つれづれの記

日々の生活での印象

ふるさとに寄せて

2023年07月01日 09時28分04秒 | 日記

2023年7月1日(土)  ふるさとに寄せて

 

 

最近、五木ひろしの「ふるさと」が気になっていて、そこから発展して、「ふるさとに寄せて」と題して、ふるさとに関する話題を、纏めてみることとした。

 

○五木ひろしの、比較的新しい歌謡曲「ふるさと」の歌詞は以下である。 

 

     

  

この曲は、1962年(H20年)、今から、15年程前に、発表されているようだ。

 田舎から都会に出てきた青年と、杏(あんず)の花咲く農村にいる少女との間の、心の通いを歌っている、抒情的な歌謡曲だ。

歌には、昭和レトロ的な情景が描かれており、囲炉裏端からは、往時の田舎での、団欒風景が、思い出されることだ。 

 

○「ふるさと」と言えば、日本人なら誰でも知っている、

    文部省唱歌 「故郷」(作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一)

がある。歌詞は以下のように、なっている。

 

1,兎おいし かの山

  小鮒釣りし かの川

  夢は今も めぐりて

  忘れがたき 故郷

2,如何にいます 父母

  恙なしや 友がき

  雨に風に つけても

  思いいずる 故郷

3.志を はたして

  いつの日にか 帰らん

  山は青き 故郷

  水は清き 故郷

 

1番、2番は、誰しも持っている気持ちだろうが、3番は、やや、異なる。

人々や住まいが変化していく中で、自分の心にある故郷は、山は、変わらずに、青く聳え、川の清流も、変わらないのだ。

 

○「ふるさと」と言えば、金沢生まれの詩人、室生犀星の、以下の詩が、思い起こされる。

    

 

 前半では、「ふるさとは 遠きにありて思ふもの」で始まり、「帰るところにあるまじや」で結んでいる。

 「あるまじや」は、やや、難解な表現だが、ありえないだろうか、と言った意味だろうか。

 

 「ひとりみやこのゆふぐれに」から始まる後半では、ふるさとをおもひ涙ぐんでいる。

 ここでの 「その心」は、以下の、なにを指すのだろうか、やや、不明確である。

  ・帰るところでは無いと言う気持ち

  ・ふるさとを思い涙ぐむ気持ち

 

 最後の、「遠き都に帰らばや」 にある 遠き都とは、以下の、何処のことだろうかと、筆者の混乱は、増大した。

  ・現に住んでいる場所のこと

  ・以前の心のふるさとのこと

筆者の意見は後者なのだがーーーーーー。

この、望郷の詩(うた)を作った、詩人 室生犀星の感性に、脱帽である。

 

○石川啄木の以下の歌もよく知られている。

  「ふるさとの 山に向かいていうことなし

          ふるさとの山は ありがたきかな」

57577の決まりをくずしている所が、面白い。

 

この歌は、歌集 「一握の砂」(1910年(M43年)刊)に発表されている。

ふるさとの山は、かの 岩手山とも言われている。

「いうことなし」「ありがたきかな」と言う表現は、歌人の、100%の気持ちだろう。

コメント
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