しばらく書くことが億劫になっていたのだが、久しぶりに百合さんのコメントで書く気になって来ました。
百合さんが言うように、テレビに限らず、ラジオ、新聞、インターネットなど、「メディア」と言われるものから発せられる情報は「結果から導き出された批判」でしかないのである。
これは所謂「結果論」であって、「結果論などいくらしても無駄なこと」ではないだろうか。
私が最も重要視することは「その結果が出るまでのプロセス」で、それを無視した批判論(結果論)など「百害あって一利なし」だと思っている。
冷静に私のブログを読んでくださっている人ならわかると思うのだが、私は民主党政権が誕生するより遥か前にこのブログで「現在の民主党の姿」を予測しているのだが、これは「アメリカのオバマ政権」にも言えることなのである。
私は政治に無関心ではないのだが、正直な話、40年間「選挙権の行使(投票)」はしていない。
「選挙権の行使」を、「国民の権利」だと言う人もいる一方で、「国民の義務」だと言う人もいるが、私にとってはどちらだろうと余り気にはしていない。
何故そのように考えるかと言うと、仮の話「国民の権利」だと考えれば、「権利を行使すれば義務が発生する」と言うことになり、「義務」だと考えれば「権利」が発生することになる。
しかし、国民(有権者)の殆どは「権利は主張するが義務は無視」と言った風潮が強く、国民の考え(民意)がこのような状態では「政治が良くなるはずもない」のである。
しばしば「政治に民意が反映されていない」と言われるのだが、私に言わせれば、今の政治の乱れは「民意が反映された結果」でしかなく、私利私欲に目がくらみ「我田引水的な考え方」をしていてはどうしようもないであろう。
さて、選挙権の行使をしない私であるが、変な言い方をするなら「選挙権の行使をしないからこのようなブログが書ける」とも言えるのではないだろうか。
ついでに言うなら、それ相応の税金は納めているのだから「納めた税金に見合う程度のことはして欲しい」とは思っているが、これとて「完全に公平にするのは不可能なこと」だと思っているし、納めた税金の額を考えれば「これ以上を望んでは罰が当たる」と思っている。
更に、現在の財政状態を考えると「今以上に悪化するのは覚悟しなくてはいけない」と思っている。
百合さんが言うように、テレビに限らず、ラジオ、新聞、インターネットなど、「メディア」と言われるものから発せられる情報は「結果から導き出された批判」でしかないのである。
これは所謂「結果論」であって、「結果論などいくらしても無駄なこと」ではないだろうか。
私が最も重要視することは「その結果が出るまでのプロセス」で、それを無視した批判論(結果論)など「百害あって一利なし」だと思っている。
冷静に私のブログを読んでくださっている人ならわかると思うのだが、私は民主党政権が誕生するより遥か前にこのブログで「現在の民主党の姿」を予測しているのだが、これは「アメリカのオバマ政権」にも言えることなのである。
私は政治に無関心ではないのだが、正直な話、40年間「選挙権の行使(投票)」はしていない。
「選挙権の行使」を、「国民の権利」だと言う人もいる一方で、「国民の義務」だと言う人もいるが、私にとってはどちらだろうと余り気にはしていない。
何故そのように考えるかと言うと、仮の話「国民の権利」だと考えれば、「権利を行使すれば義務が発生する」と言うことになり、「義務」だと考えれば「権利」が発生することになる。
しかし、国民(有権者)の殆どは「権利は主張するが義務は無視」と言った風潮が強く、国民の考え(民意)がこのような状態では「政治が良くなるはずもない」のである。
しばしば「政治に民意が反映されていない」と言われるのだが、私に言わせれば、今の政治の乱れは「民意が反映された結果」でしかなく、私利私欲に目がくらみ「我田引水的な考え方」をしていてはどうしようもないであろう。
さて、選挙権の行使をしない私であるが、変な言い方をするなら「選挙権の行使をしないからこのようなブログが書ける」とも言えるのではないだろうか。
ついでに言うなら、それ相応の税金は納めているのだから「納めた税金に見合う程度のことはして欲しい」とは思っているが、これとて「完全に公平にするのは不可能なこと」だと思っているし、納めた税金の額を考えれば「これ以上を望んでは罰が当たる」と思っている。
更に、現在の財政状態を考えると「今以上に悪化するのは覚悟しなくてはいけない」と思っている。





