急げ悲しみ 翼に変われ
急げ悲しみ 翼に変われ
まだ梅雨の最中・・・のはず。
空は快晴。
風は熱風。
気温は、40度近く。
梅雨が変わった。
石鎚の山が、くっきりと見えている。
怒涛のような6月を終えた。
まごの手も、池さん印のお弁当も、6月リニューアルオープンと同時にハイペースで進んでいる。
大汗かきながら、毎日沢山の献立を作っていく。
のぼり旗も、室内も、お弁当箱も、メニューも、味付けも、こだわりの産物。
意見の集約にも並々ならない時間を費やした。
お陰様で、リピーターも方が増え「美味しかったから、また来ました。」と笑顔でやってきてくれる。
毎日来てくれる方もいて、いつも一人分は予約席にスタンバイしている。
少しずつ、変化したりしながら、池さんらしく心のこもったお弁当を届けたいと思っている。
デイの方も多くの変化があった。
6月は2人の人を見送った。
長い間一緒に過ごしたのだから、喪失感につぶされそうになる。
寂しさを抱えながら、いつものように皆笑顔で生きている。
寂しさや辛さを抱えながら、毎日元気に働いている。
ずっと前、同じ時間を過ごした美代ちゃんを見送った時、心の中の空洞を長い間埋めることができなかった。
毎日時間は過ぎていくけれど、夜になりいつもの空間にその人がいないことを感じると、無性に寂しさがこみ上げてきて、長い間、その感情が消えることはなかった。
時間が解決するのでもなく、だんだん記憶が薄らぐわけでもなく、
日に日に、いろんな想い出や肌の感覚が蘇ってきた。
そして気づいた。
この世界での形はなくなるけれど、その人が生きた証は、自分の身体の中に刻まれてゆくのだと。
決して消えることのない記憶(感覚)として、身体の中にはっきりと刻まれるのだと。
だから時間がたっても、忘れたりしないのだと思った。
亡くなっても忘れたりすることはないのだと気づいた。
今でも、はっきりと思い出せるほどに、その感覚は、私の中に確かに残っている。
ここで生きた沢山の人たちが生きた証である「その人の感覚」が、はっきりと残っている。
息遣いや、匂いまで、ふとした瞬間に蘇ることがある。
そして、その頃のいろんな想い出が心に満ちてきて、私は暖かい気持ちになれるのだ。
死にゆく人が納得してその命を終えることができた時、
その場所にいた人もまた、「その人の生きていた感覚」を、確かなものとして納得して身体の中にしまうことができる、そんな気がしている。
見送った人たちの記憶は、いろんな瞬間に鮮やかに蘇り、その人の物語を語らせてくれる。
大切に想う人の記憶を、大切な人の物語を、これからも丁寧にしっかりと紡いでゆける池さんでありたいと心から思っている。
複雑な「こころ」の世界 という題名の宗教学者の人のコラム
河合隼雄さんのことが語られていたので心に残っていた。
コラムの内容は、複雑な「こころ」の世界を「可視化」しようとするかのような言葉の増加を憂いている。
例えば「やばい」という言葉は、①あぶない・②まずいという意味のほかに、③すばらしいという意味もあって、21世紀になって広まった言い方という解説までついて、意味は反転・逆転して使われるようになっている。
「やばい」という一言で、複雑な「こころ」を言い表そうとしていると。
2004年に開催された国際アルツハイマー病協会の国際会議で故河合隼雄さんが特別講演の中で
「患者は物語をもって病院へ行き、診断名だけをもらって帰る」と語ったそうだ。
ここで批判的に語られたのが、「可視化」された病名だ。
病名をつけるだけで、診断名を下すだけで、機械的で画一的な治療に流れる危険性が生じる。
・・・
患者も年寄りも、それぞれが様々で唯一無二の物語の人生を生きている。
だれも、その人生の中の大切な「こころ」を知る由もない。
その独自の人生を、疾患のみによって判断され、治療の対象者としてしか見られない、そんな簡単なものであるはずがない。
その「こころ」のありかとゆくえは、簡単に他の人に想像できるものではないだろう。
全てを可視化しようとすると、複雑なこころは、曖昧な解釈にたどり着いてしまうに違いない。
病気の診断を下すことと、適切な治療を行うことと、物語を生きる人を続ける「人」を知ろうとすること、その人の生きる物語の先を想像することは、決して無関係ではないはず。
人のこころは複雑。
決して簡単に可視化できるものではないと思う。
「やばい」という簡単で薄っぺらな言葉にできるはずもない。
そんなふうに感じたこのコラム。
人を人として考えてない場所があったり、どうでもいい扱いされた人がいたり、ただの利用者でしかなかったり、訳の分からん年寄り扱いだったり、そんな場面に遭遇することがいっぱいで、心が痛くなることが多い。
人のこころは複雑だし、短い言葉になんかならないはずなのに。
でも、簡単な言葉に置き換えて、数値だけにこだわって、効率だけを追いかけて、機械のように介護する、そんなもんじゃないはず・・・なのに、現実は、そんな方向へと向かっている。
5月ももうすぐ終わる。
楽しみにしていたサクランボは、気候のせいか今年全滅。
麦の借り入れのコンバインの音が毎日聞こえ、目の前の麦秋は田植えの準備に変わっていく。
温暖化の影響か、昔とは違うけれど、季節の変化は、それでも変わらずにやってくる。
どんな時も。
目の前に黄金色に色づいた麦の畑が広がっている。
新緑に輝く木々が山を覆っている。
一年で一番エネルギーを感じる季節。
そこら中に満ち溢れる命のいぶきに心動かされる季節。
そんな春のある日の出来事。
3人暮らしの家族。
80代後半の父親と、引きこもっている2人の息子。
お兄ちゃんは車の運転はできるけど、人付き合いが苦手らしく、長年引きこもっている。毎日届けるお弁当を、窓から手だけ出して受取ってくれる。
弟は車の運転はできないけれど、携帯を持っている。時折、デイサービスへ出かけているらしい。丁寧で物静かな人。
3人は、毎日お弁当を頼んでくれる。
男だけの3人家族。
息子たちは家の中だけで過ごしているようだが、父親が元気なおかげで、家はそれなりに整えられ、庭の掃除もされていて、近所付き合いはないけれどきちんと暮らしている様子がうかがえる。
そんな3人が暮らす家。
ある日、お父さんから電話があった。
「身体の調子が悪いけど、どうしたらよいかわからないので、教えてほしい。」
息子たちも頼りにならず、一人ではどうすることもできないのだろう。で、昼前に様子を見に行くことにした。
1回目に行った時、山へ行ったからか身体がしんどいと訴えがあったものの、病院へ行くほどでもないということだった。不安が大きくて電話をしてきただけなのか、でも気になる。
で、夕方もう一度行ってみる。
家の掃き出し窓から声をかける。
お父さんはテーブルにつかまりながら出てきた。
「山へタケノコを取りに行ったのが堪えたのか、いよいよしんどい。足が痺れたような気がする。」
「吐き気とかは?」
「いや~それはない。でもご飯が食べれん。」
山を上がったから足腰に負担がかかったのか、脱水なのか、頭のほうか・・・いろいろ考えながら、「病院へ行くのだったら一緒に行くよ。その方が安心よ。」と声をかける。
「いや~薬はたくさんあるから、病院へは行かん。」面倒なのか、どうなのか、でも行かないと言うのでとりあえず「もしなんかあったら連絡してよ。」と伝えて帰った。
次の日、
お父さんからまた電話。お父さんの言葉がはっきり聞き取れない。
「やっぱり病院へ行こうと思うから、連れて行っておくれ。言葉が出て来んのよ。」
で、たまたまかかりつけ医が池さんの主治医だったので、その病院へと行くことにした。
池さんの主治医。話を聞き、握力を調べたりした後で「頭のCTとってみるかね。」と脳外科のある病院に行けるよう、すぐに紹介状をかいてくれた。
「午前の受付が終わるのが12時だから、急いで行かないと間にあわないよ。」
その時、11時30分。時間がないのでそのまま、まごの手スタッフが付き添って病院へと向かった。
ギリギリで到着し、すぐに検査。
結果は「硬膜下血腫」頭左半分真っ白の状態だった。
すぐに入院の手続きや手術の同意書などが必要になった。
でも、お父さんの2人の息子たちは、筋金入りの引きこもり生活中。
そんな手続きなどを経験したことなどないに違いない。
「息子たちがそういう事情だからすぐには来ることができない」と説明するスタッフに、病院の医者は、「早く同意書を書ける家族を呼べ~~!!!」と怒鳴りちらし、同行したスタッフに「ヘルパーじゃ何の役にも立た~ん!!!」と暴言を吐く。
そりゃ一刻を争う状態だとは思うけれど、もう少し落ち着きませんか?と突っ込みながら、家族と連絡を取るけれど、もちろんすぐに来ることはできない。
なにしろ、引きこもっている兄弟が、大きな病院へ2人だけで来るのだから。
2人だけで、知らない場所へ来るのだから。
その上、どうしても、2人一緒に来なければならない理由がある。
運転できるお兄ちゃんと、携帯を使える弟。つまり、2人セットでないと動けないわけ。
慌てないようできるだけ静かに緊張しないよう配慮しながら、連絡を入れ事情を説明し、とにかくすぐに病院へ来るように伝える。
で、しばらく時間はかかったけれど、2人は力を合わせて、頑張って何とか病院へと到着した。
お兄ちゃんが運転し、携帯を使える弟を乗せて、病院へ着いた。
「病院に着きました!」と弟から連絡が入った。
「よかった~!」「無事についた!」と思った瞬間、「でも、自分が車でおしっこ漏らしてしまって、車から降りられないんですぅ。」
そりゃ漏らしても仕方ないよね。こんな急な事態で、きっと緊張したんやね。
弟はそのまま車で待機することになってしまった。仕方ないよね。ズボン濡れてるし。。。
で、運転できるけど携帯を使えないお兄ちゃんは1人で頑張って病院の中へと入ったものの、駐車場に到着してから1時間たってもスタッフから連絡がない。
どうしたのだろう。もう1時間もたったのに。携帯が使えないから、連絡の取りようがない。
「初めての大きな病院で迷っているのだろうか。対人関係が苦手だから受付で聞くということもできず、グルグル病院の中を探し回っているのだろうか。」とスタッフが気づき、院内放送をお願いすることに。
「○○さんのご家族の方~~~玄関まで~~~お越しください~~~。」
それで、やっとお兄ちゃんと合流ができた。
お兄ちゃんはスタッフと一緒に何とか責任を果たし、お父さんは無事に翌日の手術の手続きを終えた。
もう夕方。。。。。
親戚もわからず、家族も3人だけ、頼れる人はいない。連絡をするところもわからない。
兄弟には、大きな決心が必要だったに違いない。
「2人で病院へ行く」という覚悟。
毎日毎日、家の中で暮らしてきた兄弟が、大きな決心をして、老いた父親の待つ病院へと車を走らせた。
運転できる人と、携帯を持つ人。
病院へ行くのだからと、シミのついた着古したジャージではなく、真新しい服に着替えて、車に乗った兄弟。
緊張しすぎて漏らしてしまったけど、2人の緊張が伝わってくるようで、心を大きく揺すぶられた。
連絡を待っていたスタッフは「よう頑張った!ようやった!」思わず拍手。
結局、お父さんは翌日無事に手術を終えた。
しばらくしたら、また3人の暮らしに戻れるだろう。
2人の兄弟の決断と、勇気と努力に、大きな拍手を送りたい。
普通の大きな社会から見たら取るに足りないほどの決断や勇気や努力かもしれない。でも、この家族を知っている私たちにとっては紛れもなくでっかい決心と勇気に違いないと確信できるのだ。
引きこもっているけれど、父親の一大事を前に、逃げることなく責任を果たした2人の息子たち。
家族。
3人の家族。
確かに家族。
老人と課題のある子どもたち、課題は多い家族だけれど、何とか今まで生活を続けて来れた。
これから先、お父さんに何かあれば、どうなるのだろうという心配は確かに存在するけれど、兄弟たちが父親の一大事を前にした決心は、紛れもなく父を想う息子の姿そのもので、その姿が私たちの心に優しさと暖かさを届けてくれた。
3人家族と「家族」の姿。
引きこもりの兄弟に、ふわりと心揺れた、春の一日。
またまたあっという間に、4月も半ば。
本当に時間が経つのが早い、なので、毎度ご無沙汰しております。
いつもの言い訳ながら、3月4月と超多忙を極めつくしておりまして、
多忙さも気がつけば日常になっているとかいないとか。
多忙でないと物足りなくなっているとかいないとか、そんな毎日を送っているワタクシです。
サクランボの木は、小さくてまだ硬い実をたくさん実らせています。
実が熟れる頃には、毎朝の送迎時の楽しみになるはずです。
大頭の庭のサクランボも、今年はたくさん花をつけました。部屋から手が届く場所にあるので、きっとすぐに食べてしまうでしょう。
鳥が先か、ばあちゃんが先か、はたまたやっちゃんにやられるか、楽しみは増えるばかりです。
まごのての部門も、いろいろな変化をしております。
厨房の設備改修工事も終わりました。不便だった部分の改修や屋根の塗り替えなどの大幅な工事を済ませ、内部も大ちゃんがDIYで、机や棚などおしゃれに変身させてくれております。
もう少ししたら、新しいパンフレットやツールも出来上がると思いますので、ご紹介できることでしょう。
皆さまどうぞお楽しみに。
世界は相変わらず、不安定です。
地球も、気象も不安定だから、人の心も不安定になるのでしょうか。
荒々しい出来事ばかりで、悲しくなります。
自国の利益のみでなく、世界のことを想ってほしいものですが、命の重さに心を寄せることができなくなっていることに、絶望感しかありません。
どうか、これ以上の戦禍になりませんようにと、願うことしかできません。
介護保険の改正に、大きな矛盾を感じています。
これは書き始めると長くなりそうです。
大規模で、ロボットを導入して、加算ばっかりで、書類をこなせて、機械化できて、そんな施設しか生き残れないのでしょうかと大きな声で言いたいけれど、小さな所は廃業するしかないのでしょうかと、とりあえず小さな声で言っておきます。とにかく現場は大変です。
そんなこんな4月のつれづれ。
令和が始まって早や6年。
確かに時間は経ったけれど、どうやら世界も、人の心も、歪んだ方向に向かっている気がして、不安な気持ちに襲われます。
未来の世界が安定したものであるように願っていますが、今の世界が正しいのかどうか、きっと歴史が証明してくれるでしょうから、未来に希望を残したいと思っています。
どうか、これ以上命が粗末になりませんように。
ただただ祈ります。