浜岡停止は首相の英断! (2011.05.10.)
浜岡原発の停止要請に対し経団連の米倉会長は、「電力不足の中、今後30年間で87%の確率で東海地震が起きるとの確立論だけで停止を要請したのは唐突だ」「結論だけがポロと出て思考の過程が全くブラック・ボックスになっている」と痛烈に批判した。
この批判は、原発の危険性と言うものを如何評価するか、それに対する程度の違いが決断の分かれ目になるところだと思う。米倉経団連会長は、日本の経済界のトップ人だけに、電力不足が経済に及ぼす影響を先ず重要と考え、30年間で87%と言う確率だけでは“唐突な判断”と思われたのかも知れない。
しかし菅総理は、一国の総理大臣として、国民の生命や国土の安心・安全を考た上での判断を下したものと思う。
その考えの基礎になるものは、従来までの原子力の安全神話が福島の原発事故で、脆くも崩壊した事があげられる。
我々も、今まで聞かされてきた原子力の安全性は、日本は世界一で、安全技術に付いても世界に誇れるものがあると信じていたからで、近代科学力の原子力とその安全技術とをセットにして、世界市場に売り出すことが日本の得意とする所だと思っていたのである。
しかしながら、今回の原発事故は、炉心がメルトイダウンを一旦起こしてしまうと、炉心の冷却が中々うまく行かず、お手上げ状態になり、未だに解決の見通しもつかない状態である。
この状態を見た世界の国々は、ビックリして、原発の推進を根本的な角度から見直すことにしている。
無論日本でも今までの安全神話は、一から見直し、確実な安全性が確認したうえでの推進を計らねばならない事は当然であります。
浜岡原発は、それでなくても、以前から、地震の断層の上に位置し、起こりうる確率は87%と言われている。従って、先ず国民の生命と安全を考えたなら停止の判断は当然であると思います。
菅総理の要請は、「先ず停止ありき」と言う事で、米倉会長の言う、結論だけがポロと出たわけでもなく思考の経路は「安全が第一だ」と言う事であり、それによって周辺の事は最小限に留める様、努力せよ!」と言う事であります。
(えびなたろう)
浜岡原発の停止要請に対し経団連の米倉会長は、「電力不足の中、今後30年間で87%の確率で東海地震が起きるとの確立論だけで停止を要請したのは唐突だ」「結論だけがポロと出て思考の過程が全くブラック・ボックスになっている」と痛烈に批判した。
この批判は、原発の危険性と言うものを如何評価するか、それに対する程度の違いが決断の分かれ目になるところだと思う。米倉経団連会長は、日本の経済界のトップ人だけに、電力不足が経済に及ぼす影響を先ず重要と考え、30年間で87%と言う確率だけでは“唐突な判断”と思われたのかも知れない。
しかし菅総理は、一国の総理大臣として、国民の生命や国土の安心・安全を考た上での判断を下したものと思う。
その考えの基礎になるものは、従来までの原子力の安全神話が福島の原発事故で、脆くも崩壊した事があげられる。
我々も、今まで聞かされてきた原子力の安全性は、日本は世界一で、安全技術に付いても世界に誇れるものがあると信じていたからで、近代科学力の原子力とその安全技術とをセットにして、世界市場に売り出すことが日本の得意とする所だと思っていたのである。
しかしながら、今回の原発事故は、炉心がメルトイダウンを一旦起こしてしまうと、炉心の冷却が中々うまく行かず、お手上げ状態になり、未だに解決の見通しもつかない状態である。
この状態を見た世界の国々は、ビックリして、原発の推進を根本的な角度から見直すことにしている。
無論日本でも今までの安全神話は、一から見直し、確実な安全性が確認したうえでの推進を計らねばならない事は当然であります。
浜岡原発は、それでなくても、以前から、地震の断層の上に位置し、起こりうる確率は87%と言われている。従って、先ず国民の生命と安全を考えたなら停止の判断は当然であると思います。
菅総理の要請は、「先ず停止ありき」と言う事で、米倉会長の言う、結論だけがポロと出たわけでもなく思考の経路は「安全が第一だ」と言う事であり、それによって周辺の事は最小限に留める様、努力せよ!」と言う事であります。
(えびなたろう)