考えた。
「写真と俳句で綴る日本の町並み」
これをしたらおもしろいだろうな。
「待てよ、なかなか日本全国は歩けないな」
では、
「東京の町並み」
なら出来るかな。
こんなアイデアはどこにでも転がっているな。めずらしくない。
趣味としてはよいかもしれない。
「まずは、足もとから。写真と俳句で綴る江東の町並みとか深川の町並みならば、現実的かもしれない。」
こういうものを区で募集して区報に載せる手もある。
「フォト5・7・5江東の町並み」
これで、BSの番組に売り込む。
「これも可だな」
なんて、くだらないことを考えながら、約1時間。
上野はあんまり遠くないと思った。


龍生展は、いけばなというよりもアートだ。無論中には伝統的な様式もあるが、抽象画のような新しいアイデアのオンパレードのように思える。
三浦先生の作品は、実に簡素でけばけばしさがない。無駄をすべてそり落としたような清楚な作品だった。
「悟りの境地」を見た思いだ。

現代的な龍生派でも家元制度は健在のようで、家元の巨大な作品が中央に飾られていた。
この家元制度は、ある意味芸術家を養うシステムである。
絵のように、作品が残るものは、それを売って生計をたてるという手がある。音楽家は、コンサートを開いて、客を集める。西洋の芸術は個人主義だから、流派を立てるという思想がない。
しかし、その中で芸術だけで食べていくのは至難の業だ。実際は、ほとんどの画家が学校の教師をしながら絵を描いている。音楽家もしかりである。本業だけでは食べられないのだ。


その点、日本伝統の「芸術」 華道や茶道 踊りもそうだが・・・「家元制度」がある。自前で生徒を集め、それで生計を立てることができるシステムになっている。家元に要求されるのは、芸術家としての技量だけではなく、経営能力である。材料の仕入れなどとの関わりも大きな部分を占める。

俳句も同じだ。結社が林立するが、大きな結社では、宗匠にはある程度お金が入るようになっている。
もっとも、華道や茶道のように俳句では材料を売ることが出来ないので、その分の実入りはない。
この欠陥はあるにしても、芸術を庶民に根付かせ、芸術家を養うシステムとしての「家元制度」は必ずしも否定されるべきものではないと思う。

そうそう、土曜日には吹奏楽の集いもあった。本校の50人近い子ども達が出演した。
毎日、朝早くから練習してきた成果を発表した。


   ご尽力戴いたたくさんの保護者の皆様に感謝いたします。


 




 


 


 


 


 


 


 


 



 


永島靖子句集「袖のあはれ」

2009-10-10 | ジュニア俳句

以前にも、このブログで紹介したことのある永島靖子さんから、句集「袖のあはれ」をいただいた。
美しい句集だ。永島さんの20年にわたる句が収録されている。
帯に
「俳句は象徴詩である」
とある。まさにそうだ。詩や俳句が心を打つのは そこに書かれている以上のナニモノカが伝わってくるからだ。
子どもの句でも、このことは同じである。
俳句大会で入賞するか否かは、この点が分岐点になる。
しかし、子どもはそこまで考えて句作をするかと言うと、否で、そう言う意味では、俳句大会に入賞するかどうかは、俳句教育の埒外である。しかし、高学年ではそこに挑戦させてもよいのではないか。
まだ、明確に言い切るほどの確信はないが、そのあたりが今考えていることである。


永島靖子さん句集にもどろう。
最初の句からしびれてしまった。


 冬ひとり瓶の林立好みけり


こんな句を作ってみたいものだ。
好きな句に付箋をつけながら詠んでいたら、付箋が足りなくなってしまった。
付箋をつけた句の中から15句ほど紹介する。


 初志貫かむ河骨の花の数

 急がねば春来る五時の鐘が鳴る

 曼珠沙華音せぬ茎のおそろしき

 包丁を研ぐころほひや初紅葉

 難しき貌の秋刀魚を焼きにけり

 人も魚も眼をてらてらと年の暮

 紅梅をななめに挿せる挽歌なり

 能面のまなこの奥のしぐるるや

 母郷なりひよんの実を吹く他はなし

 戦争があり大甕に八重桜

 氷水父母在りし日も逝きし日も

 ほうたるのいのち尽きゆく匂かな

 冴返るインクもとより夜空色

 小鳥来ぬ作法通りに紅茶淹れ

 惜春やかたりと置ける象牙箸


 どの句を読んでもぞくぞくする。
私も、こんな句を1句でも良いから作ってみたいものだ。


 野分過ぎ深川めしの貝に砂


こんな句もあった。永島さんのお住まいは山の手だが、恐らく吟行でこちらにいらして昼ご飯に深川飯を食されたのであろう。どの店で食べられたのかにも興味がある。野分すぎとあるから季節も今ごろであろうか。


 



 


体育の研究授業

2009-10-07 | ジュニア俳句

北大路翼さんから 句会「いちじはん」の報告ができたと連絡が入りました。


http://haiku.sitemix.jp/sub4.html


をクリックしてください。様子がわかります。


さて、今日、公開の研究授業が行われた。100人を超す方が参観に来られた。
授業者は、本校の三年目の若手の教員。
1年生の体育の授業。
子ども達がよく動く。きびきびしていて、表情がいい。
準備や片付けも子ども達自身で行っている。
運動量も十分ある。
45分の授業が短く感じられた。
教師の事前の準備も、子ども達への指示も、問いかけも百点満点に近い。
何よりも教師自身が笑顔を崩さないところがいい。
毎日、夜遅くまで準備していた努力が報われた形だ。
他の若手の教員が、きちんといろいろな面でサポートしてる、そのチームワークもよい。
本校の大きな特徴は、若手の先生がよく育っていることだと鼻が高かった。
うれしい限りである。


 


ジャズと俳句のコラボレーション

2009-10-06 | ジュニア俳句

今日も一日中雨だ。台風の影響で今週いっぱいはこんな天気が続きそうだ。
土曜日からは回復してほしい。幼稚園や保育園の運動会が今度の土、日に集中しているからだ。
今日は何だか疲れた。
しかし、面白いこともたくさんあった。


一つは、6年生の俳句の指導。


取り合わせの句の指導の仕方をいろいろ試している。
うまくいかないことも多いが、これが一番わくわくする。

午後、森下商店街の本間理事長がいらした。

来年の十二月だが、ジャズと俳句のコラボをしようという話だ。
これは面白そうだ。本間さんは、実にアイデア豊か。舌を巻く。
いろいろな形で森下が俳句の街になっていったら何と素晴らしいだろう。
思い切り協力したい。
あんまりわくわくしたから疲れたのかもしれない。
「プロフェッショナル」を見たら、風呂に入って寝よう。