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「あの偉人たちを育てた子供時代の習慣」(PHP研究所:木原武一)を読んだ。
習慣は人格をつくり、人格は運命をつくるといわれているように、習慣が私たちの人生をつくっていると言っても過言ではない。言ってみれば良い習慣の延長線上に幸運があり、悪い習慣の延長線上に不運があると言える。
そう考えると幼い時に良い習慣を子供に身に付けさせることがいかに大切かが分かる。いわゆる「躾」ということだ。躾というものは親が言葉で言うのもよいが、親の姿を見てマネをさせるほうがよい。親の生きざまを見せることが躾にはもっともよいようだ。
偉人と言われている人は子供時代に良い習慣を親の背中を見て身に付けたようだ。
たとえばマザー・テレサ。
テレサは8歳のときに父親を失い、母親の手一つで育てられたそうだ。テレサにとって母親の生き方そのものがひとつの道徳教育だった。彼女の母親ドラナは少なくとも週に一度は、身寄りのない人や病人、貧しい人などを訪ねて、食事や掃除、看病などのボランティア活動を行っていた。テレサはいつも母親に同行し、その手伝いをしていたそうだ。このようなボランティア活動が彼女にとっての習慣だったのだ。
ドラナはいつもテレサにこう言ったそうだ。「良いことをするときは、海へ石をひとつ投げ入れるときのように、そっと行いなさい」と。母親は行動と言葉を通して娘にキリスト教の信仰を伝えたのだ。母親の小さな善行が娘に受け継がれ世界中の人々に感動と思いやりの精神を伝えた。
「家庭は習慣の学校である」と福沢諭吉がいうように家庭で子供に良い習慣を身に付けさなければならない、作者は家庭で良い習慣を身につけるために「家訓」を勧めている。
建て替える前の我が家の居間には「不言實行」の文字がでかでかと掲げられていた。祖父が選んだのだろう。もし私が新しく家訓をつくるなら「不平不満を言わない」にするだろう。