指輪サイトに「ホビットに優しい人名鑑」というコンテンツがあるのですが、今度ちゃんと名鑑と呼べるようなものにしようと計画中です。
と言ってもなかなかホビットに優しい人一人一人について書くのは大変なので、とりあえずは一人一人の「ホビットに優しい名台詞」を名前の後につけられたらなあ、と思って、下調べを始めているところです。
実は以前、原作を読みながら気に入った台詞やフレーズを書き留めるという気が長い作業をやってまして(笑)その時の書き抜きを見ながら色々考えていました。
ホビットに一番優しい人、と言ったら、ホビットとの付き合いの年季を考えてもガンダルフかな、と思っていたのですが、名台詞?を読み返してみると、意外にガンダルフのホビットに優しい発言は少ないことに気がつきました。いや少なくはないんですが、思ったよりは言ってないなあと。
ガンダルフはもちろんホビットに優しいのですが、「中つ国の執政」として、全ての生きとし生けるものに対しての視点もあって、どこか上から見下ろしているようなところもあるなあと。見下ろしているというよりは、見守っている、かな。ホビットのことを誰よりも理解して認めていながらも、わが子のように愛している、というよりはもうちょっと高みにいるような気がします。
一方、「この人ホビットにメロメロでは・・・」と思ったのがアラゴルンです(笑)なんだか思っていた以上にアラゴルンの「ホビットに優しい名言」が多かったです。もちろん一番多かったですし。
アラゴルンは、87年生きているとは言え、ガンダルフに比べたらまだまだ人間できてない?というか、ゴクリのことを「二度と一緒に旅したくない」とか「なにしろ臭いですからな」とか言い切ってしまうような面もあります。そういう意味でも、アラゴルンには指輪を棄てる使命は達成できなかったでしょうね。
でもそんなアラゴルンのホビットに対する発言を読んでいて、この人はとても愛情深い人だなあと思いました。
ブリー村でフロドたちと出会った時、「わたしは自分自身のためにもあなた方にわたしを好きになってもらいたかったのだ」というくだりにはちょっとじーんとしてしまいます。過酷な旅をさすらう野伏にとって、ホビットの友情を得ることはとても安らぐことだったのでしょう。既にビルボとの親交で充分にホビットと付き合うことについては知っていたでしょうし。
ああ、アラゴルンの名台詞どれを選ぶか、かなり悩みそうです(笑)
前にも書いたと思うのですが、私が惹かれた「ホビットに優しい大きい人たち」って、ただ単に優しいというだけでなく、ホビットの存在に心を動かされ、ホビットの素晴らしさを理解し、敬意を払っている人たち、なんだということに最近気がつきました。
そう思うと、映画のおかげでホビットに優しい人筆頭と思われているボロミアは、実はただ単に自分より弱いものに優しいだけで、真の意味での「ホビットに優しい人」ではないなあと思ったりします。あ、もしかしてギムリもそうか?(笑)
それを考えると、映画のボロミアって結構いいかなあと思ったりも。映画ではボロミアは旅の仲間には「ミナス・ティリスに帰るついでに参加した」のではなく、自ら自発的に参加するのですが、ボロミアが名乗り出た理由には、フロドが名乗り出る姿に驚き、不信の思いがありつつも感銘を受けたからなのではないかと思えるからです。
メリーとピピンを助けたことで救われたというのも、映画の方がわかりやすいかもしれませんね。
と、なんだか話がそれたんですが(汗)あと原作でホビットに優しいなあ~と思ったのは木の鬚ですね。
セオデンも優しいと思ってましたが、木の鬚の比ではないですねえ。
セオデンはメリーに心を和まされてはいたけれど、メリーがいなくてもセオデンの選択は変わらなかったでしょう。
でも、木の鬚はメリピピに「変えられた」のですよね。ゆっくりと滅び行く太古の種族が、若いホビットたちと出会ったことで快活になって少し「若返った」のですよね。
原作でのメリーとピピンは一見何もしていないようですが、実はメリーとピピンの存在だけでエントを動かす大きな力になっていたことがわかりますね。別に映画みたいに説得しなくても・・・(汗)
木の鬚も、ホビットに優しい名台詞はどれを選ぼうか悩んでしまいます。とりあえず今とても気になっているこの台詞を引用してみたりして。
「・・・わしらはごく短い間に友達になったもんじゃから、わしはわれながらたしかにせっかちになってきたものと思っとるんじゃ-ことによるとだんだん若い時にもどっとるのかもしれんな。・・・」
んー、やっぱり原作は面白いです。今ちょっと原作読書中断中なのですが、またじっくり味わって読みたいですね。
と言ってもなかなかホビットに優しい人一人一人について書くのは大変なので、とりあえずは一人一人の「ホビットに優しい名台詞」を名前の後につけられたらなあ、と思って、下調べを始めているところです。
実は以前、原作を読みながら気に入った台詞やフレーズを書き留めるという気が長い作業をやってまして(笑)その時の書き抜きを見ながら色々考えていました。
ホビットに一番優しい人、と言ったら、ホビットとの付き合いの年季を考えてもガンダルフかな、と思っていたのですが、名台詞?を読み返してみると、意外にガンダルフのホビットに優しい発言は少ないことに気がつきました。いや少なくはないんですが、思ったよりは言ってないなあと。
ガンダルフはもちろんホビットに優しいのですが、「中つ国の執政」として、全ての生きとし生けるものに対しての視点もあって、どこか上から見下ろしているようなところもあるなあと。見下ろしているというよりは、見守っている、かな。ホビットのことを誰よりも理解して認めていながらも、わが子のように愛している、というよりはもうちょっと高みにいるような気がします。
一方、「この人ホビットにメロメロでは・・・」と思ったのがアラゴルンです(笑)なんだか思っていた以上にアラゴルンの「ホビットに優しい名言」が多かったです。もちろん一番多かったですし。
アラゴルンは、87年生きているとは言え、ガンダルフに比べたらまだまだ人間できてない?というか、ゴクリのことを「二度と一緒に旅したくない」とか「なにしろ臭いですからな」とか言い切ってしまうような面もあります。そういう意味でも、アラゴルンには指輪を棄てる使命は達成できなかったでしょうね。
でもそんなアラゴルンのホビットに対する発言を読んでいて、この人はとても愛情深い人だなあと思いました。
ブリー村でフロドたちと出会った時、「わたしは自分自身のためにもあなた方にわたしを好きになってもらいたかったのだ」というくだりにはちょっとじーんとしてしまいます。過酷な旅をさすらう野伏にとって、ホビットの友情を得ることはとても安らぐことだったのでしょう。既にビルボとの親交で充分にホビットと付き合うことについては知っていたでしょうし。
ああ、アラゴルンの名台詞どれを選ぶか、かなり悩みそうです(笑)
前にも書いたと思うのですが、私が惹かれた「ホビットに優しい大きい人たち」って、ただ単に優しいというだけでなく、ホビットの存在に心を動かされ、ホビットの素晴らしさを理解し、敬意を払っている人たち、なんだということに最近気がつきました。
そう思うと、映画のおかげでホビットに優しい人筆頭と思われているボロミアは、実はただ単に自分より弱いものに優しいだけで、真の意味での「ホビットに優しい人」ではないなあと思ったりします。あ、もしかしてギムリもそうか?(笑)
それを考えると、映画のボロミアって結構いいかなあと思ったりも。映画ではボロミアは旅の仲間には「ミナス・ティリスに帰るついでに参加した」のではなく、自ら自発的に参加するのですが、ボロミアが名乗り出た理由には、フロドが名乗り出る姿に驚き、不信の思いがありつつも感銘を受けたからなのではないかと思えるからです。
メリーとピピンを助けたことで救われたというのも、映画の方がわかりやすいかもしれませんね。
と、なんだか話がそれたんですが(汗)あと原作でホビットに優しいなあ~と思ったのは木の鬚ですね。
セオデンも優しいと思ってましたが、木の鬚の比ではないですねえ。
セオデンはメリーに心を和まされてはいたけれど、メリーがいなくてもセオデンの選択は変わらなかったでしょう。
でも、木の鬚はメリピピに「変えられた」のですよね。ゆっくりと滅び行く太古の種族が、若いホビットたちと出会ったことで快活になって少し「若返った」のですよね。
原作でのメリーとピピンは一見何もしていないようですが、実はメリーとピピンの存在だけでエントを動かす大きな力になっていたことがわかりますね。別に映画みたいに説得しなくても・・・(汗)
木の鬚も、ホビットに優しい名台詞はどれを選ぼうか悩んでしまいます。とりあえず今とても気になっているこの台詞を引用してみたりして。
「・・・わしらはごく短い間に友達になったもんじゃから、わしはわれながらたしかにせっかちになってきたものと思っとるんじゃ-ことによるとだんだん若い時にもどっとるのかもしれんな。・・・」
んー、やっぱり原作は面白いです。今ちょっと原作読書中断中なのですが、またじっくり味わって読みたいですね。
ガンダルフも相当な歳なので(人間の数百世代でしたっけ?)、もはやある種族だけひいきするというよりも、超然として中つ国を見守ってる印象です。
原作でのゴラムへの感想はさすがでした。初めてゴラムのことを聞き嫌悪感を露わにするフロドに対し、「わしにはとても悲しい話に思える、誰でも起き得る事じゃ」「まだ彼に会った訳でもなかろう」と答えたのが。
裂け谷で眼を覚ましたフロドに「お前さんが愚かな旅を続けてる間に云々」と言って、紳士のフロドが真に受けるのをあわててフォローしたり、ピピンに「トゥックの阿呆息子」と罵ったり、素直に愛情表現できないのが英国人気質か、とも思えてきます。
でも、アラゴルンほどストレートに愛情を表現していないことに気がついて、ガンダルフはなんだかんだ言ってもマイアなんだなあ、と改めて思ったりしました。
>素直に愛情表現できないのが英国人気質か
確かにそういうのもあるかもしれませんね。なんと言ってもガンダルフはトールキンの分身だと思いますし。
そう言えば、「終わらざりし物語」の「エレボールへの遠征」で語られていた、ビルボがドワーフたちと一緒に行く原因になったガンダルフの発言は、ホビットのことを馬鹿にされてムキになって行かせることにしちゃった、みたいな感じでしたよね。あの話大好きなんですが(笑)
他の人に馬鹿にされるとムッとして思わずかばってしまう、みたいなガンダルフのホビットへの思い入れを感じたりしました。
まあ、ガンダルフ自身のプライドもあったりしそうでしたが(笑)「ホビット」の時点ではかなりそういうとこもありますよね。
人間を超越した存在でありながらとても人間らしいところもある、その不思議さがガンダルフの魅力の一つですよね。