「風の時代」を生きる

人生に必要なのは、勇気と想像力、そしてsome moneyだ。

チャールズ・チャップリン

Bさんへの手紙(後編)

2020-04-26 10:37:03 | 株トレード
Bさん、さて、人はいったいどういう順番で、相場と関わりを持っていくのでしょうか。

ここで、最も一般的と思われるパターンを解説しながら、その過程で、何を克服すれば良いのかを、書いてみたいと思います。

人は決して坂道を登るように、成長していくものではありません。階段を上るように、という比喩は必ずしも的確ではありませんが、変わらない平坦な成長なき道が続き、あきらめたその時、それでもあきらめきれなかった者にだけ変化が訪れ、そう、一気 にひょいと1段、成長の階段を上る、そのように成長していくものなのです。

相場の場合通常、その成長は5段階になっています。

どうか一切の自らへの甘えを削ぎ落として、冷酷に自分が今、どの地点に立っているのかを、確認してください。
この掲示板にも溢れかえっている、上がった儲かった、下がったどうしよう、そんな甘ったれたさざめきの一切を拒絶して、無知で無力で心脆弱な、それ以上でも以下でもない等身大の自らを、しっかりと見つめてください。

さて、人はまず相場を始めると、何よりも「上がる銘柄探し」に熱中し始めます。
これが第1段階で、相場に関しては、たとえ何10年のキャリアがあろうとも、全くの素人、本人は相場をしているつもりでも、実は宝くじを買っているに過ぎないという、段階です。

最近はあまり見かけなくなりましたが、証券会社の店頭にたむろしている人々の例の挨拶代わりの言葉、「何かいい銘柄はない?」という段階です。

この人々に特徴的なことは、買った銘柄は、短期間に上がるものだと思いこんでいることです。
銀行のほとんど無利息のところには、何年間も平気でお金を置いておきながら、ひとたび銀行預金を下ろして株を買うと、すぐに上がらなければ納得しなくなるのです。

ここが証券会社や〇〇先生の辛いところで、銘柄を推奨した後、それが下がってはいけないのです。
わずか1割2割の、正に取るに足りないさざ波のような下げにすら、これらの人々はあまりに敏感に反応します。

となれば、証券会社も〇〇先生も、銘柄推奨は順張りに徹せざるを得なく、ある程度上昇が確認された時点で、推奨せざるを得ません。
となれば、推奨した時が高値だったということも当然にして起りうることであり、それで文句を言うのは、実は自らの精神的脆弱さを、露呈させているに過ぎません。

デイトレの方は別にして、よく「私の投資スタンスは、短期順張りです」という人がいますが、これは実は投資スタンスでもなんでもなく、ただ単に買った銘柄が下がるのは嫌だ、すぐに上がらなければ嫌だ、という、子どもが駄々をこねているのと変わりがない、自らの投資技術の未熟さと精神性の幼稚さを、表白しているに過ぎません。

世界も相場も、私達から遥か遠く離れたところで、私達とは何の関わりもなく動いているのです。

相場は、大回り3年ですから、3年から5年程度は、それでもやっていけるかもしれませんが、 相場というものが最低10年単位の視座を持って対処しなければならないものである以上、「短期順張り」で資産を残すことも、相場で生活することも決してできません。

もっとも、損きりを徹底的に遵守する、といったことを励行するのならば、あるいは可能かもしれません。

ただそれができる人は、すでにこの第1段階にはいないのであって、この「無節操なる上がる銘柄探し」に熱中する人には、そんな事は全く無理なことになります。

というのも、この段階の人は、そもそも「価格の変動」ということに、ほとんど経験がなく、相場という、揺れ動くアトランダムなる価格の変動に、ソワソワドキドキ、その身を蝕まれてしまっているからなのです。
いったん株を買ったら、毎日その値段を確認しなければ落ちつかない、そして一喜一憂するこの人々は、2度や3度ならともかく、継続的計画的に損きりを実行する、等という事は絶対に不可能なのです。

何故だかわかりますか。

当然本人は否定するでしょうが、実はこの段階の人々は、潜在意識の奥底で、この不愉快極まりない、自分の思い通りにならない価格変動の不安定さから逃げ出したいと考えており、しかもその反作用として否応なく相場に捉まえられており、そのために損している銘柄は、損きりよりも塩漬けにすることを選ぶからなのです。
超能力を否定する人々が、それでも無意識の奥底で、ひょっとしたら、という思いを抱いてお り(もしその思いがなければ、人は全くの無関心でいるはずです)、ために超能力にやけに詳しくなる、という傾向と同じ精神性を持つ、といったら、理解していただけるでしょうか。

損きりをした場合は、それなりのお金が手元に残りますので、また再び不愉快な価格変動の渦の中に、わが身を置かざるを得ません。
ところが塩漬けにしてしまえば、それでジエンド、諦めと共に、その不愉快さからある程度の距離を保っておくことができるのです。

間違っても、そんなバカな、と思わないで下さい。

それではどうしたら、この第1段階を卒業して、次の入門の段階に、進むことができるのでしょうか。

それにはたったひとつの、ただしかなりに困難なことを、自らに課さなければなりません。
たったひとつのこと、それは「相場に対して決して腹を立てない」「腹を立てない自分を作る」ということです。
その方法は、この次に。

でもね、本当のこと、何処まで書いていいんでしょうか。本当の事ほど、人は即座に感情的に反発するので、この国では建前しか、語ってはいけないことになっているのですが。

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Bさんへの手紙(前編)

2020-04-19 00:37:39 | 株トレード
Bさん、お元気ですか。

細かい話はいずれするとして、さっそく相場の話をしてみたいと思います。

まず真っ先に、相場に対処するに際しての、基本的なコンセプト、自らの拠って立つ場所を明確にする、一行の短いメッセージを、自分自身に向かって発しておかなければなりません。

私の場合、20年近く以前に某投資雑誌で見かけたいささか風変わりな読者投票、「あなたの一番好きな相場格言」で、圧倒的な1位を獲得していた格言を、自らの相場の拠り所にすることにしました。
それはそれこそ誰一人知らぬ者のない、例の格言です。 曰く、「人の行く 裏に道あり 花の山 いずれにしても 散らぬ間に行け」

この格言がかくも人口に膾炙し、実に長い年月に渡って愛されてきたと言うことは、そこに間違うかたなき相場の真実が秘められているのではないのか、と考えたからです。

ところでBさん、あなたはこの格言を、どのように理解されていられますか。 「花」とは当然桜を意味しているのですが、もしかしたらBさんも、他の方々と同じように、人の行く裏を行けば花の山に行きつく、即ち利益を得られる、ということだと、勘違いされていられるのではないでしょうか。

この格言は本来連歌であり、「人の行く 裏に道あり 花の山」と言う発句に、「いずれにしても 散らぬ間に行け」と言う句を、つなげたものです。
となれば、発句で一番大切なのは、いわゆる「切れ」になります。 この発句は当然「人の行く 裏に道あり/花の山」と切れます。
つまり、花の山は前の上五中七の両方に係り、決して花の山に行きつくのではありません。

まず花の山があり、人々も花見見物にその花の山の道を歩いており、その人々のさざめく道の裏側にも道はあるのですよ、と言っているのです。 ですからどちらの道を行くにしても、散らない間に行きなさいよ、という後半が存在するのです。

Bさん、私がどうでもいいことを、何グダグダと言っているのだとお思いですか。 しかしここでじっくりと考えていただきたいのです。

人々の行く道を行く(人気株の順張り)、その裏の道を行く(不人気株の逆張り)、どちらを行っても、散っていなければ花はありますし、もし散ってしまっていれば花はないのです。 その確率が共に2分の1だとするならば、なればこそ絶対に裏の道を行かなければならないのです。
何故だかおわかりになりますか。

世の中は通常、例の80対20の法則で動いていますが、「金持ち父さん 貧乏父さん」のミスターキヨサキは、金融の世界では、90対10だと言っています。私も彼の考えに同意します。

今仮に花が100あったとしてみましょう。 90人が歩く道では、1人あたり100÷90で、1強の花しか手に入れられません。 ところが10人が歩く道では、100÷10で、1人あたり10の花を手に入れることが出来ます。
これが、裏の道を行かなければならない、理由です。

こんな解りきった、明々白々たる理由があるにもかかわらず、人々は何故、表の道を歩いていくのでしょうか。 確かに表の道のほうが、花が多いのかもしれません。しかし裏道の花が仮に50だとしても、1人あたり5の花が手に入ります。

何故人は、表の道を歩くのか。
それは、山だからなのです。
表の道はさほど起伏もなく、道も充分に広く整備されています。
しかも証券業界が、警備員まで派遣して整理にあたってくれています。
裏の道は、当然狭く、道は急で、一汁二汗かかなければならず、しかも前後左右、人の影は 見えない心細さが待っています。

更に悪いことには、表の道にも確かに妖艶に花は咲き誇っていて、人々をあやしの世界へいざなっているのです。 ただし、花の総量は多いとしても、1人あたり1強でしかない花が。
Bさん、どうか近道を行かずに、近い道を行ってください。

この格言から、相場を始めたばかりの当時の私が汲み取った、基本的な考え方は、以下のとうりです。
「常に少数派であること、それも90対10の10人以下である少数派であること」

しかし人間が常に群れを渇望し、安全を希求する存在である以上、このことが決して安易な道ではないことも、すでにBさんには骨身に達して解っていられると思います。
それではどうすれば道は開けるのか。
次の手紙では、人は相場とどういう順番で関わっていくのか、を、5段階に分けて説明しながら、その方法を探ってみたいと思っています。

ところでひとつ、余計な話をしていいですか。
俳句の「切れ」に関しては、それを知らない人々がたくさんの誤解をしています。一例を挙げれば、あの日本一有名な俳句、芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」ですが、これは当然、古池や、で切れます。
となれば、蛙は古池に飛びこんだのではありません。

芭蕉の前に古池があり、近くの川に飛びこむ蛙の音だけを、芭蕉は聞いたのです。もし目の前の古池に蛙が飛びこんだのならば、「古池に蛙飛び込む水の音」となり、飛び込むで、切れることになります。 従来、見るもの、鳴き声を聞くものであった蛙と言う卑俗な存在を、芭蕉は飛びこむ音に注目することによって、ワビサビの段階に引き上げ、そこにこの句の名句たる所以があるのです。

奥さんに話して少し自慢してください。 もっとも、あんた、だから何なのよ、と言われてしまうかもしれませんが、ね。

知る、ということは、悲しいことなのです。 知れば知るほど、人は、この世の中が如何に自分と関わりのないところで動いているか、ということを、否応なく知らされてしまうからです。

相場に関しても、如何に自分が知らなかったかと言うことを、悲しみをもって認めていかなければなりません。
でもねBさん、自分の無知を無力を知ったとき、悲しみはやさしさに変わるのだ、ということも、 同時に覚えておいてください。

つまらない事を書きました。
また、手紙書きます。
お元気でね。


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米中戦争

2020-04-16 22:28:49 | その他
先回

コロナウィルス騒動に対する違和感

という記事を書いた。

その中で、「ただただ、マスコミの流す情報を鵜呑みにするのではなく、その背後にある者の意図を考えながら、行動をとっていきたい。」と書いた。

【速報】 中国 秘密の核実験 トランプ政権も新型核兵器配備へ【及川幸久−BREAKING−】


今日、上の動画を観た。

この動画を観て、もしかしたらという仮説が浮かんだ。

アメリカは本気で中国と戦争をするのではないか?

このコロナウィルス騒動は、核汚染時の予行練習なのではないか?

そう考えるとすべての疑問が解消される。

いかにコロナウィルスが恐ろしいかをアピールした「イギリス首相のコロナウィルス感染騒動」もその一環だと考えれば納得する。

あまり感染者のいないタイの首都バンコクが、ロックダウンをしたことにも納得がいく。

以前の動画でニューヨーク市の騒動が実はフェイクなのではないかというのも、核ミサイルが落ちた時の訓練だと思えば納得がいく。

今日の日本全ての県で実施された、緊急事態宣言も、「来る核戦争に備えてのもの」だと考えれば納得がいく。

もしこの訓練なしで、東京に核ミサイルが落とされたら、大パニックになっていることだろう。

中国の周りの主要都市も核が落とされるかもしれない、そのための訓練だと思えば納得がいく。

今回のこのコロナウィルス騒動によって自宅待機に慣れていたなら、比較的パニックは少ないのではないだろうか?

テレワークの推進も、核汚染時の外出できない時のネットワーク構築のためではないだろうか?

世界のリーダーたちが、「核兵器保有国同士の戦争」というアメリカの決意を知った。

それゆえ、あえて各国メディアに、フェイクニュースを流させているのではないだろうか?

今や中国の武漢発祥のコロナウィルスで世界中が迷惑を被り、「中国憎し」の機運が高まっている。

もしアメリカが中国相手に戦争を始めてもすべての国が支持することだろう。

世界の世論を味方につけたアメリカ軍の準備が整えば、いよいよ「米中戦争」がはじまる。

そんな気がしてならない。




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コロナウィルス騒動に対する違和感

2020-04-11 21:48:24 | その他
今コロナウィルスが流行っているが、何か変だと思わざるおえない。

なんでこんなにも大騒ぎをしているのだろうか?

毎年、もっと多くの人が、肺炎で命を落としているというのに・・・。

まるで、先の戦時下の時のようだ。

何者かが、この騒動を利用して、何かをしようとしていると思えてならない。お金儲けのためだろうか? 新しい秩序形成のためだろうか?

日本は78年ごとに大きく変化すると言われている。

明治維新(1867年) - 大東亜戦争終結(1945年) - 「  ?  」(2023年) 

明治維新の78年前の1789年は、日本では特に大きな事件は起きていなかったが、ヨーロッパでは、それまでの秩序が大きく変わる、フランス大革命が起きた年だ。

この大革命によって、それまで社会を動かしていた王侯貴族がギロチンに処せられ、市民による新しい社会が始まった。

まさに大変革の年だ。

リズム的には今回の騒動で、日本国もしくは世界が大きく変わるかもしれない。

何か、それくらい大きなものの力が動いているように思えてならない。

「CHENGE」は「CHANCE」と言われるように

ただただ、マスコミの流す情報を鵜呑みにするのではなく、その背後にある者の意図を考えながら、行動をとっていきたい。

もしかしたら、今までの価値感が一夜にして、ガラッと変わってしまうことが起きるかもしれない。

「円」の価値が、一夜にしてなくなるかもしれない。

YOUTUBEで面白い動画を見つけたのでアップしておく。

多くの人が、薄々感じているようだ。

コロナウイルス【過去最高にヤバい話をします、特に最後】マスコミの大嘘と世界政府、不安で思考停止にさせられていない?


ちょっとふざけた動画チャンネルだが、私が感じている違和感を代弁してくれている。

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誰も書かなかった株式投資 (四)

2020-04-04 11:17:29 | 株トレード
* そしてそれから(4)

基本的な知識の本ですが、これは本当の初心者に限って少し詳しめの本を1冊、さらっと、解らないところは飛ばすくらいの気持ちで読めば、それで充分だと思います。むしろ実際の売買を始めてから、時々パラパラと暇つぶしに、ちょうど辞書をひも解くような感 じで読んだ方が、思い当たる点が多々出てきて、はるかに有益でしょう。

野球をするのに、野球の本を読んだだけでは、決して上達しないことはどなたにも異論はないと思われます。 それは当然、そこに肉体的な動きが必要とされるからですが、相場の場合、肉体的な動作が 皆無ですので、誰でも簡単に売買ができると考えてしまいます。

しかし以前「相場物語」にも書きましたが、私は動きには、身体、頭、心の3種類があると考え ており、基本的にあらゆるスポーツでも趣味でも仕事でも、その3つを足した総量は同じではないのか、という仮説を抱いています。

例えばスポーツで言えば、ゴルフは野球より身体の動きが少ない分、特に心の動きが大きくなり、マラソンなら、野球より身体の動きが多い分、いったん走り始めてしまえばランナーズ・ハ イ、頭や心の占める割合は、比較的小さくなるのではないでしょうか。

相場の場合、身体の動きは限りなく0に近いので、その分だけ頭や、とりわけ心の動きが大きくなっているのです。ところが、身体の動きに比べ、心の動きははた目には一切見ることが叶いませんので、極く簡単なことのように思ってしまうところがあります。

しかし極めて少数の本物のプロなるものが、株を、疾(と)きこと風の如く買い、除(しず)かなること林の如く待ち、侵略すること火の如く売り、動かざること山の如く休むという時間の連続性の中で、どのように心を揺り動かしているか、あるいは逆に、一切心をかき乱されない不動の信念 でいるか、その心的エネルギーのうねりと方向性のあり様は、とてもアマチュアの皆さんの想像できる範疇ではありません。

相場が野球にたとえられることがほとんどなく、ゴルフにたとえられることが多いのは、ゴルフ がそれだけ、心理面に依拠するところが多いスポーツだからなのです。 (そこで当然、この「誰も書かなかった」シリーズでは、いずれ野球にたとえて解説してみたい と思います。 川上の赤バット大下の青バットに始まり、野村、長島、王、落合を経て、イチロー、松井、中村、古田に至る、「誰も書かなかった」驚くべき内容であることは保証しますが、果たしてそこま で辿りつけるかどうか、シリーズTHREEの予定ではいるのですが、ムムム)

仮に相場をスポーツにたとえるとするなら、私は、単独無寄港世界一周ヨットレースにたとえたいと思います。

時化にあったりマゼラン海峡を通過する時は忙しく立ち働きますが、それ以外は、たった一 人、瞬く星々を唯一の慰めとしながら、されど身体はヨットに横たえていながらも常に波間に茫々と漂い、ヨットの揺れはそのまま休まることなき心の動き、しかも板子一枚下は地獄。

まさしく相場は、単独無寄港世界一周ヨットレース、たとえどんなにリードしていたとしても、い ったん氷山にぶち当たってしまえば、それですべてはジ・エンド。

ですから、相場も野球やゴルフの身体の動きと同じく、ともかくも経験してみなければ解らない、心理面の複雑なゆらめきがあるのです。それは目に見えないが故に、かえって難しい部分を抱えこんでおり、何はともあれ経験するこ とによって初めて本に書いてあることを理解する、という事は無数にあるのです。

私やtrader21さんが、バーチャル投資に否定的なのも、買っても売っても損もしなければ利益も手に入らないようなゲームは、いくら成功したところで、恐怖と欲望をいかにコントロールできるか、という、相場の最も本質に迫る心理面を学ぶことは出来ないことを、理解しているからなのです。

否、そればかりか、バーチャルで上手く立ち回ることによって、かえって誤った自負心をふくらませ、間違った方向に進んでいってしまう例(とりわけ儲かる銘柄という青い鳥探しの落とし穴 に陥ってしまう、そして待っているのは散る散る(チルチル)お金、満ちる(ミチル)損が多いこ とを知っているからなのです。

あんなものは証券資本の子供だましの単なる客寄せ、近づかないこと、くわばらくわばら、相場師には値動きがすべて、あとはお遊び、そう、こんな書きこみも所詮は余技余技、ムムムムム(多すぎた)。
役人さんだって、予算の5億10億、他人のお金、ポンポンポンと簡単に配分して、いざ自分のお金となると、5万10万、ケチって渋ってなかなか払えない、そんなところですね。

さて、次にOの情報は知識ではない、ですが、結論を先に言ってしまえば、やれ日本経済の行く末だとか、様々なテーマに関する情報だとか、半導体の受注動向だとか、NYダウの成り行きだとか、そういった情報は、たとえいくら詳しくなったとしても、相場で利益を上げることとは何 の関係もない、利益を上げる知識ではない、ということです。 (だってそうでしょう、そんなので本当に儲かるものなら、誰だって必死に勉強しますがな) こうした情報は、通常「評論家的知識」といい、評論家やアナリストが相場の実践家ではなくその技量があまりに未熟であるように、こういった知識が豊富になればなるほど、実は相場の利益は上がりにくくなるのです。

こうした情報に詳しくなることが相場の勉強の重要な一つだ、と考えている人は驚くべき数に上っており、もしかしたらこの点が、人々のまず第一に陥ってしまう誤解の道行きなのかもしれません。

(もしかしたら、〇〇先生が、あえて株式評論家の肩書きを使わずに、株式アドバイザーを名乗っておられるのも、そうした評論家的知識は他人に任せて、あくまでも銘柄一筋、あくまでも 個人投資家の応援団に徹するという、意思表示なのかもしれません。
そこでシリーズTWOでは、〇〇先生をいかに効果的に活用するか、が、主要なテーマになります。ご期待下さい、そのためには不愉快な書きこみやメモをしないこと)

大体そんな情報は、新聞や雑誌をパラパラめくるだけで、あっという間に溢れるばかりの数量を手に入れることが出来、ものの小1時間も読めば誰だっていっぱしの口は利けるようになり、 とても勉強などといったおこがましいものではありません。ましてやこのネット社会では、いわずがもが、何ほどのことがあるでしょうか。

例えば去年いささか話題になった「都市再生」、皆さんもそれなりに情報を集められたと思いますが、それが今、どれほど必要な知識として残っているでしょうか。

そのあと仮に「新規公開株」に夢中になったとするなら、頭の中の「都市再生」が、そのまま 「新規公開株」に置き換わっただけではないのでしょうか。それが、情報は知識ではない、の、本当の意味合いなのです。

実はそうした情報は、恐らくあなたが興味を抱いた時点でかなりの部分、株価にはすでにおり込まれており、そのおり込まれている度合いを測ることこそが、必要とされる本物の知識になるのです。 そんな難しいことが果たして可能でしょうか。それはどういった過程を経て、可能となるのでしょうか。

幸いなことに皆さんは、その最良の事例を目にしています。 それは、まるでパイプの煙がたゆたってくるような名前をお持ちの〇〇〇さんの、素晴 らしい書きこみなのです。


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誰も書かなかった株式投資(参)

2020-04-04 06:58:39 | 株トレード
* そしてそれから(3)

株式投資本を手にしたとき、あなたはまず真っ先に本の後ろを開いて確認しなければなりません。 それは後ろのページに、「問い合わせ先」が記されているかどうかという事です。

勿論例外は常にあるのですが、「先へお問い合わせ下さい」などと書かれてある場合、かなりの確率で、 投資顧問や投資ソフト等の勧誘を目的とした「客寄せ本」の可能性があります。なれて来れば著者や出版社で見分けられるようになりますが、初心のうちは、これが最良の見分け方です。

勿論、一概に「客寄せ本」のすべてが悪いというわけではありません。彼らもとにかく商売をしなければいけませんので、意外と初心の方にも易しく解るように書かれている本も多く、基本的な知識を身につけるには、四角張った本よりも読みやすいものです。

しかし絶対に、書かれてある利益的な部分は、信じてはいけません。あなたが魅力を感じ心そそられる部分が多いほど、その本に盛られたウソの量も又多いといえるのです。

こんなことを細かく書くのもバカらしいので簡単に触れるだけで止めておきますが、彼らもさすがウソのプ ロ、そのウソには実に巧妙な仕掛けがされており、代表的なのは、真実を語ることによってウソをつくやり方です。

つまり、「言うは小ウソ、言わざる大ウソ」というやつで、真実を語っていながら真実のすべてを語っているわけではない(都合の悪いところは言わない、相場で言えば儲けを騒いで損には沈黙、というおきまりのやつ)という、子供の得意とするウソと同じパターンです。

最近はなかなか手も込んできて、単に成功話だけではなく、そこそこ損の話も混ぜながら、かなりリアリ ティーのある内容になっていますので、とりわけ初心の方々は注意が必要です。

私のところにもどこで調べるのかこれまで本6冊プラスビデオ2巻が、頼みもしないのに送りつけられてきました。そんな苦労までしてウン十万円を稼がなくても、彼らの言う通りなら相場でチョコチョコッと動きまわれば、すぐにそのくらいの金額わけもないと思うのですが、どういうことなのかおわかりですね。

ウソのつき方は、所謂子供のウソ4か条をそのまま使っていて、子供はウソをつく以外にわが身を守る 手段を持ちませんから仕方ないのですが(しかも子供のウソは、想像力と創造力の源泉になりますが)、 子供のウソと同じ大人のウソは何かうら寂しく、しかもそれにまんまと乗ってしまう大人達のいる風景は、 荒涼としたうすら寒さを覚えずにいられません。

こんな下らない話はこの辺でやめておきましょう。ともかくもつまるところ、そういうことだということなのです。

(それにしても、幼少のみぎり、私が熱中したこと2つ、いかに上手にホラを吹くかと勝率7割のじゃんけん必勝法、なんと嫌な子供だったのでしょう。 そのときのまま、いたずらに齢(よわい)のみを重ね大人になってしまいました。 じゃんけん必勝法の研究が、相場の工夫に変わったことだけ、あな侘し)

もっともだからといって、相場の世界をいたずらに恐れる必要はありません。 どんな世界もこの手の話に溢れかえっており、相場の世界も単に、その一部であるに過ぎないのですから。
「客寄せ本」に関していえば、多いのは健康、医学、美容、教育、宗教、自己啓発などで、もしかしたら 「不安産業」という括り方が出きるのかも知れず、それならば相場など、正にその典型だといえるでしょう。

さて、まともな話に進みましょう。株式投資本を以下のように種別分けしてみます。

ア、初心者向きの基本的な知識を書いた本
イ、日本経済や株式市場の今後を展望し、有望な業種や銘柄を取り上げた本
ウ、独自の投資手法を公開し、解説した本
エ、投資に関する心構えや格言など、実践の途中における注意事項を、主として心理面に重きを置いて 書いた本
オ、その他

勿論、実際はこのようにはっきりと分けられるわけではなく、イとウ、ウとエといったように、重なり合って書かれていることが多いようです。

しかしいくらなんでもこの分類では、「誰もが書いている株式投資」になってしまいます。 そこでこの「誰も書かなかった」シリーズでは、以下のように分類してみたいと思います。

0、情報は知識ではない
1、すぐに役に立つ情報は、すぐに役に立たなくなる
2、役に立ちそうな情報は、なかなか役に立たない
3、役に立ちそうもない情報は、まったく役に立たない

なんだ、それではまったく役に立たないではないか、と思われるでしょう。
そうです、「投資本」なるものは、まったく役に立たないのです。
ただ寝転がって、読んでいる限りは。

その役に立たないものを、役立つようにするには、そこに新たな認識と方法論が必要になってきます。しかもその認識と方法論は、1と2と3とではそれぞれ異なっているのです。

そのことについていよいよ解説を始めたいと思います。勿論「誰も書かなかった」こと、皆さんが初めて知る人々になりますが、果たして納得されるかどうか、どうでもいいけど。

序文がようやく終わり、いよいよ本論が(ホンの入り口ですが)始まろうとしています。
ただし、面白くなってきたぞ、と喜んでいるのは筆者ただ一人きりなのかもしれません。
それもまた、いい日旅立ち、きっと人生は風に似ている(久しぶりに)ムムム。

(以下次回)

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