「風の時代」を生きる

人生に必要なのは、勇気と想像力、そしてsome moneyだ。

チャールズ・チャップリン

サラリーマンになったら人生はおしまい

2017-07-17 20:45:30 | 真逆の世界のルール
「サラリーマンになったら人生はおしまい!」

昔こんなことを言った女の子がいた。彼女の言ったこの言葉がやけに記憶に残っている。

以前こんな記事を書いたことがある。

強い軍隊とは

強い軍隊は末端の兵士の判断基準を単純にさせている。「上官の命令は絶対」というように、個々の兵士の判断を否定することで、効率的な行動を実現させているのだ。

作戦本部の命令が、中間組織によって歪められたり、遅らされたりすることなく、正確にそして素早く末端の兵士に行きわたる部隊が強いのだ。

これは軍隊に限ったことではない。会社にもあてはまる。

会社は常に利益を生み出し、生き残らなければならない。そのためには軍隊同様強い組織をつくらなければならない。

そのためには末端の社員の能力を高めなければならない。しかし同時に現場にはどんな理不尽な命令でも従わせ、自ら判断する能力や意欲を奪い取る必要がある

自ら判断する能力を奪うのに一役買っているのが、あの「報連相(ホウレンソウ)」だろう。(報告、連絡、相談を縮めて、報連相という。)

余談だが、この報連相を初めて提唱したのは、あの相場の神様、山崎種二氏の息子の山崎富治氏だという。山崎証券社長時に著書『ほうれんそうが会社を強くする』の中で「報連相」が語られれていた。

会社側にとっては社員自らが判断する能力や意欲を奪いとるのに都合がよく、社員にとっては責任回避の安全装置として都合がよい。

何かトラブルが発生しても、社員は報連相さえしっかりしていれば、自らが責任をとる必要がなく、責任を上司に丸投げすることができる。

しかし逆に何かあった時に、報連相をしていなければ全責任を負わされることとなるが。

そんな便利な報連相であるが、決定的な不便がある。

それは自分で判断できなくなり、決断に恐怖を感じてしまう点だ。

自分で考え決断を下すことを当たり前と思っている相場師の私が、サラリーマン時代に違和感を感じていたことはそれだった。

毎日の朝礼で「何かトラブルがあったら自分で判断せず、上司に必ず報告し、しかるべき指示に従うこと」と言われ、これでは作業者は自分で判断せず、決断を他人任せにする習慣が身についてしまうではないかと思っていた。

こんなことを何十年も続けたらどうなるだろうか?自分では何も決められない大人の出来上がりだ。もし退職した時、自分で何かを決める習慣が身についていなかったらどうすればいいのだろうか?

自分で決断ができない60歳の老人が、老後をどのように生きていけばいいのだろうか?

たとえ経済的な問題がないとしても。

「行動は習慣をつくり、習慣は人格をつくり、人格は運命をつくる」そうだが、恐ろしいことだ。

「サラリーマンになったら人生はおしまい!」あの女の子が言っていた意味はこれだったのかもしれない。

大会社で働いていたサラリーマンであったはずの人が、会社を退職した途端に無能になってしまうとすれば、その人は「良きサラリーマンであった」と言えるが、同時に「良きサラリーマンでしかなかった」ということだ。




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王様の土地

2017-06-11 06:46:19 | 真逆の世界のルール
先日、妻がこんなことを言った。

私には2人の妹がいるが、2人とも結婚して新しい家を買った。上の妹は首都圏にマンション、下の妹は地元に一戸建て。

「いいな~、妹さんたちは自分の家を持っていて、この家はあなたの両親の好意で住まわせてもらっているようなもの、私も私のものと言える家が欲しいな。」

そんな妻に私はこう言った。

「何言ってるんだい。妹たちは家を所有していないよ。ローンを組んで買った、あれは銀行のものだよ。もしお金を返済できなかったら、すぐに追い出されるんだから。その点、親が退職金で建てたこの家は、確かに今は父親のものだけど、ゆくゆくは俺のものになる。家の借金返済のために人生を過ごすのと、無借金で人生を過ごすのとどちらがいいの?」

こう言うと妻も言葉に窮していた。

35年ローンで買った家は35年間は銀行のものだ。買った人は金利を上乗せして銀行に借金を返済する。2千万円を35年間で返済すると金利1.2%で2.45千万となる。

450万円余計に払うこととなる。

そして35年の借金を返済した後、やっと資産価値0円の家を購入できるのだ。

まだ一戸建ては土地の価値があるからいいが、空間を買うマンションは土地代はのこらない。その割には修繕費に毎年お金を払うが。

しかしそれほど苦労して買った家も、実は永久に自分のものにはならない。

英語で不動産のことをリアル・エステート(Real Estate)という。リアル(Real)とはもともとはRoyalからきた言葉で、「王様の」という意味だ。スペインの有名サッカーチームReal Madrid Club de Fútbolは、王立マドリードフットボールクラブという意味となる。

Estateとは土地や財産という意味だ。

つまりReal Estateとは「王様の土地」という意味だ。

土地は王様の所有物であり、それ以外の人たちは王様から土地を借りて利用する権利を持っているにすぎないのだ。

それは過去の話ではない、今現在もそのシステムは変わらない。

確かに登記簿上の名前はあなたかもしれないが、もしあなたが10年間固定資産税を払わずに海外に行っていたらどうなるだろうか?

その土地は本来の所有者のもとに戻るはずだ。

すなわち政府に没収されるということだ。

私たちは銀行から借金して家と土地の使用権利を買い、銀行に借金を返済しながら、国にも借地代を払っていることとなる。そして銀行への借金を返済し終えた後は、国への借地代を永遠に払い続けるのだ。



スペイン・アランフエスの王宮
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マイナスをプラスに変える

2017-05-06 10:07:11 | 真逆の世界のルール
私は仕事が続かない。なぜかすぐに飽きてしまう。面白くない仕事に興味がわかないのだ。というより拘束されるのが嫌なのだ。

「周りの人たちに比べて我慢が足りないのではないか?忍耐がないのではないか?ダメ人間なのではないか?」と自己嫌悪に陥っていた時もあった。

しかしいろいろな本を読んで、別な考えを持つようになった。

「周りの人に比べてこれほどマイナスの面があるということは、間違いなく周りの人をはるかに凌ぐプラスの面があるはずだ。人間はよい面もあれば悪い面もある。たして2で割れば必ずフラットになるはずだ。必ず周りの人たちがうらやむような素晴らしい才能があるはずだ」と信じるようになった。

そんなときに相場に出会った。相場は私の性格に合っていた。

戦略を練り(トレンドを知る)、戦術を考え(どこでエントリーし、どこでアウトするかを決める)、戦闘する(実行する)。

まるで私が、三国志の蜀の軍師諸葛亮孔明になった気分だ。

相場のやり方にはいくつかの方法がある。ポジショントレード、スウィングトレード、デイトレードなどだ。

ポジショントレードとは何年にもわたり同一の銘柄を継続的に手掛けていく手法だ。これは1つの会社にずっと勤めているのに似ている。

それに対してスウィングトレードとは次々と銘柄を乗り換え、旬なものを手掛けていくやり方だ。

1日で手仕舞うこともあるが長い時で2週間程度持つこともある。これは興味のある会社で働くも飽きたら別の会社に、さらに飽きたら別の会社に転職するのに似ている。

日本の社会では後者のように次々と会社を変える人間は許されない。「落ちつきがない、忍耐がない、続けられない、責任感がない」ということでダメ人間のレッテルを貼られてしまう。

しかし相場の世界では何度も何度も会社を変えようとも、全く問題とならない。

なぜなら相場をする目的はただ1つ、お金を増やすことだけだからだ。

相場に出会えてよかった。社会不適合者であった自分でも、ここなら活き活きと働ける。

大切なことは、たとえどんな性格であれ自分の性格を知り、そして受け入れ、その性格に合った方法で売買することだ。相場のやり方は想像以上にその人の生き方と複雑に絡み合っているのだ。

相場は明らかに私の性格に合致する仕事だ。その中でもスウィングトレードとの相性は抜群だ。

実際の売買でもスウィングトレードでの売買は上手くいくことが多い。一般社会ではマイナスとなる私の性格も相場の世界になれば、それもスウィングトレードという売買手法に限定すればプラスの性格となる。



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自己を高めて行く最良の方法は

2017-04-23 00:25:54 | 真逆の世界のルール
我々人間が自己を高めて行く最良の方法は不安を食べて生きていくことだと聞いたことがある。

多くの人は不安を避け、できるだけ安全な方向に行こうとする。

安全、安定を求めて、公務員や大企業に就職を希望する人が多いのはそのためだ。

しかしながら、我々の人生の中で、安全などありはしない。

安全など幻想に過ぎないのだ。

不安から逃げるのではなく、不安を食べつくす者だけが真の安全、安定を手にすることができる。

なぜならどんな困難にも立ち向かう勇気と知恵と自信を備えた心を持つことができるからだ。

不安を感じたら自分の心を鍛えるチャンスだと思い食べる準備をしよう。

しかし初めは少しづつ。そして食べすぎもよくない。

我々トレーダーはお金を賭けるという、最高の不安をいつも食べている人種だ。それゆえ心を鍛える機会を普通の人たちよりも多く与えられている。恵まれた者たちだ。

私の父は1部上場の企業を定年退職した。貰っている年金額を聞くとその多さに驚く。退職後は3年間嘱託で勤務し63歳で完全に退職した。退職金で家を建て替え、十分な年金をもらっている。

安心・安全を勝ち得たように見える父だが、それから3年ほどして話す会話に違和感を感じ始めた。それまでよく会社の友人たちと家族ぐるみで旅行にも行っていたが、お酒ばかり飲んで体を壊し、ついには旅行にも行かず、ゴルフも止めてしまった。

それからは毎日テレビばかり見て、お酒を飲む生活。どんどん体が弱り、昨年は肺炎で入院してしまった。

不安を食していなかったがために、ボケが進み、体を壊してしまったようだ。

不安のない老後をおくるべく、多くの人が今懸命に働いているが、果たしてその努力が老後の生活をよいものにするのかどうかはわからない。


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事実は一つ、解釈は無限

2015-12-13 20:45:56 | 真逆の世界のルール
起こったことは、変えることのできない事実だ。しかしその出来事が自分の人生にとって何を意味するかという解釈は自分で決めていいのだ。まわりの人が何と言おうと自分の解釈がすべてだ。

ポジティブに解釈するか、それともネガティブに解釈するか。そしてその解釈を踏まえて、どのような行動を起こすか。

例えば一生懸命勉強したにもかかわらず、大学受験に失敗してしまったとしよう。まわりの人は気の毒がるかもしれない。あれだけ勉強したのに努力が無駄になってしまったという人もいるだろう。

しかしその大学受験に失敗したという事実を解釈するのは、100%その人本人だ。「努力が無駄になってしまた」と言うのは、一つの解釈にすぎない。

「みな、いつか死ぬ」ということも、変えることのできない事実だ。だからどう解釈し、どう行動するかが大切となる。

「どうせ死ぬのだから、努力なんて無意味だ。」という解釈もできる。「一度きりの人生なら、全力で生きるぞ。」という解釈も可能だ。

その解釈によって、人生は大きく変わるというのはすぐに理解できるだろう。

今NHKで、先月亡くなったられた水木しげるさんを偲んで、連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」の総集編をやっている。今日は全3話の最終回だった。

水木さんは第2次大戦の激戦地パプア・ニューギニアのラバウルでマラリアにかかり、動けないところを空爆され、左腕を失った。

驚いたことに彼は腕を失ったことに恨みの思いを持ったことは一度もないということだ。むしろ自分は運のいい男だと思っていたそうだ。生きて日本に戻れたのだから。

恨みを抱いて一生を生きるか、運がいいと思って生きるか。

水木先生はその作品だけでなく、多くのことを私たちに教えてくれた。心からご冥福をお祈りしたい。

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貧乏神はなぜ神なのか

2015-12-12 17:34:23 | 真逆の世界のルール
今NHKで、先月亡くなったられた水木しげるさんを偲んで、連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」の総集編をやっている。

5年前の2010年、当時無職だったのでよく見ていたものだ。このドラマは漫画家の水木しげるさんの奥さんが主人公だ。貧しいながらも夫を支え明るく、たくましく生きている姿に元気がでてくる。

その中で貧乏神が登場する。貧乏神の住みついた家は貧しくなるそうだ。

「貧乏神は何で神なんだろう?」テレビを見ながらフッと思った。

富を呼び込まず、貧乏をもたらす、これでは悪霊ではないか。なぜ神なのか?

一般的に貧乏なことは不幸なことと捉えがちだ。しかしこれは本当なのだろうか?

貧乏が不幸というのは、一つの解釈でしかない。これは無職は悪いこと、働かないことは悪いことと同じように、ある一面だけを見ているにすぎない。

では貧乏がもたらすプラスの面はなんだろうか。

戦後の日本はほとんどの国民が貧しかった。では、みな暗い顔をして、不幸だと言って暮らしていたのだろうか。

このドラマを見ていると、貧しいながらも、お互い助け合いながら懸命に生きている人たちの姿が描かれている。希望を持って、明るく生きている人たちの姿。知恵をつかってモノを有効に活用する姿。小さなことの中からも喜びを見つけ出す姿。

貧乏がもたらすプラスの面は、モノの有り難味を知り、大切にする心が養われる。少ないモノを分け合う心が養われる。どん底を知ることで、小さな出来事からも喜びを感じられる。ハングリー精神などもプラスの面かもしれない。まだまだたくさんあるだろう。

主管できないほどモノが溢れているのが幸せとは限らない。それはモノの豊かな今の私たちがよく分かっているはずだ。

貧乏神が神であるのは、「モノが有り余るほどあることが幸せなのではなく、最低限のモノしかなくても幸せになることはできるんだよ」ということを教えてくれているような気がするのだ。
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考える力

2015-05-04 10:58:19 | 真逆の世界のルール
先日学習塾の先生と話す機会があった。

塾を卒業した生徒たちを見ていて、気づいたことがあるそうだ。それは、「塾の成績の良かった生徒が、良くなかった生徒に比べて、社会に出て生きる力がないのはどうしてなのか?」ということだった。生きる力がないとは、社会の中で起こるトラブルに対して処理する能力が著しく欠けるという意味らしい。

彼はそのことをこのように分析していた。

学校というところは、生徒の疑問・質問に答えなけれならないところだ。生徒の分からないところを、分かりやすく教えてあげられる先生がよい先生である。それは言い方を変えれば、質問・疑問に対して、生徒に回り道をさせず、最短距離を示してあげられる先生が良い先生であるということだ。

しかし世の中に出てみると、答えのないことの方がほとんどだという。

明確な答えが用意されていて、聞けば答えが返ってくることを当然のことだと考えていた生徒にとって、自分の頭で考えるとイライラしてしまうのだそうだ。

しかしだからと言って、もし将来の為を思って「安易に先生に聞かずに、まずは自分の頭で考えてみなさい」と生徒に言ったならどうなるだろうか。その話はすぐに親に伝わり、親からのクレームにつながる。

たとえ先生が自分の頭で考えられる人間になってもらいたいがために、そう言ったとしてもだ。

この問題に対しても明確な答えなど存在しない。

その先生は、生徒が自分で考えられる人間に育つには、どうしたいいのかといろいろ試行錯誤して考えたそうだ。そしてたどり着いたのが、想像力を身に付けさせることだったそうだ。「この問題はこんな見方ができるのではないか」と想像できる力を育てれば、自分で考える力が身につくと考えたのだ。

そして想像力を身に付けさせるために何が最も効果的かと考えてたどり着いたのが、読書だったそうだ。その先生は塾で生徒に積極的に読書を薦めているという。

なるほど、これは私が子供たちに教えていることと重なる。やはり私がやっていることは間違っていなかったと改めて思ったものだ。


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反比例

2014-11-15 21:08:40 | 真逆の世界のルール
私は旅が好きだ。若いころは世界中を放浪していた。

旅をしていていつも不思議に思うのが、背負っているバックパックのみで半年だろうと、1年だろうと生活できてしまうということだ。実際1年6カ月、一度も日本に帰国することなく、バックパックのみで生活していた。

放浪の旅をしていた時は無駄なモノは荷物になるので極力持たないようにしていた。人生でもっとも楽しかったあのときは、モノが一番少なかったときであった。

最近思うのは、人はモノがなければないほど、幸せを感じるのではないだろうか?別な言い方をすれば、人生の幸福度はモノの量に反比例するのではないだろうか?

今でも私が質素な旅を愛する理由は、そんな人生の充実感を味わいたいがためなのかもしれない。

イエスや仏陀、世の聖人聖者と言われる人たちは、みな質素な生活をしていたようだ。モノが少ないぶん、心は満たされていたのではないだろうか?

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真逆の世界のルール

2014-10-25 08:58:01 | 真逆の世界のルール
昔、北浜倶楽部という相場掲示板があった。優利加さん、黒田半兵衛さん、ロックフェラーさん、goldwin10さん、toppyさんなどすごい相場師たちが書き込みをしていた。

その中に秘密の小部屋さんという相場師がいた。

その文章から当時(2001年)で50代後半、相場のみで普通の人と同じ生活をしていると書いていた。

すでに相場道を達観し、武道で言うところの枯れの領域に達している感じがした。

多くの含蓄のある文章の中で、真逆の世界のルールを数例あげていた。

● 便利な銀行とは、不便な銀行である。(不便な銀行にお金を預けると、下せないのでお金が貯まる)

● 新聞で宣伝している投資信託は、最悪の投資商品である。(時流に乗っていない)

● 大底で買い、天井で売った投資は失敗である。(遅すぎる)

● もう少し給料が上がったら解決すると思っている問題は、たとえ給料が上がっても解決しない。

● ハイリスクだと思うものはローリターンであり、ローリスクだと思うものはハイリターンである。


この世の常識を逆から見ると、別の世界が見えてくる。


最近私が考えるのは、

● 株式相場では買い方目線からしか表現されていない。(売り方目線を見たことがない)

● 銀行で売られている投資信託は、最悪の商品である。(投資家の儲けよりも銀行側の儲けが優先される)

● アクティブ型投信の運用成績がインデックス型投信に負けている。(優秀な人材と最新の情報を駆使しても勝ち続けることは困難であるという事実)

● 夢のマイホーム?(家を買って借金返済の悪夢にうなされている人を何人も知っている)

● 高校を卒業したら即就職する、大学を卒業したら即就職する。これでいいのか?(人生の選択肢がないように感じるのだが)

● 会社を辞めることは恥ずかしいこと?(40歳で会社を辞めて、1年間自由時間を過ごせたのは正解だったと思っている)




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ルサンチマンの戦場

2012-06-17 10:37:48 | 真逆の世界のルール
実業の世界では、明るく、行動的で、人脈が広く、シャープな頭脳、素直、思いやりがあるなどなど、いわゆる陽性の人々が成功し、こういう人たちの天下になっている。

しかし私のようにどうしても陽性になれない人間もいる。他人と同じなんて絶対嫌だ、偏屈、人見知り、怠け者、仕事が続かないなどなど、陽の世界からはじき出される人々だ。

しかし神はそう言う人々のための世界をちゃんと用意していて下さっている。それが芸術・文学の世界であり、宗教の世界であり、何らかの創造に関わる世界である。実は相場もこの領域に属する。

明るく、成績優秀なスポーツマン、家庭は裕福といった青年が、もし小説を書きたいなどという願望にとりつかれたとしたら、彼の幸福な人生経験は最悪な経験に凍りついてしまうだろう。

なぜなら小説を書くには、イジメ、登校拒否、両親の離婚などの不幸な経験が正に至福の経験へと昇華されるからだ。

相場とは本来実業の世界から締め出された人々が、その恨みを込めて孤独な戦いを挑む、ルサンチマンの戦場なのだ。
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