昭和の大演歌歌手だった三橋美智也さんがテレビに登場する。
9月13日(水)の21:00からBS朝日であるが、番組名は「昭和偉人伝」。
通常は1時間番組だが、三橋さんは2時間という倍の番組構成。
テレビ朝日の広報資料によれば、以下の内容。
かなりの長文だが敢えて紹介したい・・・。
昭和の偉人の波瀾万丈の生き方が自身の人生と重なる、繋がる、蘇る!
『昭和』国家壊滅の状態から未曾有の成長を遂げた類まれな時代。
そこには時代を牽引した輝くリーダーがいたが彼らも順風満帆ではなかった。
BS朝日は、独自取材と貴重な映像と今だからこそ言葉にできる・・・。
真実のインタビューを交えて綴る波瀾万丈の偉人伝を制作。
なぜ『昭和』という時代が今なお輝いて見えるのか、私たちの心に深く刺さるのか。
偉人の後ろ姿から私たち自身を振り返ることにスポットを当て・・・。
『望郷歌謡のスター歌手・三橋美智也』を昭和偉人伝に登場させる。
ミリオンセラーは民謡を含めると20曲に及び販売枚数は歌謡界史上最多の1億6千枚!
春日八郎、村田英雄と共に“哀愁の御三家”として人気を誇った三橋美智也。
三波春夫を加えた4人の歌は強く人々の心を掴んだ。
しかし栄光の裏には流浪の時代、葛藤や試練の日々もあった。
BS朝日は、三橋美智也を中心に昭和を駆け抜けた演歌歌手の生き様を描く。
⦁ 民謡のために生まれてきた少年〜流浪の青年時代
父を亡くし民謡歌手だった母から幼い頃より歌を教えこまれた。
9才の時には「全国民謡コンクール」で優勝。
「民謡のために生まれてきた少年」と騒がれ、戦争中は三味線を抱えて巡業。
再婚し4人の子供を生んだ母と一家の為の出稼ぎは、終戦後も続き全国行く先々から家に送金した。
この頃の流浪の侘びしさ孤独感から、終生「地に足のついた生活」に憧れた。
⦁ 勤労学生からスターの階段を駆け上る
上京し21才で高校入学。ボイラーマン、民謡教師、学生と3つのわらじを履く中、チャンスをつかみデビュー。
2年で200万枚のヒットを飛ばし、一躍スターの座へ。
デビュー8年で売上1,000万枚。
紅白歌合戦では出場2度目でトリを務め、紅組の美空ひばりと肩を並べた。
(「リンゴ村から」「哀愁列車」「赤い夕陽の故郷」「古城」)
⦁ “哀愁の御三家”が築いたもの
春日八郎、村田英雄と共に“哀愁の御三家”と呼ばれ一時代を築いた。
平成元年には「3人会」を結成。晩年まで続いた「交流」と演歌に託した「想い」。
(春日八郎「別れの一本杉」、三橋美智也「哀愁列車」、村田英雄「王将」など)
⦁ 試練との闘い、夢に手を伸ばし続ける
昭和50年以降、妻の病、糖尿病発症、事業の失敗と試練が続く。
病が悪化し、足の小指を壊疽で切断。
それでも新曲発売に意欲を燃やし、平成7年突然倒れて亡くなったのは・・・。
2年ぶりの新曲が出来上がったばかりの時だった。
販売枚数歌謡界史上トップという三橋美智也の功績は未だに破られず、次ぐ2位がB’z。
ヒット曲の多さ以上に胸を打つのは、相次ぐ試練に挫けず、人生に挑戦し続けた姿勢。
望郷歌謡に命を燃やした歌手三橋美智也であるが、その思いが懐かしい歌と共に蘇える
(以上、広報資料引用を終了)。
「三橋美智也みちや会」が調べたのでは、三橋さんの曲は1,311曲だそうな・・・。
気の遠くなりそうな曲数であるが、団塊オヤジが歌詞を覚えたのは30曲足らず。
1,311という曲数を知って目まいを起こしそうな昨今。
とまれ、9月13日の夜は、是非BS5を観て下さいナ!
9月13日(水)の21:00からBS朝日であるが、番組名は「昭和偉人伝」。
通常は1時間番組だが、三橋さんは2時間という倍の番組構成。
テレビ朝日の広報資料によれば、以下の内容。
かなりの長文だが敢えて紹介したい・・・。
昭和の偉人の波瀾万丈の生き方が自身の人生と重なる、繋がる、蘇る!
『昭和』国家壊滅の状態から未曾有の成長を遂げた類まれな時代。
そこには時代を牽引した輝くリーダーがいたが彼らも順風満帆ではなかった。
BS朝日は、独自取材と貴重な映像と今だからこそ言葉にできる・・・。
真実のインタビューを交えて綴る波瀾万丈の偉人伝を制作。
なぜ『昭和』という時代が今なお輝いて見えるのか、私たちの心に深く刺さるのか。
偉人の後ろ姿から私たち自身を振り返ることにスポットを当て・・・。
『望郷歌謡のスター歌手・三橋美智也』を昭和偉人伝に登場させる。
ミリオンセラーは民謡を含めると20曲に及び販売枚数は歌謡界史上最多の1億6千枚!
春日八郎、村田英雄と共に“哀愁の御三家”として人気を誇った三橋美智也。
三波春夫を加えた4人の歌は強く人々の心を掴んだ。
しかし栄光の裏には流浪の時代、葛藤や試練の日々もあった。
BS朝日は、三橋美智也を中心に昭和を駆け抜けた演歌歌手の生き様を描く。
⦁ 民謡のために生まれてきた少年〜流浪の青年時代
父を亡くし民謡歌手だった母から幼い頃より歌を教えこまれた。
9才の時には「全国民謡コンクール」で優勝。
「民謡のために生まれてきた少年」と騒がれ、戦争中は三味線を抱えて巡業。
再婚し4人の子供を生んだ母と一家の為の出稼ぎは、終戦後も続き全国行く先々から家に送金した。
この頃の流浪の侘びしさ孤独感から、終生「地に足のついた生活」に憧れた。
⦁ 勤労学生からスターの階段を駆け上る
上京し21才で高校入学。ボイラーマン、民謡教師、学生と3つのわらじを履く中、チャンスをつかみデビュー。
2年で200万枚のヒットを飛ばし、一躍スターの座へ。
デビュー8年で売上1,000万枚。
紅白歌合戦では出場2度目でトリを務め、紅組の美空ひばりと肩を並べた。
(「リンゴ村から」「哀愁列車」「赤い夕陽の故郷」「古城」)
⦁ “哀愁の御三家”が築いたもの
春日八郎、村田英雄と共に“哀愁の御三家”と呼ばれ一時代を築いた。
平成元年には「3人会」を結成。晩年まで続いた「交流」と演歌に託した「想い」。
(春日八郎「別れの一本杉」、三橋美智也「哀愁列車」、村田英雄「王将」など)
⦁ 試練との闘い、夢に手を伸ばし続ける
昭和50年以降、妻の病、糖尿病発症、事業の失敗と試練が続く。
病が悪化し、足の小指を壊疽で切断。
それでも新曲発売に意欲を燃やし、平成7年突然倒れて亡くなったのは・・・。
2年ぶりの新曲が出来上がったばかりの時だった。
販売枚数歌謡界史上トップという三橋美智也の功績は未だに破られず、次ぐ2位がB’z。
ヒット曲の多さ以上に胸を打つのは、相次ぐ試練に挫けず、人生に挑戦し続けた姿勢。
望郷歌謡に命を燃やした歌手三橋美智也であるが、その思いが懐かしい歌と共に蘇える
(以上、広報資料引用を終了)。
「三橋美智也みちや会」が調べたのでは、三橋さんの曲は1,311曲だそうな・・・。
気の遠くなりそうな曲数であるが、団塊オヤジが歌詞を覚えたのは30曲足らず。
1,311という曲数を知って目まいを起こしそうな昨今。
とまれ、9月13日の夜は、是非BS5を観て下さいナ!