ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

「『指輪物語』世界を読む-我らが祖父トールキン」その5

2005年06月18日 | 指輪物語&トールキン
全部読み終わってから書こうと思っていたのですが、ネタがないんで・・・(苦笑)まあ、全部読んでないと言っても最後の鼎談だけなんですが。
オーソン・スコット・カード氏の衝撃発言?のあとは、最後の二人の女性作家の話が印象的でした。
二人とも、トールキンが憂いた、妖精物語が子供部屋に追いやられた=子供向けにされて矮小化された、という問題に触れつつ、「指輪物語」について書いています。
まず、リサ・ゴールドスタイン氏は、神話という観点から「指輪物語」について説いています。
印象的だったのは、「指輪物語」の影響を受けた・・・というよりも、ほとんど真似しているような作品が、しかも結構売れたということについて、当時は憤慨していたけれど、今は違うことを考えている、というくだりでした。
トールキンが神話を作りたいと思って物語ったように、その模倣作品の作者もまた、「指輪物語」に刺激されて、同じような神話・物語を語りたいと思ったのだろう、そして、語り手の能力不足で物語がトールキンよりもつまらないものになってしまうのは当たり前のことなのだと。
続くテリ・ウィンドリング氏は、神話よりも「妖精物語」としての側面について語っていました。
結構過酷な少女時代を送ったウィンドリング氏は、実際に妖精物語が生きていく力になったことを語り、トールキンの「妖精物語について」に深く共鳴したと書いていました。
「妖精物語について」、読まないといけないですねえ。これも買ってはあるんですが・・・次は読むぞ~。
というわけで、まだ全部は読み終わっていないのですが、なかなか面白い本でした。人によって様々な読み取り方をするのだなあということも判ったし、そんな中でもうなずける意見が結構たくさんあったのが嬉しかったです。
そして、なんだか「指輪物語」をどう評価したらいいのか、ということもわかって来たような気がします。
初めて読んだ時に、とても面白かったけれど、文学としてはどうなんだろう・・・ということは思っていました。
でも、この本を読んで、なんとなくつかめて来ました。最後の方の、カード氏、そして今回書いたゴールドスタイン氏、ウィンドリング氏のエッセイが、特にヒントを与えてくれました。
トールキンは、シェイクスピアすら嫌いというくらい、近代文学に全くといっていいほど興味がなかったようです。そのために、近代文学のような手法-主人公の心理を描写したり、主題を物語の中に込めたりすること、は全くしていないのですね。
トールキンが模範としたのは古代、中世の神話、叙事詩、そして妖精物語であって、それを近現代文学のように読み解こうとしたりするのはそもそも間違いなんですよね。
この本を読んだおかげで、「指輪物語」が好きだと、より大手を振って言えるようになった気がします(笑)
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