十分間俳句

発見・感動・創造! 子どもたちの感性を培い日本語力を高める十分間俳句

江東区小中学生スポーツ俳句大会

2013-01-27 | ジュニア俳句

今日、江東区小中学生スポーツ俳句大会の表彰式が行われた。
この大会は、来年の国体とオリンピック招致のムードを盛り上げようと江東区教育委員会が行ったものである。
昨年の秋に募集が行われ、その結果、区長賞、区議会議長賞、・・・入選、佳作の各入選者への表彰が今日行われたのだ。
江東区は、松尾芭蕉、石田波郷の地である。まさに俳句のDNAがある土地柄だ。
この写真で、プレゼンテーターは、ウエイトリフティングの三宅宏美選手。銀メダルをみんなに見せてくれた。また、表彰式が終わってからも気さくにサインや記念写真に応じて下さった。

 区長賞 

サッカーのパスは小さな手紙だよ  第二砂町小学校 松島凜太郎

 区議会議長賞 

地を蹴って走れ走れと夏の風 深川第七中学校 舩田香澄

 教育委員長賞 

北風とスタートダッシュの練習す 越中島小学校 石川理沙

 三宅宏美賞 

夕焼けに輝く汗は砂まじり  深川第四中学校 増田陽介

 教育長賞  

秋の音大地にふみこむぼくの足  越中島小学校 齋藤遙

 

全体では、約七千の応募があり、区が主催するような形の俳句大会が行われたのは江東区でも初めてのことである。
教育委員長の最後のあいさつで、俳句はひらめきと直感の文学であるが、このひらめきと直感は、俳句だけでなく様々な場面で必要であり、俳句を学ぶことによって、こうした力をつけてほしいということを言われたが、まさにその通りだと思う。
また、この表彰式は、今私が所属している教育委員会の学校支援課や総務部などの力で行われたが、やはり役所の力は大きいということをつくづく感じた一日だった。

 

 


お正月を題材にした授業

2013-01-17 | ジュニア俳句

今日は、八名川小学校の2年生と4年生の授業を行った。
私は、3年前まで八名川小学校の校長をしていたから、八名川はホームグラウンドのようなものだ。
先生方もよく知っているので、その分気軽なところがあることも事実だ。
子どもたちも授業を待ち望んでくれているようなので、楽しい。
何よりも、現校長の手島先生がよくしてくれるのがありがたい。
普通は,前任の校長が出入りするなど,まっぴらごめんなのである。
そんなことされたら学校経営がやりにくくて仕方がない。
ところが、手島先生は、それをそういうそぶり一つ見せずに、今の新しい路線の中に俳句をうまく位置づけてくださった。
唯々感謝である。

雪からもどって、また「正月」を題材にとりあげた。
子どもたちの生活の中で実際は正月の意味合いは薄くなっている。
そのことを、この間感じたのだが、だからやめてしまうのではなく、逆に、俳句を通じて、子どもたちに正月の意味合いをはっきりさせていくことが大事だと考えたからだ。

2時間ずつ時間をいただいているので、
七種がゆやお節料理をとりあげて、その意味合いを授業の中に組み込んだ。
中に興味を持って調べている子どもや家族から教えられている子どももいる。
その子達をほめることで、そういうことの価値を少しでも高めることができる。

通常の俳句教室だと、子どもたちの体験を引き出しながら、一緒に俳句を作ってあげる。
八名川小学校の子どもたちは慣れているので、その段階を飛ばして、季語を使って俳句を作る。
30分ほどで、4~10句ぐらいの句ができる。
そのまま作らせると、ほとんどの子どもたちは、季語を上五に使う。その方が発想しやすいからだ。
それが長所だが、短所は、下五が動詞で終わることが多くなり、散文的になるということだ。
また、「楽しいな」「うれしいな」という直接感想を言うことが多くなる。
この時の工夫は、「季語を下五につかう」ということをあらかじめ指示しておくということだ。
すると、倒置法にしない限り、こうした言葉を「使うな」と言わなくて、8割方消去することができる。
子どもの中には、「下五でないといけませんか」という質問をする子がいる。
そのときは、「どんなのをつくりたいの?」とたずねたり、「いいよ」と認めてあげればいいのだ。
もう一つ、お正月の俳句で注意をしなければいけないのは、季重ねだ。
私は低学年の子どもは、季重ねで問題は無いと思う。その方がわかりやすいし作りやすいからだ。

きなこもち腹いっぱいのお正月

これでも,あまり目くじらを立てる必要はないと思う。高学年になれば、季語は一つということを意識させていくということになるが・・・

たくさんできた句の中の一つを選ばせて全員で句会を行う。
今日は、その句会の時間を比較的多くとった。また、子どもたちに自分の句の解説をする時間も多く取った。
この事も大切だと思う。
友達の句を読み合い、よさを見つけ合うことで、俳句の見方が変わるからである。
句会の時には,観点を決めて選ばせるのも一つの手だ。
リズムのよいものはどれか。とか、発見があるのはどれだろうとか・・・
そういう指示をしないで選句をすると、「共感」または「句の雰囲気」が選ぶ基準になるが、これが変わるから面白い。
こうした点については、今後更に詳しく述べる機会もあると思う。



2013-01-16 | ジュニア俳句


雪が降った。東京では、七年振りの大雪だと言う。初雪にして、この大雪。子どもたちは大はしゃぎだ。
俳句もこうなると、やっぱりテーマは、雪以外かんがえられない。
第三大島小学校の一年生。雪の俳句を作った。

こうていのあしがはえてるゆきだるま


お正月俳句に取り組んで

2013-01-11 | ジュニア俳句

昨日は、一年生。今日は三年生の教室で俳句の授業を行った。
この時期、子供たちの心に一番残っているであろう「お正月」をテーマにして俳句作りをしよう。そう考えていた。

しかし、昨日一年生の授業をしてみて、
「時代が変わっているではないか」
という印象を受けた。
なんとなく、子供たちの中に「お正月」という特別なものがないという印象を受けたのだ。

まず、子供たちから「お正月」という言葉が出てこない。「冬休み」という言葉は、ぱっと出てきても、「お正月」はこちらから罠を仕掛けないと出てこない感じなのだ。
調べたわけではないが、おせちを作らなくなっている家庭も多いと聞く。
しかし、聞いてみると、「お年玉」も「初詣」も「年賀状」もちゃんとあるにはあるし、コマ回しや羽子板で遊んだ子供もいることはいるのだ。
しかし、それらはおそらく生活全体を支配していなのだろう。生活の基調は、お正月であろうとそうでなかろうと一緒であって、その中に点景としてのお正月があるに過ぎないのではないか。
そんな気がしたのだ。
しかし、とまた考えてみる。
一つには、子どもの発達段階があるのではないかということだ。その点景から、お正月という総体を認識するに至っていないと考えることもできるのではないか。
だとすれば、上の学年に行くに従って、「お正月」というものを認識しているのでないか。そんな風にも思うのだ。
そして、今日は三年生の授業であった。
やはり、「お正月」を題材にして俳句作りをした。
昨日と印象がそれほど異なるわけではないが、一年生よりもはお正月の認知度は高いように感じた。
もう一つ、感じたのは、おじいちゃんやおばあちゃんが句の中にやたら出てくるということだ。それに地名が多い。浜松だったり、千葉だったり、大阪だったり。そのことは、子供たちがお正月のあいだ田舎に帰ったり、おじいちゃん、おばあちゃんがきたりして一緒に過ごしたということなのだろう。そういう特別な生活が子どもに確かにいる。
そう言う意味では、お正月は確実に残っていると再認識した。

そして、帰りながら考えたこと。
俳句は、自分たちの生活の良さを認識し表現する道具でもあるという点だ。
つまり、俳句に表すことによって、子どもたちは「お正月」やその良さというものを認識するのではないかということだ。
だとしたら、結論としては、「お正月」を積極的に俳句に読ませることが必要だということになる。

 


初授業

2013-01-10 | ジュニア俳句
第一大島小学校の一年生です。
冬休みやお正月の思い出を俳句にしました。
一年生という年令はあるとは思いますが、お正月の印象が子どもたちの中で薄くなっている感じを持ちました。

しかし、俳句はとても素敵にできました。

ハートランドの加藤先生より 一月(冬休みの季題)届きました。ご活用ください。

2013-01-07 | ジュニア俳句

加藤先生の連絡先です。詳しくは直接加藤先生に聞いてください。

ハートランド http://www.catv296.ne.jp/~heartland1024/
ブログ http://ameblo.jp/haiku575/
日本学校俳句研究会 http://gakkohaiku.sitemix.jp/ 
PCメール heartland1024@yahoo.co.jp
携帯メール kinmokusei19901221@ezweb.ne.jp

 


感想文のプレゼント

2013-01-04 | ジュニア俳句

末に、二砂小の先生から写真のようなかわいい感想文集が送られてきました。
先日、二砂小での俳句の授業のお礼です。
心がこもっているこういうものは、受け取る側にとってとても嬉しいものです。
これには、先生の手紙もそえられていて、心が伝わってきます。
最近は、メールを除けば礼状のようなものを書く機会がとても減りました。
私の母は、九十を過ぎていますが、よく手紙を書きます。
何かもらい物をしたり、手紙が来ると一両日中には返事を書いています。
逆に手紙を出して、十日も返事が来ないと、「どうしたのかしら」と心配そうな顔になります。
何十年か前は、そうしたことが当然のことだったのでしょう。
こうしたお礼文集を書かせるということには、相手に対する儀礼というものが当然ありますが、それだけでなく、「お礼を書く」「一筆書く」ということが大切だよという教育的な意義があるのだと思います。私もメールへの返事はすぐに書いても、いただきものや手紙への返事がどうしても遅くなります。反省しなくてはいけないと、この文集を読みながら思いました。
書かせる中身についても意図があります。ただ「ありがとう」ではなく、具体的に書かせる事によって、学んだ内容を定着させることができます。身近ではないゲストティチャーに対してだからこそ、字を丁寧にというようなことも無理なく意識づけることができます。
お礼の手紙をこうしたものとして受け取ったとき、先生方の意図と子どもたちの気持ちの双方を受け取り、温かい気持ちになります。

あけたら1ページ目に

「小山先生へ  はいくを教えてくれてありがとうございます。はいくを作りました。

  冬休みそりであそんだたのしいな  」

可愛い限りです。俳句に興味を持たなかったら自分からは作りません。二砂小に伺ってよかったなと心から思いました。


10分間俳句の原点

2013-01-02 | ジュニア俳句

気がついたら、このブログ、開設から2058日目なのだそうだ。
こういう記録については、コンピュータはの得意分野だ。
2000日といえば、6年に近い。

その6年前に10分間俳句の定義をしている。これが原点だ。
そろそろ、パージョンアップ版を作らなければならないかもしれないが・・・・

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「十分間俳句」とは、一日十分、生活の中で気付いたことや発見したこと
など(「俳句の種」)を記録し、それをもとに十七音の俳句に作るという活動です。

十分間俳句の目的

1、生活の中の小さな気付きや発見を大切にする習慣を培う。
 
2、気付きや発見などを言葉にし、感動を定着化させ感性を磨く。
3、俳句という十七音の定型で表現することを通して日本語力を高める。

十分間俳句の方法

1、専用のノートを用意する。
 
2、日付を書き、最初の5分間、気付きや発見などの「俳句の種」を記録する。
3、次の5分間、「俳句の種」を元にして、十七音に俳句にする。
※「俳句の種」「俳句」それぞれには通し番号をつける。

十分間俳句普及の呼びかけ

1、十分間俳句は、子どもたちが、美しい日本を発見する方法です。
 
2、十分間俳句は、生活の中の気付き・発見を自覚し、自尊感情を高める方法です。
3、十分間俳句は、俳句を通して、日本語のリズムを身につけ、語彙を豊富にする方法です。
4、十分間俳句は、日本の伝統文化を子どもたちに伝える一つの方法です。
5、十分間俳句は、どの学校でもどの教室でも手軽に取り組める方法です。

  なお、十分間俳句は、脳を活性化させ、生活を豊かにする有効な方法です。
 

  
 あなたも取り組んでみませんか。

 


俳人風狂列伝

2013-01-01 | 雑感

「俳人風狂列伝」。角川選書。
この本を手に取ったのは、岡本癖三酔について取り上げられていたからである。
癖三酔は、大場白水郎の俳句の師である。白水郎についても若干の記述があるかもしれない。
大場白水郎に関する資料はいろいろ頂戴しているのに、その「研究」はちっとも進んでいない。
どこから手をつけようか。そんな気持ちもあった。
作者は、石川桂郎。石川桂郎は、杉田久女に入門して俳句を作り始め、石田波郷の「鶴」の同人である。
雑誌「俳句研究」の編集にも携わった。

ゆめにみる女はひとり星祭  桂郎

という句がある。
この本は、面識のある俳人を中心に、破滅型?の俳人のエピソードを描いたもので、読売文学賞を受賞している。
癖三酔は、慶応で、三田俳句会を組織し、そこから久保田万太郎や大場白水郎が育ったということである。
岡本癖三酔についての文の題は、「室咲きの葦」。
この題は、癖三酔が十五年もの間、神経衰弱と糖尿病のため自分の部屋から一歩も外に出なかったことに由来する。
昼間から雨戸を閉め切り、ルミナールを飲んで眠り、昼夜のない生活をしたと言う。好悪の感情が激しく、気に入ったものにはとことん惚れたらしい。
ある俳人の人物批評によると、癖三酔は「非常識的非常識」 に属するという。
ちなみに、癖三酔という名前に「酔」の字があるが、酒は一滴ものめなかったらしい。
エピソードはおもしろい。が興味のある人は直接この本を読むといい。
文中、白水郎の名前ができてきたのは1カ所だけだった。
癖三酔が溺愛した娘美津子が死んだとき、棺を追って白足袋のまま飛び出した癖三酔を羽交い締めにして止めた という部分である。癖三酔は、美津子のために小型トラック一杯の花を買い、墓を花で埋め尽くしたとある。

俳人にも奇人変人は多くいるものだ。
重症患者を装うため、他人の喀血を痰壺から飲み込む高橋鏡太郎、蟻の町に暮らした田尻得次郎。むろん尾崎放哉や山頭火にも筆が及んでいるが、前者のリアルさにはかなわない。
高橋鏡太郎の文の中に山岸外史が登場したのにはびっくりした。山岸は、一般には、評伝『人間太宰治』(昭和37年,筑摩書房)の著者として知られているひとであるが、四季派に連なる詩人でもあり、私も父小山正孝から幾度となくこの名前を聞いた。そして、中央公論社で正孝が最も親しくしていた佐野龍馬の奥さんが山岸の娘さんだということも聞いていた。なぜ、その山岸が俳人の高橋鏡太郎と縁があったのか。人間はどこでどうつながっているかわからないものだ。
俳句に関して、しなければならないことが多い。
中心は、日本学校俳句研究会の活動と学校俳句を極めること。第二は、自分の俳句を少しは見てくれのよいものにすること。三つ目が大場白水郎に関することだ。
今年もあと残すところ三百六十四日である。