2023年7月1日(土) ふるさとに寄せて
最近、五木ひろしの「ふるさと」が気になっていて、そこから発展して、「ふるさとに寄せて」と題して、ふるさとに関する話題を、纏めてみることとした。
○五木ひろしの、比較的新しい歌謡曲「ふるさと」の歌詞は以下である。
この曲は、1962年(H20年)、今から、15年程前に、発表されているようだ。
田舎から都会に出てきた青年と、杏(あんず)の花咲く農村にいる少女との間の、心の通いを歌っている、抒情的な歌謡曲だ。
歌には、昭和レトロ的な情景が描かれており、囲炉裏端からは、往時の田舎での、団欒風景が、思い出されることだ。
○「ふるさと」と言えば、日本人なら誰でも知っている、
文部省唱歌 「故郷」(作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一)
がある。歌詞は以下のように、なっている。
1,兎おいし かの山
小鮒釣りし かの川
夢は今も めぐりて
忘れがたき 故郷
2,如何にいます 父母
恙なしや 友がき
雨に風に つけても
思いいずる 故郷
3.志を はたして
いつの日にか 帰らん
山は青き 故郷
水は清き 故郷
1番、2番は、誰しも持っている気持ちだろうが、3番は、やや、異なる。
人々や住まいが変化していく中で、自分の心にある故郷は、山は、変わらずに、青く聳え、川の清流も、変わらないのだ。
○「ふるさと」と言えば、金沢生まれの詩人、室生犀星の、以下の詩が、思い起こされる。
前半では、「ふるさとは 遠きにありて思ふもの」で始まり、「帰るところにあるまじや」で結んでいる。
「あるまじや」は、やや、難解な表現だが、ありえないだろうか、と言った意味だろうか。
「ひとりみやこのゆふぐれに」から始まる後半では、ふるさとをおもひ涙ぐんでいる。
ここでの 「その心」は、以下の、なにを指すのだろうか、やや、不明確である。
・帰るところでは無いと言う気持ち
・ふるさとを思い涙ぐむ気持ち
最後の、「遠き都に帰らばや」 にある 遠き都とは、以下の、何処のことだろうかと、筆者の混乱は、増大した。
・現に住んでいる場所のこと
・以前の心のふるさとのこと
筆者の意見は後者なのだがーーーーーー。
この、望郷の詩(うた)を作った、詩人 室生犀星の感性に、脱帽である。
○石川啄木の以下の歌もよく知られている。
「ふるさとの 山に向かいていうことなし
ふるさとの山は ありがたきかな」
57577の決まりをくずしている所が、面白い。
この歌は、歌集 「一握の砂」(1910年(M43年)刊)に発表されている。
ふるさとの山は、かの 岩手山とも言われている。
「いうことなし」「ありがたきかな」と言う表現は、歌人の、100%の気持ちだろう。