佐倉の加藤先生から、「にほんごであそぼ」12月号がとどきました。
ぜひ、活用して下さい。
詳しくは、加藤先生のホームページ、ブログをご覧下さい。
HP http://www.catv296.ne.jp/~heartland1024/
ブログ http://ameblo.jp/haiku575/
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来年度に向けて、各教科書の分析が必要だと感じている。
夏に大雑把にみたが、今度は一つ一つ精査してみる必要があると思っている。
そこで、時間を見つけて、読んでいくことにする。
まずは、光村図書の国語教科書だ。
この教科書は、他社に比べて俳句の取り上げ方が手厚い。
どの学年にもきせつの言葉があり、俳句や短歌、詩など多様な文芸に触れることが出来るように編集されている。
また、三年生から俳句づくりを奨励しているのも光村だけである。
期待するところも大きいが、「俳句」という観点にたつと疑問点もないわけではない。
最初に6年での「俳句を作ろう」の単元について その概要を示しておく。
光村図書 6年 俳句を作ろう
①題材を決めよう
・生活の中で気付いたこと
・季節を感じたこと
②例 夏みかん
夏みかん→さわやか、かおり、金のイメージ、お日様みたい、夏みかん、皮、
むく、細かいしぶき、きりのようだ 広がる、あふれる
③まずは、一文で表してみよう
・夏みかんの皮をむくと、細かいしぶきが飛んで、ふわっとかおりがあふれてくる。
④五・七・五のリズムで表してみよう。
言葉をけずったり、言いかえたりして、五・七・五のリズムに整えよう
夏みかんむくとあふれる金のきり
⑤作った俳句を吟味しよう
・言葉の順序の工夫
・「は」「も」「を」「へ」「に」等の使い方
・言葉が決まったら文字にもこだわろう
俳句を作ったら発表して感想を伝えあったり、短冊に書いてかざって楽しみましょう
俳句の作り方について、丁寧に説明されているし、無理のない指導過程になっていると思う。
ここで指導上押さえておきたいのは、題材の決め方の問題である。
自由に決めさせるか、兼題のようなものを与えるかだろう。校内を巡ってタネ探しをしてから作句するという風に・・・指導書にはどのように載るか楽しみだ。
大きな問題は、句会が取り上げられていないことだ。俳句は句会まで含めて、文化なのだという認識はない。それは、俳句が座の文学として認識されていないと言うことだろう。
また、俳句づくりが教科書の本文中ではなく、参考としておかれている点も不満ではある。
本文中にある短歌の作らせ方は、順序性がよく示されていて、俳句づくりに関しても参考になると思った。
八名川小学校に赴任する前、私は葛飾区立こすげ小学校にいた。この学校は、旧小菅小学校と旧小谷野小学校が統合した学校だ。
その10周年記念式典が昨日の土曜日に行われた。久しぶりだ。けやきの校章がなつかしい。
「いまは小さな掌だけど いつかは宇宙つかむんだ」という校歌の歌詞。
素敵な式典だった。
それにも加えて感動したことがあった。
10年前にはじめた「俳句」の伝統が今も息づいていること。それに炎天下でPTAの内藤会長さん等と一緒に耕したハーブ園がしっかり整備され、研究発表したコンピュータ教育も発展しているということだ。
普通は、人が替わると廃れてしまう。しかし、こすげでは、一つ一つの事がしっかり根を張り、発展している。
私の後に来られた鈴木校長先生、石川校長先生に感謝したい気持ちで一杯になった。
廊下には、子ども達の俳句が、校長室の前には、一茶まつりの入賞者の俳句が張り出されていた。
懐かしい人達にも大勢お会いすることができた。保護者の中には、このブログを見て下さっている方もいらしっしゃってとても嬉しい気持ちにもなった。
時間が過ぎるのが惜しい。十年前にタイムスリップした気持ちだった。
発行日は、12月になっているが、24日には配本されたらしい。
なぜ、出版社がこの本を出したいと言ってきたのか、そのわけを考えてみた。
確かに、この本には、いくつかの新しい提案がある。
1、学校現場で俳句を日常化するための提案がある。
その中心は、「10分間」という短い時間でやろうという提案だ。
編集者は、この点を特に重視していた。
2、どの子もできる つまり、学級の全員ができるための手だてや順序性が示されている。
試行錯誤段階だが、実践を通した手法が示されている。
3、教育の立場から俳句の意義を語っている
「俳人」の立場から俳句の普及のためにどうするかではなく、教育の手段としての俳句という観点に立っている。
とてもわかりやすいと言われたことはOKだと思う。小学校の教師だから、分かりやすく書けなければ恥だ。
ただ、とてつもなく間違っていることもあるかもしれないし、ここで示した手法がよく考えてみたら、基本的な間違いではないかということも今後出てくるかもしれない。それが怖い。が、それはそれでまた、一つの役割を果たしたのだと考えることにしようとするしかない。
もう、出てしまったのだから取り返しがつかない。
この本をめぐって、俳句教育が前進すれば、使命は果たせるということだ。
八名川小学校での俳句指導の実践をまとめて、
「発見!感動!創造!どの子もできる10分間俳句」
という本ができました。
学事出版より発売されました。
奥付の発行年月日は少し後になっていますが、
一週間ぐらいで店頭に並ぶことになります。
皆様のご支援のたまものです。
この本が今後の俳句教育の力になればと願っています。
値段は、1600円+税=1680円です。
関心がある方は小山までご連絡下さい。
句会いちじはんもすっかり定着してきた。
法事があり、私は途中からの参加となったが、この日は、中・高生が五人と半数近くを占め、新鮮な意見が飛び交った。
この句会も、すでに三年目である。継続は力となりうると感じた。
話題になった一つにこんな句もあった。
会えるのに会わない理由君の風邪
わかってる!のに勝負したもみじかな
12月の「いちじはん」は、26日(日)参加希望の方はご連絡下さい。
取り合わせの俳句を中心に指導してきて、「認識の発達」と関係があるかもしれないと一つの仮説を立ててみた。
しかし、三年生でも「取り合わせ」は分かる子もいるし、六年生でも感覚的に受け付けない子もいる。だから、必ずしも「認識の発達」とかんけいしているかどうかわからない。
指導法を工夫すれば、どの子もわかるとも言えるかもしれない。
・絵を描くときに背景を書く。この背景が季語にあたる
絵を用意して、二つの部分を組み合わせる。背景を入れ替えてみせる。
・一つに焦点を当てた絵と二つのものが書き込まれている絵を比較する。
・「小春日や」「木枯らしや」の気分の違いをみせる。
など。
子ども達を教えている時に、子どもが理解できずらいものに、どんなものがあったか考えてみた。
例えば、
概数 「だいたいいくつ」この感覚は、幼い子ほど難しい。大きくなるにしたがって、概数がわかる。
地図。幼いうちは、自分の目線から書く。俯瞰して書けるのは大きくなってから。
絵画。遠近法などはあきらかにそうだろう。何処でどのようにして認識が変わるのか。
この分野と認識の発達は一番研究が進んでいるのではないか。
こんな事も考えてみたい。
第二亀戸小学校の三年生二クラスで授業した。
三年生に取り合わせの句を教えることが出来るかが課題である。
12音と5音の季語をあわせると俳句になる。
まず、このことを例を示して教える。
「すると、12音を考えると俳句ができてしまうんだ。」
しかし、この十二音にするという作業がなかなか難しい。
学年差があるように思う。身近にあるものを使いながら、みんなでやっていみる。
できたフレーズを指を折りながら十二音になっていることを確かめる。
いろいろあるが、この時は十二音になっていればよい。そこに目標を定める。
そのフレーズを黒板に書いていく。
こんな風にして、プリントに自分で作ってごらん。
うわばきにがびょうささった
カーテンに風が当たって
ふでばこにけしごむえんぴつ
ランドセルぺこりあいさつ
ふでばこはえんぴついっぱい
黒板はいつか消される
けしごむはけしたらちっちゃく ・・・・・・
こんな具合で、でも、全員がいろいろ書く。
その後、季語をつける。
この時に問題になるのは、「季語で気持ちを表す」ということを子ども達にきちんと伝えるとか、背景としての季語とかそのあたりのことを短い時間で子ども達にどうやって落とすかということだ。
子どもの作ったフレーズ
かみひこうきは空をとぶ
これに 季語をつける 「小春日や」と「木枯らしや」を提示して、雰囲気が違うと言うことを確かめる。
その後、黒板にいろいろな季語を書いて、いちばんあう季語を探してみよう。
そうすると、必ず、今まで書いてきた十二音をすっかりすてて、新しい句を書き出す子どもが出てくる。それは、季語に明確なイメージがあるという証拠でもある。
今までつくったものに付けるんだよ。そのことを何度も強調する。
でも、こういうやり方をすると、何となく取り合わせ的な句ができて、おもしろい面がある。
今日は、いろいろな身近なものをあげさせたが、いろいろ対象を揚げるよりも、ランドセルなどに絞って、よく見させ書くとした方がよかったかもしれないというのは、反省である。
いろいろな学年でともかく作ってみることだ。授業を繰り返して行っていく中で、一番良い方法が見つかるはずだ。
出来た句。
カーテンをサッとあけたらもみじの葉
えんぴつで漢字かいたらクリスマス
黒板はなにをかいても秋の空
秋の朝ぐるぐる時計回ってる
えんぴつが紙に絵をかく秋のくれ
かみかざり買ってもらって秋のひる
カーテンは風にふかれて秋の虹
秋の日にちびえんぴつでじっけんだ
温度計あつくてさむくていわし雲
えんぴつのキャップをはめて秋の月
ふでばこはあけしめしてね秋の夜
ふでばこにけしごむえんぴつきくの花
秋の月じょうぎでまっすぐせんひいた
ランドセルぺこりあいさつ秋の朝
なきながらしゅくだいいそぐ秋の夜
トロフィーはきらきら光る秋のにじ
以上、アトランダムに句を揚げてみた。 季語があっていない句もあるが なかなか感じよく出来いる句も一定の割合でできてくる。二度目をやったら、違和感なく慣れるか、それとも学年による差が相変わらず残るのか。
残るとすれば、それは児童の認識の発達と関係するとということになる。
毎月1回八名川句会が続いている。
PTAの現役のお母さん、そして地域の方々。
常連は、10名ほどである。
10月は、ここが中心になって、八名川大句会和開いた。
この句会の最大の特徴は、人生の解説付きだと言うことである。
軒下でゆらりゆられる柿すだれ
という句が出された。この句をだしたKさんは、踊りのお師匠さん。
少女時代、茅葺きのおばちゃんの家で、まだ堅くなる前の干し柿をいただいたという。
柔らかくなったその時がいちばんおいしいのだとか。
「あなただけよ。」
とおばさんにそっとごちそうになった記憶が蘇ったとと言う。
新大橋夜風にはためく大やぐら
この句は、時代小説作家流行作家の牧秀彦さんの句。江戸時代の風景をどのように句に詠み込むのか苦労したと言う。
お菓子あり、笑いありの楽しい一時間半。
俳句を上手になることも意味があるが、俳句を作り、それをネタにお互いを語り、笑いあい、次の再会を約す。
ここにも、俳句のひとつの本質があると思う。
高点句は、次の通り
女房よりヌーボーが良し神無月
マネキンも秋を着せられ笑ひけり
二つ三つ欠けて乱れぬ柿簾
二人して膝立て布団筑波山
細胞の一つ一つに霜柱
持ち帰る赤とんぼう画像かな
先日の第三回俳句指導者交流会に青森からわざわざ参加されたSさんから便りが届きました。
その一部を紹介いたします。
ブログを拝見させて頂きました。
東京では先生方、すでに活発に俳句に取り組まれているのですね。
青森遅れているのかな、いけないですね。
本当は青森でも研修会が発足しないといけないのでは?と思いました。
先日研修会に参加させていただいて感じたことなのですけども、
まず第一には子供になんとか俳句を作らせる、作ってもらうということが大事ですが、
指導が進むにつれていわゆる俳句独特の「縛り」~○○は駄目、○○は必ず、ということが
指導として大事になってくるのかな、と思われました。
例えば、擬人法、季語重なりなどについてです。
(まだそこまで先読みしても仕方ないのかもしれないのですけども)
俳句にはそういうルール的なものが多いですが、一方、表現としてその子が「言いたいと感じた」なら仕方ないとも思うのです。
また、俳句のルールには障っているけれども、作品としては伸び伸びとして素晴らしいものも多々あるだろうと思いました。
ここで要になってくるのは子供たちに俳句を教える目的ではないかと思います。
日本語、日本古来の文化についての見識を育てたいのならば、ルールについてもある程度統一的見解をもって
教えていかなければいけないのかしら?と。
しかし同時に伸び伸びと表現させる、「自分の言葉で」ということも非常に重要だと思います。
萎縮させすぎないように、しかしルールについて納得してもらえる説明ができるように、
知識を身につけなければいけないな、と思います。
私はまだ自分自身が、ルールと自己表現したい気持ちの狭間で、もやもやした気持ちで俳句の制約と
戦ってる状態なので、うまく説明できる自信がありません。(すみません)
もし出来ましたら、次回の指導者交流会で、そういうことについても取り上げていただけたらな、と思います。