十分間俳句

発見・感動・創造! 子どもたちの感性を培い日本語力を高める十分間俳句

亀高小学校での俳句教室

2011-06-30 | ジュニア俳句

今日は、亀高小学校の五年生と一緒に俳句作りを行った。
亀高小には、わんぱくの森がある。
今日のように暑くても、爽やかな風が吹き渡る。
枇杷が実り、紫陽花が咲き、たんぼでは、しおからや糸とんぼ、赤トンボまで舞っている。
プラタナスの大きな木。ベンチは涼しげだ。
ビオトープには、がまの穂が茂っていた。

こんなに自然に恵まれた学校はまれだろう。
句材が限りなくあるという感じだ。
亀高小学校の五年生には、年間何回か授業する予定だ。
今から次が待ち遠しくなる。




ビワの木がかすかにゆれる森の中

とんでいる夏の色する糸とんぼ

赤とんぼ田んぼのまわりをパトロール

夏の森いっしょにあそぼうアゲハチョウ

くわの実がいっしょにおどる夏の風

たくらんだ米をねらった赤トンボ

赤トンボとんでるすがたジェット機だ

うき草にしずかにとまる糸とんぼ

あじさいはふわふわしててわたみたい

夏の風ついていきたいアゲハチョウ

森の奥強いその根はプラタナス

・・・・・・


健康問題 可視化について

2011-06-28 | ジュニア俳句

俳句とほぼ関係ない話題であるが・・・・

若いうちは、健康は手段であるが、年とると健康は目的になる。
6月の終わりに定期検診に行った。
二ヶ月に一回の血液検査だ。これで、血糖値を計って一喜一憂するのが、週間になっている。
薬を飲んでいるわけでもないので、一ヶ月のばそうかと思った。
数値が悪くなっていることが自覚できているからだ。
しかし、と思い返して、やっぱり検診に出かけることにした。
数値が悪いと言うことを「可視化」した方がよいと思ったからである。
5月から6月の初旬にかけて風邪を引いた。これが良くない。
いったん熱が下がってからもぐじゅぐじゅして二週間にも及んだ。
すると、そっちが当面の問題なので、ついつい甘い物に手が出る。
元気を出した方がいいと思うからなおさらだ。

案の定、血液検査の結果は、良くなかった。
夏になると、疲れるし甘い物に手が出る。今の時期に行っておいて、正解だった。
数値の悪さを見ると、「引き締めよう」という気になるから不思議だ。

帰りに、本屋に立ち寄って、糖尿病の本を読んだ。
「炭水化物を食べるな」「一日一食でいい」
こんな風に過激には出来ない。
・甘い飲み物を極力減らす。
・ご飯は良く噛んで食べる。
・食べなくてもよいお菓子も極力食べない。
・ビザなど油っぽい物を極力減らす。

私の場合は、食事の傾向をある程度修正してそれを維持できれば、一定の水準で留まるというのが、この数年の数値から言えると思っている。

砂町小学校の昨年の国語の研究が、この「可視化」であった。計るだけダイエットではないが、何においても、この「可視化」は役に立ちそうである。


越中島小学校 その2

2011-06-26 | ジュニア俳句

Bさんの俳句

夏のしばしりもちついて思い出す

これが最初である。Bさんは、この句の語順をいろいろに変えてみる。

思い出す夏のしばでしりもちを

そして、最後に

思い出すしりもちついた夏のしば

そしてこの句を提出した。
このことが大切だと思う。語順で句の雰囲気が変わる。
そのことを感じること、いろいろに句をひねるという瞬間をつけること。

句の紹介を続ける。

夏の芝みんなで協力ピラミッド

夏のしばくつ下ぬいでおにごっこ

海のようまみどり色の夏の芝

思い出すあのころあそんだ夏の芝

夏の芝自分みたいにのびていく

びわの実がみんないっしょで家族だね

夏の芝鉄ぼうくぐれば別世界

ありたちがはだしで歩く夏のしば

夏の芝有りには見える森の中

青々と光って見える夏の芝

 


越中島小学校での授業

2011-06-24 | ジュニア俳句

越中島小学校も芝生のきれいな学校である。
それに、枇杷がたわわに実っている。
自然も豊か、校庭も広い、勉強にも一生懸命で理想的な学校だ。

越中島小学校は、各種の俳句大会にも積極的に参加し、成績もよい。
深川芭蕉まつり俳句大会でも好成績をあげている。

芭蕉記念館賞  鉛筆がきをつけをする新学期  長友あん

校長先生のお話によると、越中島は俳句の学校を目指すと言う。
現代俳句協会の出張俳句教室も予定されている。
私は、四年生を年間四回教えることになっている。
今回が二回目である。

課題は「夏の芝」、それにプラスして枇杷の実を課題にした。

どの子も実に良く作る。
芝生の上での指導が約15分。
教室に帰ってから約15分。
33人で、二百数十句。一人平均6~7句である。
その中の一句を選んで句会をするのだが、

今回の課題は、 おもしろい、たのしい、きれいだな、などの感想語を使わないでつくること、もう一つは、語順を入れ替えを試みることである。

出来上がった句を挙げてみる。

夏のしば走り続けてくたくただ

先生もはしゃいでいたよ夏のしば

夏のしば一本ずつが生きている

さわさわとおしゃべりしている夏のしば

今年もね親子で並んだ夏のしば

風ふけば生きかえってくるびわの実が

かけめぐる草原みたい夏のしば

実は、これはこの時間に21句作ったA君の作品である。

夏の芝どこから見ても緑色

くすぐったいはだしで走る夏の芝

おにごっこはだしになって夏の芝

あそぶにはじまんができる夏の芝

夏の芝風におされておじぎする

せすじピン子どもをまねする夏のしば

さみしがり屋みんなで生える夏の芝

夏のしばありさんジャングルまよってる

そくてんでこけてもきもちいい夏のしば

大の字で空を見上げる夏のしば

夏のしばちくちくしてるはりねずみ

シャキーンとせすじをのばす夏のしば

 

 

 

 


この本、おもしろそうだ。

2011-06-24 | ジュニア俳句

週刊俳句というサイトがある。
若手の俳人が集っていて、ここが元気。
何となく、「新しい」という感じがする
その週刊俳句から この本がでたそうだ。
中味をみたわけではないのだが、彼らが作る本ならばおもしろそうだ。
と言うわけで、ちょっと紹介。

「虚子に学ぶ俳句365日」←クリックして下さい。

 


水神小学校での授業

2011-06-23 | ジュニア俳句

水神小学校は、亀戸の街のど真ん中にある学校である。
学区域が明治通りなど大きな通りに囲まれており、「学区内」には、信号が一つもないという東京で稀有の学校だ。
校庭からはスカイツリーがどーんと見える。

 

この学校は、毎年現代俳句協会のジュニア研修部が六年生に対する授業を実施している。
今年からは、さらに他の学年でも俳句を広げようということになった。
区内で、こうした学校が広がりを見せている。
これらの期待に何処まで応えられるか。
それが、私の役割の一つである。

この日は三年生の授業。
俳句に取り組むのは今日が初めてである。
学校公開中ということもあって、保護者の参観者も多い。

最初の一時間は、二クラス合同。
そして、クラスごとの授業。

最初の授業であるから、目標は、全員が5・7・5のリズムに慣れて俳句作りを楽しむこと。

スカイツリーと育てているひまわりを題材にした。

夏が来た スカイツリーは ほにゃららら  

が原型である。
二クラスとも、狙い通り全員俳句が出来、楽しく句会まで進むことが出来た。
友達に選ばれて、うれしくて泣き出す子がでたり、「またやりたい」と言う声が聞こえてきたり、指導した私にとっても充実した時間になった。

夏の空えがおとどけるスカイツリー

夏の夜スカイツリーは光り出す

つゆの雨スカイツリーににじかかる

つゆの雨スカイツリーがきえちゃった

夏の空スカイツリーにてんぼうだい

つゆの雨スカイツリーがかがやくよ

夏の雲スカイツリーがつきやぶる

夏の空スカイツリーは雲の上

夏の空スカイツリーはいい気持ち

ゆうやけ空スカイツリーもつかれたよ

雨やんでスカイツリーが光るのさ

夏の雲スカイツリーはかっこいい

つゆの雨スカイツリーはにじくぐり

夏の夜スカイツリーがねはじめた

あついのにのこのこ育つひまわりだ

暑いなあひまわりくんも暑いなあ

ひまわりはスカイツリーににているよ

等々

 


NHK俳句7月号

2011-06-20 | ジュニア俳句

 

有名な俳人に混じって、小山の名前が並んでいるのはまことに不釣り合いであるが、それはそれでうれしいことではある。これが、子ども俳句の1つの起爆剤になればと願っている。

7月号は、一学期の最後ということで、「学校生活を詠む」がテーマ。

投稿欄もあるので、ぜひお子さんに投稿させてください。

宛先は、〒150-8081

      NHK出版「NHK俳句」編集部 

            「俳句であそぼ」係

 


高橋さんの授業から学んだこと その2

2011-06-18 | ジュニア俳句

扇橋小での高橋さん(句誌「梓」編集長)の授業から学んだことがもう一つある。
高橋さんが、句会の匿名性にこだわったことだ。

私は、句会の時、自分の句を直接黒板に書かせることが多い。
45分で、俳句についての説明をし、俳句をつくり、そして句会までするには、時間がないからだ。
しかし、直接自分の句を黒板に書けば、誰がどの句を書いたのか、わかってしまう。
句会の匿名性が保てないことになる。

しかし、実際にやってみるとうまくいことが多い。
その理由は、
1、子ども達が、これが匿名のゲームであることを理解し、そのように振る舞うから。
2、実際は子ども達は、自分の句を書くことに精一杯で、誰が書いたかまで気が回らない。
(これは、句会をした回数が少ないということにもよる)
3、たとえ、何人かが分かっていたとしても、句会の大勢に影響を及ぼさない。
4、但し、学級の状況によって、ボスがいたり、いじめられている子がいると、影響を及ぼす。

高橋さんは、小さいカードを用意して、一番お気に入りの句をそこに書かせた。
詰まり、無記名の投句だ。
そのカードを別の子に割り当てて、黒板に書かせると言う方法をとった。
清記である。
この方法、自分も昨日八名川小の授業で実践してみた。
こどもには、自分が自分の句を黒板に書くという行為に一種の達成感がある。
妙な話だが、そういう感じがした。
その達成感はないが、早い子は、二人分も三人分も句を書くので、黒板に書く時間が節約できるとということもわかった。
この方法は、句会の標準的な方法にできると思った。
高橋博夫さんに感謝である。

こういう一つ一つの工夫の積み重ねがよりよい授業を産み出すもとになる。


飛躍を育てる

2011-06-15 | ジュニア俳句

当たり前が当たり前じゃなくなる。ここに俳句がある。
つまり、発想の飛躍だ。
これをどのように引き出すのか。

先日、俳句誌「梓」編集長の俳人・高橋博夫さんの授業を拝見した。
高橋さんは小学生に俳句を教えるのは初めてである。
扇橋小学校3年生の教室だ。

その高橋さんが、
「体育をするときは、準備体操が必要でしょう。俳句にも準備体操があるんだよ」
と言って、持ち出したのは、

 「連想ゲーム」

なるほどと思った。

海と言えば、広い。広いと言えば空。空と言えば,雲。雲と言えば雷。雷といえば、お母さん。お母さんと言えば・・・・・

こんな風に続く。これは、一種の飛躍だ。

俳句はまさに連想ゲームなのだ。

やはり、プロの俳人の考えることは本質的だ。大変勉強になった一時間だった。

今度使ってみよう。