「ホビット」を読んだ後にすぐ「指輪物語」に突入して感じる違和感のひとつに、ドワーフのキャラクターの違い、があります。
まあ、「指輪物語」にはドワーフはほとんどギムリしか出てきませんので、ギムリの個人的な性格ともとれるかもしれませんが、それにしても違うよなあと。
あ、でもそれを言ったら、エルフの方が激しく違いますね(汗)まあそれは置いといて、とにかく今はドワーフの話です。
これはもちろん、「ホビット」と「指輪」の作風の違いが大きいですよね。ガンダルフも随分違いますし。と言っても、さすがに同一人物なので、「指輪」でも「ホビット」でのガンダルフらしいところが出てくると嬉しくなってしまいますけど。
「ホビット」ではドワーフたちはとても俗物的で現実的、宝物に目がなくて、都合が悪くなると皆ビルボに責任を押し付けてしまったりと、ビルボから見て「困ったやつら」として描かれています。
と言っても、根は善良で、そういう面もとても人間的に思えますし、終盤ではオークとワーグの襲撃に、安全な砦から飛び出して戦いに加わる誇り高さも見せてくれますが。
五軍の戦いでのトーリンは本当にカッコイイです。もしPJが映画化するとして、そのあたりちゃんと描いてくれるのかしら、と思うと今から心配です。ペレンノール野があんなだったので・・・
とまた話がそれましたが(汗)「指輪」で出てくるギムリは、そういうトーリンの仲間たちのような俗物的なところは見せませんし、なんというか「ホビット」のドワーフたちよりはカッコイイですよね。これは作風の違い、そして旅の目的の違いも大きいと思うのですが。
そんなギムリに継承されていると思えるドワーフの性質の第一は、やはり五軍の戦いでトーリンが見せた「誇り高さ」ですね。
そして、「俗物的で現実的」な面は、ギムリがしばしば見せる皮肉屋な部分に現れているように思います。「王の帰還」でレゴラスと人間について話すくだりが印象的なんですが。
「ホビット」でドワーフたちがすぐ不平不満を言うあたりはギムリにはないですが、これはもしかしたら、仲間内で旅しているのと、違う種族の中で一人ドワーフとして参加していたためかもしれませんね。他の種族に負けてなるものか、と。
ってことはギムリももしトーリンの仲間たちの中にいたら、あんな風に文句たらたらだったのでしょうか・・・うーんちょっとやだなあ(笑)
宝物に目がなくて強欲、という面はギムリは全く見せていませんが、これも旅の目的が目的なので、抑えていたのでしょうか? 燦光洞に目を輝かせたり、ガラドリエルの美しさを称えたりと、ギムリには「宝物を欲しい」というよりは、「美しいもの(ギムリの基準で)を愛する」気持ちが強い、芸術家肌?な気質が強いような気がします。もっとも細工が上手なドワーフは本来そうなのかもしれませんが・・・
レゴラスと仲良くなったりガラドリエルに心酔したり、というあたりはもう全くギムリだけのことですが、これもギムリの性格が変わっていたからというわけではないかもしれませんね。今までエルフと旅をしたり、ガラドリエルと実際に相見えたドワーフは、すくなくとも第三紀になってからはいなかったわけですから。
どうも、「指輪物語」にはギムリ以外のドワーフが出てこないので、果たしてギムリの個性なのか、ドワーフの性質なのか・・・というあたりが分かりづらいのが残念です。レゴラスはかなり変わったエルフらしいというのが感じられるのですが・・・(それとも闇の森のエルフはあんなもんなんでしょうかね(汗))
そして、「指輪物語」を読んでいて「ホビット」ではさほど感じなかったドワーフの性質は、「小さい」ということなんですよね。「ホビット」ではドワーフ13人にホビットにガンダルフ、という面子で話が進むことがほどんどなので、なんだかドワーフが普通サイズのような気がしてしまいますが。
先日カラズラスの場面を読んでいて、ちょこんとビルに乗っかって山を降りてくるギムリの様子に「かわいい~」と思ってしまったのですが(笑)サルン・ゲビアの浅瀬のあたりでも、頑張って荷物を運んだ後、疲れてこっくりこっくりしてしまうところとか、すごくカワイイのですが。
ドワーフの魅力って、誇り高くて豪胆な性質が、小さな体(ホビットと違って頑健ではありますが)に備わっているところだなあと、改めて思ってしまいます。
そのギャップが、時に笑いを誘い、時に感動させるところなんですよね。自分より小さいホビットに対して「守ってやらなければ」と使命感を感じているところも、アラゴルンたち大きな戦士たちと並べて見ていると、とてもかわいく思えてしまったり。
PJ映画のギムリは、そういうあたりを取り上げて、映画なりに料理していますよね。
ジョン・リス=デイヴィス氏が「ギムリの素晴らしいところは自分が小さいとは思っていないところだ」とコメントしていましたが、まさにそこがギムリの魅力かなあと。
この言葉はいろいろに訳されてまして、「小さいのがわかってないから滑稽だ」という意味合いに訳されていることもあり、それもあるなあ、とは思います。それだけじゃないとも思いますが・・・
映画のギムリは、そういう面を大きな特徴としてクローズアップしたのでしょうね。やりすぎだなあと思うところもありますけど・・・(汗)
とまあそんな訳で、なんだかまとまりませんが(汗)ドワーフはいいよなあ、と思うのでした。ホビットもいいですけどね、もちろん。やっぱり小人好きだ(笑)
まあ、「指輪物語」にはドワーフはほとんどギムリしか出てきませんので、ギムリの個人的な性格ともとれるかもしれませんが、それにしても違うよなあと。
あ、でもそれを言ったら、エルフの方が激しく違いますね(汗)まあそれは置いといて、とにかく今はドワーフの話です。
これはもちろん、「ホビット」と「指輪」の作風の違いが大きいですよね。ガンダルフも随分違いますし。と言っても、さすがに同一人物なので、「指輪」でも「ホビット」でのガンダルフらしいところが出てくると嬉しくなってしまいますけど。
「ホビット」ではドワーフたちはとても俗物的で現実的、宝物に目がなくて、都合が悪くなると皆ビルボに責任を押し付けてしまったりと、ビルボから見て「困ったやつら」として描かれています。
と言っても、根は善良で、そういう面もとても人間的に思えますし、終盤ではオークとワーグの襲撃に、安全な砦から飛び出して戦いに加わる誇り高さも見せてくれますが。
五軍の戦いでのトーリンは本当にカッコイイです。もしPJが映画化するとして、そのあたりちゃんと描いてくれるのかしら、と思うと今から心配です。ペレンノール野があんなだったので・・・
とまた話がそれましたが(汗)「指輪」で出てくるギムリは、そういうトーリンの仲間たちのような俗物的なところは見せませんし、なんというか「ホビット」のドワーフたちよりはカッコイイですよね。これは作風の違い、そして旅の目的の違いも大きいと思うのですが。
そんなギムリに継承されていると思えるドワーフの性質の第一は、やはり五軍の戦いでトーリンが見せた「誇り高さ」ですね。
そして、「俗物的で現実的」な面は、ギムリがしばしば見せる皮肉屋な部分に現れているように思います。「王の帰還」でレゴラスと人間について話すくだりが印象的なんですが。
「ホビット」でドワーフたちがすぐ不平不満を言うあたりはギムリにはないですが、これはもしかしたら、仲間内で旅しているのと、違う種族の中で一人ドワーフとして参加していたためかもしれませんね。他の種族に負けてなるものか、と。
ってことはギムリももしトーリンの仲間たちの中にいたら、あんな風に文句たらたらだったのでしょうか・・・うーんちょっとやだなあ(笑)
宝物に目がなくて強欲、という面はギムリは全く見せていませんが、これも旅の目的が目的なので、抑えていたのでしょうか? 燦光洞に目を輝かせたり、ガラドリエルの美しさを称えたりと、ギムリには「宝物を欲しい」というよりは、「美しいもの(ギムリの基準で)を愛する」気持ちが強い、芸術家肌?な気質が強いような気がします。もっとも細工が上手なドワーフは本来そうなのかもしれませんが・・・
レゴラスと仲良くなったりガラドリエルに心酔したり、というあたりはもう全くギムリだけのことですが、これもギムリの性格が変わっていたからというわけではないかもしれませんね。今までエルフと旅をしたり、ガラドリエルと実際に相見えたドワーフは、すくなくとも第三紀になってからはいなかったわけですから。
どうも、「指輪物語」にはギムリ以外のドワーフが出てこないので、果たしてギムリの個性なのか、ドワーフの性質なのか・・・というあたりが分かりづらいのが残念です。レゴラスはかなり変わったエルフらしいというのが感じられるのですが・・・(それとも闇の森のエルフはあんなもんなんでしょうかね(汗))
そして、「指輪物語」を読んでいて「ホビット」ではさほど感じなかったドワーフの性質は、「小さい」ということなんですよね。「ホビット」ではドワーフ13人にホビットにガンダルフ、という面子で話が進むことがほどんどなので、なんだかドワーフが普通サイズのような気がしてしまいますが。
先日カラズラスの場面を読んでいて、ちょこんとビルに乗っかって山を降りてくるギムリの様子に「かわいい~」と思ってしまったのですが(笑)サルン・ゲビアの浅瀬のあたりでも、頑張って荷物を運んだ後、疲れてこっくりこっくりしてしまうところとか、すごくカワイイのですが。
ドワーフの魅力って、誇り高くて豪胆な性質が、小さな体(ホビットと違って頑健ではありますが)に備わっているところだなあと、改めて思ってしまいます。
そのギャップが、時に笑いを誘い、時に感動させるところなんですよね。自分より小さいホビットに対して「守ってやらなければ」と使命感を感じているところも、アラゴルンたち大きな戦士たちと並べて見ていると、とてもかわいく思えてしまったり。
PJ映画のギムリは、そういうあたりを取り上げて、映画なりに料理していますよね。
ジョン・リス=デイヴィス氏が「ギムリの素晴らしいところは自分が小さいとは思っていないところだ」とコメントしていましたが、まさにそこがギムリの魅力かなあと。
この言葉はいろいろに訳されてまして、「小さいのがわかってないから滑稽だ」という意味合いに訳されていることもあり、それもあるなあ、とは思います。それだけじゃないとも思いますが・・・
映画のギムリは、そういう面を大きな特徴としてクローズアップしたのでしょうね。やりすぎだなあと思うところもありますけど・・・(汗)
とまあそんな訳で、なんだかまとまりませんが(汗)ドワーフはいいよなあ、と思うのでした。ホビットもいいですけどね、もちろん。やっぱり小人好きだ(笑)
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