十分間俳句

発見・感動・創造! 子どもたちの感性を培い日本語力を高める十分間俳句

研究発表会

2009-11-30 | ジュニア俳句

東京新聞が28日付で都内版にこんな記事を載せてくれました。
写真は、実物はカラー。大きく取り上げてくれているし、取り上げ方も的を射ていると感じる。
ありがたいことである。


 



 


NHKのフォト5・7・5のプロデューサーの成見さんが次のような励ましのメールを下さった。
実にうれしい。


昨日は、お疲れ様でした。
あんなに盛大な研究発表会だとは思っておらず大変驚きました。
そして、八名川小学校の取り組みというものが、子どもたちにとって本当にすばらしい経験や体験になり、血肉となって身についていっていることに感動しておりました。工夫を凝らした授業はもちろん、簡易句会を盛り込んだ研究発表は、まさに大人が体験する10分俳句で話しだけを聞く以上に実感できるものでありました。茂木さんの講演も先生方へのメッセージが込められており、隣に座っておられた先生はずーっとうなずいておりましたよ。俳句って本当にすばらしい文芸なんだと、「俳句」の魅力、そして可能性を改めて実感しました。


また、小山先生の最後のお話には、茂木さんの心を動かした情熱がめーいっぱい伝わってきました。先生だけでなく大人ひとりひとりのやる気が子どものやる気に繋がるんですよね。本当に江東区が東の俳都になる日も遠くない気がします。
私も短詩文芸に関わる仕事に携わっているので、何か自分にできることをコツコツとやってみようと思います。
またお会いできるといいですね。
では、今後もよろしくお願いします。


研究発表会「十分間句会」

2009-11-29 | ジュニア俳句

今回の八名川小学校の研究発表会の特徴の一つは、参加者参加方式を取り入れたことである。
アドリブで行う、「十分間句会」のパフォーマンスが会の成否を決めると言う意味で、冒険であるが、担当した若手のI教諭が見事だった。また、一つ成長したのではないかと思う。


その時に現代俳句協会の金子さんはじめ、選者の目を通り抜けた予選参加作品を挙げておく。


皆さんならばどの句を選ばれるだろうか。


1、八名川に十七文字が実る秋【茂木賞】


2、小春日に学ぶ師と子のあたたかさ


3、冬芝の八名川俳句子の笑顔


4、先生のネクタイ長く冬うらら


5、かいだんも九九のなかまで冬化粧


6、短日の一茶のごとき童かな


7、元気よくあげた右手とすすきの穂【最優秀賞】


8、秋空に届かんばかり子らの挙手


9、発見があふれる教室冬の午後【高柳賞】


10、子どもらの光る瞳に秋深し


 


 


 


速報 フットサル大会優勝!

2009-11-28 | ジュニア俳句

深川北部7校三年生フットサル大会。


木場公園で行われました。決勝戦は、深川小と対戦。
見事に5対1で快勝。
本校としては、この大会始まって以来の快挙。初めての優勝です。


ウィークエンドのフットサルに加え、お父さん方が、週に二度してくれた朝練の成果でもあります。
たくさんの応援もありがとうございました。




 



 



 


 


 


研究発表会

2009-11-27 | ジュニア俳句

「発見・感動・創造の俳句教育」をテーマとした研究発表会が終わった。
天気もよく暖かかった。
茂木健一郎さんを迎えて、体育館がいっぱいになるほどの参加者を迎えた。
講師の高柳克弘さんの話は、理路整然とし、極めてレベルの高いものだった。
茂木さんの話は、的を射たしかも楽しく私たちを勇気づけてくれた。
十分間句会は、若手の教師が大活躍し、なかなかに面白かった。
授業もそれぞれの教室で子ども達が生き生きしていた。
PTAを中心に運営もうまく進んだ。

全体として目的を達した研究発表会だった。
しかし、やっている方は独りよがりでわからない部分もある。
参加された方、ぜひ感想を寄せてほしい。


高柳さんの許可を得て、今日の話をここに紹介する。


 


 私は先年より八名川小学校の俳句授業に、俳人そして俳句の研究者の立場からアドバイザーとして参加させていただいております。その上で、この学校の取り組みの意義について述べたいと思います。


 八名川小学校では、「感動」を重点においた俳句教育を行っています。これまでの俳句教育では、いかに「いい句」を作るのかということに力が傾けられてきました。もちろん、「いい句」を作ることが目的であることは間違いありませんが、その「いい句」という基準は、大人が決めた基準であり、もっと言ってしまえば、俳人の決めた基準であるわけです。子供向けの俳句入門書は多く執筆されていますが、それは俳人の書いたものがほとんどです。


 たとえば俳人の夏井いつき氏は「日本俳句教育研究会」を立ち上げ、精力的に小学校の俳句教育につとめています。夏井氏の方法の基本には、俳句の伝統的な手法である取り合わせがあります。題として季語を決め、そこにあわせる残り十二音のフレーズを考えさせる――この方法は非常に効率的で、かつ、大人から見てもハイレベルの作品が短時間のうちに作ることができます。要するに、「いい句」を作るのに効果的な方法なのです。


 この夏井氏の方法と比較し、八名川小学校の俳句教育は、取り合わせといった技法的な面よりも、むしろ「感動・発見」に重きを置いているところに特色があります。大胆な発想や、飛躍のあるフレーズよりも、あくまで日常生活から得た感動を大切にし、そこから生まれる言葉をこそ奨励しています。


 その、最たるものが「十分間俳句」であることは、異論のないところかと思います。では、この試みの意義は、どこにあるのでしょうか。毎日の何気ない行動を書き留めていくという方法は、さきほど紹介した夏井氏の方法よりも、効率の上では悪いかもしれません。しかし、そのように、習慣として日常を言葉にしていく、その言葉をもとに俳句を作っていくことは、俳句ではとても大切になります。


 ここで少し話を現代俳句のほうに向けたいと思います。昭和の女性俳句の歴史に名を残した、飯島晴子という俳人がいました。岩波書店「文学」の昭和五十一年一月号に発表された、「言葉の生まれ出るとき」という評論があります。この評論はきわめて画期的で、それ以降の俳句批評に大きな存在感を示すわけですが、その中でこういうことを述べています。


「ある具象物を視ると同時に現われる言葉を大切に遺して句を作り上げる」


「視てから言葉になるまでは無時間である」


これだけではわかりにくいので、少し説明したいと思います。私たちは「感動」のあとに「言葉」が来ると、ふつう思っています。「感動」したことを書き留めるのだと。しかし晴子は、むしろ俳句という形式にあてはまることで、「言葉」のあとに「感動」がくるのだ、といっているのです。これはとても意外なことのように思えますが、私たちも日ごろうすうすと感じていることではないでしょうか。つまり、朝起きて、ごはんを食べて、出勤する。その過程であったことは、ほとんど意識の上にひっかかりを残さない。ですが、あるところでそれを、言葉にかえてみるとします。何でもいいのです。そういえば、朝食べた目玉焼きは、変なかたちをしていたなあ、とか、玄関で靴に足を入れたとき、はっとするくらい冷えていたなあ、とか。それは、確かに体験していたにもかかわらず、言葉にしない限りは、意識の上には浮かび上がってこない事実です。ですが、「言葉」にしたとたん、急にそれらのなんでもない事実が、かがやいて思えてくる。私たちは、言葉にすることで、感動を覚える。晴子がいっているのは、この逆説です。


問題は、そのきっかけです。日記をつけていれば別ですが、私たちはいつもの自分の日常をわざわざ言葉にしたりはしません。ですから、「感動」と「言葉」とは、乖離した状態にあります。つまり、よほどの「感動」しか、「言葉」にしないということです。要するに、「言葉」にする価値がある「感動」しか、「言葉」にしない。事実、私たちは、スポーツでだれそれが勝ったとか、政治がこういうふうに動いとか、大きな「感動」のみを言葉にしています。そうした大きな「感動」は言葉にし、誰かに話しますが、今朝の目玉焼きのことやつめたかった靴のことなどは、「言葉」にしない。私たちの日常には、感動が少なくなるのです。


では、「感動」と「言葉」との距離を限りなくちぢめると、どうなるのか。どんな些細なことでも「言葉」にしてみる、すると即、それは「感動」になります。「言葉」を発するのと同時に「感動」する。それは何を意味しているのか。つまり、私たちの日常に、一気に「感動」が増えるということです。大切なのは、そのためのきっかけです。「言葉」にするというきっかけを与えない限り、「感動」は生まれてきません。そのきっかけのために、俳句という短くて手軽な形式は、ぴったりだといえるでしょう。


俳句は、「感動」と「言葉」、このふたつの間の距離をちぢめる形式といいかえてよいのだと思います。俳句が何でもないものを素材にして、作り手と読み手がともに感動できるのは、そうした理由からです。もちろん、最初はなかなか「言葉」が出てきません。「感動」と「言葉」の間の距離を徐々に縮めていく。習慣化することの重要性は、そこにあります。なんでもいいから「言葉」にしてみる、その訓練が、「感動」を増やします。すると、「感動」のある俳句ができる。


とにかく日常にあったことを「言葉」にする、「感動」はあとからついてくるというこの逆説を、子どもたちは無意識のうちに、「十分間俳句」で実感していることと思います。とつぜん、俳句を作れといわれても、この逆説は飲み込むことはできません。なぜなら、その状態でまだ子どもたちは、「感動」を「言葉」にするのだという常識にとらわれているからです。「十分間俳句」は、子どもたちからその常識を取り払います。


最初は子どもたちも戸惑い、苦労するはずです。ですが、その営みを繰り返していくうちに、子どもたちは、必ずしも「感動」を「言葉」にする必要がないのだと気づくのです。まずは「言葉」にすることで、道端の小さな花や、飛び回っている虫のことなどを思い出し、それら一つ一つの些事をかがやかせることができる。そのような気づきをもたらすのが「十分間俳句」というシステムなのです。


 お手元の「八名川歳時記」をご覧になってください。そこにある俳句は「感動」にあふれています。はっと人を驚かせるような言葉遣いや、大胆な飛躍がもたらす斬新なイメージの世界はありませんが、日常の生活に根ざし、それぞれの作り手の表情の見えてくる、あたたかみのある句です。むろん、学年を重ねていく過程で、伝統的な技法を身につけることは大切です。ですが、技法は、あとからでも身につけることができます。八名川小学校の方法とは、確かにこれは自分が感じたことで、確かに自分がこの句を作ったんだと、子どもたちが実感できるような俳句教育です。人生においては、言葉を使って自分の気持ちを表現したり、人を動かしたりしなければいけない機会がたくさん訪れます。そんなとき、この八名川小学校の俳句授業で学んだこと、すなわち、言いたいことを言葉にする方法、それが生かされてくるにちがいありません。八名川小学校の俳句教育は、単なる俳句教育ではなく、日本語教育にもつながっているのです。


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研究発表会まであと二日

2009-11-25 | ジュニア俳句

研究発表会が着実に近づいてくる。
決して速くない鈍行列車であっても、止まらない、休まない、そんな感じで近づいてくる。
「何か大きく間違えたことはないか、忘れたことはないか」
そんな心配が大きくなったりする。
今日は、当日のリハーサルをした。
全体会の動きをシミュレートした。
「ブレゼンの画像が暗い。はっきりしない」
ドキッとする。折角、他の学校から借りた器械なのに・・・・・・
コンピュータのディスプレーで見るのと、プロジェクターではこんなに違うのかと思った。
しかし、杞憂だった。調節すると明るくなることがわかった。
ほっとする。
カーテンの開け閉めのタイミング、体育館の照明のこと。用意するマイクの本数。
土壇場になるといろいろ出て来るものだ。


PTAのお母さん方が、資料の袋詰めなどを全部して下さった。
それも含め、PTAの本部が研究発表のお手伝い用の冊子を作った。
それが、微に入り細に入りよくできている。
これ一冊あれば、研究発表会の用意が出来る。
「このノウハウは、売れるよ」
それほどすごい。他の学校から注文が来るに違いない。

中野区の知り合いの校長先生から電話があった。
27日は、残念ながら行けないが、俳句の指導に来てほしいというものだった。
区の広報や新聞社から問い合わせの電話もあった。
ケーブルテレビも取材に来ると言う。


インフルエンザは、どのクラスも昨日今日と沈静に向かっている。
この分で行けば、当日の学級閉鎖は避けられそうだが、油断すると何が起きるかわからない。


これが仕事とは言え、教職員が本当によくやってくれる。そして、PTAがしっかり支えてくれる。
この事が実にうれしい。


あと二日だ。


いよいよ研究発表会は27日。

2009-11-23 | ジュニア俳句

いよいよ、研究発表会が今週の金曜日に迫った。
一番の楽しみは、当日アドリブで行う「十分間句会」である。
参加者に「研究会・授業の感想」をテーマに俳句を作ってもらい、
それをもとに句会をしようというのだ。
遊びであるが、作る子供の気持ちも、句会のどきどき感も一緒に味わってもらいたい。
言わば、参加型の研究発表会だ。
若い成長株の教員が、司会役(教師役)を務める。
どんなパフォーマンスを見せるか、実に楽しみだ。

参加者は、「えっ、俳句書かなくちゃいけないの?!」と思うだろう。
そうなのだ。
冗談で 「投句」を茂木健一郎さんの講演会の参加チケットにしようか
と思ったりした。
そんなことはしないが、ぜひ多くの方(出来れば、全員に)にこの「十分間句会」に参加してほしい。
このブログを読んで参加される方は、それを心づもりにしてきてほしい。
俳句をひねるのは、苦労でもあるが、実に楽しくもあるのだ。
その楽しさをぜひ知ってほしい。

心配もある。
一つは、インフルエンザである。流行の波はぐんぐん高まっている。
先週は、二つのクラスが学級閉鎖になり、一つのクラスは、担任がインフルエンザになった。
ならないことを祈るばかりだ。そうなったらどうするか。
それは、その時に考えることにしよう。


今日、NHK プロフッショナルの有吉ディレクターからメールがあった。
茂木さんから連絡で 黒板を用意してほしいとのことであった。


22日は、 いちじはん 句会。


最高点をとったのは、


 線ばかり引いて枯木立を描く   


その他の高点句


 青い服冬の子供が駆け出して


 先生が遠くを歩く寒さかな


 いちじはんだあれもいない冬の海


次の いちじはん 句会は、12月20日 錦糸町集合である。


 


ネット句会準備始めます!津野会長より

2009-11-18 | ジュニア俳句
コメントいただいたみなさん、読んでいただいたみなさん、ありがとうございました。

何句くらいいただけるかわかりませんが、ネット句会準備してやってみたいと思ってます。

この校長先生のブログの場をお借りしてスタートしたいと思っておりますので、しばらくの間お待ち下さいませ。
よろしくどうぞ。