暑い日が続く。一気に真夏がやってきた。
校庭の芝生が育っている。
10日ほど前に、芝生の苗植えを行った。
その苗がランナーを伸ばし、触手のように伸び始めている。
そのまわりで少しずつ緑が増え始めている。
この調子で伸び続ければ、7月のおわりには校庭全体が相当に緑っぽくなるだろう。
芝の育成は、子育てのようなもので、一喜一憂しているが、少しずつ見通しがついてきた。
まずはしっかりした夏芝を育てることだ。
どの様に育ったか記録しておかないとわからなくなる。
定点観測で写真を撮るようにしよう。
さて、金子兜太さんがおいでになった次の日。今度は、1年生の研究授業があった。
この1年生の授業で全学年の研究授業が終了する。
今回の研究授業の反省をもとに、発表会での授業構想を各学年とも立てることになる。
どちらのクラスも、主題は「とうもろこし」だ。
給食に出たとうもろこしの皮むきをした。その体験をもとに俳句を作り鑑賞する。
二組が、俳句作りの授業。一組が鑑賞(句会)の授業であった。
どちらのクラスもよく準備された授業で感心する。
高柳さんから教えていただいたことも含めて、この授業から得た私なりの教訓は次の通りだ。
◎特に低学年の授業では、体験の鮮度が俳句の鮮度に密接に関係する。だから、体験をしたらその場で俳句作りをした方がよい。
◎低学年の句会の目標を何処に置くか。これが問題だ。句会で点盛りをするのは、そのゲーム性を楽しむと共に、その後の批評を引き出す手段である。1年生では、その点が心許ない。だとすると、目標を何処に置くか。この点はまだまだ残された課題である。
◎虫食い俳句は、低学年の子ども達が俳句に触れる入口として有効である。しかし、創造の幅が広がらないという限界をもつ。
この日の授業では、虫食い俳句でつくってもいいし、自分で5・7・5のすべてを考えてもよいとしていた。高柳さんに言わせれば、全体をぱっと思い浮かぶこともある。言葉が規制されていると返って難しいことがある。特に個性的な言い回しを地の文でつくっておくと、それを超える言葉がなかなかないために難しくなる。
この日の例で言えば、
とうもろこし○○○○○○○たちつてと「たちつとて」の部分は、もっと一般的に「おいしいな」でもよいのではないかとは、先生の弁。
研究主任から今後のパンフレットづくりについて、具体的なよくまとまった内容の提案があった。
私自身について言えば、すでに乗り越えられた感がある。先生方の研究になっていると言うことで喜ばしいことだ。
少しずつ形が見え始めている。
そうそう、きのうは 波郷記念館・砂町文化センターの所長さんたちが見え、今後の江東区の俳句についての意見交換をした。
また、学研の教育ジャーナルの方も取材に見えた。
授業は明日まで。そして夏休みである。俳句集が出来上がってきたので、子ども達に明日配ることになる。
第12集である。児童数+家庭数。奇妙な配り方だが、自分(家用)が一冊。そして、おじいちゃんやおばあちゃんに見てもらうために一冊。こんな基準である。皆さんに読んでもらいたい。
十分間俳句とは