十分間俳句

発見・感動・創造! 子どもたちの感性を培い日本語力を高める十分間俳句

「俳句的」

2009-06-30 | ジュニア俳句
外山滋比古の「俳句的」は、高柳克弘さんから紹介された基本文献の一つである。
この本の出版は、1998年であるから、10年以上前であるが、刺激になったことが沢山あった。
俳句は10年くらいでは簡単に変わらないから、ここに書かれていることはそのまま現代の問題と言えるかもしれない。
また、自分が俳句の事をあまり知らないので、基本的な事柄がわかったというず側面もある。

気がついたことを列記してみる。

1、文語と口語ということ。

本当の個性は通俗の中にあるはず。
俗語の詩化。ここで創造の火花が散る。
と言うものの通俗論の泣き所は、口語の腰が据わっていないことである。
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子どもの俳句は口語に決まっている。
子ども俳句が市民権を得るためには、口語表現を考えなければならない。
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2、俳句の特殊性のひとつは、作者と読者が未分化だという点にある。
この作読一如が可能であるには、一定の「共通の場」が条件になる。

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学級がその「共通の場」になるとすれば、学級だけで通用する出来事が句材に
なってもいいわけだ。俳句は、学級文化の担い手になり得る。
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3、われわれの詩は大きな岩石から彫刻をつくるような方法で詩をつくる。不要なところはぎりぎりのところまですてて、これだけはなくてはならないというところが詩になる。

 旧い民話、伝説などがほとんど形容詞を欠いた表現になっている。

 俳句は叙情の詩ではなくて、抑情の詩だと言うべきである。

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文章のうまい・下手ではなく、本質をいかについているかをいつも問題にするべきなのだろう。それことがいつもだいじなのだ。

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4、視覚と聴覚を合流させる感覚が大事だ。耳で味わう俳句

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確かに
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5、本来結びつかない経験か事象を詩人の心は化合させる

仮託する表現  個性は、自然の風物を結びつける触媒、編集として働くのをよしとするのが東洋的象徴である。花鳥風月のかげに隠れることによって、かえってするどく個性的あり得る。これが隠れ文化の生んだ詩学である。

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この事を子ども達に教えられるか。何年生なら理解できるのか。
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6、俳句には句読点をつけない。・・・だいたい日本人は句読点などというこちたきものをもっていなかった。耳のことばの時代から目のことば印刷文化の時代へ移って句読法は表現に不可欠のものと考えられるようになった。

7、添削や推敲は表現をより客観的にする加工である。

 添削を拒否して小さい自我を振り回していても、「時」の添削を避けて通るわけにはいかない。・・・作品はひとりの手によって一時に完成することはむずかしい。

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この意味は大きい。民話はそうやって成立した。
添削は、小学生の発達段階では、主な課題にならない気がする。
しかし、それは本質的な問題なのだ。
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8日本語は豆腐のような言葉だ。

 俳句は、切れがある。だから短い言葉で大きな世界を表現できる。

 切れば、論理が乱れる。文法的には破格になる。しかし、それによってのみ短い詩は多元的世界への手がかりをもつことができる。

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俳句は切れによって「詩」になる。切れを教えなければならないが・・・・
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十分間俳句とは



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バレーボール大会、そして中学生句会

2009-06-29 | ジュニア俳句
きのうは、中村学園で、深川北部地区隣接校対抗バレーボール大会が行われた。
朝8時半から開会式。北部地区のほとんどの学校が集まる。八名川のPTAが当番校と言うことで、本部の方々を中心に運営に当たった。
御苦労様でした。
中村学園は100年を迎える歴史のある私立学校である。今年、学園の名前が通りの名前に採用されたと言う。
開会式にはわざわざ中村学園の校長先生がご挨拶においでになった。
また、今年は中村の先生たちが子ども達に理科と算数のプチ授業を展開してくれた。

午後、句会が始まる頃になって 雨。だんだんはげしくなってきた。
しかし、折角だからと猿江公園を吟行。
七中に戻って句会。
俳人の北大路翼さんを中心にして和気藹々の句会となった。
七中は、俳句がさかんだ。
各行事の時には、ほとんど俳句を作る。
他の中学も結構俳句に取り組んでいる。例えば、深川二中は、文化祭には、すべての生徒の句が張り出されている。
卒業文集に取り上げる学校も多い。

「中学生のを対象とした俳句大会もほしい」
という話をした。やはり、小学生とは区別すべきだろう。
来年度は、この点にも取り組みたいと思う。

句会が終わってPTA会長さんに電話すると、ちょうどバレーボールの決勝戦だと言う。
深川四中対明治小学校。
会場に着くと、フルセットの戦いが続いていた。

大激戦の末、深川四中が優勝した。

ちなみに、句会で票を集めたのは、

 花火夜のポスター濡らす雨又雨

 公園にでで虫だけが家を持ち

であった。

 次回の中学生句会は、7月26日(日) 午後1時半~





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今日 中学生句会です

2009-06-28 | ジュニア俳句
本日、午後一時半から 中学生~青年句会です。

場所は、江東区 深川七中

猿江公園を吟行する予定。

興味・感心のある方は、どなたでもどうぞ。

地図は、以下です。

 江東区立深川第七中学校
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高柳克弘句集「未踏」

2009-06-26 | ジュニア俳句
高柳さんは、私共「八名川小学校」の先生である。毎回の研究授業においでいただき、指導を仰いでいる。
かの藤田湘子が主宰であった俳誌「鷹」の現在の編集長であるが、彼はまだ二十代の若さだ。
にもかかわらず、研究会での批評は、常に的を射て確かだ。正直、舌を巻く。一人一人を生かしながら問題を提起する。すでにそれは宗匠の風格である。若くして編集長に抜擢されるのも当然と思われる。
先日の研究会の折、その高柳さん、いや高柳先生から「未踏」をいただいた。発行日は、2009年6月22日とある。できたてのほやほやだ。
これが、「第一句集」であると言うことにびっくりした。すでに何冊も句集をものにしていてもおかしくない。高柳さんがまだ二十代であることを再認識させられた。
「鷹」の主宰である小川軽舟が序文を書いている。
これが、句集の編み方の標準なのかもしれないが、2003年から2008年まで句が編年体で並べられている。

 その冒頭が、表題の句

 ことごとく未踏なりけり冬の星

である。

 蝶々のあそぶ只中蝶生まる

 ゆふざくら膝をくづしてくれぬひと

 太陽の号令つばめひるがへり

 春昼や果肉にナイフ入れ無音

 木犀や同棲二年目の畳

 白桃の舌のちからにくづれけり

 桜貝たくさん落ちてゐて要らず

 蟻運ぶ蝶の模様のかけらかな

 光速の素質ありけり黒揚羽


 十七音に確かな詩が息づいている。
 素晴らしい人を講師に迎えることができたと実感する。

 高柳克弘句集「未踏」
 発行所 ふらんす堂
 定価 2400円

 



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五年生の研究授業

2009-06-24 | ジュニア俳句
今日の夜は、PTA連合会の懇親会が東陽町の文化センターであった。家まで歩いて帰ってきたら汗びっしょりになった。シャワーを浴びて、今は爽快である。

今年度四度目の研究授業が行われた。
五年生が八名川まつりを題材にして句をつくり、句会をした。その後、夏の季語集めをした。そんな流れだった。

俳句作り、句会、そしてスキルアップ、この三つの中身をどう組み合わせて授業を行うか。この流れは定着した。
10分間俳句、10分間句会、10分間スキルアップ。授業時間の枠がなければ、このくらいのスピード感が小学生に合っているのではないかと思う。句会の10分は少しきついかもしれないが・・・・

私の気に入った句は、次のようである。

 カーニバル八名川小がさわぎだす

 とものかたつかまりながら一歩ゆく

 六年のおばけやしきははやあしで

 足もとになまくびとんだおばけやしき

 六年のお化け屋敷が一番人気で、それを題材にとった句が多い。

 おばけやしきが季語であれば、季語が入っているということになるが、季語が余り意識されていない。

 このことについて、どう考えるか。

「有季定型」 季語があって、五・七・五 これが俳句と言われるが、現代の俳句界の怪物・大御所である金子兜太は、必ずしも「有季・定型」である必要はないと言いきる。季語の力というものがあり、季語が俳句をどんなに豊かなものにするかを知らなければならないが、根幹は「感動を表現する」ことが大切なのであり、季語が入っているか否かが問題なのではない。

子ども俳句は、「有季・定型」という型から出発するのではなく、「発見・感動」から出発するということは明確にしておかなればならないと思う。

10分間俳句とは
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十七年前のこと

2009-06-21 | ジュニア俳句
土曜日に、かつての教え子の結婚式があり、出席した。
最後に担任をもったクラスの子だ。
今から、十七年前の話だ。あれからもう十七年か。
その時10歳だった子は今27歳である。
素敵なお嬢さん(お嫁さん)に成長していた。

何かプレゼントはないかと、当時の記録を探した。
学級文集が2冊と、その時に書いた「学級だより」が出て来た。
「四年一組の生活と意見」という題だ。
授業記録のような物が多いが、われながらよく書いていたと「感心」した。
十数年も経つと自分が書いたものとはとても思えない。

その学級通信に゛名句」が時々書かれていた。
その時から、私は俳句に興味があったらしい。
自分で作り始めたのは、八名川小学校に赴任してから。
児童俳句をに興味をもち、芭蕉記念館の土地である八名川の伝統としてこれを育てようと決めてからだ。
自分で作ってみたほうが子どもに教えるときにいいだろうと考えたからだ。

それにしても、子どもは成長して大人になる。
自分はじじいになる。
そうやって、人間は代を重ねていくのだと妙に実感した。

 六月が花嫁の顔撫でていく

 これは、「六月をきれいな風がふくことよ」の類想句である。


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八名川句会

2009-06-17 | ジュニア俳句
 
久しぶり、八名川句会!  

6月22日(月)16時~  1階会議室にて  

当季雑詠 二句持ち寄りです。  どうぞおいで下さい。    

今度の中学生・若者句会は、28日(日)13時半~ 深川七中にて  

10分間俳句とは
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写真俳句

2009-06-12 | ジュニア俳句
先日、三年生で研究授業があった。
主題は、写真俳句だ。
デジカメをもって、写真を撮り、それを元にして俳句作りをする活動である。
実際には、一人一台デジカメをもたせる余裕がない。(数人に一台)ことや、プリントアウトを後で教師が行わなければならないという事情もあり、手軽と言うわけではない。
(ポラロイドカメラを使うという案もあったが、即購入するわけにはいかないし、ランニングコストも気になる)

しかし、写真俳句は、なかなか効果的であることが分かった。
その理由は次の点である。
1、デジカメをもって写真を撮るという行為が子供の意欲関心を高める。
 ワクワクするような楽しさがあるのだ。
2、写真を撮るということは、「何を撮るのか」「どんな所をとるのか」が子供に意識されるということである。
「よく見なさい」と指示されてもなんとなくぼやっと見る子も多いが、写真に撮りなさいと言われると、対象が明確になるのだ。写真を撮る行為を通して、頭の中がクリアーになるとも言えよう。
3、いざ俳句を書こうとしたときに、その写真が目の前にあるのだから、印象が薄れないし、写真を見ることによって、写真に写っていないことも思い出すことができる。
4、但し、写真が万能というわけではもちろんない。写真は実物ではなく、逆に写真にすることによって視野が狭められたり、実物の質感を喪失することもありうる。

しかし、こうした工夫が様々に出てくるということが楽しい。

ここでできた句については、機会を改めて紹介したい。
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ミニ音楽会

2009-06-06 | ジュニア俳句



今日は、学校公開の最終日。3・4校時は、ミニ音楽会。

5年前に始まったこの催し。だんだん本格的になってきた。

ことしは「オーケストラ?」まで登場した。

ミニの2文字を取り外してしまってたほうがよいかもしれないほどだ。

保護者の人数も増え、今年は体育館に入りきれないほどになった。

対策を考えなくてはならない。

さて、玄関に張り出した今月の俳句を紹介する。


たんぽぽさんぼくもきょうからいちねんせい  だい

あさがおのでるでるでるよはっぱがね        ひめな

しっぽはねとんがりぼうしかえるのこ        りさ

かえるくんわたしにおしえてひらおよぎ      みこと

しばふはねほんとは村だアリたちの          智大

あんずの実はっぱといっしょかくれんぼ       寛太

ベランダに早くもかざったこいのぼり           拓海

耳すます合唱始まる鳥と芝                     優歩

強風だビニールUFO飛んでいく                結希



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音楽鑑賞会

2009-06-04 | ジュニア俳句
今日は、PTA主催の音楽鑑賞会だった。
フラメンコのダンス。



低学年は、のりにのっていたようだ。
というのは、私は残念ながらその時刻、校長会で出張していたのだ。

PTA会長の津野さんが、一句詠んだ。津野さんは、深川芭蕉まつりの小学生俳句大会以来、俳句にはまっている。実にいいことだ。

汗ばみて副校長とフラメンコ   

音楽鑑賞会の様子は、八名川小学校のホームページからどうぞ。


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