日々のあれこれ

現在は仕事に関わること以外の日々の「あれこれ」を綴っております♪
ここ数年は 主に楽器演奏🎹🎻🎸と読書📚

水面下のパズル

2009-06-15 00:37:00 | ショート ショート

僕は恋人を死なせたことがある。

湖の水面に映った自分の顔がポチャンという音と共にくねくねと曲がり、やがては割れたガラスの破片のように底へ向かって沈んで行く様を見届けたとき、僕の身体もその場に崩れ落ちた。

あの日以来、僕の時間は止まったままだ。膝からガクンと落ちた拍子に、怪我をしたのか、膝小僧に血が滲んでいることも、地面に手を付いて首を垂れている間は気付きもしなかった。

(こんな別れ方をするなら、僕たち、出会わなければ良かったね・・・)

判を押された離婚届を面会時に渡されたとき、僕は・・・・いや、あの頃はまだ、「あたし」と自分のことを呼んでいたんだっけ・・・泣きじゃくりながら、ずっとマー君の側に居させて欲しいと哀願した。

「分かってくれよ。あたしがマー君の両足になってあげるって、それ・・・凄く重いんだ。今まで普通に出来ていた当たり前のことが、千夏の手足を借りなきゃ何も出来やしない自分が許せないんだ。お願いだ。俺を自由にして欲しい。本気で俺に生きていて欲しいと思うなら、黙ってこれにサインして役所へ届けてくれよ。千夏に俺がして欲しい、最後のお願いだ」

あたしが言われるままに自分の名前を記入する気になったのは、彼の担当医からも助言があったからだった。生まれながらの身体障害者なら、こんなものだと思っているから、歩けない事実も「障害」とは捉えていない。「不便」ではあっても、生きるうえで、「障害」とはならないらしい。他の体の機能を使って出来ることをやろうとする。手を差し伸べられることも、素直に受け入れられる。しかし、正人さんは違う。昨日まで貴方が居なくても何不自由なく出来ていた日常のことが、ただ、戸棚からマグカップを取る、という簡単なことが出来なくなることで、精神的な病をも引き寄せてしまっている。

「千夏が側に居ると、俺が駄目になる!」と一番身近な貴方に八つ当たりするのは、思い通りにならない自分の身体に腹を立てているから。一度、離婚しても、復縁することは いつだって出来るのだから、今は彼の意思を尊重してあげることも、大切かもしれない・・・・と。

だから、あたしは、そうしたのだ。本当にマー君から離れる気などなかった。

夫婦だった あたしたちが再び恋人同士に戻ったとき・・・・彼が好きだったアップルケーキを焼いて病棟へ行くと、マー君は看護師さんに車椅子を押してはもらわず、自分で大きな両脇の車輪を回しながら、透明なガラスに囲まれた面会室へ入室した。

あたしと別れた後のマー君は、幾分、明るさを取り戻したかのようだった。

「ほら!千夏に車椅子を押してもらわなくても、こうして自分で操作できるよ」

と、嬉しそうに笑う。何故だろう。あたしは あたしと別れたマー君が少しずつ明るさを取り戻していく様を心の底では素直に喜べずにいたのだろうか。べったりと側に付き添って、必死に介護している方が幸せだったのだろうか。あんなに尽くしていたのに、ただ、真っ直ぐに愛しているのに、何故、マー君は受け入れてはくれなかったのだろう・・・・・?

理屈では、分かっている。千夏は重い、といわれる理由も分かってはいる。でも、納得できない。連れ添いを体当たりで愛する事が、何故、重い、の一言で片付けられなきゃいけないの?と自問自答してしまう。あたしは、結局、変われなかった。こんな自分を変えることが出来ず、マー君を追い詰めてしまったのだ。一度は精神科病棟から退院した彼が、再入院することになったのも、あたしが原因なのだ。

あたしたちが出逢ったのは、お互いがツーリングを楽しんでいた旅先だった。赤茶けた大地を風を切って走る。非日常的な空間で出逢ったからか、瞬時に意気投合し、翌年には結婚した。結婚後も二人で遠出し、スナップ写真はどんどん増えていった。彼が交通事故にあうまではー。

あたしは部屋中を飾っていた二人のツーリングの写真をすべて押入れの奥にしまいこんだ。嫌だ。思い出してしまう。事故さえなければ・・・

「俺の側に寄るな~! 独りにしてくれ」

マー君が荒れて、叫びまくる度に あたしの記憶はあの日に戻り、ツーリング自体を憎んだ。楽しかったはずの二人が共有するツーリングの日々も、思い出したくはない悪夢となった。

ある晩、からからに喉が渇き、夜中に何度も目が覚めては、這うようにキッチンの水飲み場まで行っては、やっとの思いでグラスに水を注いだ。一口、飲むと、また一口、しばらく口の中に水を含む。そうしていないと、からからに乾いた喉は、少しも潤わないのだ。これまで幾晩もグラス一杯の水をがぶ飲みしては、乾ききった喉は、そのままで、お腹だけが水で膨れていく様を体感していた。水膨れして部屋へ戻ると、ベットに横たわったまま うつろな目であたしを見ているマー君の視線にぞっとした。

「起きていたの? 寝返り出来なくて辛かったでしょ?あたし、悪い夢をみていたみたいで、起きれなかったから、ごめんね」

あたしはマー君の身体を半分起こしながらも、力尽きて、自分の寝汗でべっとりしたシャツのまま、彼の顔面に倒れこんでしまった。

「何故だ・・・? 何故なんだ。千夏、そんなに嫌か? また、あの頃の夢にうなされていただろ? 俺たち、もう別れたんだ。寝泊りになんか来なくていい。こんな別れ方をするなら、俺たち、出会わなきゃよかったな・・・」

出会わなきゃ良かった・・・・出会わなきゃ・・・・。一番、聞きたくはないあの台詞が耳元でエコーする。

「あたしの寝言に文句言うなんて、ずるいよ。言いたいことじゃないんだもん。夢にまで責任持てない・・・」

出会わなきゃ良かった・・・・何度、マー君の口から聞かされただろう。それも、あたしが悪いって。過去の夢を見る、あたしが悪いって・・・・。

別れても駄目なの? 恋人に戻っても、あの日の記憶は消せないよ。二人の趣味がツーリングでなければ、そもそも あたしたちは出会わなかった。あの「事故」も起こらなかった。きっとマー君は今も両足で走り回っていたよね・・・。あたしが悪いんだ。きっと、そうよ! 

あたしは、何をマー君に喋っているのか、分からなくなっていった。ただ、マー君が夜中に再び興奮して叫ぶ声が部屋中の壁にぶつかっては自分に跳ね返ってくるのを聞いていた。

「違う!そうじゃない!そうじゃないんだ、千夏。俺に構わないで欲しいだけなんだ。千夏の距離が近すぎるんだ。俺の側にぴったりと くっついている必要なんてないんだよ。すべての過去を悔やんで俺の側にいることが義務のように感じている千夏に側に居られると気が狂いそうなんだ。どうして分からない・・・?」

分からない、分からない! あたしは ただ貴方の側に居たいの。それ以外、何も望んではいないの。どうして世話しちゃいけないの? 夜中にグラスいっぱいの水をくんできてはいけないの? え? 枕元に置いておいてくれたら、自分で飲める? でも、汗をかいたときの着替えは? タオルを背中に入れておけば、一晩くらい、どうにかなる・・・? でも、それって辛いでしょ? それより千夏の心が重く のしかかって辛いですって? 

夜が明けない闇の中に包まれて、二人して ずんずん沈んでいくかのようだった。遠くで居る筈も無いフクロウの鳴き声がする。これが幻聴なのか、それすら分からない。この闇・・・二人で居る限り、二度と、抜けきれないのか・・・? それなら、いっそのこと・・・・

再入院したマー君が、洗顔用の洗面器、一杯の水に顔をつけて、この世を去ったのは、あの晩から わずか一週間後のことだった。鍵がかかる個室に入れられていたマー君が、自殺を図ることは、ほぼ不可能だという我々の認識が甘かった、許して欲しい、と主治医は深々と頭を下げた。

あたしは、その通りだと主治医をなじった。その後、どういうわけか、半年も経って主治医から送られてきた手紙には、マー君の遺書が同封されていた。

「千夏へ。許して欲しい。俺たちは、二人で居ると駄目なんだ。千夏は何処までも女の子で、俺に尽くしてくれた。でも、それは同時に俺に甘えることなんだ。千夏には精神的にもっと俺から自立して欲しかったし、俺の自立も認めて欲しかった。俺にはそんな千夏を支える事が重荷になっていったんだ・・・いつも、あの日へ戻る千夏の心が重かったんだ・・・」

 

僕は、あの日以来、女の子であることをやめた。独りで居ても、誰かと二人で居ても、自立して生きていく決心をするだけのことをマー君は僕に残してくれた。命を経つ、ということまでして。死を選んだマー君の選択が正しいとはいえない。でも、そうするしか僕達が救われる方法は無かったのかもしれない。僕は、あの日から、ずっとそう思って生きてきた。決して誰も好きにはなるまいと。だから、独りで自立して生きていくということは、同時に僕の・・・いや、僕達の時間が止まってしまうことも意味していた。

ときどき、こんな風に水面に映し出される自分の顔を見ると、急に動悸がして 割れたガラスのようにバラバラに自分の身体が地に落ちてしまうのは、あの日が原因だ。

あの日、闇の中に落としてしまった心のパズルを合わせることが出来ないまま、僕は生きている。

「千夏さん! 居た居た! 随分、探しましたよ。キャンプ場を離れて一体、何処へいっちゃったかと皆、心配していますよ。ささっ! 急ぎましょう。日が暮れてしまう!」

僕を呼びに来たのは、ほんの一週間前に出逢ったばかりの施設に入居している男性だった。新人なのに、利用者さんたちのお世話をするスタッフとしてキャンプに参加してもいいものだろうか・・・? と参加を渋る私を説得して、ここへ引っ張ってきたのが42歳の彼だった。

自分のことを「僕」と呼ぶなんて・・・しかも、男に興味ないなんていって千夏さん、もしかして・・・あれってわけじゃないですよね? 冗談か、本気か分からないような質問を僕に投げつつ、それ以上は何も聞かず、彼は声高々に笑った。

ツーリングが大好きで、若い頃は無茶をしましたよ、と笑う山本さんは、テントへ戻る途中、僕に一枚の写真を見せた。

「これ、俺がオーストラリアの大地をツーリングしていた頃の写真です。まだ、20代後半。昔はバリバリ海外で仕事もしていましたよ。会社に行けと言われたところへは、何処へでも行っていましたっけ・・・。赴任先で気に入った国は、豪州。いいですね~あの国は広くて、真っ直ぐに伸びる道を走るのは爽快でしたよ」

ツーリングと聞いただけで、僕の心の奥がうずいた。

あぁ、マー君、あたしは、貴方の写真、すべてを勝手に処分してしまったんだったわね。

「山本さん、ツーリングが好きだったんですね。あたしの古い知り合いも同じで・・・。無茶しちゃいけませんよ。怪我するようなことは一度もなかったですか?」

彼は あれ?と一瞬、とても驚いた顔をすると、足を止めた。彼の背後でカサカサッと草木が揺れる。ウサギかリスでもいるのだろうか。

「千夏さん! 今、あたし・・・って言いましたね? 初めて聞きました!! 怪我は・・・確かに何度かありましたよ。生きているのが不思議なくらいです。でも、俺は再びバイクに乗りますよ。近い将来、きっとね。そのためにリハビリして、お酒も控えて、きちんと薬も飲んでいるのですから!」

山本さんは、確か、医師からバイクはおろか、車の運転も止められている。心の病と薬の影響で、ほぼ、永久に乗り物を運転することは禁止と言われている筈だ。それなのに、何故・・・・?

僕は再び、山本さんの手の中にあるセピア色の写真へ手を伸ばした。もう一度、見せて頂いてもいいですか? と許可を得ながらー。

ゆっくりと歩きながら眺める写真の中の彼と目が合う。今、この瞬間と未来を見つめる目だ。何故か懐かしい。僕が知らない若い頃の山本さんが、そこにはいる。マー君も確かにこんな目をしていたっけ。

「俺は、頑張りますよ! リハビリ!! 自分の力でいつか、乗れるようになりますよ、きっと!」

僕の隣を歩く山本さんと元気だった頃のマー君の姿が一瞬、重なった。

僕は・・・・

いや、あたしは、きっと、数年したら、再び誰かを好きになる。

山本さんの過去は何も知らない僕なのに、何故か たった一枚の写真から これまでに歩んできた人生を凝縮して見せてもらったような気がした。マー君が本当に求めたのは、これだったのだ。

過去を否定せず、未来へ繋げること。

頑張る意欲は、きっとそうすることで心の底から沸き起こるのだ。

そしてー

適度な距離を置いて、必要に応じて そっと寄り添うこと。

お互いを支えあうこと。

一人の「人」として。

遠い昔、水面下へバラバラに落ちたパズルが、あれから何年も経って、ようやく組み合わさったような気がした・・・・。

 

                  - The end -

 

 このお話は すべてフィクションです。

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2 Comments

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いい作品ですね ()
2009-06-16 21:14:00
短さを感じさせない、いい短編ですね。

縦書きの文章だったら、最後の部分、改行位置で更に深さが出るのかなあ。

ではでは。
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岳さんへ (すず)
2009-06-17 23:20:04
コメントありがとうございます♪
最後の二行ですか?構成なんて何も考えずに書きだしたにしては、上手くまとまったと思います。

将来、長編になるかもしれない、と一気に書き終えたとき、思いました。実際にこれまで短編のつもりで書いたのに、続きをどんどん書いて中篇、長編に最終的にはなってしまったものが いくつかあるからです。
このテーマは本来なら長編ですね。
それを短編で急に思い立って疲れているのに一気に書き上げられたのは、さくらを訪問したとき、ある人の顔を見て、何故かぱっと浮かんだからです。あの訪問が無ければ、こんなストーリーは思いつきもしませんでした。

完全なるフィクションではありますが、精神科病棟が、どのような所かは、私も知っています。患者の家族として かかわる人の気持ちも分かります。
とてもとても辛いです。出口が見えないトンネルの中をさ迷っているかのような気持ちになります。

それでも・・・
人生、色々ありますが、
「こうありたい」と願う自分が未来を作っていくのだろうと思います。辛いから、苦しんだから、人には優しく接したいと強く願うと、そのように行動できるものです。すべてを周囲のせいにするのではなくて・・・。時々、人間だからイラついてしまうこともありますけど。

重いテーマですが、どのようなテーマでも、作品の中で、一筋の光を最後には見出せるような・・・
やっぱり、人間っていい。
生きているっていい、と思えるような作品を書いていきたいですね。

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