十分間俳句

発見・感動・創造! 子どもたちの感性を培い日本語力を高める十分間俳句

梶三和子公演 「風が吹くと木の葉がゆれて」 詩 小山正孝

2012-03-27 | ジュニア俳句

小山正孝は、私の父である。父は詩人だった。
テーマは一貫して男と女。そして、精神の有り様であった。
愛と憎しみが混ざり合い、自分が何物であるのかを描く世界は、あるときは直情的であり、あるときはひどく難解であったが、その時々の課題に全力でぶつかっている感があった。

詩が高校の教科書に取り上げられたこともあったし、晩年には丸山薫賞をいただいたりもした。
しかし、8冊の詩集のすべては自費出版で発行部数はわずか150部から300部でしかない。そのほとんどは差し上げた方が死蔵(愛蔵)している。
したがって、小山正孝の詩と言ってもほとんど誰も知らない。


この度、女優の梶三和子さんが、小山正孝の詩をテーマに公演を打って下さる事になった。
梶さんは、2005年にも、小山正孝の前期の代表的な詩集「愛しあふ男女」をテーマに「かけぬけて」という公演を行ってくださった。今回は、それに続くものである。


私は、詩人小山正孝や彼に連なる人たちを顕彰する「感泣亭」の活動を続けてきた。年に数度の研究会を行い、「感泣亭秋報」という小冊子を年間1回ずつ発行してきた。これは、故坂口昌明さん他多くの方々のご助力のお陰である。が詩人の生の姿に接してもらうためには、実際に彼の詩に触れて頂くことが一番大きいと思っている。

そうした意味で、今回の公演は、小山正孝没後10年の最大のイベントであり、ぜひ多くの方々に小山正孝の詩に接して頂きたいと切に願っている。

私は、父と違って詩才はないが、俳句に触れたのは父の影響であることは間違いない。
30代の終わりに父から勧められた俳句のアンソロジーに心打たれた。なかなか俳句もいいものだとその時に思った。それでも俳句を自分で作る事は無かった。
俳句や俳句教育に関心を持ったのは父の死後である。直接の関係はまるでないが、心理的には親近感があったことは間違いない。そういう意味では、父のお陰と言ってもよいと感謝しているし、私自身のルーツになっているかもしれない。

女優の梶三和子さんは、若いときから、映画やテレビ・舞台で活躍されてきた方だが、この十年 山本周五郎の一人がたりに取り組んでこられた。演技力抜群の女優さんである。
彼女の演技を拝見するだけでも、大きな刺激となること間違いない。

 興味のある方は、ご連絡ください。よろしくお願いします。

  「風が吹くと木の葉がゆれて」

   詩・小山正孝

  語り・梶三和子

  時 4月21日(土)午後3時半開演(3時10分開場)

 場所 銀座・ギャラリー悠玄 泰明小学校そば(地図参照)

    3000円

 連絡先 小山正見 oyamamasami@gmail.com



 


一年間の授業終わる

2012-03-22 | ジュニア俳句

先週の金曜日、16日に江東区の南砂小学校の三年生二クラスの俳句の授業で、今年度の授業は全て終わりました。
昨年は一年間で約160時間の授業をしましたが、今年はその二倍を超し、350時間を超えました。
よくやったものだと思いますが、問題は時間数というよりも、その中でなにがわかったかということでしょう。授業ばかりやって、そのへんの整理ができなかったきらいもあります。
年度末、年度初めはそう言う意味では暇ですから、一年間のことを振り返り、勉強をしなければならないと思っています。

一年間を振り返って、よかったことは、どの授業とも楽しく終われたということです。
つまらなかった。もうごめん。というのは、ただの一回もありませんでした。
どの授業も子どもたちの笑顔で終えることができた。このことが最高によかったと思います。
まず、俳句の授業は楽しいということが、子どもたちが今後俳句に親しむ上で、意味があることだと思っています。
その上に立って、二回やっても楽しい,三回やっても楽しい。何回やっても楽しいというようになるには、もう少し工夫がいります。
その工夫の部分を明確にして、一回一回着実にレベルアップしていくこと、この指導法を誰が見てもわかるようにしておくことが課題だなあと痛感しています。
もう一つ問題点に感じていることは、たくさん授業をすると、自分のやり方が凝り固まってきて、やり慣れた方法についつい寄りかかってしまうことです。方法が確立することはよいことなのですが、それに凝り固まってしまっては進歩が望めなくなります。
頭も身体も柔らかくというのが、今後の課題と思っています。


八名川句会

2012-03-16 | ジュニア俳句

3月、今年度最後の八名川句会。地域の人たちが集まり、恒例の毎月1回第三木曜日に行っている。だんだん広がり、今月の参加者は16人。
地域の俳句活動の拠点になっている。
それだけでなく、ここから子どもたちの俳句の授業の指導者が生まれていることもうれしいことだ。それに深川の子ども俳句大会でも大きな力になっている。
子どもの俳句は、地域の活動とむすびつくことによって更に発展するということだろう。


江東区中学生俳句部句集

2012-03-13 | ジュニア俳句

江東区中学校俳句部の句集ができました。これは、部の活動をサポートして下さっているボランティアのお母さん方が作ってくれたものです。
江東区中学校俳句部は、5月から11回土曜日に活動してきました。
講座・句作・句会(ディスカッション)で、俳句だけでなく、総合的に国語能力を高めようという試みです。
講師陣には、俳人の高柳克弘さん、詩人の比留間一成さん(日本現代詩人会会長)、山田卓三さん(兵庫教育大学名誉教授)、田付賢一さん(現代俳句協会ジュニア研修部長)、佐藤保さん(元お茶の水女子大学学長)、俳人の石寒太さん(「炎環」主宰)
子どもたちの成長がわかる一年間でした。

 


テクノルジー音楽

2012-03-11 | ジュニア俳句

 俳人の高橋博夫さんに誘われて、アサヒ・アートスクエアで行われていたテクノロジー音楽の催しに行ってきた。
こういうジャンルの音楽を聴いたのは、初めての経験だった。
音楽というよりも「音」である。
最初は、コンピュータが自分で生成したノイズ。
次は、ガラスの破片が落ちる音をコンピュータで拾い、それを合成しながらギターと合わせていくというようなもの。
つまり、偶然作られた音。音そのもの、それらの音を取り入れてコラボしていくもの・・・・ 
この日聴いたものはメロディがないし、およそ音楽らしくない。
赤ちゃんが聴くお母さんの鼓動や心臓の脈拍、自然界で発する音もそうかもしれない。宇宙のビッグバンの存在を示す「宇宙マイクロ波背景放射」はノイズらしいし、そうした原初的な音こそが音楽のもっとも根源的なものだとするところから出発しているのかなあと聴きながら思ったりした。
人間の創造というものが、人間自身の力によるのには限界があり、更に深い力の中にそれを求めるという「哲学」はわかる。
音楽を聴いて心地よかったというのではないけれど、大変刺激的な2時間だった。

「俳句は授かる」という。
人間の頭を通してでてくるが、根源は自然にある、自分も含めた外界にある。ということを意識しなければならないと思った。

 

 

 

 

 




本棚と自分の生き方-引っ越しの効用-

2012-03-09 | ジュニア俳句

つい先日、いろいろ事情があって引っ越しをした。それほど荷物は多くない踏んでいたが、押し入れから出すと「こんなにあるのか」というぐらい多い。
本も同じだ。本箱におとなしく収まっているうちはいいが、これを広げてみると半端ではない。
売れそうな本は、ブックオフでかなりの量売っておいたが、それでもまだかなりの量を減らしたい。減らさないと新しい本が入らないという事情もある。
そこで本の整理にかかるのだが、これがなかなか難しい。
前にも少し触れたが、読んだ本は懐かしい。これを捨てるのは自分の生きてきた歴史を捨てるような気がする。アイデンティティなどというが、その同一性は、自分の内部ではなく、自分が作ってきたもの、関わってきたものが自分の周りにあるから保たれているのではないか。そんな気がする。老人になると家をかえてはいけないというが、これもアイデンティティの同一性に不安が生じるからだろう。
しかし、読んでいない本を捨てるのはもっと忍びない。一度買った本は、その本を読もう。つまりその方面への自分の可能性を夢見たからである。が、その本を捨てることは、その夢を自分で断ち切るようなものである。
だから、本を捨てるというのは、相当な決断がいる。時間もかかる。だから、引っ越しするのは大変なのだ。
これでブックオフであれなんであれ、本を引き受けてくれるところがあれば、多少は罪悪感は軽減される。「人に役立てる」という言い訳が成り立つからだ。
そうして、引っ越し。
本棚を組み直してみる。人間がかわるように、本棚も様変わりだ。20年前だったら、本棚の半分は占めたであろう教育関係の図書は十分の一以下に激減している。かなりの量を占めていた心理学関係の本も相当に縮小。川喜多二郎のKJ法など創造力や知的生産、マネージメント関係の図書もない。あれほどあった小説類は、数冊を残すのみだ。
かわりに大幅に増えたのは、俳句・詩歌関係の図書である。歳時記だけでも10冊以上はある。
こうやって自分の生きる方向が定まっていくのだろう。
もっとも私の場合は、生きる方向というか死ぬ方向というべきか,楽観的に見積もっても人生の五分の四は既に過ぎてしまっているわけだが・・・・・ 子どもの俳句、俳句教育、自分自身の俳句にもっとかかかわっていくであろうという自分の姿が本棚からよく見えてきた。
これは、引っ越しの効用というものであろう。


春の風邪

2012-03-07 | ジュニア俳句

週末に風邪をひいてしまった。
胃がちょっとむかっとくるとおもったら、その晩からおなかが下りだした。
感染性の胃腸炎だろう。
一時流行ったノロウイルスのようなものなのではないか。
しかし、最近「ノロウイルス」とは言わないところをみると、同じような菌がごちゃまんといて、「悪さ」をするのではないか。
自分の子供の時分にこんなウイルスはいたのだろうか。
いずれにしても、初めての経験だ。
何事も初体験は尊いなんて言ってられない。
熱は37度とちょっと。8度にはとどかない。むかむかして、下って、身体がだるい。
思考力は無くなるし、全く動けないわけでもない。
4日近く続いたて、ようやく復活した。
昨日は、江東区内の小学校での授業だった。授業の始まる前は、頭の芯が何となく痛い。そんな感じがしていたが、授業が終わったら、いつの間にかとれていた。
授業で気持ちがしゃきっとすると、それが風邪を追いだしているのだろう。
そういう意味では、おそらく風邪を持ってきてくれたのも子どもなら、風邪を追いだしてくれたのも子どもということになる。
こども万歳だ。

南陽小では、進級俳句をつくった。これにちょっと季語変身バージョンを加える。

 黒板をきれいに消して進級す

 この「進級す」の代わりに別の季語をかんがえてみてもいいよ というやつだ。

 黒板をきれいに消して桃の花

 というように。

 こんな句ができた。

 目標は入試合格桜道

 特大のホームラン打ち春休み

 春の風のこり一年ランドセル

 しかし、8割方は「進級す」

 また、違う季語を示すと、その季語に引きずられて、

 春が来る花粉飛びちる目がまっ赤

 という句になる子どももいることには要注意。それだけ「季語」の力が強力だと言うことだと思う。

 まじめな子どもも多い。

 最後まで気を抜かないで進級す

 学校の約束守り進級す

 1組はクラス仲良く進級す

 しかし、こんな楽しい句もある

 幼虫も一皮ぬいで進級す

 二週間遊び疲れて進級す