へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

政治は一体誰のためにあるのだろうか・・・・

2009年08月16日 03時16分40秒 | Weblog
多くの人の答えは「国民のためにある」と答えるであろうが、果たして本当にそうなのであろうか・・・・。
広い意味で言えば確かに国民のためにあるようにも見えるのだが、その内容を精査してみると「とても国民のためとは言いかねる」と言う状態であると思う。
「そのとおりだ」と同調される方も多いのではないかと思うが、私が考える内容と同調された方の考えの内容が同じだとは限らない事に注意して欲しい。
私が考える「政治は一体誰のためにあるのか?」と言う問いに対する答えは、「投票する国民と、選ばれようとする候補者の私利私欲を満たすためにある」と言う物で、大方の予想とは全く違う物であろう。
投票する人は「少しでも自分のため(利益)になる政策」を求め、候補者は候補者で「出来る限り有権者が喜ぶような公約(その殆どは財源に無理がある)」を前面に出し、その結果として「将来に負の遺産を残す」と言う事には関心を持とうとはしないのである。
その傾向は少数野党の公約などによく現れており、有権者が関心を持つような一部の事にばかり都合の良い政策を並べ立て、「それ以外のことはどうなるの?」と言いたくなる事ばかりであるが、これは政権(責任)政党になる見込みが全く無いからできることで、ただひたすら「議席を獲得するための方便」として使っているのである。
民主党の公約には財源の裏づけが乏しいのだが、これは自民党、公明党にしても似たり寄ったりで、「多少民主党よりはまし」と言った程度でしかない。
新聞などで「国と地方の長期債務(借金)の合計が800兆円」と公表されているのだが、これはあくまで「長期債務」であって、「短期債務」まで含めると1000兆円(国民一人当たり800万円)もの借金になるのではないだろうか。
これほど多額の債務を抱えながらどの党も一言も触れようとはせず、タダひたすら「楽観的観測に基づく公約」ばかり並べ立てているのは、ひとえに「有権者がそれを求めている」と言う事に原因があるだろう。
唯一麻生総理だけがこの事に触れてはいるのだが、タダひたすら「景気回復」を求める国民の声に消されてしまおうとしている。
「政治が悪いから日本が悪くなった」と言われるのだが、「その政治を悪くしたのは有権者」だと言う事に気が付くべきだろう。
「今こそ日本を変えるときです」などと言う事が言われているが、変えるのはよいが「悪い方に変わった」などと言う事にならなければ良いのだが・・・・。




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